府中という町は男っぽい町だ。
東京競馬場があり、競艇場もある。
ギャンブルは男の専有物ではないが、そのイメージは強い。
さらに、同じギャンブルタウンである立川と川崎を結ぶJR南武線もこの市を走り、3つの駅を擁する。隣りの調布市には京王閣競輪場もある。
三億円事件で有名な府中刑務所もある。何人の科人が服役されているのかは知らないが、多くが男性と思われる職員も含めて相当数の男性がこの刑務所一帯には集中している。この刑務所には女囚はいない。
この刑務所の対面にあるのが国立東京農工大学だ。理系女子、と聞くようにはなったが、いまだに理数系といえば男子学生のイメージが強い。
これは隣りの調布市と跨るが、いまでは味の素スタジアムや調子飛行場などに整備された広大な土地は、もともとは帝国陸軍航空隊の飛行基地であり、大戦終盤には帝都に襲いかかる米爆撃機を迎え撃つ為に勇猛な空中勤務者が集められた地である。
歴史を紐解けば、明治帝が鮎釣りやウサギ狩を御遊びされた多摩川と聖蹟である桜ヶ丘はすぐ南にある。市の郷土かるたにも、釣り人に夕陽が赤い向山、と歌われている。
さらに過去を遡れば、維新派を震え上がらせた新撰組の局長、近藤勇の生誕の地も調布市であるが府中市との際にある。
もっと過去の話をすれば、鎌倉幕府崩壊の導火線の一つ、分梅の合戦があったのは府中市であり、分倍河原駅前には、新田義貞公の騎馬像が雄雄しくそびえている。同じく、郷土かるたが歌う、朝鳴る鐘は高安寺、の高安寺も足利尊氏公由来の古刹である。これら、戦は男の歴史である。
5月には創建西暦111年の大國魂神社で開催される、くらやみ祭はもともとけんか祭だった。かつては男どもが石礫を投げ合ったもんさ、と古老に聞いたことがある。男の祭だったわけだ。
何年前だか忘れたが、府中駅周辺で都市再開発が行われ、高島屋だか伊勢丹だかも忘れたが、女性たちが喜びそうな高級百貨店が進出してきた。しかし、あっという間に撤退した。男の町に馴染めなかったのだろう。今では跡地は庶民的な家電量販店のノジマが居を構えた。おっさんたちがこの建物に戻り始めた。
おれはギャンブルはやらないが、そんな府中は男子の中でも硬派な方のおれには住み良い町だ。
そして府中市にはラグビーの2つの強豪チームがある。東芝府中とサントリーである。ラグビーには女子選手もいるが、今のところ男性のスポーツと言っていいだろう。選手たちを町で見かけることもしばしばある。
息子がこんな試合のチケットを買ってくれた。
娘は無料だが、行かないと言った。やはりラグビーは男のスポーツか。
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朝、職場に置いてきた自転車をとりに歩く。1時間半。
途中、おれの蓮の観察池がそばにあり、稽古の道場でもある総合体育館前にこんなバスが!
サントリーのラグビーチームのバスではないか。これから秩父宮ラグビー場へ向かうのだ。乗っけてってくれないかな?なーんて。
そう、サントリーの練習場はすぐそばにあり、おれの通勤路沿いでほぼ毎日見て歩いている。ファンにならずにはいられない。ただし、練習場の写真の撮影は禁じられているので掲載できない。
こちらは敵の横浜イーグルス。皆んなガタイがすごい。
ラグビーの試合はサッカーや野球のような鳴り物がない。だから静かである。試合中の選手の声や体がぶつかるすごい音が聞こえる。終盤、キックをミスした横浜の田村選手が、「あ!やべー!ごめーん!」と叫んだ声はスタンドにもはっきり聞こえて、緊張感が一転して大笑いが起きた。
試合は前半、サントリーの大量リードで進む。こりゃ楽勝だな、と息子と笑う。
雨は雨具を使うほど降らなかった。
が、後半、横浜が追いついてきた。そして最後かと思われるプレーであと1点差にせまるトライとコンバージョンを決められた。さらにサントリーがおかしたペナルティーに横浜が選択したのは、やさしからぬ位置からの田村のキックだった。
決められた!
田村はここ一番では外さなかった。さすがだ。
横浜の大逆転勝利。選手たちが駆け寄る。
ノーサイド。素晴らしい試合に拍手。横浜、よくやった。ラグビーの試合には負けてもこういう爽快感がある。勝った敵に拍手を送る。
試合後、息子を誘って新宿へ。実はラグビーの試合より、こっちの方から楽しみだった。
二人で外で飲むのは初めてだ。
話をするなら若者たちでうるさい店よりこういう店がいい。この店を教えてくれた友に感謝。
ビールで乾杯。
明日の大学の卒業式の話や大学院での研究のことやその後の進路の話を聞く。話は半分しか分からなかったが、まあ、いい。家ではほとんど話さないことだ。
100円で焼酎濃いめ、がうれしい。それを立て続けに4杯飲んだ。家では全然飲まない息子が並走してサワーを4杯飲んだ。結構飲める口じゃん。酔った様子もない。
周りは息子に申し訳ないくらいジジイばかり。お達者クラブ状態だ。いつもはこれほどではないのだが。おれなんかずっと若手の方だった。因みにこの店を教えてくれた友はおれよりさらに11歳も若い。
おれの好きなのはハムカツ。息子に食べさせたかったのは銀鱈の西京焼き。めちゃうまいだろ、これ。すごく喜んで食べてくれた。
場所を西口に移す。思い出横丁、通称、しょんべん横丁。
もはやここは外国人の観光地である。やはり英語は勉強しておいた方がいい。自分が行かなくても彼らはやって来る。
おれが高校生の頃から通う町中華の岐阜屋へ。満席のところを心良い先客の好意で二人分詰めてもらって入店。図々しくないと入れない店もある。そういう社会勉強もさせないとな。
酎ハイと名物の木耳と卵の炒め。木耳そのものがほかとは違う。腹一杯と言っていた息子ががっつく。タイ、マレーシア、ベトナムの屋台でも抵抗なくメシが食えた息子にはこういう雑多な店でも大丈夫だ。
二人で食うのでおれの青春の味のチャーハンは大盛りで。
よい加減になって帰還する。京王線に乗って、男らしい町へ帰る。昔はたしか京王帝都電氣鐡道といういかめしい名前だった。男らしい名前だった。
おれは座り、息子は立つ。隣に座った若い婦人が2歳くらいの赤ちゃんを抱っこしていた。息子のその頃のことを思い出した。
帰宅して風呂に入って自宅で二次会に突入。
卒業式にはやはりスーツか。年に一度着るか着ないか。どこにしまったもんだか。