多分あれは職場に置いてきたんだろうと思って自転車で家を出る。

 

昨日よりよっぽど寒くなる、という今朝の天気予報に応じて、しまいかけた厚手のダウンを出してきて着る。ズボン下もはいたし二重手袋も用意したから東京にあっては極寒仕様といえるいで立ちだ。

 

玄関を開ける。なんだ、思ったほど寒くないではないか。いつもはあれが入っている肩掛けカバンがいつもより軽いのが気になる。まあ、あれは職場にあるだろう。

 

通勤路にある蓮の池。

 

 

業者が入って植え替え作業をしていた。早くても6月に咲く花蓮をもう準備している。

 

蓮の植え替えは桜が咲くころ、と言われている。毎年自分も、手乗り蓮という小型の蓮の植え替えをその時期にする。まだひと月もある。桜の咲く時期でも蓮の植わった睡蓮鉢の土に手を突っ込むと恐ろしく冷たいものだ。気合を入れて堀だした蓮根は、鉢の中で宇宙生物のようにうねりくねり思いを越えるサイズで増長している。そのうちの内一番元気そうな節を3,4つ切り出して肥料と一緒に土に埋め戻す。あの時と同じ土のくすんだにおいがする。植え替えの面倒な作業を思い出しながら業者たちの作業をしばし見守る。

 

出社して昨日使ったお金の領収書の整理などをしていて急に思い出した。そうだ、あれはどこにある!

 

ない。ない!

 

手帳とペンのセット。今年初めて採用したジブン手帳というものだ。

 

ありし日の手帳より。今年の1月の予定欄。

 

 

去年の12月から昨日までの自分や大切な人の予定と日誌めいたものが、4色のボールペンで結構細かく書いてある。イラストも描いてあるし、何よりも自分の感情がたたき書かれているのだ。不思議とうれしいことってあまり書かないもので、いやな思いをしたことや失敗したことが事細かく書かれている。その手帳がない。

 

やばいぞ、これは。

 

誰かに読まれても意味の分からん事ばかり書かれているので判読不能かもしれないが、それでも職場や家族で読む人が読めば、あれ?ということが書かれていることは間違いない。

 

それになによりこの2か月の自分の感情の記憶のきっかけを失うことになる。読み返せば思い出すはずのつらかったことやほんの少しの楽しかったこと!たった2か月といえどもそれなりに喜怒哀楽あったし、それがまだ継続しているものもある。大切な記憶の分断!それだけは許せない。

 

記憶をたどる。最後に使ったのはいつだ。確実に昨日の午後には使った。書道教室から職場に帰ってすぐにその日の書道のことを書いた記憶がある。どこかに無意識にしまったのかもしれない。よく開ける引き出しを順次調べていく。ない。

 

もしあるとしたら、昨日書道道具を入れるために使ったリュックサックだ。昨日背負って帰って自宅に置いてきた。あのリュックサックは書道道具と昨日ドンキとダイソーで買い物したものを入れて帰った。しかし普段はあのリュックに手帳を入れる習慣はない。大統領の核ボタン入りスーツケースがごとく、手帳は常に肩掛けカバンに入れて帯同してる。スマホと手帳とどっちが大切かといわれれば、経済的実質的にはスマホだが、精神的には手帳の方が痛いかもしれぬ。

 

しかし肩掛けカバンにも職場にもないとなればあのリュックしかない。ほかに望みはない。あのリュックのポケットにある確率はかなり悲観的な自分の性格を加味しても40%か。あのリュックに入っているか、早く知りたい。家には今猫たち3匹しかいないが、猫に電話してリュックを調べてもらいたいくらいだ。かけるんだったりやはり年長のそらくんだろうか。しかし彼はかなりのんびりしているから、しっかりもののココちゃんにかわってもらった方がいいか。

 

アホなことを考えている場合か。