注)下記内容をUPした後にAP通信が記事に新規内容を追加してタイトルも Bodyguard expected to testify against Jackson doc と変更して再掲載していますので、当ブログに載せた和訳と再掲された記事の内容が多少異なります。

【主な追加内容】
旧記事でマーレイから証拠となるビンや器具などを片付ける様に指示を受けたとされるボディーガードのアルベルト・アルバレスが証人喚問される予定、とされていたのがより確定に近付き、オルテガ氏らが証言した翌日にあたる現地1月5日に証言台に立つ見込みになった。

もう1人のボディーガードのムハンマドは、彼が寝室に入った時マイケルは目と口を大きく開いた状態でベッドに横たわり、その横でマーレイ医師はパニック状態で「誰かCPR(心肺蘇生)のやり方を知らないか?」と聞いていたと証言した。

(今後の)予審では、警察、検視局、ジャクソン氏の体内から検出された数種の鎮静薬について説明するであろう法医学の専門家などの証言が行われる予定だという。

予審は裁判に比べ立証責任が低いため、被告側弁護人が立ち会う事は稀だという。マーレイの弁護人であるチャーノフは(4日の予審に出席したが)冒頭陳述を行わなかった。

マーレイは弁護人にメモを渡したりはしていたが、4日の予審の間、発言はしなかった。



ソース記事:Choreographer: Jackson was sick days before death 


ロサンゼルス(AP通信)-- 不運に見舞われたコンサートツアーでマイケル・ジャクソンと仕事をしていた振付師が、彼が亡くなる6日前にマイケルの健康をめぐって専属医らと(意見を)衝突させていた事を火曜、判事に告げた。

仕事仲間の中ではジャクソンと最後に話をした人物であるケニー・オルテガが、マイケルの体調が悪そうだった為にリハーサルを休ませた翌日、彼の家に呼び出された事を証言した。

オルテガの証言によると、コンラッド・マーレイ医師その他が、ジャクソンは肉体的・精神的ともに良好な状態なのだから家に帰されるべきではなかったと進言し、それに加えて彼にジャクソンの医師のように振舞うのは止めるように言い渡したという。

マイケルの専属医だったマーレイが過失致死の罪で裁かれるかどうかを決する為の予審においてオルテガの宣誓証言が行われた。

当局はマーレイがジャクソンに対し、2009年6月25日に彼が借りていた邸宅のベッドルーム内で致死量の強力な麻酔薬であるプロポフォル他の鎮静薬を投与したと主張している。

地方検事代理のデイヴィッド・ウォーグレンは冒頭陳述で、マーレイが助けを呼んだ時には既にジャクソンは死亡しており、マイケルにプロポフォルを投与した事を隠す為に救急隊を呼ぶ前に証拠を片付ける様にボディーガードに命じていたと述べた。

審理の後半では、6月19日にジャクソンがリハーサルを切り上げて帰宅していた事を証言した。

「彼は具合が悪そうでした」オルテガは証言した。「マイケルは寒がっていて話し声も弱々しくて・・・リハーサルに臨める状態ではありませんでした」。

オルテガはまた、ジャクソンはlostして(心身ともに疲れ果て、途方に暮れている)いるように見えたとも述べた。

「こわくなりました。どうすれば良いか分からなかったのです」オルテガは語った。「私はマイケルに、ここに居たいかい?それとも家に帰って家族と一緒に居た方が良いかい?と聞きました。すると彼がそうしても良いの?と言ったので私は OKだよと答え、彼は帰宅しました。」

オルテガによると、翌朝彼はジャクソン宅に呼び出され、マーレイ、マイケルのマネージャーであるフランク・ディレオ、AEGの社長であるランディ・フィリップスらと対面したという。

「そのミーティングが私に関するものだと直ぐに明らかになりました」オルテガは語る。「マーレイ医師は、私が前夜マイケルにリハーサルをさせずに帰宅させた事について怒っていました。」

それついてオルテガは語る。「私の見解では、マイケルはステージに立てる様な体調ではなかったし、無理に行うのは危険でした。マイケルは自分の意思で帰宅したのだと彼らに言いました。」

オルテガは続けて今後のリハーサルに影響が無い事を彼らに語り、現にジャクソンが亡くなる直前の2つのセッションは素晴らしかったという。

彼の証言によると、6月23日は「みんなが思い浮かべる往年のマイケルが蘇ったようでした・・・彼は歓びに溢れていて、私達にとっても素晴らしい1日になりました。」

彼はジャクソンとの最後の会話を振り返った。

「マイケルはとってもハッピーだと言っていました。夢が実現する事を実感していたのです。彼はみんなに愛している、一生懸命やってくれて感謝していると伝えて欲しいと言いました」オルテガは語った。

反対尋問の中で被告側弁護人のエド・チャーノフがオルテガに、誰かが薬物の禁断症状に陥っているのを見た事があるかと聞いたところ、証人は見た事が無いと答えた。チャーノフはそれ以上詳しく聞かなかった。

もう1人の証人であるジャクソンの個人アシスタントのマイケル・アミール・ウィリアムズは、ジャクソンが亡くなった日にマーレイが電話をかけて来て、寝室に居るマイケルの為にボディーガードを寄越すように必死に頼んできたと語った。

マーレイは彼に、ジャクソンの「様子がおかしい」ので直ちに助けが必要だと言ったが、しかし救急車を呼ぶようには言われなかったとウィリアムズは語った。

ウィリアムズは邸宅と病院での混沌とした状況について描写し、ディレオがジャクソンの子供達に彼らの父親が亡くなった事を告げた悲しい瞬間について振り返った。ウィリアムズによると、彼自身、そしてマーレイその他全員が泣いていたという。

ジャクソンのボディーガードの1人であるファヒーム・ムハンマドは、当時12歳だったプリンスと11歳だったパリスの2人がジャクソンの邸宅の寝室で半狂乱のマーレイが彼の蘇生措置に当たっているのを見守っていたと詳言した。

その後ムハンマドが子供達を部屋から連れ出した。パリスが床に伏せて泣き崩れていたので、「この様な状況から子供達を連れ出さないといけない事に気付きました」かれは語った。

マーレイが着席しメモを取っていた審理の場には、マイケルの母親キャサリン、姉のラ・トーヤ、そして兄のジャッキーが立ち会った。

ジャクソンが亡くなるおよそ2ヶ月前から週6夜のペースで、通常は設備の整った病院内で投与される麻酔薬であるプロポフォルをマーレイが彼に与え続けていた事を検察官が冒頭陳述で述べた。

マーレイの弁護人は冒頭陳述を行う事を拒否した。

数日に分けて行われる審理の最後に、マーレイを裁判にかけるのに十分な証拠があるかどうかの判断を裁判官が下す事になる。ヒューストンの心臓内科医(マーレイ)は無罪を主張し、ジャクソンを死に至らしめるようなものは何一つ与えていないと申し立てている。

地方検事代理のウォーグレンは、携帯メールの記録及び通話記録、そしてマーレイが裁判にかけられて然るべきという事を提示する専門家による証言と同様に、警察に対するマーレイの供述も信頼すると語った。

マーレイが救急車を呼ぶまでに少なくとも21分間待機した事、助けを要請する前に証拠品を片付ける様ボディーガードに指示していた事が証拠によって明らかにされるだろうと彼は語った。ウォーグレンによると、最も有力な筋書きはマーレイが救急要請の電話をするまでに少なくとも9分間待機したというものだという。

ウォーグレンはまた、「マーレイ医師が見せた通常の医療ケアから極端に逸脱したいくつかの行為」を証明するであろう何名かの専門家を呼ぶ事も予定している。

検察官によると、ジャクソンの寝室から証拠品を片付ける様にマーレイから指示を受けたとされるボディーガードも判事に呼ばれるだろうと語っている。