ケルン市立歴史文書館崩壊から約一ヶ月が経過いたしました。ようやく、ケルン市長の次の選挙への不出馬宣言や検察の捜査によって、すこしずつ、事態を包んでいる霧をはらす努力が進んではいるようです。しかし、それにしてもわかりにくい事件の経緯について、ドイツの高級紙『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事が触れています。
この記事では、アウトソーシングをめぐる問題などにふれながら、ケルンの事態のわかりにくさを手際よく概説しています。これには無責任体制という言葉を使いたくなるのですが、こうした事態でありがちのように、問題は制度の混乱と複雑性に由来するもののようです(下記記事参照)。
二人の犠牲者を出した事実は痛ましく、この点については、言及もしてきました。しかし、その他の点では、私は歴史を書いてきた立場から、どうしても史料の
問題について注目する傾向があります。このFAZ紙の記事は、犠牲者の方のほかにも、多くの人々が家を失い、家財を失い、あるいは、近隣のギムナジウムの
教師と学生は学校を使えなくなり、多くの重要な建築物が打撃を受けた、という事態を再認識させてくれます。
Ein Monat danach: Köln im Dauerschock
(『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』電子版4月1日)
この問題について、いろいろな分析が可能でしょうが、私としては、政治と人間の業をみるような気がして、しばしば、ケルン市立歴史文書館の崩壊でナハラスに打撃をうけた、ハインリッヒ・ベルのことを思い出しました。
史料に関する、関係者とボランティアの献身は、たしかにものごとの印象的な側面であり、いってみれば、積極的な側面と言うこともできるでしょう。しかし、都市の真ん中で崩壊事件がおこり、多くの家が飲みこまれて、犠牲者をだし、そして、これほど巨大な文書館が消滅するような事態を招いたことは、やはり驚くべきことであり、この問題の経緯がどのように解明されるかということも、やはり注目するべきであると思います。そしてまた、自分たちの歴史と史料に対する取り組みが、どのようなものであるかということを見つめなおす機会になるかとも思います。