勇〇三部隊戦史その③

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勇〇三部隊戦史のご紹介を続けます。


勇〇三部隊(歩兵第29連隊会津若松)が上陸した時のガ島の第一戦の緊迫した状況は以前ご紹介した「歩兵第四連隊史その⑤」 をご参照ください。


第17軍・第二師団ともにルンガ飛行場(米呼称ヘンダーソン飛行場)の西、マタニカウ川から重砲・戦車などを使用し、奇襲などせず正面より力攻する予定であった。

この正面攻撃は、優秀な大本営参謀たちもガ島派遣参謀の辻氏がガ島へ向う際、「奇襲に頼らず、堂々と正面攻撃せよ」と言い含めている。


それが結果としてアウステン山を迂回し深夜白兵突撃への奇襲攻撃となった。

原因は、第二師団の弾薬・糧食の揚陸が上手く行かず、また、なんとか揚陸した梱包も米軍の艦砲射撃により大半を失い、重砲・砲弾・糧食が不足の事態となり正面攻撃が難しくなったと考える。

しかし、正面攻撃のほうが米軍与えた被害は大きかったのでないかと考えてしまう。

もちろん迂回攻撃が惨敗に終わった事実を知っているから言える事と承知はしているが。




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亀井宏氏著の「ガダルカナル戦記」第二巻313~314頁より引用。

ガダルカナル飛行場を奪回するに当たって、海岸、あるいは台地方面から、つまり正攻法で攻めるべきか、ジャングルを縫って米軍の背後をつくという夜襲戦法をとるべきか、この重要課題に要した時間はたった一日であったという。

われわれ戦史をひもとく者としては、このような重大な選択、作戦変更をするについては、だれがどのような意見を述べたかを詳しく知りたいところである。

厳に海岸方面から押せば飛行場は奪回できたかもしれない、とする生存者もいるほどである。

しかし、ガ島を体験した者の中にも、このジャングルを縫っての迂回作戦をとるより他に方法が無かったという人も多い事もここに付記しておかなければならない。


ガ島戦の辞書として活用させて戴いている「ガダルカナル戦記」の亀井氏でさえ誰がどのような意見を述べたかを知りたがっています。

勇〇三部隊戦史は迂回作戦へ変更した場面を記述しています。


勇〇三部隊戦史 121~124頁をまとめてみます。

10月11日第二師団玉置参謀・大本営松本参謀の二人は903高地へ敵情視察を行い第二師団司令部幕僚会議へ向う。

第二師団司令所では大本営参謀、辻政信が首を長くして待っていた。

アウステン山南西麓が望見され、その附近には所々に林空が見え、山地の森林は密度が大ならず、迂回作戦可能のようである。」

この松本発言の最後の言葉に、幕僚の大半が首を傾げている。

今まで迂回作戦という言葉は一度も交わされた事が無く、全幕僚が正面攻撃の作戦を練っていたからだ。

指令所幕舎内では、迂回・正面作戦を巡って激論となっている。

辻参謀の怒声とも取れる大声は幕舎の外にまで聞こえ、延々数時間に及び幕僚会議が終わったの夜であった。

この会議に書記として一人だけ同席していた参謀部先任下士官の桝谷曹長は隣の幕舎の下士官室に飛び込んで来るなり

辻にやられた、師団の参謀は辻にまるめられ作戦変更を決めた

こう叫ぶと、持っていたノートを地べたに叩きつけた。

当時、参謀部付の渡部軍曹も証言している。

「かん高い辻参謀の声のみが幕舎外へひぴいていた」


こうしてガ島作戦は一夜にして正面攻撃から「迂回作戦に変更されたし」という第二師団の意見書が松本参謀により第17軍司令部へ提出された。

第二師団の参謀達は辻参謀の権謀術策に引っ掛けられてしまったのである。

辻参謀は一介の中佐であるが大本営派遣参謀という肩書きを持っていた。

大本営作戦班長という職務は師団長も軍司令官をも牛耳る権勢力を持っていたのである。

たかが第二師団の参謀など眼中になかったと伝っても過言ではあるまい。


昭和56年10月26日、筆者(滝沢)は当時の松本博作戦主任参謀と一緒に903高地に登った折、

アウステン山南西麓はほんとうに見えたのか?

という質問を発してみた。

松本参謀はただ一言

君、仕様が無かったんじゃよ

と伝うだけである。

さらに

「第17軍司令部に出頭する前に第二師団司令部で第二師団の幕僚会議を開いた筈ですが」

という質問に 「その通りだ」 と答えた。

「その席上に辻参謀が同席していて迂回作戦を主張したのではないか?」

という質問に対しては「そんなことはないよ」といった。

「それでは第二師団の参謀が迂回作戦を主張したのですか?」

という質問に対しては一言も反論せず黙したままであった。

後日、その松本参謀は、ある会合の席上、次のように発言している。

あの作戦は失敗だった」と。


玉置参謀と松本参謀が視察を行った翌々日の10月13日

第10中隊より石井栄蔵中尉率いる将校斥候が903高地よりさらに1,000米前方の990高地での偵察報告書の中で

アウステン山南西麓は望見できなかった

とある。


さすが優秀な大本営の参謀たちである。

虚言を用いて第二師団司令部の幕僚たちを迂回作戦へと誘導し、第二師団の名前で意見書を出させている。

これで失敗しても第二師団の幕僚へ責任転嫁できる訳だ。

迂回・正面どちらが正しかったかは神のみぞ知るではあるが・・・

第一線で攻撃を行う師団の意向を捻じ曲げての迂回作戦である。

失敗が判明した際の第二師団幕僚の胸中は「断腸」の思いであっただろう。

ガ島戦が惨敗となり撤退した後に松本・辻両氏へ何らかの処罰が加えられた形跡は無い。


辻参謀の著書「ガダルカナル」には第二師団指令所での会議の場面は一切記述が無い。

勇〇三部隊の復員された方々がご尽力され本書を編纂し後世へ訴えたい事実のひとつであろう。


唯一の慰めは松本参謀が昭和56年にガ島へ慰霊に行かれたという事実を知ることが出来た事だ。

辻参謀がガ島へ慰霊されたという記述がある書籍を自分は見たことがない。



勇〇三部隊戦史その④へ続く