「劉」

 

K氏から突然この漢字一文字のLINEが入った。何を思いついたんだろうか。

 

すかざす反射的に、

 

「項」

 

と返す。

 

K氏は満足そうな一言を残して消えた。

 

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しばらく前に中国の官僚選抜試験の「科挙」の本を読んだ。

 

気が遠くなるほどの猛勉強の末に、これまた気が遠くなるほど苛烈な競争率(最大時3000倍)の試験に臨む。

 

その本を読みながら気になったもう一つの存在が「宦官」である。簡単に言うと去勢した官吏だ。

 

いうまでもなく中国史の中心は各王朝の皇帝たちだが、彼らを取り巻く高級官僚と宦官たちも無視できない。無視できないどころか時代によっては皇帝たちをも操ったのが官僚であり宦官であった。

 

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宦官は約3000年前に生まれた。殷の時代だ。それがついえたのは清王朝が滅び、実質最後の実力宦官、李蓮英が亡くなった1911年と考えられる。

 

多くの宦官は極貧の出自だ。科挙に受かるほどの能力も生活力もなく(ある程度金がないと受験勉強などできなかった)、ある程度の容姿と賢明さと出世欲(というか脱極貧欲)がある者の処世の一つが去勢して宦官になることであった。多くが民間に伝わる「浄法」といわれる様々な術法で、猛烈な痛みと死を覚悟で生殖器を切り落とした。

 

去勢をしたために男性機能を失った宦官たちは官僚には許されない権利、つまり後宮の奥まで出入りし、皇帝の身の回りの世話をすること、によって皇帝の私生活を知り尽くす。それは皇帝とその周辺の弱みを握ることにもなり、それが昂じると皇帝をも操る宦官たちが現れる。

 

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秦という大帝国を築き、人類史上一番死ぬことを嫌った始皇帝はあっけなく50歳で死んだ。彼が亡くなってからがいけない。始皇帝は長男を後継に選んで遺言状を残した。その遺言を大物宦官の趙高はこれまたあっけなく破棄して、始皇帝は末子である胡亥を後継として選んだと嘘の発表をし、長男とのその取り巻きを自殺に追い込む。

 

こうなってしまえば世は趙高のものだ。胡亥は完全に傀儡と化した。

 

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ある日、趙高は2代目の皇帝となった胡亥に「これは馬です」と言って鹿を贈呈した。胡亥は思わず笑って「これは鹿でしょう」と言った。すると趙高は居並ぶ臣下たちにこれは馬か鹿か問うた。あるいは鹿と言い、あるいは趙高を恐れて馬と答えた。その様子を見ていた趙高は全員が答え終わると鹿と答えた者を全員処刑してしまった。これを見た者たちは震え上がり、以後趙高に歯向かう者はいなくなったという。趙高は大金を着服し、豪華な生活に浸り、ついに胡亥まで殺害し、思いあがって自ら皇帝に就こうしたが悪運もここまで。3代目の皇帝に殺害された。

 

しかし趙高が死ぬ頃には宦官たちによってすでに国家システムはずたずたになっており、始皇帝が亡くなってわずか3年で秦は滅びた。まさに馬鹿馬鹿しい話だ。

 

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この秦を滅ぼしたのがこの記事の冒頭に出た劉邦である。項羽との覇権争いに勝った。秦は15年で滅んだが、劉邦が打ち建てた漢は400年続いた。しかし厳しかった武帝の時代、失敗を犯した多くの官僚が宮刑(去勢)に処せられるようになる。科挙に受かったような優秀な者たちさえ宦官化することになる。つまり知的レベルの高い宦官が出てきたのだ。そして漢でさえも末期はこれら宦官たちに食いつくされ滅ぶ。そして漢の宦官たちは三国志の英雄たちに抹殺された。

 

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その後成立した王朝、唐や宋や明など、も結局はウジ虫のようにはびこる宦官たちにいいように弄ばれて滅んでいくことになる。王朝は性的不能者の宦官たちがはびこり始めると傾き、食いつくされて滅亡する。中国史はこれの繰り返しである。

 

人間の3大欲求である食欲、性欲、睡眠欲のうちの性欲を奪われた宦官たちは、本能的に欠けた一つの欲求を権力欲か金欲か征服欲で埋めようとしたのかもしれない。

 

なんだか恐ろしくて、しかし馬鹿馬鹿しくも悲しいような話である。