不思議な感覚があります。
日本語の「無」という世界。
時代が変われば、その言葉の意味するところも変化すると思いませんか?
常にその時代の「集合意識」「集合認識」が、
わたしたちが通常使う言語を変化させている。
一時期、
「無関心」という言葉が多用された時代がありました。
その当時は、人々のこころに「やるせなさ」が蔓延していたと思います。
心理学が次第に人々の前に現れたのは、
その後だったでしょうか。
わたしたちは、それまで目に見える世界にばかり気をとられていました。
追いかけても追いかけても「儚い夢」を見させられたわたしたちは、
絶望と劣等のなかで、自身の価値をおとしめたのです。
乱立する精神科やメンタルクリニックへと誘われた方、
自分でおとした自信を回復させるために、
「病名」と「こうせいしんやく」(*注1)が役立ったでしょうか。
(注1)
向精神薬(こうせいしんやく)は、中枢神経系に作用する薬で、生物の精神活動に何らかの影響を与える薬物の総称です。 依存性や乱用の恐れがある医薬品は、「向精神薬」に指定されており、取扱いに関する規定が設けられています。 現在、「気分安定薬」「睡眠薬」「うつ病治療薬」など数多くの種類が向精神薬に指定されています。
病気のことはここではくわしく取り上げませんが、すべてはわたしたちの概念がつくりだしたものとだけ申し上げておきます。
「痛み止め」という概念も、わたしたちがつくりあげました。
なぜ痛みがあるのか?
なぜ痛みがあらわれるのか?
その答えがわかれば、
それを抑えてはいけない。感覚を遮断してしまう行為や投薬はすべきではない。
ということが理にかなっていることが納得できるはずです。
これらは、豊かに人生を味わう醍醐味や権利を、
剥奪してしまうからです。
もっと先に行きたい!
今、多くの方がたくさんの痛みや不幸を経験して、
無意識下で、そんなふうに声をあげているように感じるのです。
たぶん、多くの先陣隊が「目覚めよ!」って、
自身の体験をもって発信していらっしゃると思います。
その影響でしょうか。
集合意識が変化していて、新たな未来を創る準備を始めているイメージが、
強く強く湧いてきます。
すると、先程まで見ていた「無」という字が、
何かを超越していくエネルギーを帯びてきたように思えてなりません。
無意識から超意識へ。