「徒然草」を覚えて鎌倉を歩く⑤コスプレ庭師、夢窓疎石の瑞泉寺庭園をゆく
鎌倉駅から鶴岡八幡宮に向かうまでの門前町、小町通りには、一年中浴衣を着た男女が見られるが、付近のレンタル浴衣ショップで借りたアジア系の観光客がほとんどだ。彼女ら、彼らは、まず「形」から、この古都を体感したいのだろう。ただ、その原色のぺらぺらした化繊の浴衣は、日本人の目から見ると正直安っぽく、また、二十歳ぐらいの女性が浴衣を着ながらも黒マスク着用、というのもぎょっとする。「形から入る」ことは時に滑稽かもしれない。
ただ「徒然草」85段には「名騎手にあやかろうと思った時点で騎手のはしくれ。名宰相にあやかろうと思った時点で政治家のはしくれ。形でもいいからプロの真似をすれば、プロのはしくれだ。(驥を学ぶは驥の類、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。)」とある。この言葉に元気づけられ、私も庭師ではないが、背中に白く「庭」と染め抜いた藍染めの法被をまとい、足元は地下足袋といういで立ちで鎌倉の庭を歩く。そのほうが「盛りあがって」くるのだ。
「鎌倉の庭」と聞いても、ピンとこない方も少なくないだろう。知名度は北鎌倉の建長寺・円覚寺の枯山水ほど有名ではないが、私が衝撃を受けたのは市内の東側の山中にある瑞泉寺庭園である。ここは京都の西芳寺や天龍寺、岐阜県の永保寺等を造園したカリスマ庭師、夢窓疎石が、関東に残したほぼ唯一の庭である。この庭園史上の革命児の庭は、近づくだけでわくわくする。
駐車場から山中に分け入る。地下足袋に石段のでこぼこを感じつつ、息を切らして登ると、山門と本堂が現れる。そして裏に回ると、地層のはっきり描かれた崖に、直径数メートルの洞が、黒くぽっかりと口を開けている。「これが…庭か?」初めて見たときにはこのアヴァンギャルドさに衝撃を受けるとともに戸惑った。庭というと、池があり、木々があり、岩があるのが相場だが、ここではそんなものよりもまずブラックホールのようにぽかんと口を開けたこの洞しか目に入らない。
その後、にわか庭師の格好で何度訪れても、やはりこの洞は見慣れない。かつて夢窓疎石の時代の鎌倉においては、武士が亡くなったら遺骨を洞に収めたという。いわばこの洞は、あの世とこの世の境を意味するのだろう。そしてここに来るたびに、私は「老子」の第六章を思い出す。
「女体の出入口は、天でも地でも、何であろうと絶えずひょいひょい生み出し続けてやまない神秘的な根源だ。(谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。)」
一見現代アート的なこの庭は「玄牝(女体の出入口)」ではないかという気がしてくる。いや、夢窓疎石当時の人々も「当代アート」としてみていたのかもしれない。「徒然草」13段では、「夜、一人でロウソクの光の下、白楽天の詩や老子、荘子などあったこともない人々の書を読みふけることの楽しさときたらない。」と言っている。彼がこの庭を見たかどうか、定かではないが、日夜老荘を読みふける彼のことだ。この庭、いや、この洞を見ると同じことを感じたのかもしれない。
それにしても、庭師でもないのに庭師のいで立ちの私は、庭園史上の革命児、夢窓疎石の庭を見るだけにとどまらない。山陰の雪舟庭園で講釈を垂れていると、管理人から本物の庭師と間違えられた時には「私など、庭師のはしくれにもおけません。」と、いかにも庭師であるかのような口ぶりで否定したことさえある。自らの厚顔無恥さ加減には我ながらあきれる。そもそも、私の本業は通訳案内士養成であるから、「庭師のコスプレ」は、ツアー客を喜ばせる商売道具なのだ。
一方で私の指導する通訳案内士予備軍は、総じてまじめで謙虚な人が多い。合格しても「まだ私のようなレベルで通訳案内士をするなんて」と、謙遜半分、不安半分で、現場で場数を踏まずに、教科書の暗記などに時間を費やす人も少なくない。ただ、「徒然草」150段にこうある。
「プロを目指す人の中で、『まだ下手なので、人にばれないように、こっそり練習してから披露すれば、みんなびっくりするだろう。』なんていう人に限って、プロになったためしはない。(能をつかんとする人、『よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得えて、さし出いでたらんこそ、いと心にくからめ』と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ならひ得うることなし。)」
対照的なのが中華系の無免許ガイドで、勉強しないで舌先三寸のでたらめな「知識」をべらべらとまくしたてるケースもよく見る。どちらがいいか。「はじめの一歩」を踏み出す勇気さえあれば、まじめに学んでいく人のほうが大成することは言うまでもない。
瑞泉寺庭園の洞は、このような「徒然なる」とりとめもないことから物事の根源まで、色々と思考を自由自在に遊ばせてくれる起爆剤としても面白い、現代アート的な空間である。「何か」を感じるためにも、できれば「徒然草」の気の利いた一句でも覚えて訪れることをお勧めする。
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