ただの日記 | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

 

ブルゴーニュワインが15年前の3倍くらいの価格になって、

もはや普通の人の日常の飲みものではなくなった。

15年前に5,000円で購入したワインを今開けて評価をブログに書いても誰も購入できないし、

15年前に5,000円だったワインの新ヴィンテージは15,000円になってしまっているから、

感想を書いても嫌味でしかない。

 

という理由でワインの記事が書けないでいる。

飲み頃まで10年はかかるであろうワインを、15年前の3倍以上の価格を出してまで

買って追っかける気にならず、最近ではすぐ飲めるシャンパーニュと日本酒に逃げている。

 

だから長生きしたとして、新しいヴィンテージを買い込み、楽しいワインの未来を語っている

自分が想像できない。

考えるだけで鬱々とした気分になる。

 

これは鉄道でも同じで、すでにJR全線をほぼ完乗しているので、新しい線に出会う喜びはない。

むしろかつて乗った線が次々に廃線になっていくので、鬱々とした気分になる。

昔乗った旧線を訪れると、「ああ、あれから20年も経ったのか」という思いが先に立つ。

かつて宮脇俊三も同じことを書いていた。

 

一方仕事は忙しくなるばかりで、開業して17年以上経ったというのに、

連日新患が続々やって来られて、商売としては大繁盛している。

我ながらいい仕事をしていると思うし、それなりに社会貢献もしていると思うが、

体力と気力を消耗しているのも事実だ。

こんな仕事ができているのもひとえに職員のレベルの高さに依存している。

院長一人では相撲は取れない。

 

大病院の院長になっている同期生で現役の勤務医は、わたしどころの苦労ではないと思うので、この程度の仕事量で弱音を吐く資格はない、とも思う。

 

 

数日前に勝谷誠彦が亡くなった。

数年前までテレビでよく見かけたし、昨年には兵庫県知事選に出ていたし、

落選後「64万人の魂 兵庫知事選記」という本も出版していた。

 

1年前に勝谷誠彦の弟であるの循環器内科医の講演を聴き、名刺交換したが、

業績がある学者肌の先生で、兄のことも楽しげに語っておられた。

だから相当驚いたが、ネットの記事を読むと亡くなったのも仕方がない、という死に様である。

 

『勝谷誠彦のxxな日々。』を配信してきた高橋茂という人が、

「勝谷誠彦追悼 酒と戦わずして命奪われたコラムニスト」という記事をアップしている。

 

それによると急性肝不全で亡くなったとある。

2018年8月に配信されたネット番組で、黄疸が出ていて顔色が悪かったとも書かれている。

 

酒を飲みすぎてアルコール性の肝硬変・肝不全で亡くなったのに、

これのどこが急性肝不全なのかと思うと呆れて物も言えないが、

理屈を超えて死者に寄り添った記事ということだろう。

 

一方、宮崎哲弥は「自死に近い死だったと思う」と言っている。

わたしは勝谷誠彦と知り合いではないが、この意見の方が納得ができる。

 

昨年の1月に、親しかった大学の同期生が、同じ死に方で急逝した。

彼は奥さんを亡くしてから3年、毎日ウィスキーをボトル1本飲んでいたようだ。

仕事はしていたが、亡くなる数ヶ月前から腹水も溜まっていた。

彼自身医師だったから、そうなることはわかっていただろう。

通夜の席で、親友だった同期生の医師が「まあ、自殺やな・・」と小声で呟いていた。

 

もう1人、高校時代の同期生で、アルコール性の膵炎で入退院を繰り返し、

今ではほとんど寝たきりになっている親友がいる。

彼も奥さんを亡くしたあと酒が過ぎていたようだ。

スポーツ万能で剣道3段、京都大学工学部現役合格して一級建築士、

企業人として活躍していたのだが・・

 

Zの襲来は大過なく済みそうなのだが、何となく暗いブログになってしまった。

こんなときにショスタコーヴィチの交響曲など聴いているとますます鬱になりそうだ。

 

亡き父もわたしくらいの年頃、友人が次々と亡くなる時期があって、

落ち込んでいたことがあったし、

恩師の元阪大医学部長も同じようなことをて言っておられたのを思い出す。

 

まあそういう年になったということだろう。

早いうちに在庫のワインを開けてしまおう。