オフグリッドで暮らしてみると
オフグリッドに生きてみると
いままでいた世界がとても窮屈で退屈に感じます
価値観が逆転したり新しい概念が創出されて
この世界が急に鮮やかな色と無限の空間になります
どこまでも自身をグリッドから解放していって
一人の人間として一人の女性として
この世界を思いっきり楽しみ尽くす
それがわたしの生きる道〝チカノミチ〟
  • 09 Dec
    • 自分が嫌っているもう一人の自分が握っている鍵

      沖縄に来て1週間が経ちました。到着した翌日はさっそくソーラークッキング会を開催。スタート時間ギリギリまで降っていた雨が止んで、てぃーだ(沖縄の太陽)が頑張って厚い雲の切れ間から光を注いでくれてなんとか乗り切ることができました!おひさま、いつもありがとう〜!【お話会のお知らせ】12月16日 お話会 in 沖縄県宜野湾市12月18日 お話会 in 兵庫県神戸市◾️裸で生きることは無防備にして最強?お話会やワークショップを開催しながら流れるままに移動しながらの家ナシ旅生活も3ヶ月目に入りました。人に迷惑をかけることやお願いすることはいけないことだとして生きてきたわたし。今、色々な方々に頼って甘えているこの姿が自分でも信じられないくらいです。一匹狼気質で人を避けがちでしたが、人間関係が多様になってその温度が高まって、「人と一緒にいると楽しいな温かいな」という感覚に包まれるようになりました。今の方が自分も周りも笑顔が断然増えて楽しいです!以前は誰かよりも何かができることや頑張っていることをアピールしていないと落ち着かなかったように思います。誰かと自分を比較して競っていたんですね。でも今はそんなプライドもなくなって素っ裸状態。この裸の姿って無敵だなあと思います。刀もって鎧かぶってると「こいつ今にも切り掛かってきそうだな」と相手は身構えますが、何にも着てないと「何か温かい服を着させてあげよう」と手をさしのばしてくれる感じといいましょうか(笑)一般的には資格があったら生きていくのに優位だとされていますが、いまその逆をいってます。数年前までは時間とお金をかけてアロマセラピーやハーブのセラピストやインストの資格を取って仕事に繋げていました。夫の元を旅立って生きていかなければならないとなったとき、昔とったそれらの資格をもう一度活かしていこうかと頭をよぎりましたが、0.0001秒で「否!」と内側の自分が叫んできてやめました。過去に取得した資格にすがって生きるのではなくて、むしろ過去も現在も未来も何にも囚われていない時に現れるもの、それがわたしを生かすもののはずだから、それを見つけに行こうと。過去に引っ張られず未来を案じず、着飾らず裸でシンプルに生き続けていたいです。それが今を生き切ることであって、きっとそういう風に生きていれば、その時欲するものや必要なものが瞬間瞬間自然と現れるのではかいかと。宇宙はそういう風にできているのではないかと。いまそんな風に感じています。裸で生きるとはまさにこういうこと?レッツ無防備!◾️苦手な自分を超えたときに現れる広々とした自由な世界昨日、とても嬉しいメッセージが届きました。それは、長いあいだ家の中で自由がなくパートナーと別れたいと思っていたという方からのメッセージ。ご自身の本音と向き合われて勇気を持って意を込めてそのきもちを伝えることができたという喜びのご報告でした。その方は、胸のうちを話せば話すほど長年蓄積された我慢や怒りが噴出してきて、話しながら腹が立って来たそう。しかしながら、パートナーからは「そこまで言われたらスッキリ別れられる」と言ってもらえて、仲の良い友達のように笑顔で話せるようになったとのこと。そして、いまは背中の翼が大きく長く伸びやかに開いて、心地よい風を受け取っているかのようだと。とても素敵なメッセージでしたので、一部ご紹介させていただきます。『自分の嫌なことや苦手なこと、それこそが次のステージへの鍵だと言っていたチカさんの言葉そう、わたしの嫌なこと苦手なことは、弱い自分を見せること、人を傷つけること、人の嫌がることをすることでしたでも、それらを表面化してでもパートナーと向き合い話し合ったこの三日間は、素晴らしい体験とともに次のさらに軽やかなステージへの扉を開けたのだといま確信しています!チカさんのあるがままの体験談、ブログから伝わるパワフルなメッセージがわたしの新たなるステージの扉を開けるきっかけとなったことに心から感謝しています』こんな自分は嫌だと思う自分を受け止め切って、本音という本当の音色を響かせて共鳴させたからこそ生まれたお二人の新たな出発。おめでとうございます!◾️陽の自分と陰の自分の関係は、鍵穴と鍵の関係と同じ以前、苦手だった〝怒ること〟ができるようになったら、世界が優しくなったという記事を書きました。そして、その後どんな変化が起きたかということを怒り切ったら般若心経に書かれている〝空〟の世界が待っていた!でお伝えしました。わたしにとって嫌いな自分は怒る自分だったのですが、それをやり切ったら、醜いと思っていた自分が自分自身の大切な半身であることを体感し、ふたつに分裂していた陰と陽のふたりがみごとに統合を果たして信じがたいことが起きたのでした。(詳しくは、上記二つの記事をお読みください)怒ってはいけない傷つけてはいけないという考え方は一見秩序を生み出しそうなのですが、自己葛藤という自分の中での争いが絶えなくなって憎悪と苛立ちが増幅していく結果、戦争が終わらない世界になります。逆に、怒ってもいい傷つけてもいいという許しを与えると、一見無秩序になりそうなのですが、自己葛藤がなくなる分一人ひとりの心が平和になって、結果的に安寧な世界になっていきます。あくまでもわたしの経験から言えることなのですが、自分に課している禁止事項を許可事項に変えられたとき、一段上の新たなステージの扉が開くようです。それは、元の自分に一歩近づいて還るということでもあります。進むということは還ることと同じ感覚です。人に迷惑をかけてはいけない、甘えてはいけない、怒ってはいけない、傷つけてはいけない、感謝しなければいけない、辛いことも我慢しなくてはいけないなど、ひとりひとり自分を縛っているものは異なりますが、このような禁止していることや苦手なことや自分が嫌がることを勇気を出してできたときに〝奇跡〟とも呼べることが起きます。なぜなら、善悪が対峙しているように見えるときは、そのどちらかに囚われている時に見える幻想に過ぎず、その囚われから脱したときにこの現実世界がどうなっているかがやっと見えるからです。好きな自分を陽だとすると、嫌いな自分は陰。それは鍵穴と鍵の関係に似ていて、ふたつを同時に上手に扱えて鍵穴に鍵をカチャッとはめ込めたときに扉が開いて、新たな軽やかで鮮やかな居心地のいい世界が迎えてくれることを体感しました。最近よく、「好きなことだけを選択しよう!」とか「ワクワクだけに従って生きよう!」とかを耳にしますが、それはまるで鍵穴をひたすら磨いてピカピカにしているだけ。鍵穴には鍵が差し込まれて初めてその意味を成します。その鍵とは、「こんなことはしていけない」とか「こんな自分は嫌だダメだ」と思い込んでいること。自身の中で分離していた陰の自分と陽の自分が統合したときに体感した陰も陽もない世界は、光が闇を照らしているように闇が光を照らしていました。闇だと思い込んでいた嫌いな自分は美しい光でもあったのです。その姿を見てからは、嫌いな自分を受け入れることに抵抗がなくなりました。(が、現実世界ではこれでもかというほど感情が揺さぶられるので、しょっちゅう自己嫌悪にも苛まれます 汗)◾️自分はもうひとりの自分に好かれることをずっとずっと待ちわびているどんな自分でもOKだと自身に許可を与えていくと、どんどん世界が広がって自由に泳げる喜びや深い呼吸ができる安心感みたいなものが溢れてきます。ここでひとつ自分にしている許可方法例を、ものすごく恥ずかしいきもちを抑えてご紹介させていただきます。夜寝るときに仰向けになったら目を瞑って、自分をハグするイメージをしてこんな風に心の中で声をかけています。(もう一人の)わたし、愛してるよ今日も一緒に居てくれてありがとうあなたが大好きよ今日、無礼なあの人に言い返すことができて偉かったねよく愛想笑いしなかったねよく言われっぱなしにさせなかったね嫌われる覚悟を持って素直なきもちをそのまま出せたあなたを誇りに思うわどんなことがあってもわたしはあなたと一緒よ絶対に離さないわずっとずっとずっと一緒いつもいかなるときも味方どんなあなたも愛してるわだからこれからも安心して生きていてねこんな感じでどんな自分も愛していることを伝えて、その日にあった罪悪感を感じる自分の言動をOKにしてあげます。すると、なんだか満たされて幸福なきもちになってきます。ニヤニヤしてきて思わず声を出して笑ってしまうことも。わたしってばなんであんなに怒ったんだろう⁈みたいに(笑)そして、自分のことが笑えると、相手のこともなぜか笑えてきて許せてしまうのです。翌朝起きたときに、「昨日のこと謝ってみようかな」とか「あの人どこか憎めないんだな」とか、まあるい柔らかいきもちが勝手に生まれたりします。本当に不思議なのですが、自分をしっかり愛せていれば、相手のことも認められるようになります。逆に、自分に厳しくしたり禁止を与えていると、相手のことも許せなくなってきます。誰かに優しくしたいけれどできなくて苦しいときは、自分自身に優しくできていないお知らせだと思って、自分を愛で満たし直すことにしています。この世で自分が一番愛して欲しいと願ってるのは誰でもない自分自身。本音を聴いてあげられるのも願いや夢を叶えてあげられるのも自分自身。そんな自分という存在は、陰と陽でできている。どっちの自分も紛れも無い自分という存在で、甲乙なんてつけられないほど尊くて美しい。陰の自分を置き去りにしたり遠くへ追いやりたくなってしまう時こそ、こちらから近づいて抱きしめてあげることを意識してます。さあ、今夜はどんな愛の語らいをしようかな♫笑沖縄のこのダイナミックな風が大好き!

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  • 02 Dec
    • ユニークで先進的でオンリーワンな宇宙で輝く家族を創りたい!

      次なる地はまたまた沖縄で、明日からしばらく滞在します。前夫と過ごしたこの10日間は本当に温かくて楽しくて充実した時間となりました。お別れするときにハグをすると、「久しぶりに一緒に過ごして刺激をもらったよ!俺もこの命をもっと燃やして生きようと思った!ありがとう!」と言われて嬉しくなりました。そして、「そのまま輝き続けてね」と。この選択を受け入れてくれて、ありのままのわたしを肯定して応援してくれる前夫に心から感謝しています。まんまるでぽかぽかしたこのきもちと共にいざ出発です!1月後半は東京と神奈川県で講演やお話会があるため戻ってきますので、関東圏でのお話会やワークショップなどを希望される方はぜひご連絡くださいませ♫サトウチカEmailmail.greennote@gmail.comFacebookメッセンジャーhttps://www.facebook.com/chika.sato.511■10代のときにすでに違和感を感じていた日本の婚姻制度法に囚われずこんな風に男女のパートナーシップを模索しながら生きることにしたので、ハタから見ると頭が変な人と思われても仕方のないワタクシでありますが、いちおう慶応義塾大学法学部で法律や政治をしっかり学んだ者であります。ゼミでは家族社会学の分野を深めて近代日本の家族制度について研究していました。専攻は政治学でしたが、憲法・民法・刑法・行政法などもまんべんなく勉強して、法とは人を守るものでもあり縛るものなのだとその矛盾に戸惑ったものです。その中でも特に落胆したのが日本の婚姻制度でした。そもそも戸籍とは民から税を抜け漏れなく搾取するためにその時代の支配者が作ったもので、どれだけ民が生きづらくなったかは山上憶良の貧窮問答歌からよくわかります。現代は芸能人の入籍ニュースのイメージもあってか〝入籍=結婚=おめでたい〟となっていますが、わたしにとっては〝入籍=税の管理支配下=奴隷化促進〟みたいな感じなのです(ああ、こんなことを書いてごめんなさい!どうかお許しを~!)。特に不倫を原因とした離婚訴訟のケースを学んだときは若者ながら興醒めしました(汗)焦点は配偶者以外の異性と性交渉があったかどうか。つまり婚姻届けを出すということは、ふたりが性交渉をする関係だと国に報告して認めてもらって、それを破ったら慰謝料が発生するリスクを背負うということ?と。結婚というものにおける愛や純粋性の土台が欠如していて、無機質で機械的な冷たい感じがしたのでした。性に関して国からの許しや裁きを受ける結婚生活なんて御免だい!と思って、その授業が終わると友人に「法律婚じゃなくて事実婚にするわ」と言ったのを今でも覚えています。(が、いざ結婚となると一般的な法律婚を選びました…)婚姻オフのことを発信するようになったら、日本の婚姻制度への違和感や閉塞感を感じている方々から共感や同意のメッセージをたくさんいただいて本当に驚きました。また、今年8月にスピーカーゲストとしてお話させていただいた100名近い講演で、ずっと感じていたこの違和感に素直になって敢えて制度から抜けて離婚したことをお話すると、聴衆のおひとりが「素晴らしい!」と大きな声を上げて拍手してくださり、会場中の方々が温かな拍手をしてくださったことも驚きました。個人的な感覚ではありますが、この国の婚姻制度は何かおかしいかもしれない…という感覚は徐々に目覚めて大きくなってきているのではないかと肌感覚で感じています。一方で、結婚とはこういうものだという固定観念が多くの人たちにあまりにも強く根深く浸透しているのも確かで、そのような方々に理解してもらえるくらい明晰性の高い言葉で説明することの難しさも同時に感じています。■わたしの意識の目がとらえた未来ここからはちょっとスピリチュアルなお話しです。わたしは意識の目と自分で呼んでいる目があって、その目はときどき時空間をワープして過去や未来をとらえます。そこで見てきた地球の未来の家族のお話を少しだけお伝えさせてください。(このようなお話しが苦手な人はすっ飛ばしてください)それはかなり先の未来なのですが、相反するふたつのパターンのファミリーシップが同時に存在していました。ひとつは、一人の異性としあわせなパートナシップを築いて家族を形成するタイプ。他の異性が眼中に1ミリも入らないくらいお互いが愛おしい存在で恋に落ち切っている状態で、子どもが何人も生まれてもずっと恋人のように愛し合っている関係です。もうひとつは、複数の異性同士が互いにしあわせなパートナーシップを築いて大家族を形成するタイプ。不倫という概念も嫉妬という感情もなく平和で穏やかで、誰の子でも自分の子でありみんなの子となる関係です。どちらも純真な愛に基づいていて、求心的なエネルギーか拡散的なエネルギーかの違いだけで、どちらがよくてどちらが悪いということは一切ありません。これは現代の二元的な観念の世界を超えた先にある世界(厳密に言うと陰も陽も存在しますが、陽が良くて陰が悪いというような観念めいたものが一切ないということです)となったときに現れる社会です。一夫一婦でも多夫多婦でも両者が考え方の違いからお互いを批判したり蔑むようなことはなく、それぞれのスタイルを尊重し尊敬し合っていました。どちらの家族にも共通するのはどこまでも透明な純粋な愛で、所有欲・独占欲・支配欲がありません。嫉妬や恨みなどが一切なく、そこにはただ愛があるだけ。その愛の在り方においてふたつのスタイルがあって、どちらもしあわせで平和で完璧に調和した家族社会が成り立っているのです。そして、そこでは国が家族を管理するようなこともありませんでした。結婚をするのも自由で、家族を築くのも自由で、国に届けを提出するなどもありません。規制したり管理したりすることは愛に反するのです。これは人類の意識が拡大して霊性が高まり愛のレベルが一定のラインを超えたときに自然に現れる家族の姿でした。進化を遂げるとは愛を高めるということで、それは本来の人間の状態(つまりは愛の状態)に戻ることと同じで、未来と過去は結局一緒であることがこの時よくわかりました。楽園を取り戻すとはこういうことか!と体感して、あまりの感動に身震いして泣いたほどそれはそれは完璧な平和な社会でした。■制度化されているものの裏にある支配者の意図を見抜くこれからは制度や組織というものがどんどん崩壊していくのではないかと思っています。今まではピラミッド型のヒエラルキー社会でしたが、フラットな輪(和)の型になっていくイメージです。したがって旧体制の金融、経済、政治、医療などの体制や制度、会社や家族という組織が崩れていくのではないかと推測しています。現在の婚姻制度も旧制度のひとつなので、やはり変わっていくのではないかと。旧体制は、人の所有欲や独占欲をかきたてて争わせて奪い合いを促す力が働くシステムと言われています。なぜなら、人々が自由になって思い通りに生きられる平和な社会になってしまったら支配できなくなるからです。それを恐れて分離を促すグリッドを張り巡らせていることに気づくときが来たのだと思います。現代日本の厳格な一夫一婦制は、潜在下で抑圧感と苛立ちが増幅して夫婦が疲弊消耗しやすくなっていて、核家族化はそれぞれの家族同士が競い合うように仕向けられているという説を聞いたことがあります。しかしながら、支配者の意図云々は抜きにしても、3組に1組が離婚をしている現状を見ると、この婚姻制度には無理があるという証ではないでしょうか。ポリアモリーという言葉がここ最近あちこちで出てきたことや、婚姻制度に疑問を持つ人が増えてきていることは、新しい時代へと移行しているひとつの流れの側面だと感じています。それは、支配者の意図から抜けて本来の純粋な愛に基づいた男女のパートナーシップに進化(回帰)していく現象のひとつかもしれません。ポリアモリーにしてもアクティブ離婚にしても、未来を先取りすることになるので物珍しい目で見られるかもしれませんが、これからどんどん増えていくのではないかと個人的に予測しています。■ユニークで先進的で多様で平和な家族を創りたい!誤解していただきたくないのは、現在の法律のもと幸せに暮らされているご夫婦やご家族を否定しているわけではないということです。ただ、制度が合わない人もいれば、違和感や閉塞感を感じる人もいれば、組み込まれたくない人もいるということは見逃せない事実で、そういう人たちが声を上げたり独自の夫婦や家族のスタイルを生み出してもいい時代が来たのではないかということです(かくいうわたしがそんな一人であります!)。これから素敵なひとと出逢って新しいパートナーシップを築けたらいいな。もしまた結婚するなら法や契約ではなくてハートや純粋な想いで結ばれている夫婦でありたいな。子どもが生まれたら新しいパートナーも前夫も「パパ」と呼ばせてほしいな(パパがいっぱいって豊かでイイ!)。前夫が再婚したらその奥さんと仲良くなりたいな。その二人に子どもが生まれたら自分の子のように一緒に子育てさせてほしいな。境界線なくみんな仲良しの家族がいいな。などなど妄想は膨らむばかりですが、こんな独創的な人間を魅力的だと思ってくれるような男性が果たしていまの地球にいるのか疑問です(笑)生まれ育った家族が不和だったからこそ、家族ってなんだろう?夫婦ってなんだろう?と問い続けてきたこの人生。両親や家族を恨んで自己憐憫にふけった時間も長かったけれど、その葛藤があったからこそ今のわたしがここに居るのだと思います。これからは何にも囚われずに自分が納得のいく恋愛をして結婚をして夫婦となって家族となって、オリジナリティ溢れる人生を創造していきたいです。自分を楽しませて周りや世界も鮮やかにできる創造者でありアーチストでありたい。ユニークで温かくて平和でオンリーワンな、この宇宙でとびきり輝く家族を創れたらいいな!江ノ島にて沖縄の海と繋がっていると思うと、世界は溶け合ったひとつのものだと実感します

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  • 29 Nov
    • 愛は所有を超えてお互いの自由を輝かせる

      横浜に戻ってきて3週間。あまりの寒さと空気の乾燥に喉をいためて風邪をひいてしまいました。咳がひどく夜中も止まらず寝られないくらいです。移動生活だとお手当系のケアができないことに気づきました。手作り花梨酒は実家に置いているので手に入らず、ショウガ湿布をして身体を温めようと思っても大鍋がない。ええい!こうなったら荒治療だ!と思って、今朝近くの公園で息切れするほど思いっきり走ったらなんとピタリと止まってしまいました(笑)あれだけゲホゲホしていたのがまるで嘘のよう。〝癒し〟と同じくらい〝喝〟には絶大な治癒力があることを発見です!■婚姻制度からオフして見えてきた世界1週間ほどのあいだ前夫の家(つまりは元のお家)で過ごしています。久しぶりに戻ると、「やっぱりまだここがホームだなあ」と感じると同時に「もうここはホームではないんだなあ」と感じる不思議な感覚。夫が好きなものを飾ったりして別の空間に変身した家を見て、そのセンスにかなり感動。こんな好みがあったのね!と新たな一面を知って嬉しくなりました。夫が手作りしたキャンドルヒーター!可愛い〜♡しかも、生活するチカラが驚くほど高まっていて心底びっくり!お家の中は整っているし、洗い物はササっとするし、お料理ができるようになってるし、朝起きたら洗濯をするし、ゴミも出すし、すご~~~~~いの一言!本人いわく「状況や立場が人を変えるんだよ」とニッコリ。別れは寂しいものでしたが、それがきっかけとなって優れた創造性が発揮されたり眠っていた能力が目覚めたりするのを間近で見て、失うことで得るものがいかに大きいかということを知りました!いまの二人のほうがお互いできることが増えて、人のご縁や世界も広がって輝いているような気がしています。出会って10年ですが今が一番よい関係かもしれません。先日、婚姻制度から抜けて半年を迎えました。お互いを縛っているグリッドをほどいて、自由を与え合う関係を選んだアクティブ離婚(通称「婚姻オフグリッド」)。〝結ぶ〟ことと〝開く〟ことはわたしにとって同じことで、どちらが良い悪いはありません。ですので、結婚もおめでたいですし離婚もおめでたい。終わりは始まり、アルファ&オメガ、破壊は再生と言うくらいです。ということで、離婚半年を記念してちょっと素敵なお店でお祝いしてきました。そこの店主が「今日は何かのお祝いですか?」と聞いてきたので、「実は離婚半年記念なんです」と明るく言うと、鳩が豆鉄砲を食ったように驚いていました。あまりにも仲が良いので結婚記念日か懐妊祝いだと思ったそうです(笑)帰り際に「おめでとうございます!素敵なお二人ですね!」と祝福の言葉をかけてくださり、心がポカポカしたのでした。素敵な離婚半年祝いとなりました♫この半年を振り返ってみてお互いに共通していたことは、それぞれが本来の自分自身に還っていることと、無限の可能性を感じていることでした。夫婦であったときは、相手のために自分が我慢したり諦めたりすることが良い妻であり良い夫だといつの間にかそう考えるようになっていたように思います。そして、夫であることを理由に色々なことを押し付けたり強制したりもしていました。ところが、妻や夫という役割から降りたら、自分にも相手にも自由を与えることが生きる喜びとなったのです。そして、色々な夢ややりたいことがどんどん溢れてくるようになりました。夫婦という枠を超えて、一人の人間としての尊厳を認め合い、自分らしく生きることを応援し合う関係。法律上ではもう夫ではないけれど、血の繋がった家族以上に大切な存在で、今までも現在もこれからもかけがえのない尊い人。これを家族と呼ばずして何を家族と呼ぶのだとうと思います。血縁や制度や形ではなく、心や魂や言葉で表せないもっと深いもので結ばれた地球家族であることが、わたしにとって重要なのだと分かりました。◾️愛とは所有を超えていくもの先日、わたしたちの食事に同席した友人に「こんなことを言うのも変だけど、普通の夫婦よりも夫婦らしいものを感じた」と言われて嬉しくなりました。それはきっと、自分の自由も相手の自由も尊重することをいま本気で取り組んでいることで生まれた安定感がそう思わせたのではないかと思います。自分は自分であって他の何者でもなく、自分以上でもなければ自分以下でもなく、誰のものでもない。一人一人がそういう存在で、愛は所有や独占を超えて相手の自由を輝かせるもののはず。お互いがそのままの自分であるために敢えて夫婦という枠に囚われないで大切にし合っているこの関係は、はたから見るととても不思議な光景に見えるかもしれませんが、これが今現在のわたしたちにとって一番納得のいく心地よい在り方であり生き方です。こんな感覚となったいま、「うちの旦那」とか「うちの妻」とか「うちの子ども」という一般的な言い方に胸がざわざわするようになりました。〝うちの〟には、この家族のとかわたしのというニュアンスを含むと思うのですが、宇宙でたったひとつの尊い一人の人間が狭い囲いの中に限定されてしまう感じがするようになったのです。わたしはどの子も自分の子のように思うのですが(その分ガチで叱ったりガチで遊んだりガチで見守ったりガチで放っておいたりします!)、「うちの子」と言われてしまうと所有チックな境界線のようなものをなんだか感じてしまうのです。(が、もし子どもが生まれたら、やはり『うちの子』と言うのもしれません。)◾️個の時代の到来に胸が高鳴る!このような自由な生き方をありのまま伝えるようになったら、恋人や夫婦や家族の関係などを、オープンにお話してくださる方々が増えてきました。分かってきたことは、100人いたら100通りのスタイルがあることや、ポリアモリー(お互いに認め合って複数恋愛をされる方々)的な考えの人が意外にも多いことです。複数の人を同時に同じくらい愛せるって素敵だなと思います。わたしは一人の相手だけでも所有欲を超えるのにこんなに試行錯誤をしているので、その懐の深さや器の広さに感嘆します!でも、よくよく考えると小学校低学年くらいまでは好きな子が何人もいたなとふと思い出しました。わたしの幼稚園の卒園アルバムにも、『いちばんすきなおとこのこ にばんにすきなおとこのこ』の欄があって、すながくんとなかむらくんの名前を書いてます。幼稚園生や小学生くらいの小さな子どもたちに、いま好きな子が何人いるかとか何番目に好きな子が誰かなどをきいてみると、当たり前のように答えてくれます。まだ大人や社会のルールに染まっていない純真な子どもには好きな人がたくさんいる。これは大人になるに連れて忘れてしまう何か大切なことを示してくれているのかもしれません。もっと色々な考え方やスタイルがあって、もっとお互いの存在や個性を認め合っていける多様な世の中になったらいいなとよく思います。常識とか当たり前とか一般論なんて時代や国が違えば非常識で異常で論外になるようなほど脆弱なもの。誰かが決めた尺度の中で生きるのではなくて、一人一人が独自のスケールをもって生きることができたら、なんて鮮やかでなんて立体的でなんて面白い世界になるんだろうと。これからは〝個〟の時代だとよく耳にします。誰にも何にも囚われずに一人一人が自分を生きることが許される時代。1+1=2ではなくて、1+1=大きな1になるような世界。それぞれが互いに尊重しあい、愛や自由を土台とした平和で調和した恋人や夫婦や家族の色々なカタチが生まれたらいいなと思います。久しぶりの菜園と対面して大きな冬瓜を収穫!

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  • 20 Nov
    • 数とか量とか順位とかで計れないものの中で生きたい

      先週は千葉県の稲毛と銚子でオフグリッドのお話し会が二回開催されました。千葉県での開催は意外にも初めて。今回も地球想いの優しい方々と分かち合えて、実りある時間を過ごさせていただき嬉しいきもちで胸がいっぱいです。主催者様、参加してくださった皆様、誠にありがとうございました!■子どもたちとのコミュニケーションから感じること銚子でのお話し会は、今年1月から電力完全自給でオフグリッド生活を送られているお家のご家族が開催してくださいました。つい先日その暮らしが日経新聞でも掲載されたばかりです。実はこちらのご家族(お父さん、お母さん、10歳・7歳・5歳のお子様三人)は、2年前にわが家でオフグリッドセミナー&見学会を開いたときにいらしてくださったファミリー。当時わたしは光文社『女性自身』web版で「サトウさん家のオフグリッドで暮らす知恵」というコラムを連載していたのですが、それを読んでくださり「この暮らしイイ!これならうちもできる!」と思ってくださったそうです。この3年のあいだ、オフグリッドの輪が広がることを願いながら連載や講演を続けてきたこともあり、オフグリッドコラボトークイベントができる日がきたことを夢のように感じました!オフグリッドがついに日経新聞で取り上げられる日が来た~!横浜から銚子はかなり遠いため前日に泊まらせていただくこととなり、ご家族と楽しい時間を過ごさせていただきました。お家に到着しておしゃべりしていると、7歳の長女ちゃんが「チカちゃん、これあげる」と手渡してくれたのは似顔絵つきのウェルカムレター。メッセージには「きたないいえですがとまってください」の一言(笑)。きっと周りの大人たちがよく言う言葉を覚えてそのまま書いてくれたんだな、と思うと可愛いくてたまりません!その後、お夕食をみんなでわいわい食べてお風呂の時間になったら、5歳の次女ちゃんが「チカちゃんと一緒にお風呂入りたい~!」と言ってくれて、ふたりで一緒にポチャポチャ。さあ寝ようとお布団の用意に取り掛かったら、長女ちゃんが「チカちゃんと一緒に寝たい~!」と言ってくれて、ふたりで朝までスヤスヤ。子どものいないわたしにとって、子どもたちと過ごせる時間は宝物。温かいしあわせな1泊2日となりました。(ファミリーのみなさんありがとうございました!)実物よりも可愛く描いてもらっちゃいました!それにしてもスゴイなあと感銘を受けたのがこちらのお母さんの対応。「チカちゃんと一緒にお風呂入りたい」「チカちゃんと一緒に寝たい」という子どもたちの願いをそのまま受け止めて、「チカさん、お願いしていいですか?」と聞いてくださるのです。たいていの大人は「こら!ダメよ!」と言って、子どもの願いをその場でシャットアウトして、相手にも意向を聞かずに決めてしまうと思います。でも、こちらのお母さんはあらゆる場面で自分の意見や考えを押し付けることなく、両者に自由な選択を与えてくれるのです。わたしは電車の中やホームなどで赤ちゃんや小さな子どもを見ると、手を振ったり、にっこり笑ってアイコンタクトで会話を始めたり、変な顔をして笑わせたりするのですが、たいていの赤ちゃんや子どもたちはよい反応をしてくれます。ときにはキャキャっと声を上げて笑ってくれることもあるのですが、そのときに親御さんが「ごめんなさい」と言って申し訳なさそうに離そうとすることがしばしばあります。わたしもその子もとても楽しいコミュニケーションをとっているのに、迷惑なはずだと勝手に決めつけられて両者が引き離されてしまうときは心に冷たい風が吹き抜けます。ところが、このお母さんにはそういう壁のようなものが一切なく、わたしも安心して思いっきりお子さんたちとコミュニケーションをとることができて、なんだかものすごく満たされたのでした。翌日になると、次女ちゃんは何度もわたしにハグをしてきたり手を繋いできたり膝の上に座ってきたり。遠慮とか躊躇とか疑念などなくそのきもちのままに大人に甘えてくる姿には安堵のようなものを感じます。いいぞいいぞ!その調子で大きくなるんだぞ!大人は自分に優しい存在だと思って生きていっていいんだぞ!と心の中でエールを送ったのでした。■数字で自分を計られるときに感じる違和感先日とあるイベントにお招きいただきました。そこにはこれからの新しい時代を切り開く人たちが集い、著名な方々も多数参加されていました(自分が場違いなような気がしてソワソワしまくりました!)。大きいビジネスをされている有名な方にわたしを紹介してくださった方がいて、「この方はサトウチカさんと言ってオフグリッドを発信されているんです。面白いブログも書いていて…」と仰ってくださったのですが、その方は「ふーん。で、読者は何人?」と聞いてきました。え?読者数?そんなことで価値が決まるの?と内心戸惑ってしまいました。その方からは大きなビジネス構想のお話しなどを聴かせてもらいましたが、「この人は数字でその人の価値を決めるんだなあ。読者が何人だったらわたしに興味をもつんだろう?5000人?1万人?」と頭の中をグルグルと考えが巡ってしまってせっかくの有り難いお話しも耳に入ってこなかったのでした。また別の日にとある方とお会いすると、「最近のブログ読ませてもらってるよ。で、いまランキングはどのくらい?」と聞かれました。順位がいったいなんなのさ!と思って、「そういうことには興味ないから、ブログランキングなんて参加してないよ」とちょっと大人げなく答えてしまったのでした。(読んでいないブログを書いている人と順位を競い合うことに何の意味があるのだろう??)ブログランキングとかアイドルの総選挙とか、誰かや何かを比較して上位であればあるほど認められるような世界には違和感を覚えます。一位でないとセンターでスポットライトを浴びられないなんて悲しい世の中だなと。一人ひとりに光が当てられて、みんながそのままでいい世界がいいなと。34歳のオバサンのわたしにとっては、アイドルのコたちを見ると「どのコもみんな超可愛いじゃないか!順位なんていらないじゃないか!みんな1位だよ!」と思います。そして、「そんな短いスカートはかなくてもあなたたちは十分愛されるべき存在だから安売りしないでいいよ!」と叫びたくなります。と、ここまで書いてふと思い出したのが、電子書籍を世に出した友人のこと。発売すると数日間一位になってそれはそれは喜んでいたのですが、その後ランキングが下がる度に落ち込んで、顔色もどんどん悪くなって目の下にクマができるように。1位を目指して頑張って、いざ1位を獲ったら順位が落ちることへの恐怖に襲われる。1位であることの意味ってなんなんだろうと思ったのでありました。わたしにとってこのブログは仕事につなげるものでもなければ、誰かと競い合うものでもありません。収入のためのツールとは切り離しているので、ソーラークッカーの販売情報やお話会の情報も敢えて載せていません。では何のために書いているのかと問われたら、自分への応援歌でありレクイエムだと答えると思います。いまは色々なグリッドから自分自身を解き放っている最中で、それはまさに古い自分を壊して新しい自分に再生させているプロセスの真っただ中。勇気の要ることも多く、そんな大胆不敵な人生に挑んでいる自分を鼓舞するとともに、一つ前の世界で生きていた自分にありがとうのきもちを込めて丁寧に弔ってあげたいと思って綴っています。そして、このプロセスの経験が誰かの役に立ったらいいなとも思って書いています。一人の人間の生き様に触れたときに勇気や力が湧いてくることはよくあります。わたしがわたしを生き切ることで、誰かのハートが温まったり、一歩が踏み出せたり、自分や人に優しくなれたり、人生というものが面白そうに感じてもらえたら、これ以上の喜びはありません。また、まだ出逢えていない魂の地球家族たちに1秒でも早く逢えることを願って、「わたしはここにいるよ!わたしはいまこうしているよ!」と自分の存在を一生懸命叫んでいるのだとも思います。以前、淡路島で心に痛手を負った記事を書いたときに(参照人は自由意志というリモコンを使って人生という番組を選択している)、大阪でよもぎ蒸しをされている方からこのようなメッセージをいただきました。「もしご迷惑でなければなのでが、よもぎで蒸させていただけませんか?淡路島でのブログ読ませて頂いて、私も共感しましてというか共鳴のような。お心あったかく、温めたいなーと思いました。費用は結構です!もし大阪にいらっしゃるご予定があれば是非」逢ったことのない方からこんなハートフルで粋な申し出をいただいて、この世界はなんて温かく優しいのだろうと感動したものです。毎回ひとつひとつの言葉に命を吹き込むつもりで書いているこのブログ。分量も多いこの重厚な中に隠れているものと共鳴・共振が起きたコアな方々と繋がって美しいグリッドを創っていき、ランキングとか読者数とかそんな物差しでは計れないもっともっと大きなスケールの中で、素敵なことが自然発生していったらいいなと思ってます。冬の匂いが鼻先を通るようになってきました

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  • 16 Nov
    • そぎ落とせばそぎ落とすほど、自分を生かす存在の輪郭がはっきりする

      横浜に戻ってきていま一番うれしいことは愛するソーラークッキングが好きなだけできることです。移動旅生活では食生活が乱れがち。外食が多くなったり、お腹がすいていないにも関わらず「せっかくだから」と思ってその土地の料理を食べたり。特に沖縄にいるあいだはお菓子があまりにも美味しくて、ちんすこう、ちんびん、なんとぅなどをこれでもかというほど食べていました。日ごろから小食とソーラークッキングを土台にして健康を維持しているわたしのカラダは、「もうそれ以上食べないで~!」と叫んでくるものの、敢えて聞こえないふりをして色々な美味しいものをたんまりと食した一ヶ月でした。いったいこのカラダはどうなっているんだろう…とやや不安になったので、4年ぶりに都内のクリニックで血液栄養分析を受けることに。そこでは思わぬ結果が待っていたのでした。ソーラークッキングでつくった今日のおひさまランチ♪以前血液栄養分析を受けたとき、とても綺麗な血液であるものの赤血球はヒトデのように尖っていて、ストレス状態であることを教えてくれていました。食生活などを注意してカラダを健康に保つために気を張ってあれこれしているうちに、逆にそれがストレスになって赤血球がトゲトゲになっていたのです。分析担当者には、「真面目な性格であることが血液の状態から伝わってきます。ご自身の中に〝〇〇であるべき〟〝〇〇でなければいけない〟などの拘束事項が多いのではないでしょうか?思い切ってマックのハンバーガーとか食べてみたらどうですか?これはダメ!あれはイケナイ!と思っているものを敢えてやってみるといいと思います」というアドバイスをもらったのでした。(病院でマックのハンバーガーを勧められるとは思ってもみなかった!笑)今回の結果はというと、なんと真ん丸の元気な赤血球!検査師 「わあ!真ん丸の綺麗な赤血球ですね!細胞壁も厚くて健康的です!」チカ 「本当ですね!以前はあんなにトゲトゲの赤血球で、見るからに辛そうだったのに。」検査師 「今のサトウさんがストレスフリー状態であることを教えてくれていますよ。活性酸素の影響を受けていないということですからね!」チカ 「そうなんですね。頭かたくてストレスだらけだったのを卒業できた証ですね!」検査師 「そういうことです!おめでとうございます!何か意識されたんですか?」チカ 「囚われをなくしていったんです。自分を縛っているものをひとつひとつ切っていったというか。」検査師 「へえ!それはいいことですね!例えばどんなことをしたのですか?」チカ 「お仕事の主軸だった連載コラムを辞めたりとか、わたしはこんな人間ですってありのまま出すようにしたりとか、パートナーシップを見直して籍を抜いたりとか、家を出て流れるままに生きてみる旅生活にも挑戦してみたりとかです。」検査師 「わ~!すご~い!思い切りましたね~!それでよかったことを血液が教えてくれていますよ!」チカ 「なんだかすごくホッとしました。人を傷つけたり迷惑もかけたのですが、これはこれでよかったんですかね。」検査師 「もちろんです!それでいいんですよ!だってサトウさんの人生じゃないですか!」その検査師さんいわく、現代人の病気は基本的にストレスが原因で、そのストレスが何から来るかというと、ストレスを感じる環境に居続けていることだそうです。例えば、「辛くても嫌でもつまらなくても、この会社でこの仕事を続けないとダメだ」と思い込んでいて、違う会社でも別の仕事でもいいはずなのに、自分で自分をがんじがらめにしているとか。環境や内容や人間関係を変えることで人生はいくらでも好転するものの、変えることや手放すことへの恐怖からなかなかできず、最終的には鬱や癌など心や身体の病になってしまうそう。そのような多くの患者さんと日々接していると、やりたいことをして生きることがいかに大切かということを痛感するとお話ししてくださいました。わたしの症例はストレスニュートリションの分野において非常によいケースとなるらしく、興味深そうに話を聴きながら血液を診てくださったのでした。(が、やはり砂糖の摂りすぎで血中内で真菌が大繁殖していて、即刻断糖命令がくだされました!きゃ~!汗)電線というグリッドを一本切ってみたことで、いろいろなグリッドの存在に気づくようになったわたし。電気、ガス、水道、食べ物などの大きなインフラシステム的なものから、仕事や活動などの中規模なもの、家族や夫婦や友人などの身近な人間関係までも、自分とどのように繋がっていることで自分が今どのような状態になっていて、その状態が世界にどんな影響を与えているかを考えるようになりました。ひとつひとつの線がどれだけ自分を縛っているかに気づくと、自分の願いや夢とはかけ離れた窮屈な世界で生きていることがわかって愕然としたものです。そういうものを丁寧にほどくこともあれば、手ごわいものであれば強行的に切ることも。こうして一本切る度に軽くなり自由になり世界が広がっていき、その達成感は「わたしはわたしを生きている!」というリアルな感覚を生み出し、飛んでいけそうなほどの軽さを感じると同時にどっしりと地に足がついていく両方のエネルギーを感じるようになりました。イラスト『この支配からの解放』オフグリッドの世界観をよく表しています〝オフグリッドのサトウチカさん〟と呼ばれるようになったことで、周りの期待や評価に縛られるようになっていって、いつのまにかオフグリッドにグリッドされてしまっている自分に気づいたときは、ミイラとりがミイラになるってこういうことか!と思ったものです。そして、ミイラから一人の人間に戻りたいという強い願望が肚から沸き起こって、周囲の期待を裏切ってでも一旦すべてを手放すことにしました。なんて自分勝手な人間なのだと落胆した人や怒った人や嫌いになった人もいるでしょう。でも、それでもいいんです。だって、わたしがわたしであることが何より大切だから。ありのままのこのわたしを祝福して微笑んで手を差し伸べてくれる人たちが、真の美しいグリッドとなる人間関係だから。今はこれでもかというほどの励ましと寛容さと好意で接してくださる人たちに支えられています。このような素敵な方々と人生を創造していったら、この目に映る世界は豊かで温かいものになっていくはず。余計な線を切れば切るほど、真に繋がるべきグリッドと自然に繋がっていって、どんどん生きやすくなくっていく。オフグリッドって本当に奥が深いです。これだけ周囲の期待を裏切った分、もう世間からは相手にされないだとうと思っていました。それは甘んじて受け入れるつもりで覚悟を決めてのことでした。でも、本当に不思議なのですが、お話し会やイベントの数は増える一方で、しかもお会いする方々に「ブログから勇気をもらっています」とか「その生き様にますます好きになりました」とか「チカさんの止まらない進化を楽しみにしています」など、涙がちょちょぎれそうなありがたい言葉をかけてくださる方が多くて驚いています。それと同時に、なんてこの世界は優しいんだろうと思うようにもなりました。ありのままのあなたでいいよ。どんなあたなたでもいいし、どんなあなたになっていってもいいよ。そう言ってもらっているようで、今までの人生で感じたことのない安心感の中でいま生きることができています。いろんな柵(しがらみ)や縛りから自分を解放すればするほど本当の自分に還っていく。自分に還っていくということは今までのパターンを壊すことでもあるから、それはとても勇気やエネルギーを必要とすること。でも、そのプロセスを自分ごとのように応援してくれる人がたくさんいる。わたしはいま自分のチカラで自分に還っていっているように見えて、実は多くの人のチカラを借りて本来の自分に還してもらっています。還っているのではなく還されている。生きているのではなく生かされている。人間は一人では生きていけないということを実感している日々です。誰かが自分に還るプロセスに居るときは、自分ごとのようにその過程を応援し、喜び、祝福できる人間でありたいと思います。こうして覚悟を決めていろいろなものを手放してみたことで、本当に必要なものが残り本当の助けとなるものが目の前に現れました。捨てるつもりで遠くに放っても向こうから戻ってくるもの、手放してもそこに残るもの、置き去りにしたのに追いかけてくるもの、今までなかったのに新しく現れたものなどさまざまですが、そういうものが宇宙からその人へ与えられているものであり、人生を支えているものであり、大切にすべきものなのかもしれません。この経験を通して、宇宙はその人が生きていることそれ自体を祝福していて、どんな状況になってもその人を生かそうと最大限の恵みを降り注いでくれているのではないかと思うようになりました。現代人はいろいろなものを持ち過ぎて、いろいろなことをし過ぎて、いろいろなものと繋がり過ぎてしまったことで、この祝福が見えなくなってしまい生きづらくなってしまったのかもしれません。そぎ落とせばそぎ落とすほど、グリッドから放たれれば放たれるほど、サムシンググレート的な大いなる存在のゆりかごで安心して生きれる感覚をいま体感しています!横浜はいま紅葉が美しい季節です

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  • 13 Nov
    • 誰を何を信じることも疑うこともせず、ただただ自分であれ

      横浜に一旦戻ってきました。月末にかけて関東圏でお話しをした後、12月の初旬に沖縄でお話し会やソーラークッキング会があるのでまたすぐに発ちます。この滞在期間のあいだは、母や父や前夫の家やお話し会を主催してくださる方のお家を転々とする予定。家なし旅生活はまだまだ続きます!(が、そろそろ落ち着ける家が欲しくなってきました!古民家で、オフグリッドにできて、家庭菜園ができて、湧き水で生活できる、そんな素敵なお家がありましたらぜひご一報ください!!!)淡路島での事件で一気に疲弊してしまい、和歌山を経由するはずが直行で戻ってきてしまいました(詳しくは前記事をお読みください)。わたしはお話し会で誰かと討論をしたいわけでなく、ましてや答えや正解を出したいわけでもありません。自分が経験してきたことや今まさに味わっていることをただ分かち合いたいだけ。分かち合いってすごくいい言葉だなと日ごろからよく感じます。誰かの経験をシェアすることで他の誰かの勇気や気づきに自然とつながって、勝手に世界が調和へと変化していく。お話し会をする度にハートが温かくなる時空間が生まれ、お互いによいエネルギー交流ができてとても元気になります。ですので、先日のように「わたしとあんたの考え方どちらが正しいかハッキリさせようじゃないか!」という姿勢で立ち向かって来られると、せっかくのピースフルなエネルギーが戦いのエネルギーに取って替えられてしまい、楽しいお話し会100回分で蓄えた素晴らしいエネルギーも、たった1回のこのような場でみごとに消耗してしまう恐ろしさを身をもって体験したのでした…。正義をふりかざせばふりかざすほど対立が生まれ、正しさを主張するばするほど戦いが生まれます。そもそも正解なんてないはず。だって一人ひとりの眼球は異なるゆえ、レンズが違えば見える世界も違って当然です。それに、同じ高さ同じ角度でものごとは見れません。実験でティッシュ箱でもなんでもいいのでモノをひとつテーブルに置いて、そのテーブルをぐるりとみんなで囲んで、そこから見える対象をスケッチしてみるとよく分かります。同じティッシュ箱でも一人ひとりが違うものを描くことになります。つまり角度が違えば別のものに見えるということ。ですので、お話し会などでわたしの意見を求められたら「あくまでもわたしの考えや感性に基づくものなので、これが正解だと思わないでくださいね」と一言加えるようにしています。そして、「チカさん、〇〇とはなんでしょうか?」と何かの答えを求めてこられたときは、「わかりません。お互い模索していきましょう。」と答えています。これが答えだ!これが正解だ!これが真理だ!と主張する人は、わたしの中で要注意人物かつ危険人物に値します。真実は人の数だけ(つまりは世界の数だけ)存在していて、しかも流動するものだと考えるようになったからです。「信じる」の「信」という字は「人+言」。人の言うことを鵜呑みにして妄信してしまうのは、自分の人生や魂を相手に明け渡してしまうのと一緒。自分を自分以外のものに譲ってしまった瞬間から、その人はその人でいられなくなって迷える子羊になってしまいます。そんなことを思っていた矢先、〝心理学ジプシー〟と呼ばれる人たちの存在を昨日お会いした人から教えていただきました。色々な心理学セミナーに参加しているうちに、どの講師が言っているのが正解なのか分からなくなって、さらに答えを求めてさまざまなセミナーに参加して時間とお金を浪費してしまう人のことを言うのだそう。そもそも「信じる」ということはすでに「疑っている」ことだと思います。わたしたちはここに空気があるはずだといちいち〝信じて〟いま呼吸をして生きていません。真に一体となっていて自然であるものは、疑う余地もなくただただ透明で揺るぎないもの。信じることなく、疑うことなく、ありのままの自分をただただ保っていたいです。『陰陽を超えて陰も陽もない世界を体現する』。これがこれからの時代のキーワードではないかと個人的に考えています。善と悪、光と闇、正しい間違いなど、二元論でものごとを捉える思考パターンが人類にこびりついてしまったことで、争いの絶えない世の中になってしまったのだと感じています。この錆をどれだけ落としていって二元を超えた一元でもあり多元でもある世界を取り戻していくか。それは、元々はそういう世界だったことを思い出すことでもあり、そういう世界を新たに創造し直すことでもあるのかもしれません。きっと楽園とはそのような平和な世界だったはずで、それが何者かの意図によって二元論を持ち込まれて刷り込まれてしまい、人類は仲間同士で争い戦うようになってしまったのではないかと思うようになりました。何千年ものあいだ二元という考え方でこの世界に分断をもたらして人類を弄びつづけているその意識を超えていきたいです。〝空〟の世界では、一は多であり、異は同であり、有は無であり、上は下であり、表は裏であることを体感しました(くわしくは、怒り切ったら般若心経に書かれている〝空〟の世界が待っていた!をお読みください)。このときに、対局・両極にあるものは結局同じものだったことを知りました。それはS極とN極という相反する極性同士がぴったりくっつくのと同じこと。陰も陽もない世界はとても安定していて安堵の世界そのものです。正義や正しさを主張しているあいだはこの安寧な世界への距離はまだまだあります。また、『陰極まって陽に転じる』という考え方にも違和感を感じるようになりました。陰から陽になって陽が強まってまた陰に転じて戻ったら同じことの繰り返し。そういう世界に終止符を打って、陰陽を超えたひとつ先の世界をみんなで創れたらいいなと思ってます。今回の旅の終着点は和歌山県だったのですが、潔く諦めて横浜に戻ってきた自分を褒め称えました。心身ともに疲れた今のこの状態を無視するのは、自分を大切にしないのと一緒。以前のわたしなら、「一旦決めたゴールだから何が何でも行くぞ!」と自分を奮い立たせて無理をしたと思うのですが、そういう生き方はもうやめたのですんなりルートを変えることができました。あのようなお話し会になって自分が消耗してしかも行きたいところに行けなくなったなんて悔しい~!!!!と思いましたが、正直な自分が叫んでくる声は「一旦横浜に戻って少し休みたい」。ゴールや目標は変わってもいい。一度決めたことが達成できなくてもいい。嫌だと思ったらやめてもいい。辛かったら逃げてもいい。一見すると不甲斐ない人間に見えるかもしれませんが、今その瞬間の自分は何を欲しているのかをしっかり見定めて応えていける人間でありたいと思うと同時に、むしろそういう人間の方がカッコイイのではないかと。どれだけ自分を救えるか、どれだけ自分を守れるか、どれだけ自分を満たせるか。周囲の評価や他人の目に囚われず、同調圧力に屈することなく、いまの自分が叫んでいるものにわたし自身がピンポイントで応じていく。自分の中心点や軸や手綱をしっかり握っているというのはこういうことなのだと思います。疲れたときはアーシングにかぎります。前夫にお願いして横浜にある大好きな自然公園に連れて行ってもらって自然と一体になれる時間をつくってもらいました。大地を裸足で歩くと母なる地球の温かく優しくそして力強いエネルギーをもらえます。一ヶ月ぶりに前夫に会って、やっぱり家族だなあとしみじみ感じることができたのものよかったです。気兼ねなくあんな話こんな話ができて、お互いのいまの状況を応援しあって、目が合って微笑み合うと身体のこわ張りや緊張がふっと抜けて、温かいきもちに包まれるこの感じ。法律上はもう夫婦ではないけれど、かけがえのない人であることは変わらず、とても尊敬する男性であり頼りになる存在であることを再認識。近況報告をしあったら、お互いにやりたいことに邁進していて、新たな挑戦に夢中になっていて、人との繋がりが増えていて、それぞれがそれぞれらしい人生を楽しんでいることが分かりました。相手の人生が自分ごとのように嬉しく思えて、「いいね!」「楽しそうね!」「素敵ね!」と肯定する言葉しか出てきません。籍を抜いて夫・妻という役割から抜けたいま、何のフィルターも通さず一人の人間として見られるようになったことで、相手そのものを丸ごと愛せるようになったのかもしれません。以前は〝わたしの夫〟という所有欲にも似た支配欲のもと、相手のやることを禁止したり、相手がやりたくないことを命令したりして縛りがちでした。以前と今のどちらがより豊かで愛に満ちているかと問われたら、断然いまの方だと答えます。裸足散歩と同じくらい裸足木登りもエネルギーチャージに最適!

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  • 08 Nov
    • 人は自由意志というリモコンを使って人生という番組を選択している

      沖縄→岡山と経て淡路島に辿り着き、3日間滞在しました。お世話してくれたのは高校の同級生の龍見亮太くん。半年前に島に移住して『musubi(むすび)』という宿泊施設を運営しています。この宿泊施設はギフトで成り立つ世界をコンセプトとしたリトリート施設で、musubiにあるすべてのもの(食器から寝具まですべて!)が、今までmusubiに訪れた人やそのコンセプトに共感した人が提供したギフトで成り立っています。このmusubiでは定価というものが存在せず、次に訪れる人の分をお支払いするつもりで払いたい金額を払います。これは以前書いた与えたい!渡したい!恩がぐるぐると回っていく!でご紹介した恩送りの考え方と一緒。等価交換で慣れているわたしたちには新しい感覚ですが、顔も名前もわからない誰かからギフトを受け取り、そしてギフトを送り、循環が続いていくことはとても素敵だなと思います。龍見くんの挑戦とmusubiの発展を願って、クラウドファンディングで支援するようなきもちでわたしなりのハートマネーを送りました。ホテルに泊まるよりも高い額を進んで喜んで包んだ自分に出逢えたことも嬉しかったです。もちろんコンセプトに共感してのことですが、それ以上に新しい価値観をこの世に創出してくれた御礼代としてその額を決めた感じです。固定された額の等価交換にはないゆらぎのある経済っていいですね。ある意味一人ひとりの心が反映され、自分の心の器の大きさや気前良さというものが試されるものでもあります。こうした〝与えていくこと〟のきっかけをつくってくれる場が増えていくことで、奪い合う社会から与え合う社会へと移行していくと思います!徳島の剣山に連れて行っていただきましたあまりの神々しさに感動して涙がポロポロ淡路島にお住まいのご夫婦からお話し会のご依頼をいただき、一昨日前の夜に開催されました。そこでひとつ事件が勃発。主催者である奥様のお義父さま(おそらく70歳近いかと思われます)が参加されたのですが、電力系や原発関連のお仕事に携わっていたこともあり、オフグリッドの考え方や太陽光発電について真っ向から対立。それはそれは心が深く傷つく辛辣な言葉を思いっきり浴びせられ、「それは間違っている!」「あんたの考えはおかしい!」「気に食わん!」「俺の意見とあんたの意見どっちが正しいか今からみんなに聞こうじゃないか!」など、20名を超える参加者様の前でまるで公開処刑のようにぶった切られたのでした(涙)意見を伺うかぎりオフグリッドとメガソーラーを混同していたので、その違いを説明するなどなるべく感情を抑えて誤解をとくように返したものの全く受け取ってもらえず、わたしの話し方への批判などお話の内容とは関係のないことまでも否定され、さすがにこちらも腹が立って売られた喧嘩を買ってしまったりと若干修羅場のような状態に…。個人的に感じたのは、わたしのような小娘が一丁前に話すことへの苛立ちと、新しい考えへに対する強い抵抗感。自分のやってきたことや古いしきたりを肯定し、次世代の若者たちの挑戦や新しい価値観の創出を否定しているような印象を受け、自分は正しい(=相手は間違っている)という色眼鏡でこの世界を見ているように感じたのでした。不穏な雰囲気に包まれながら会の前半が過ぎ、主催者である奥様の要望により後半はわたしの婚姻オフの話をすることに。法律上の婚姻制度から抜け出てみることで、結婚や夫婦というものへの疑問に自分なりの答えを探しにいっている今のこの挑戦もやはりお義父さまには理解しがたいこと。「田舎では考えられないことだ!」と憤慨されるので、「あなたとわたしでは世代も違いますし、育った環境も田舎と都会で違います。それゆえ価値観も違っていて当然で、どちらが正しくてどちらが間違いという問題ではないと思うのですが」と冷静に答えましたが、これまたまったく響かずかえって拍車をかけてしまうことに。何を言ってもダメだと分かったので、抗わない・戦わないということに意識を集中することにして聴き流すことにしていたら、主催者である奥様が見かねてズバッと言ったときに一つの波が起きます。「お義父さん、いい加減にしてください!ここに参加している人たちはお義父さんの話を聴きたくて集まっているんじゃなくて、チカさんのお話しを聴きたくて集まっているんです!さっきから批判ばっかりでとても嫌な気持ちになります。それはここにいるみんなも同じきもちのはずです。気にくわないなら帰ればいいじゃないですか!」。そして、奥様のご主人である息子さんも続きます。「俺は親父のそういうところが子どもの頃から嫌だったんだよ。こうやって男の意見を押し通して女が抑圧されるような悲しい世の中がずっと続いてきたんじゃないか。母さんに対する親父のそういう態度もずっと嫌だったんだ。今までの男尊女卑的な社会にうんざりした女たちが、今こうやって立ち上がり始めてるんだよ。それに気づかなくちゃいけないんだよ。今日帰ったら母さんに謝ってくれよ。頼むよ。」このときわたしは無性に嬉しくなりました。というのも、長い間言えなかった家族への想いやきもちを本気でぶつけることができて、親子の間に新鮮な風が吹き抜けるような、堰き止められて淀んでいた水が流れ始めたような、長いあいだこの時を待っていたような、なんともいえない安堵にも似た感覚を覚えたのです。家族の中に本音という〝本当の音色〟が響き渡り、その綺麗な音に満ちた空間が心地よくて、思わず微笑んでしまいました。会が終わった後に、心優しい参加者の方々がわたしを気遣って話かけに来てくださいました。「あんなに辛辣なことを言われても動じずに返していてすごいなと思いました。わたしなら脅えてしまって言葉が出てこないと思います。凛とした姿が素敵でした。これに懲りずにまた淡路島に来てください」と言っていただき思わず泣きそうに。また、お義父さんの言い方は典型的な昔の田舎の男性特有のものであって、淡路島ではよくあることだということも教えてもらいました。寄り合いでは男性たちがこのような感じで自分の意見をひたすら押し付けあって、相手の意見や考えは受け入れず、ああだこうだ言い合うものだそう。そこには女性は入れず、男性たちのこのような意見が行き交った末に色々なことが決められるとのこと。昔話のようなことがまだ存在していることに驚き、ただでさえ未来を生きているわたしにとっては戦国時代くらいにタイムスリップしてしまったような感覚でした(笑)このお話し会は〝ひと昔前〟と〝今〟と〝進んでいくであろう未来〟を象徴していたとおっしゃった方がいて、なるほどと思ったものです。自分たちの習わしややり方が常識であり正しいものだと固執するお父さん世代、それまでの世代が生み出したひずみに戸惑いながら生きる今の世代(主催者ご夫妻や参加者さまがた)、今までの常識や当たり前に疑問をもって新しい価値観を創出して未来を創造することを決めたわたし。過去・現在・未来を代表する三者がひとつの空間に集まったことで、ひとつの爆発が起きたようです。こういうことはもう二度と御免だ…と思う辛いお話し会でもありましたが、ある意味とても有意義なお話し会でもありました。(が、やはり心の傷は思ったより深く、昨夜からレスキューレメディを飲み続けています)張りつめた空気と凍りついた場となってしまった今回のお話し会。そんな重たい時空間のなかで、勇気ある一人の女性が手を挙げてこのような質問をしてくださいました。「チカさんのお話しを聴いて、今の社会は不安や恐怖で人を動かしているのだと思いました。わたし自身も、『こうならないためにこうしておこう』的な予防策で色々なものごとを決めている自分に気づきました。チカさんはそういった不安からどんどん抜けて、どんどん軽やかになって、どんどん自分らしく生きるようになっていったようにお見受けしたのですが、不安や恐れというものをどういう風に消していったのでしょうか?」。こんなにも深い素晴らしいご質問をいただいたものの、答えたらまたお義父さんに批判されると思うと言葉が出てこず、自分でも何を言ってるのかよく分からないほどあやふやなことを言ってしまうことに…。(質問してくださった方、大変申し訳ございませんでした!)あれから一日経ったいま、冷静さを取り戻して答えが言葉になりましたので、タイムラグがありますが改めてここでお答えさせていただきます。【わたしなりの回答】不安の中で生きるのか、喜びの中で生きるのか、どちらを選択するのかというとても単純なことなのだと思います。電力自給ひとつとっても、「電気が無くなったら大変だ」という不安と共に電線と繋がったままでいるのか、それとも「自分たちで作った電気で暮らせるなんて楽しそう!」と思ってオフグリッドしたいという思うきもちに素直になるのか。自分の心が不安を選択すれば、思った通りの不安な世界が目の前に現れますし、自分の心が話しかけてくるワクワクを選択すれば、願った通りの楽しい世界が勝手に目の前に現れます。要は、リモコンでどの番組をチョイスするかというような簡単なもので、全ては自分が選択しているということに気づくということが大切です。今は多くの人たちが不安や恐れに満ちたホラー番組を見ていて、「この世界は怖い」という意識を刷り込まれて脅えて萎縮して身動きが取れないように見えます。でも、チャンネルの替え方を覚えてしまえば、楽しいコメディ番組を見ることもできるし、感動的なドキュメンタリー番組を見ることもできるんです。そのチャンネルの替え方は、〝自分の自由意志〟というシンプルなリモコン操作です。わたしは喜びと共に生きるんだ!と宣言して、楽しい世界を目の前に現せることが一度できてしまえば、チャンネルの替え方を体得できます。これができたらこっちのものです。未来を憂うことがなくなって、今を生きることが楽しくてたまらなくなって、気づいたら不安というものが自分の世界から消えていることにある日きづくはずです。と、ここまで回答を書いたところで、人生のバイブルである『アナスタシア』の5巻に載っている言葉がふと浮かんできました。この言葉は言語を超えて魂の深い部分に染み入り、不安や恐れを消してくれるチカラを持っていると思うので、ご紹介して今日の記事の締めくくりとしたいと思います。夢のことばは偉大なエネルギーを動かす。あなたの意志は自由、あなたは自由。人は自分の夢と意図で、自分の未来を創造する。そして、一人ひとりが、自分の創造者。沼島の海海に現れた光の道は、まるで夜空に瞬く天の川のよう!

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  • 04 Nov
    • 定義を超えれば超えるほど、世界はどこまでも広がっていく

      岡山でお話会やソーラークッキング会などのイベントを終えて神戸三ノ宮に到着!今日から淡路島で3日間過ごします。沖縄でも岡山でもソーラークッキング会はみごとに晴れて大成功!沖縄では前日もその前日も曇りで翌日はなんと大雨で、イベントの日だけはピーカン(古っ!)に晴れるという奇跡が。一昨日の倉敷では朝起きると厚い雲に覆われていておひさまの光は見えず、「これはさすがに無理だ…」と思ったものの、会場に到着すると力強い光りが降り注いで快晴に。いままでたくさんお話会とソーラークッキングのWSを開催してきましたが、晴れなかったことはたった一度だけ。オフグリッド生活を通して太陽と共に生きるようになり、深い感謝のきもちを毎日伝えるようになってから、太陽と会話ができる人間になったような気がしています。「チカちゃんはおひさまとツーカーだよね」とおっしゃっていただいたことがあるのですが、周りから見てもどこかそのように見えるようです。おひさまを浴びるソーラークッカーがずらりと並ぶと壮観です!わたしは6歳くらいになるまで、草花や野良猫や野良犬と普通に会話ができる子どもでした。テレパシーというものでもなく、もちろん言葉を交わすわけでもなく、なんというか〝ただ普通に〟コミュニケーションをとっていました。同じ人間の子ども同士で仲良くするよりもずっと簡単でラクだったことや、動植物たちはわたしたち人間にとても協力的でいつでも癒し温め優しく接してきてくれる存在であったことをよく覚えています。これは特別なことでもなんでもなく、人間も自然の一部なのだから自然同士がコミュニケーションを取るということはごく当たり前のことのはず。しかしながら、年齢を重ねるにつれて自然と切り離された人間様世界に取り込まれていくと、いつも急いでせわしない時間に飲まれて自然に包まれている安心感が無くなっていき、会話ができなくなっていきました。でも、オフグリッドな生き方になって、自然とともに自然の時間の中で生きるようになったら、またこの感覚や能力が戻り始めてきて最近とても嬉しいです。特にお天道様である太陽とのコミュニケーションはダイナミックで最高に楽しくて好きです!晴れの國岡山のおひさま、ありがとうございます!オフ=切るグリッド=社会に張り巡らされた網目いま日本ではオフグリッドと言うと送電網と繋がらずに電気をエネルギー自給することを一般的に言いますが、本来は電気だけに限らずあらゆる繋がりを見直すことが土台となっています。個人的には、不自然な繋がりから自然な繋がりに結び直すことだと思うようになりました。ですので、オフグリッドというよりはリ・グリッドの方がより適切な言い方となるかもしれません。ただ、知らず識らずのうちに繋がってしまったグリッドの存在にはなかなか気づけないのが厄介なところです。岡山に来て最初に迎えてくださり3日間お世話になった50代のご夫婦は、「美しき緑の星」という映画がお好きな方々。わたしも大好きで20回は見ています。この映画は、別の惑星にいる宇宙人ミラが地球に行き『切断』という方法を使って、おかしなことをしている人間たちを本来の自然な姿に戻していくコメディ映画です。ミラが来たのは別の惑星ではなく未来の地球だという見解をご夫妻から聴いて、なるほど!本当だ!と思わず膝を打ちました。そして、わたしのオフグリッドの活動を知ってくださったときから「この子はミラだ!」と思われ(名前もミラとチカで音が似てますね 笑)、いまの地球を整えるために未来から来た人だと思っていたそうです。祝詞シンガーである奥さまが、そんな未来人であるわたしの名前で和歌をつくってくださいました。真琴と呼ばれる小さなお琴を弾きながら、優しく力強い美しい声でうたわれると、目幅からドーッと涙が流れ落ちたのでした。さかさまにときをあゆめばうれえなしかみよの そのにちかづく みらい「わが家に泊まりに来てください」とご好意で申し出てくださり、温かな食事やお風呂などのご用意をいただき、これでもかと言うほど親切にしてくださったご夫妻。そして、大切にされてきた貴重な貴重な貴重な9年ものの古味噌や、ご夫妻が育てられたハーブのお茶や手作りジャム、高価なマコモパウダーなどをたくさんもたせてくだいました。お世話した側がさらに自分たちの大切なものを差し出すお姿からは、見返りのない与えっぱなしの愛を感じ、胸がいっぱいになって魂が震えて涙が止まりませんでした。そして、疲れたらいつでもここに帰ってきてくださいねと言ってくださり、旅立った後にはこのようなメールをいただきました。魂の愛娘のチカさんへ御活躍と御多幸を、そして御健康を、夫婦共々、想い、願い、祷り続けております!また、御逢い出来るのを、とてもとても、愉しみにしています♫岡山の母父より親や家族の愛に恵まれず空っぽのまま大人になってしまった自分に気づき、ゼロからの生まれ直しと立て直しが必要であることを痛感し、一度ひとりに戻る覚悟を決めて挑んだ離婚。家族ってなんだろう?夫婦ってなんだろう?家ってなんだろう?わたしの人生にはいつもこの疑問が渦巻いていました。家族から離れ、夫から旅立ち、家を手放し、自ら進んで家なし家族なし移動生活を始めてみたら、血縁を超えた魂の家族に出逢うことになりました。〝血〟という繋がりにこだわるのもひとつの囚われで、自分を狭い世界に閉じ込めてしまうのかもしれないといま感じ始めています。沖縄では、まるで妹のように可愛がってくれる姉のような方々に優しくしてもらい、岡山ではまるで親のように温かく励まし見守って身体のことを労ってくれる両親が現れました。社会的な定義を超えれば超えるほど、人生やこの世界は無限にどこまでも豊かに広がっていくのかもしれません。長月の満月ともみじ。風情があって美しい…(お友だちが撮ってくれた写真です)

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  • 01 Nov
    • 旅は夢を叶えるまでの距離を短くする

      3日前に沖縄を発って、いまは岡山にいます。この季節の本州がこんなに寒かったなんて!セーターや上着を持ってこなかったことを後悔…。沖縄を出発する2日前に台風が上陸。3年ぶりの本島直撃という大当たり。住んでいたところは田舎の古民家で、停電やら雨漏りやらで朝からテンヤワンヤ。オフグリッドのきっかけは6年前の東日本大地震による停電。大きなシステムに依存していると、いざというときに何もできない己の脆弱さを思い出すことができてよいきっかけになりました!自立していることは本当に大切なこと。奇しくも、沖縄で開催していただいたオフグリッドのお話会の題名が、『台風での停電がなくなる!電力自給生活』。話した側のわたしが台風停電を経験するというトンチ話みたいなことに(笑)台風銀座の沖縄や離島では電力自給のライフスタイルがぴったりだと改めて思ったのでありました。そんな停電するほどの猛烈台風に怯えていると、沖縄女神の明子さんと希未子さんがわたしの身を心配して連携を取ってくださり、「今から迎えに行くからお家においで。その方がわたしも安心だから」と明子さんが暴風雨のなか車を走らせて救いに来てくださいました。ああ、どこまで優しいのでしょう。沖縄のみなさまの生き様から、自分にできることを惜しみなく相手に差し出す尊さを学ばせてもらい、わたしもこのような心の美しい人間になっていこう!と強く心に誓ったのでした。たくさんの愛と優しさと楽しい時間をありがとうございます!愛してます沖縄!焼き物で有名な壺屋にあるビッグやちむん(焼物)シーサーと一緒に岡山で最初に迎えてくださったのはとても素敵なご夫妻。お家に到着すると玄関先にウェルカムボードが!歓迎してくださっていることが嬉しくて思わず目がウルウルに。なんと粋なお出迎えなのでしょう!こちらのお家ではマコモを育てられていて、お風呂はマコモ風呂!マコモ風呂とは、お風呂の中にマコモを入れて長い間そのお湯を取り替えず、そのお湯に入浴することで身体から毒素を排出させるというもの。こちらのお家のマコモ風呂は1年半もので、世の中には5年もの10年ものもあります。その昔、お釈迦様は病人をマコモで作った茣蓙に寝かせて治癒したと言われているほど、癒しの力が高いとされて昔から大切にされています。マコモ風呂は茶色いお湯になりそのビジュアルがなかなか見応えがあるのですが、いつか入ってみたいとずーーーっと願っていました。その夢が叶うことに興奮!噂の茶色の湯を目の前にして、「おおお!これか!」と感激しながらカラダを沈めると、きもちよくて意識が飛んでいきそうになりました(ただ眠かったのもあるかもしれません 笑)。翌朝起きるとカラダがスッキリしていて、おおお!この感覚はなんだ!とさらに感動して、朝にまた入らせていただくことに。結局、3日間滞在させていただいているあいだに4回も入浴させていただいたのでした。ご夫婦が育てている真菰旅をしていて思うのは、夢は叶えるものでもあるけれど叶えてもらうものでもあるということ。自分一人では行けなかったところに行くことができたり、自分一人ではできなかったことを体験させてもらったり。今回旅に出なかったらマコモ風呂を体験しないまま一生を終えていたことでしょう。人様のご縁を通して、関心や興味のあったことに辿り着く距離がいっきに短縮されることをいま体感しています。生きているのではなく生かされているということ。叶えているのではなくて叶えていただいているということ。旅に出てからというもの、人との出逢いやご縁がこんなにもありがたいものかと感謝と喜びで満ち充ちている日々です!昨日、ご夫妻の身近な方を数名お家に呼んでお茶会的なものをしました。いらしたお一人の方が、一昨年天に還られた奥さまのお写真を額に入れて持って来られ、みんなが座るテーブルの近くに置かれました。奥さまはオフグリッドに興味があり、お話を聴いてみたいと言ってずっとわたしに会いたがってくださっていた人。何度かやり取りをしましたが、その時にはすでに癌を患っていて、お目にかかることができないままとなってしまいました。旅立たれたことを知ったときは、空に向かって「いつか会いましょうね」と言いながら手を合わせました。それはわたしが天に還ったら雲の上で会いましょうという意味でしたが、まさかこのようなカタチで会えることになるとは思ってもみなかったので喜びでいっぱいに!写真に向かって「やっと会えましたね!」と語りかけて、愛らしい笑顔で微笑む彼女とにっこり笑い合い、こうして彼女とわたしを会わせてくれたご夫妻とご主人に「夢を叶えてくださってありがとうございます!」と感謝のきもちを伝えたのでした。旅はドラマがいっぱいです。一歩歩くたびに何倍にもご縁が広がっていき、一歩歩くたびに忘れかけていた夢がどんどん叶っていく。歩き続けている限り、目の前にはドラマチックな景色が現れ続けるのかもしれません。敢えて家を持たず人様の中に飛び込んでいくことを挑戦しようと決めたときは、こんなに嬉しいことが待っているとは思ってもいませんでした。明確な目的や目的地がなくても、ただ動いて歩いているだけで人生は豊かになっていくのかもしれません。出会ってくれるみなさま、ありがとうございます!これから出会ってくださるみなさま、ありがとうございます!岡山の地元のお野菜を使ったビュッフェに♫2時間も食べてしまった!

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  • 25 Oct
    • 与えたい!渡したい!恩がぐるぐると回ってゆく!

      沖縄を発つまで残り5日となりました。まだ1週間くらいしか経っていない感覚なのですが、あっという間に時は過ぎ去っていたようです。てぃーだ(太陽)の力強さ、空の青さ、雲の大きさ、風の爽やかさ、海の美しさ。すっかり沖縄に惚れこんでしまいました!何より沖縄の方々の器の大きさや優しさに感動しっぱなしです!沖縄でわたしを生かしてくださっているお一人の琉球女神の明子さん。重要な聖地にご案内くださったり、素敵な方々をご紹介くださったり、遊びや食事に誘ってくださったりと、何から何までどこまでも優しく親切にしていただいてます。明子さんにお連れいただいた浜比嘉島のアマミチュー。琉球神々が眠る。昨日は体調を崩してしまい予定していたお出掛けができなくなってしまいました。翌朝起きるとこのようなメッセージが。「ちかちゃん、ゆっくり休めましたか?体調は良くなってきたかな。ちかちゃんにお届けもの。外の門扉に袋をかけてます。起きたら取りに行ってくださいね♫」急いで門扉へ向かうとお花や食事が入った紙袋がかかっているではありませんか!夜に1時間も車を走らせて来てくれていたのでした。その場で号泣するわたし。何もない(家すらない!)この人間に、なんの見返りもなく無償の愛だけで接してくださるこの優しさ。どうやったらお返しできるかしら。どうやったらこの感謝のきもちが伝わるかしら。何よりこんなによくしてもらっていいのかしら。頭もぐちゃぐちゃ顔も涙でぐちゃぐちゃになったのでした。いただいたお見舞いのお花たち♡蘭がキレイ!数日前のこと。そんな明子さんとお出掛けした日の帰り道に、若い青年二人がヒッチハイクをしていました。その手には「南へ(向かいたい)」と書かれている紙。目と目を合わせて頷くわたしたち。すぐに車を停めて「乗ってくださ~い」と声をかけました。話を聴いてみると高校生で、18歳のNくんはすでに50日以上旅をし続けていて、17歳のMくんはヒッチハイクの旅は2回目だそうです。どこまでも腰が低く謙虚な二人。なぜ旅をしているの?ときいてみると驚きの答えが返ってきました。「自分の価値観を壊していきたいんです。なんていうか、いまの時代はみんな安定の上に胡座をかいている感じがして、そういうのがすごく嫌なんです。家があって当たり前っていうのも、〝当たり前の世界〟でただ生きてるだけじゃないですか。そこから抜けることで見えることがあるんです。こういう旅をすると、家がある有り難さがよくわかるんです。家って素晴らしいなって。でも、それは家が無いっていう経験をして初めて分かるものなんです。」家ナシ移動生活ビギナーのわたしにとって師匠と呼びたくなるような貫禄!恐れ入りますという感じです。ああ、こんな若者がいるなら日本の未来は明るい!!!続けて、今まで車に乗せてもらって怖かったことはないの?ときいてみると、これまた深い言葉が返ってきました。「怖い思いをしたことは一度もありません。車に乗せてくれる時点で優しい人なんです。旅をして分かったのは、この世界は優しいということと、親切な人がたくさんいるということです。」テレビや新聞からは、人間の残酷な部分をフィーチャーした痛ましい事件や、胸が痛くなる環境破壊の現状や、どうしようもない政治家たちのくだらないスキャンダルやらで、この世界は終わってる…と落胆することが多いですが、それはほんの一部であって全体ではないのかもしれません。わたしもいまこのような状況になって、親切で心優しい方々の存在に助けられています。「チカさん、うちに泊まってください!大歓迎です!」「チカさん、わが家に来てください!好きなだけのんびりして行ってください」「チカさん、お話会企画します!」と、見ず知らずの方々にどれだけありがたいお声を頂戴しているか。しかも、喜んで進んで申し出てくださるのです。自らの時間や労力やお金を投げ出しても、一人のこの人間を生かそうと応援してくれる人たちがこの世にいることを知り、毎日魂が震えるような想いをしています。殺伐とした都会で生まれ育ち、進学校で受験競争をして、大企業に就職してこれまた出世競争をして、人と競り合う時間を過ごしてきた人生。敵ばかりだと思っていたこの世界は、むしろ優しい人や味方の方が多かったことを生まれて初めて知りました。これはわたしの目に映る世界が変わったのか、それとも本当はこういう世界だったのに気づいていなかったのか、その答えはわかりませんがとにかく世の中は心優しい方々が多いということは確かです!NくんとMくんは見た目はやんちゃそうですが、話をすると10代とは思えないほどしっかりしていて、謙虚で慎ましくよく気が利きます。例えば、重い荷物を持っていたら「持ちますよ!」とすぐに手を差し出して持ってくれたり。そして、「いただきます」「ごちそうさまです」「ありがとうございます」という言葉にちゃんと心を込めて言ってる人を初めて見ました。旅を通して人に生かされる経験をすると、自然とこうべが垂れてしまう人間になることを目の前で教えてもらいました。二人の姿を見て、いつかわたしに子どもが生まれたら旅に出したいと思いました(本人が望んだらですが)。いまの画一的な学校教育システムには大きな大きな疑問を持っていたので無理に通わせなくていいと思ってきましたが、旅をすれば生きていくための色々な知恵が身につき、人間として大切な何かを育み培うことができることを確信。『可愛い子には旅をさせよ』は、本当にそうなのかもしれません。二人のボーイズを車に乗せて南へ移動して、途中で沖縄そばをごちそうして、その夜安全に泊まれるところを用意してお別れ。以前のわたしならこんなことは出来なかったはず。いま明子さんを含めてたくさんの方々に運んでもらい生かしてもらってるからこそできたこと。愛や親切や優しさをいただいた人に直接お返しするのも素敵だけど、別の人に渡していくのもこれまた素敵なことです。わたしがいま多くの方々からいただいている愛を彼らにお裾分けのように渡し、そして彼らはそれをこれから誰にどのように渡していくのだろうと想像すると、この世界が優しさに満ちていくようで嬉しくなります。日本には昔からあった恩送り(おんおくり)という考え方。誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなくて別の人に送って、送られた人がさらに別の人に渡していく。そうして「恩」が世の中をぐるぐる回ってゆく。このような家ナシ移動生活に挑戦していたら、充分過ぎるほどいっぱいいただくこととなったご恩。このご恩をどうやって相手や社会に返していこうかと深く考えるようになりました。自分にはもう戻ってこなくていい。ただ渡していきたい。こんなきもちです。いまのわたしは今までの人生の中でいちばん豊かかもしれません。大きなガジュマルの木のブランコではしゃぐ!

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  • 21 Oct
    • 鎧を脱いで裸になると地球上のあらゆる場所が家になる

      沖縄に来て10日が経ちました。蚊に刺されまくって、順調に腕や足が素敵な水玉模様になっていってます(笑)わたしは車の運転ができません。でもゴールドカードです。つまりピッカピカのペーパードライバー!沖縄は電車がないうえに、いま過ごしているところは田舎なのでバスの本数も超少なく、車がないとどこへも行けません。不便なほど燃えてしまうこの性格ゆえに、だったらとことん歩いてみようじゃないか!と3時間くらい歩いてあちこち巡って楽しんでます。車に乗ってると流れて行ってしまう景色も、歩いているとじっくり見れるのがいいですね。大きな雲を抱える青い空を見上げては「ああ、綺麗!」と感動して、本土では見れない珍しい鮮やかな花や蝶々を見つけては「ああ、可愛い!」とときめいて、ダイナミックで爽やかな風が吹けば「ああ、きもちいい!」とうっとり。呼吸と歩調を整えてひたすら歩き続けていると、ちょっとした瞑想状態になってきて頭や心に静けさがもたらされるのも好きなところです。地図を見たときは遠いなと思っていた目的地に無事にたどり着けたときの達成感は素晴らしく、なんでもやればできるしなんとかなるものだと実感します。きっと人生もそういうものなのかもしれません。(とことん歩いて帰ってきてから食べる自炊ご飯がまあ美味しいこと!)瑠璃色の蝶々と遭遇!あまりの美しさに時が止まってしまった!これだけ歩くことを絶賛しておきながら、超便利な足を見つけてしまいました(おいおい!笑)それは市が運営している乗り合いバスで、たった300円で市内のどこへでも行けるシロモノ。しかも電話をすれば家の前まで来てくれて目的地まで連れて行ってくれます。こんな税金の使い方を待っていた!と感銘を受けて毎日利用しまくることに。おかげで久高島や斎場御嶽(せいふぁうたき)など訪れたかった聖地を巡れることができています。斎場御嶽から見える久高島久高島は琉球始祖神のアマミキヨが降り立った聖なる島わたしは一つのものを誰かとシェアすることが大好きです。一人しか乗っていない車が同じ方向に列をなして渋滞を作っているのを見ていると、目的地の方向が一緒の人たちみんなで乗り合えば4分の1の車の量に減るのにな…とよく考えます。何より、体重60kgくらいの人間を運ぶのに200kgもする鉄の塊を化石燃料を燃やして動かすのは超非効率だなとも常々思います。太陽エネルギーで電力自給したりガスの代わりにお料理したりして未来型の暮らしをしているうちに、化石燃料たるものがその字のごとく〝化石〟と思えるほど時代遅れなものに思えてきてしまい、いまさらガソリンを注いで車を運転したいと思えなくなってしまいました。と同時に、これからの時代の乗り物は馬だと確信するように。排気ガスはゼロだし、コミュニケーション能力は抜群だし、乗ってるうちに姿勢は矯正されるし、命を全うしたら大地に還るし、これぞ人類が移動手段として長い間信頼してきた乗り物じゃないか!と思うようになりました。しかも、以前乗馬体験をしたときに、馬から降りたら生理痛が無くなっていてビックリしたことがあります。お馬さんの体温でお股がポカポカに温まった上に、乗馬中に骨盤も調整されたのか子宮周りがいい感じになったのです!わたしの記憶違いでなければ馬は軽自動車扱いなので道路も走ってよいはず。新しいお家と巡り会えた暁には、オフグリッドでエネルギー自給して、野菜や果樹を育てて、湧き水でお料理したりお風呂を沸かして、馬で移動するような、そんな暮らしをしたいです。何より毎日お馬さんのあの優しい目と見つめ合えるだけで幸福感がすごそう!(どなたか乗馬をご指導くださる方がいらっしゃいましたらご連絡ください!)一昨年、アナスタシアの旅でロシアを訪れたときに馬の素晴らしさを体感!今日は少人数でのディープなお話会を開催していただきました。普段のお話会や講演では電力自給を軸としたオフグリッドのお話をしていますが、今回のお話会では婚姻制度からオフしたことや家に縛られない移動生活など、様々な囚われから自身を解放しているいまの等身大の姿をそのままお伝えして、己のハートをオープンにしてどんな質問にもお答えすることに。わたしにとって初めての試みとなりましたが、距離が近い分とても楽しい充実した時間となってまた新たな世界も広がって、これからこういうお話会が増えていったらいいなあと夢がひとつ増えました!主催者希未子さんが用意してくださった芋煮やお結びどれも美味しくて感動!!!!!今回のお話会はとてもディープな経験を分かち合ったこともあり、いただいたご質問がどれも深く素晴らしくハッとさせられるものばかりでした。参加者のお一人が、「家に縛られない移動生活だとホッとできる場所がなくて困りませんか?わたしにとって家は、外で着ていた鎧を脱げる場所で、自分に還ることができる大切なプライベートスペースです。それがないとなるとどうなるのかな?と思いまして…」と素直な疑問を投げかけてくださいました。このご質問をいただいたことで、なぜ家がなくても生きていけると思ったかが分かることになりました。それはまさに鎧を脱いだからにあります。それまでのわたしは自分を守るために人と十分な距離を置き、重い鎧を着て仮面を被って本当のわたしを隠して生きてきました。でも、あらゆるものを手放したことで鎧どころか着る服すらなくなって裸になってしまったことで、鎧を着る場所も脱ぐ場所も必要なくなってしまいました。すると、どこであってもありのままのわたしでいられるようになって、地球上のあらゆる場所が家(つまり鎧を外していられる場所)になったようです。家があってもなくても変わらない自分パートナーがいてもいなくても変わらない自分仕事があってもなくても変わらない自分子どもがいてもいなくても変わらない自分親がいてもいなくても変わらない自分友だちがいてもいなくても変わらない自分何があってもなくても変わらない自分何かがあることで自分の存在意義を掴もうしたり、○○がないとダメという所有にも似た考えについつい陥りがちになってしまいますが、あってもなくても変わらない自分を意識すると真っさらなピュアな自分を保ちやすくなります。これは常に大切にしていたいです。素っ裸で生きるとは、恥ずかしい(と思い込んでいる)部分も含めてありのままの自分を丸ごと認めて愛するということ。自分と相思相愛になると充分満たされて、自分以外のもので埋め合わせる必要がなくなることを実感しています。とても不思議ですが、離婚をして一人になって寂しくなるのかなと思いきや、全く孤独感がなくいまとても安定しています。逆に、自分に嘘をついていた時の方が、パートナーがそばにいてくれても酷い孤独感に苛まれてしまい、精神的にも不安定で相手にかなり迷惑をかけていました。まずは自分を愛し満たし許し救うこと。自分をしあわせにできるのは自分自身。そうしたら、生きるチカラや自信や喜びや感謝が勝手に溢れ出てきます。それは得るものでもするものでも作るものでもなくて、自然と湧いて勝手に溢れてしまうもの。そうなったら自然と周りをしあわせにできてしまうのかもしれません。ゼロからの満たし直しの旅は今のところ順調です!沖ニャーは人にゃつこい♡

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  • 16 Oct
    • 時間の手綱を握って人生の流れやスピードをハンドルする

      沖縄に来て早くも1週間。あっという間に過ぎていきます。おかげさまで家の鍵をかけない生活にも慣れて、夜もぐっすり寝られるまでになりました!(詳しくは前回の記事をお読みください)行ってきますもただいまも玄関の鍵に触れることがない暮らし。現代人は基本的に「こうなったらどうしよう。そうならないためにはこうしよう」的な、悪いことが起きる前提で色々な行動をとりがちですが、もともと悪いことなんてなにも起きやしないことを前提とした世界で生きてしまうとラクになることを実感!なにより、鍵というもの自体がなくなるので、鍵かけたかな?鍵なくさないかな?鍵とられないかな?という鍵にまつわる不安がなくなります。やっぱり持たない生き方っていいですね。持たなければ持たないほど余計な雑念が減ることを鍵ナシ生活から改めて学んでます。夜明けより少し前の暗いうちに勝手に目が覚めて、朝焼けに感動しながら近くの泉に行って顔や体や髪を洗って、その日の分の湧き水を汲むのが毎朝の日課となりました。そして、帰ってきたらソーラークッカーで朝ごはんの準備をします。移動生活は根が張りにくい分フワフワと宙に浮きやすくなるので、しっかり地に足をつけるためにも毎日自炊や掃除や洗濯をして普段の生活を営むことを意識しています。沖縄のてぃーだ(太陽)はパワフルなので色々なお料理がどんどんできて楽しくて楽しくてたまりません!電気ガスゼロ!太陽の光だけでお料理が作れるソーラークッカー詳しくはこちらこの1週間のあいだにご近所の方々からお野菜をたくさんいただきました。近くにスーパーがないのでどうしようかなと思っていたら、ありがたいことに食べきれないほどの食材に恵まれることに。自然豊かな田舎ではこういう温かいやりとりがあるのがいいですね。(定住するならやっぱり田舎だなあ!)その土地に湧く清水と、その土地で育った野菜と、その土地に降り注ぐ太陽が三位一体となると、こんなにも高いエネルギーのお料理ができるものかと驚きます!沖縄野菜を使ってソーラークッキングしたおひさま料理プレート♫一昨日、宜野湾市でオフグリッドのお話会を開催していただきました。お話会では、電力自給生活のこと、システム構築の仕方、太陽熱を利用したソーラークッキングなど幅広くお伝えしています。このとき、ご参加くださった数名の方から会が始まる前や終わった後に、オフグリッドとは関係のないわたしの年齢について聞かれました。「あの~、チカさんはお幾つなのでしょうか?」と聞かれたので、「ただいま34歳でございま~す!」とお答えしたら、「やっぱりそうですよね!そのくらいのお年なのですよね!」と納得のご様子。ご質問くださった方々いわく、なんとなんとなんとなんと10代にも見えるとのことで実年齢が気になったそうです!(わ〜いわ〜い!笑)ご参加くださったみなさま、ありがとうございました!そこで思い出したのが、時間と若さについての関係です。本来時間というものはデジタル時計のように画一的・固定的に時が進むものではなく、多様的・流動的なものであって一人ひとりに流れているスピードは違い、老化のスピードはその人が体感する時間によって決まるそうです。例えば、好きなことを夢中でしている時に「わ!気づいたら5時間も経ってた!まだ1時間しか経ってない感じなのに!」みたいなことを経験したことがあると思います。このとき社会の時計は5時間進むのですが、人生はまだ1時間しか進んでないので1時間しか歳をとりません。逆に、嫌なことつまらないことをしている時に「げ!まだ1時間しか経ってない。もう5時間くらい経っててもいいのに…」というような経験もしたことがあると思います。このとき社会の時計は1時間しか進んでいなくても、人生は5時間進んでいてその分の歳を取っているそうです。ですので、やりたいことや好きなことや夢中になれることに素直になって生きていると若くいられ、やりたくないことや嫌いなことやつまらないことをして生きているとどんどん老けてしまうわけですね。(やりたくないことしてつまらない思いまでして老けるなんてトリプルパンチじゃないか!そんな人生ゴメンだ!)周りを見渡しても、若々しい人は自分の好き嫌いをしっかり掴んでいて、自分を喜ばせる人生を歩んでいるような印象を受けます。わたしは誰に何を言われようとも思いっきりやりたいことをして人生を楽しむようになったので実年齢より若く見えるのかもしれません。人によっては老化を遅らせるどころか、時間を取り戻して若返ることすらできるのだと思います。太陽光で電気を完全自給して、ソーラークッカーでお料理して、太陽熱温水器で沸かしたお湯のお風呂に入って、というお日様リズムで3年間暮らしているうちに、太陽がわたしにとっての真実の時計になって、いわゆる普通の時計はおもちゃみたいなフェイクな時間のように感じるようになりました。ダイナミックなその時間の流れで生きるようになると、夜明けと共に目が覚めて日没と共に眠くなるようになって早寝早起きに。太陽がエネルギー溢れる晴れの日は一緒になって活動的になって、エネルギーがダウンする雨の日は一緒に抑えめになって晴耕雨読生活に。すると、バイオリズムと自然のリズムが同期したらしく心身のバランスが戻ってみるみる蘇生していきました!病弱だった身体は健康になって、ボロボロだったお肌はツルツルになって、メンタル激弱だった性格は明るくなって、もうびっくりです。また、太陽の角度や軌道や移動距離を考えてソーラークッキングをしているうちに、お日様を誘導して時間を自分側に導く感覚まで掴んで、日々の暮らしや人生をハンドルしやすくなりました。太陽と共に生きるようになったらカラダもココロも人生そのものも好転したのです!太陽を追うということは時間を追うということに他なりません。忙しい現代人は〝時間に追われる〟という言葉をよく使いますが、それとは真逆になります。時間の手綱をしっかり握れると、時の連続である人生というものを思い通りに動かしていけることをオフグリッド生活を経て体得しました!この人生というトキの流れやスピードの手綱をしっかり握って、これからも太陽と共にご機嫌に生きていきたいです。今朝の朝焼け。美しい芸術作品!◎10/21サトウチカさんのディープなお話会in沖縄県宜野湾◎10/26ソーラークッキング講習会in沖縄県北中城◎11/1チカ&テツコラボトークイベントin岡山県倉敷◎11/2ソーラークッキング講習会in岡山県倉敷◎11/3ソーラークッキング講習会in岡山県岡山◎11/3夜 サトウチカさんとお食事会in岡山県岡山◎11/14 電力完全自給オフグリッドのお話会in千葉県検見川◎11/18 電力完全自給オフグリッドのお話会in千葉県銚子

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  • 13 Oct
    • 内なる声は人生という旅路を導く案内人

      三日前に沖縄に無事に降り立ち、新しいライフステージの幕がついに開かれました!と共に、あえて家を持たずお話会を開催しながらご縁に助けられて流れるままに生きてゆくジプシー生活もスタートしました!沖縄➡︎岡山➡︎淡路➡︎和歌山という流れが自然に決まり、人さまのご縁に生かされることを早くも実感しています。サレンダー(降参)して宇宙の流れに完全に身を委ねてしまったら、チカラを抜いて水に浮いたカラダが水の意志のもとに運ばれていくように人生が勝手に動いていくのかもしれません。流されて流されて流された先できっと大海を目にするのでしょう。井の中の蛙だったわたしが大海を求めて進む冒険は始まったばかりです!沖縄に到着した時から、女神さまとしか思えない優しい方々に親切にしていただいてます。那覇空港にお迎えに来ていただいたり、「チカちゃんはアマテラスとご縁が深いはずだから、沖縄の一ノ宮にあたる神社にまずご挨拶に行きましょう!」とありがたいことに波上宮に連れて行っていただいたり、困った時はこの人に助けを求めれば大丈夫!という頼りになる人をご紹介いただいたりと、初日から助けてもらいっぱなし。ああ、人って本当に優しいなあとしみじみ。こんなにも与えていただいている分、与えていける人間になっていきたいです。波上宮の奥にある神聖な場所をご案内いただきました!沖縄にいるあいだ過ごすことになったお家は、近くで湧き水がわいている自然豊かな場所にあり、家主さんがおしごとで東京に行っているあいだ使わせていただきます。その方はご本も多数出されている有名な方で、ご自宅ではプライベートリトリートを開催されているほどの素敵な古民家。お互い日程が合わず入れ違いになって会えなかったので、「鍵はどこで受け取れますか?」とお聞きしたら、「鍵はかけたことがありません。そのままお入りください。」とのこと。都会生まれ都会育ちのわたしには衝撃的で、鍵かけや戸締りはしっかりしないといけないという固定観念に楔が打ち込まれました。鍵をかけずに寝たことがないので、どうしても気になってしまい初日の夜はソワソワ…。郷に入れば郷に従えだ!鍵をかけないで寝よう!と言う自分と、何かあったら大変だ!鍵はしっかりかけよう!と言う自分との葛藤で苦しむことに。結局、窓は全開なのに玄関のドアだけは気休め程度にほんの少し鍵がかかってる状態にして寝ました(笑)この中途半端感は猛烈にダサいぞ!と思いましたが仕方なし。翌日、お隣のおばあちゃんとご対面してご挨拶と温かな会話をしたり、道行く人たちがにこやかに微笑みかけてくれたりしているうちに、やっぱり鍵なんてかけなくても大丈夫かもしれないと思い、2日目からは鍵をせずに寝ています。が、ちょっとした物音で起きてしまう自分。習慣と思い込みから抜けるって大変です!近所にある湧き水は、今年7月にお話会で沖縄を訪れたときに一目惚れした泉。家に着いたのが夜遅かったので、翌朝訪れることが楽しみで仕方ありませんでした。朝日が昇って鳥が鳴き始め、ついにあの泉と再会できる!とはやる気持ちを抑えながら駆け足で向かいます。泉の前の大木の下で再会の感謝のきもちを伝えてから念願の水浴び。清水で顔やカラダや頭を洗ってから、滝行のように浴びました。頭から水をかぶった後は心や精神がクリアになって、視界もワントーン明るくなるのが不思議です。こんな美しい湧き水で暮らしたいと願っていたら本当に叶った!水浴びをしているあいだ、水を飲みにきた山鳩がすぐそばまで来たり、目の前を色鮮やかな蝶々がゆきかったりするのを見ていると、自然と自分が一体となって溶け込んでいくような感覚に。水浴びを終えて空に上がった朝日に向かって手を合わせたら、熱い想いが肚から湧き上がってきてそれが力強い言葉になって口から勢いよく放たれました。「ああ美しい!あなたは本当に美しい!この地球とあなた太陽とわたしたち人間が共に生きることがどれだけ美しい営みであるかを、これから多くの人と思い出して分かち合いたいです!新たな人生の始まりを与えてくださってありがとうございます!」このとき、わたしが旅をしながら生きてみようと思った理由がハッキリとわかりました。この地球を愛する素敵な人たちに出逢いにいきたかったんだと。血縁を超えた地球家族となる父や母や兄や姉や弟や妹となる人と結ばれたかったんだと。待っていては逢えないまま人生が終わってしまうから、だから大切な夫のもとを離れてでも大好きなお家を飛び出してでも、こうして知らない土地に来たんだと。離婚を決意したときも、2年半続けてきたコラム連載をやめることを決めたときも、お家を出ることを覚悟したときも、もう生きていけないかもしれないと泣きました。多くの方々の期待を裏切ることとなって、オフグリッドのサトウチカとしての価値はなくなって、世間から干されるだろうと思っていたんです。でも、それと同時によく分かったんです。どれだけ人の目を気にしながら生きてきたかということを。誰かから評価してもらうことに必死で、自分自身を生きていなかったということを。すべての恐れを超えてあらゆるものを手放して内なる声のままに新しい生き方にチャレンジし始めたら、世間から見離されるどころか逆にお話会やイベントのお声がけをたくさんいただくようになりました。それだけでなく、チカさんを紹介したい人がいると言っていただき、新たなご縁を賜る機会が増えていく一方です。何より、「よく決意したね!応援するよ!」と言ってくださり手を差し伸べてくださる方々がなんと多いことか。前夫もとても協力的で大きな大きなサポートをしてくれています。わたしの魂はこうなることをちゃんと知っていたからこそ、きっといまのこのステージに向かわせたのだと思います。自分の中にいる真実の自分は歩むべき道をしっかり知っていて、生まれた瞬間から内なる声としてずっとずっと語りかけているのかもしれません。自身という安全に目的地まで導く案内人を信じ切れたとき、見たくてたまらなかった景色や訪れたくてたまらなかった場所に辿り着けるのでしょう。これから地球家族となる方々と出逢い、大きな大きなファミリーになっていくことがとても楽しみです。いま、逢いにいきます!水浴びをしている時に見ている景色。心も体も魂も洗われる!◎10/15電力自給オフグリッドのお話会in沖縄県宜野湾◎10/26ソーラークッキング講習会in沖縄県北中城◎11/1チカ&テツコラボトークイベントin岡山県倉敷◎11/2ソーラークッキング講習会in岡山県倉敷◎11/3ソーラークッキング講習会in岡山県岡山◎11/18電力完全自給オフグリッドのお話会in千葉県銚子

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  • 10 Oct
    • 怒り切ったら般若心経に書かれている〝空〟の世界が待っていた!

      先日書いた記事、苦手だった〝怒ること〟ができるようになったら、世界が優しくなった読んでくださった方々から「勇気をもらいました」「参考になりました」「わたしも怒ることに難儀しています」など、様々なメッセージをいただきました。多くの方々が怒るということを苦手としていらっしゃって、その感情とどう向き合っていいかわからず迷い悩んでいるんですね。実はあのエピソード後に信じがたいことが起きました。それがとても大事なことでして、一人だけのものにしておくのはあまりにももったいないと思ったので、今回はそのお話しをしたいと思います。(が、本当にスゴイことが起きてしまったので、途中でついてこれなくなったら読むのをやめてください 笑)相手に怒りをぶつけた後に、怒ったり恨んだりする自分も自然の一部であって美しいと感じ切り、そして醜いと思い込んでいたそんな自分を愛おしいと思えた瞬間、分離していた相反するふたりの自分が結ばれてひとつになりました。それは陰陽統合という言葉がピッタリの感覚。この統合が起きたとき、なんと第三の目と呼べそうなもうひとつの目が開いて意識の世界をとらえたのです。顔にある両目は開いたままこちらの世界の景色を見ながら、もうひとつの目が別の世界を見つけたのでした。陰と陽は鍵と鍵穴のような関係で、カチャッとはまふと新たな世界の扉が開くようです。開いた扉の先は、陰も陽もない世界でした。二元ではない一元であり多元である世界で、1足す1が2にはならず、3にも4にも5にも100にもなる世界。よくよく考えると自然界はこうなっているんですね。例えば、一人の女性(1)と一人の男性(1)が出逢い愛し合い新しい命を授かり生みだしたらその家族は3人になります。同じ二人からまた新たな命が生まれたら4人家族。つまり、1+1=3、4、、、となっていきます。これがサムシンググレート的な神なる存在が創造した生の世界のシステム。1+1=2という動きや揺らぎのない考え方は固定化されて死の世界の住人となります。揺らぎを許されない世界では支配者が人々をコントロールしやすいこともこの時によく分かりました。だから学校では1+1=2と教えるんだなあと。揺らいでいること、流動していること、変化することはとても大切で、まさに自分を生きることそのものです!そして、意識はさらに進んでいき〝空〟の世界に辿り着きました。一言で言ってしまうと何もない世界。端から端まで探しても何もなく、なんとわたしは存在していなかったのです!わたしはいるようでいない。みんなから見えているわたしは本当は存在していない。この世のすべてがそういうもので、相反するものは実は同一であることが分かったのでした。有るということは無いということ。無いということは有るということ。同じということは異なるということ。異なるということは同じということ。一であるということは多であるということ。多であるということは一であるということ。そもそもない。すべてない。いま見えているものは全て幻で夢をただ見ているだけ。その時から、あの世とこの世が逆転して〝空〟の世界がリアルなものになって、現実と呼ばれるこちらの世界の方が夢になりました。そもそも何もなかったということが分かったら、恐れや不安が一瞬のうちに無くなってしまって言葉では表現できないほどの安堵感と安心感に満ちたんです。と同時に、何もないことに尋常でない退屈さを感じました。そうしたら、現実(と思っている)世界が楽しいワンダーランドに思えてきて、何かが有るって最高だな!という喜びでいっぱいに。無いということが逆に有るという存在をリアルにするんですね。つまりは、何もないからこそすべてが用意されているのです。わたしたちが〝現実〟だと思っているこの世界は、なんでもできるまさに〝夢〟の世界!傷ついたり失敗することを恐れたり不安に思う必要はこれっぽちもないということが分かったら、あれもしたい!これもしたい!あれもできる!これもできる!という無限の可能性と自信が溢れてくるようになりました。先日、宗教学・哲学・心理学にとても精通している尊敬してやまないある方にこの体験についてお話ししたら、「サトウさん、それは般若心経が示している世界と一緒ですよ!色即是空 空即是色のことです」と言われました。聖書や古事記は勉強してきたのでキリスト教や神道の考えはわりかし詳しいのですが仏教はいままでノータッチ。家に帰って急いで調べたら、本当に般若心経の現代語訳解説と見事に一致していて、驚愕のあまり顎が外れそうに。「そうなの!まさにそうなの!この通りだわ!!!」という感じで夢中になって読んだのがこちらの記事です。『般若心経』を現代語訳するとこうなる―存在が存在することの意味を説くお経―※この記事を読んだときに、「あれ?この一文だけわたしが見てきた世界と違う…」というところがありました。それを後日また宗教に詳しい人に話すと、般若心経は一文だけ書き換えられた説があることを教えてもらいました。(もしその一文だとしたらスゴイことです!)〝空〟の世界を体感して思ったことは、恐れや不安を感じて臆病になって何もしないことはモッタイナイということ。どれだけ自分自身を窮屈な世界へ押しとどめ、無限の可能性に制限をかけ、ブレーキ踏みっぱなし状態で人生という旅路を進めなくさせているか。傷つくことも失敗することもそもそもないので大丈夫なんです。この〝無い〟という安堵感と安心感に満たされたら、〝有る〟と思い込んでいたことが幻だと分かって、過去における色々な辛い体験が一瞬で美しいものへと昇華されました。両親との確執、家族の不和、不登校、性被害など、いままでの人生に起きたあらゆる苦しかったことが消えてしまいむしろ真逆なものになってしまったのです。まるで真っ黒いゴツゴツした重い石が光り輝くクリスタルに一瞬で変身してしまった感じです。錬金術とはこういうことなのかもしれませんね。そして、みんなの意識が繋がっていることもよくわかりました。それぞれが見ている世界が集まってひとつの世界をつくっているので、みんなが繋がっている分あらゆることがひとりひとりにかかっている感じです。例えば、わたしの統合が完了すると連動して他の人の統合が加速され、わたしの未解決の感情が浄化されると他の人のこころも綺麗になって、わたしがわたしを許し愛せるようになると他の人も自身を許し愛せるようになる。わたしはみんなであり、みんなはわたしなんです(わたしはあなたあなたはわたしと言う方がわかりやすいでしょうか)。ここで特に大事なのが自己一致と自己開示かなと。自分に嘘をつかないということと、ありのままの自分を見せていくこということです。自分に嘘をつくと自身の中で乖離と分離が起きて宇宙に不調和が起きます。自身は自神にほかならないのです。本音で生きること、内なる声に耳を傾けること、そしてこの肉体を通して自分の願いを叶え続けてあげること。自分という小宇宙でそれを体現できたとき、大宇宙は歓喜で震える感じがしました。そして、ありのままの自分を見せていくということは、相手の鏡になるということ。自分が裸になればなるほどその鏡は磨かれて相手のありのままの真実の姿を映し出せるようになる感じです。人の眼球は外に向いているので、相手を通して自分を知るしか方法がないんですね。だから、この世にひとつでも鏡が増えることが大切なんです。しかも曇りのない綺麗な鏡。それは、自身が裸になって生きている人のことなのかと。アマテラスが岩戸隠れしてしまったときにアメノウズメが裸になって踊ったことでアマテラスは岩戸から顔をのぞかせ、そしてアメノコヤネとアメノフトダマが八咫鏡をさしだしたことでアマテラスは自分の姿を見ることになり、無事に岩戸開きされて天地に光が取り戻されました。日本神話は、一人ひとりが裸で生きて鏡になることでこの世界に光が戻ることを未来のわたしたちに伝えるために書かれたのかもしれません。このときの経験から、どこまでも素っ裸なありのままの姿を見せて生き抜いていきたいと思うようになりました。さあ、明日はいよいよ沖縄の地にジャンプ!恐れは幻想だとわかったいま、歓喜の世界で生きる自信にみなぎっています!不安の中で生きるのはもうおしまい。喜びとともに生きる新たなステージの幕明けです!庭のヤマボウシ。少しずつ葉っぱの色が変わり始めてます

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  • 07 Oct
    • 自由とはこの世界と自身の人生をより豊かにする責任のこと

      横浜市の住宅街にある母の家に来て一週間経ち、すっかり疲弊してしまいました(汗)いままでは美しい自然に囲まれた暮らしだったので、アスファルトとコンクリートに囲まれた今の環境に心身が冷えてパワーダウン。一日中浴びせられるテレビのデジタル音にも頭がおかしくなり始めています…。沖縄に発つまであと2日なので、あともうちょっとの辛抱です!こんな緑ゆたかな世界で過ごしていた3年間虫たちの何重奏にもなる美しい音色を聴きながら寝ることで、どれだけ深い眠りへと導かれていたか。鳥たちの可愛らしいさえずりで目が覚めることで、一日の始まりがどれだけしあわせなものになっていたか。虫の音も鳥たちの声もきこえてこない日々を過ごしていたら、どんどんエネルギーが消耗していく上に充電できるものがなくていま瀕死に近い状態です。夕方にカーカーとカラスが鳴いたとき、「ああ!この世界はまだ生きている!」と嬉しくなって涙が出そうになったほどです(笑)朝起きたら裸足で大地を散歩して地球と一体になって、野の花にキスをして朝露をなめてパワーをもらって、季節の草花を摘んでしあわせなきもちになって、菜園でお野菜を収穫してご飯をつくって。あの時間の中でエネルギーをたっぷりもらって生きていたんだ、と離れてみて知ることになりました。充電スポットは自然の中にあり、澄んだ心、クリアな思考、豊かな感性は自然の中で育まれることを改めて実感しています。大好きな裸足散歩。柔らかい大地を歩く時間は至福のトキ季節の野の花摘み。お花があり過ぎてどのコを摘もうか迷うくらい住宅街では野の花が見つからない!30分歩いてやっとこのコたちに会えた!木々や草花に囲まれ、電線のないひらけた空を見て、大地を踏みしめながら野菜や果樹を育て、時計ではなく太陽の動きで時間を刻む。そんな暮らし方をこれからもしていきたいと再確認することとなりました。一旦失って離れたからこそわかった大切なことや自分が心から望んでいること。離れることは近づくことであり、失うことは得ることなんですね。これから挑戦する移動生活も楽しみですが、本来の自分に戻れる場所(家)づくりも同時にしていこうと決めました!新たな拠点となる自然豊かな場所に巡り逢えるといいなあ♪一昨夜、母の家に前夫と姉家族(姉、義兄、甥っ子ふたり17歳&14歳)が集ってみんなで食事をしました。姉には個別に離婚報告をしていましたが、まだ知らない甥っ子たち。わいわい楽しく笑いながら食事も終わりデザートタイムに入った頃、さてそろそろ報告しようと「みんなちょっといい?大切なご報告がありま~す!」とアテンションプリーズ的な感じで声掛けして、前夫とふたりで声を揃えて  「この度わたしたち夫婦は離婚しました~!」とにこやかにご報告。そして 「解散!!笑」と叫ぶ前夫。お笑い芸人麒麟の田村さんが書かれた『ホームレス中学生』の名場面である「解散!!」をパクったそのセンスに、なかなかやるなあと横目で見ているわたしとは対照的に、目がテンとなっている甥っ子たち。「え?なんで?こんなに仲いいのになんで離婚するの?」と聞いてきます。その問いに対して、「今も仲良しだしこれからも仲良しよ。とても大切な人であることも変わらないよ。なんていうのかな、法律に関係なく仲良しでいることにしたって言ったら分かってもらえるかな」と答えました。そして、「これからチカ姉ちゃんはどこに住むの?」と聞かれたので、「あえて住む家を持たずに移動生活にチャレンジしてホームモアな生き方を体験してみる予定だよ。もっと自由に生きてみたいんだ」と答えると、それは楽しそう!と目を輝かせながらの反応。この時に〝自由〟という言葉を使ったことに、しまった!と瞬時に後悔しました。人によって捉え方が違う言葉の代表が〝自由〟だとよく感じます。自分が思っている自由と他人が思っている自由の違いによく戸惑うのですが、最近とある方から〝自由〟に関して次のようなありがたい言葉を頂戴してなるほどと思ったものです。「チカさんの生き方を見ていて、やっと〝自由〟の意味が分かったんです。この世界をよりよくするために何を選択し決定し行動するかは、それぞれに与えられている〝自由〟なんだなって。チカさんが選ぶひとつひとつのことは、より美しい世界やより素晴らしい人生にするためのもので、オフグリッドの暮らしも離婚もそうですよね。〝勝手〟は好き勝手をすることで、〝自由〟とは全く違うことなんだなと。チカさんはこの世界をより豊かにする〝責任〟が人間にはあるということを大前提としている生き方だからこそ、どこまでも〝自由〟に生きているんだって分かったんです」自由には責任が伴うとよく言われますが、責任が存在するからこそ自由でいられるということにこの時きづきました。わたしは普通の人とベクトルの向きが逆になっているようです。人間として生まれていま生きている時点でひとりひとりに責任というものが備わっていて、それは重く苦しい十字架的なものでは決してなく、この世界と自身の人生をより豊かで平和で美しく楽しいものにしていく喜ばしき役目そのものなのだと思います。そして、その役目(つまりは責任)を果たすために何を選び挑戦するかは自由であり、その自由というアイテムを使って自身が願う世界をこの身を通して実現させていく。その許可を自分自身に与え続けることが〝生きていくこと〟なのかもしれません。「自由に生きたい」という言葉だけを甥っ子たちの耳に残させてしまったので、〝自由〟と〝勝手〟を混同させてしまったのではないかとずっとモヤモヤ…。でもここまで書いて思うことは、大切なのは言葉じゃなくて生き様だなと。叔母の生き方を見て、自由の大前提である歓迎すべき喜ばしき責任と自由の中にある無限の創造性を、彼らなりに掴んでもらえたらいいなと願います。まだ17歳と14歳の彼らが、進学すべき大学のことや就職すべき企業のことを親に半ば決められている姿を見て、「あなたたちの人生だ!その魂を自分以外の人に明け渡すな!あなたたちには自分の人生を楽しむ責任と自由がある!」と心の中で叫んでいたのでした。テレビのデジタル音に対抗してピアノを弾きまくる!

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  • 05 Oct
    • 役割を終えた二人は聖なる別れの喜びを味わう

      ついに夫のもとから旅立ちました!沖縄へ出発するまでの10日間だけ母と暮らすことになったので、現在同じ横浜市内の母の家に荷物を移動させていま一緒に過ごしています。(旅立ちのトキ~母の家という子宮から生まれ直す~)わたしの趣味は物を持たないこと、特技はある物でなんとかすること。お家に遊びに来る人はあまりの物の少なさにビックリされます。見学会にいらした方に、「生活感がまったくないのですが、本当に住んでますか?」と真顔で聞かれたこともあります(笑)物を持てば持つほどスペースがなくなる窮屈さと精神的にも重たくなるあの感覚がどうにもこうにも耐えられません。そのくらい持ち物が少なかったこともあり、引っ越し業者に頼むこともなくすべて運び出せてしまいました。これからしばらくは住む家すら持たないという移動生活に挑戦するので、さらに磨きをかけてどんどん減らしていきたいところです!(素っ裸になったいまの自分の生きるチカラを試してみる)これからの時代は持たない生き方が主流になってくると予見しています。国と企業と広告会社がグルになって大量生産大量消費を煽り続けたこの数十年。踊らされ続けた結果あっちこっちでモノがあふれかえってしまって、もう見るのも買うのも使うのも捨てるのもうんざり…といった感じがするのはわたしだけでしょうか?今までは、人より多くモノを持つこと、友だちより先にブランド物のニューアイテムを手に入れること、隣人よりイイ家を建てること、同期の中で先に出世することなど、誰かと比較して少しでも自分が何かを所有してカッコよく見えるような生き方がよしとされてきたように感じます。そして、その比較という競争の中で負けた人たちは劣等感を持って生きていくという、なんとも生き苦しい社会となってしまいました。しかし、それは昭和の匂いがプンプンする古くてダサイもはや化石的なもの。時は平成であり、平らと成るのが今の世。シェアハウスとかカーシェアリングとか、ひとつのものをみんなで分かち合うエコで平和な考え方が広まってきています。これからはむしろいかに持たないで身軽に颯爽と生きているかがイケてるポイントとなるのではないかと。断捨離®やミニマルライフやオフグリッドなど〝足るを知る〟生き方・暮らし方・在り方に憧れるような、そんな美徳の逆転現象はもう起き始めています。地球も自分自身も楽になる時代の幕開けです!引っ越しは夫が手伝ってくれて予想以上に早く終わりました。外で記念写真などを撮って、さあいよいよ出発だと鞄を取りにお家の中に入ると、なんとレッドカーペットが!「わ~!ナニコレ~!」と叫ぶと、「これをサプライズでしたかったんだよね♪」とニンマリ。夢と希望を持って新たなステージへと出発するこのときを、笑顔と拍手で送り出してくれました。嬉しさや驚きや寂しさや色々な感情が混ざっていっきにこみ上げて思わず涙がドーっ!微笑みあいながら温かなハグをして、愛してるよって伝えあって、宇宙一しあわせな離婚であることをかみしめあったのでした。レッドカーペットを歩いて、いざ新たな世界へ出発!家族からの愛や優しさに恵まれず心が空っぽのまま大人になってしまい、その空虚感に気づきたくない一心で必死に強がって生きてきたこの人生。親やきょうだいという身近な人を信頼できなかったことで、あらゆる人が自分を脅かす敵に見えてしまい、自分を守るために大きな重たい鎧を着て戦ってきたこの人生。信じられるのは自分ひとりだけでした。夫にも「チカちゃんは誰のことも信頼していないよね。いつも勝ち負けで物事を考えていて、俺のことすら勝つべき敵だと思ってるでしょ?」と言われてハッとしたことがあります。彼は仏のように優しく、いつも穏やかで落ち着いていて、辛いことや悲しいこともハイセンスな笑いに変えて吹き飛ばしてくれる人。そして、なんでも二つ返事で「いいよ」と言ってくれる人。敷地内に電柱を立てたくないという理由から電力完全自給をしたいと言ったときも、「よし!やってみよう!」と迷うことなく言ってくれました。ダメとかいけないとか出来ないとかコレをしろとかコレをするなとか、否定や禁止や命令をされたことは一度もなく、いつでもなんでも賛成と応援と励ましだけで接してくれた寛大な器の持ち主。寂しさや悲しみや怒りや猜疑心でいっぱいだった人間嫌いのわたしを、まるで優しい父親母親となってまあるい人間に育てあげてくれました。本来なら成人するまでに親や家族から与えられて形成されるものを、この7年間の結婚生活で彼から与えてもらったことで、わたしはやっと大人になれたのだと思います。人は優しいよ、もっと信頼して大丈夫だよ、この世界を怖がらなくていいよ、とその存在を通して根気強くずっとずっと教え続けてくれ、地下の暗闇から明るい地上へと引き上げてくれました。やっと地上に出れたこの恩を胸に、今度は自分の足で歩みながら新たな人生という冒険を楽しんでいきます!神様はきっと、もがき苦しんでいたわたしを救う人として彼と出逢わせてくれたのだと思います。親役となってしまったことで〝夫〟でいられなかった分、とても辛かったかもしれません。だからこそ、その役割を全うしたいま、どうか肩の荷を下ろしてもらって、これからはとことん自分のために生きてほしいと心から願います。わたしよりもしあわせになってほしい。誰よりもしあわせになってほしい。今までも今もこの先も大好きな大切な人。これから始まる彼のより豊かで幸福な人生が楽しみで仕方ありません。素敵な女性に巡り合ってまた新たなしあわせな家庭を築いてほしいし、新たなお嫁さんと仲良くなりたいし、子どもが生まれたら一緒に育てたいくらい!(新しいお嫁さんが困っちゃうかな 笑)もともと血の繋がりもないし、今となっては法律上の繋がりもないけれど、これからも変わらない大切な家族。血縁を超えて制度を超えて本当の人間愛がふたりをしっかり結んでる。真実はこっちだって確信してる。だからこそこれは〝離婚〟ではなくて〝婚姻オフグリッド〟なのだと強く言いたい。ありがとう!愛してるよ!これからもよろしくね!うろこ雲から太陽の光が降り注ぐ空。秋だなあ。

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  • 30 Sep
    • 素っ裸になったいまの自分の生きるチカラを試してみる

      沖縄に旅立つ日が刻一刻と近づいてきていて、新たな人生の幕が開けて次なるライフステージがいよいよ本格始動する期待と興奮に武者震いしてしまう今日この頃です。3年前に電力会社と契約をせず電気を完全自給する生活にチャレンジしたとき、果たしてちゃんと暮らしていけるのかな…電気が底をついて真っ暗闇の中で生活することになったらどうしよう…などいろいろな不安がありました。しかし、実際にやってしまうと拍子抜けするほど簡単で快適で豊かで、結局停電なんて一度も経験しないまま楽し過ぎるオフグリッド生活を送ることに。今になってみると、電気がないと死んでしまうくらいの大きな恐怖の幻想を抱いていたことがよく分かります。電気がなくなることはなかったし、万が一なくなっても死にはしないということがわかって、〝生きていける〟という力強い感覚をつかむことになりました。一番の依存先だった夫という存在から自立すると決めたときも、頼れる人がいなくなって生きていけるのかな…などいろいろな不安がありました。しかし、実際に離婚してみると案外大丈夫なもので、「いつでもおいで!」と言ってくれる親切な人たちがたくさん現れたり、前夫もとても協力的だったりと、ああ人って優しいなあとしみじみ感じています。また、夫・父親・母親・きょうだい・友人・恋人などの役割を夫一人に全て求めていた関係を見直すことになった結果、本当の父親、本当の母親、本当のきょうだい、本当の友人である人と繋がり直すこととなって、人間関係が多様で立体的になってきた今の状況を興味深く感じています。それならば家というものに縛られないようになったらどうなるんだろう?とふと思いついてしまいました。電気というライフラインを繋ぐ送電網から離れてみたらウルトラ楽しいエネルギー自給生活を営むことになって、離婚して夫を失うことになったら多様な人間関係に恵まれることになって、じゃあ家を持たない生活となった場合どんな面白いことになるんだろうと興味がわいてしまったのです。きになったものはやってみないといられないこの性分。そして、これがないと生きていけないと思い込んでいる強烈なものほど、思い切って手放したときに体感する新しい世界のきもちよさを知ってしまっているのでやってみたくてしょうがない!恐れを超えてできたときに目の前に現れる世界の景色は鮮やかで軽やかで楽しくてまるでワンダーランド!ということで、人間は家がないと生きていけないとされていますが、あえてしばらく〝自分の家〟なるものを持たない生活をすることに決めました。一般的には離婚したらまず次に住む家を探して、生きていくためのお金を稼ぐ仕事を見つけると思いますが、わたしにはそのような揺らぎのない固定された考え方に拒絶反応が起きてしまうんです。どんな状況でも楽しさを優先して、科学者が実験するときに期待を感じるように、こんなことをしてみたらどんなことが起きるんだろうというワクワクと共に生きていたいのです。まずは沖縄で過ごしてみたい!と思って、沖縄に一ヶ月くらい行ってみる!と宣言した次の日に、10月の間だけ沖縄のお家を貸したいという人が現れるという信じられないミラクルが起きました。その後はお話し会を開催しながら旅のように移動して生きていけたらいいなあと思っていたら、11月初めに岡山でソーラークッキングのイベントを開催していただく運びとなって数日間お世話になることに。そのイベントを告知したら、「岡山にいらっしゃるならうちに来てください!好きなだけ泊まっていただいても大丈夫です!近くの美味しい無農薬野菜のビュッフェレストランにもお連れしたいです!」という神様のような方からご連絡をいただきお言葉に甘えることとなり、さらに岡山に住んでいる尊敬している方からご連絡をいただき「岡山に来るならコラボイベントをしませんか」と新たなお仕事の話までいただくことに。ひとさまのご縁にただただ生かされるありがたい状況にいま魂が震えています。11月14日と17日に関東でお話し会があるので一旦横浜に戻りますが、その後はまた呼ばれたところに足を運んで生きていくような生活をしばらくやってみたいなと思っています。住む家がないというなかなか味わえない人生経験をいま楽しまないなんてもったいない!ホームレスになることで温かなご縁に生かされて日本中に家や家族ができたらむしろホームモア♪これってなんだか素敵だなあとまだ旅も始まっていないうちからすでに満足し始めています(笑)この挑戦の裏側には、いまの自分が持っている生きるチカラがどのくらいなのかを知ってみたいというきもちもあります。いろいろなものを手放して最低限のもの(つまりはこの身ひとつ)しかなくなったとき、一体わたしはどのくらのあいだ生きていられるんだろうと。言い換えれば、宇宙はわたしをどのように生かそうとするんだろうと。それは自然に生かされるチカラと人さまに生かされるチカラのふたつの働きが大きいと思っています。家もない、勤め先もない、資格もない、夫もいない、恋人もいない、美人でもない、グラマーでもない、あれもない、これもない。普通に考えたら現代のこの社会で生きることが難しいほどナイだらけの状況で、小さなスーツケースひとつころがしながら流れるままに生きてみる。素っ裸になったいまの状態だからこそあぶり出される真の人間性と社会性が目の前に現れるであろう価値の高い実験だと思います。とりあえず一ヶ月間生きれたら合格点ということでやってみます!そして、他人に頼ることや甘えることやお願いすることができるようになる人間に生まれ直すチャンスにしたいとも思っています。わたしは甘えることが許されなかった厳しい母の元で育ったこともあり、なんでも自分一人でできないといけないと思ってがむしゃらに生きてきました。自分の力だけで生きていこうとすると、どうしても周りの人たちがライバルや敵に見えてしまって、お友だちや仲間ができない30数年間でした。知らない土地でこの身ひとつになったら否応なく誰かの助けを借りなくては生きていけません。苦手だった誰かに頼ることや甘えるということを、この経験を通して自然とできるようになりたいなと。そして、そんな自分になったら、自然と誰かを助けられる優しく温かい人になれるはずだとも思うんです。とことん甘えられる可愛い人間になって、とことん甘えてもらえる頼もしい人間になりたいです。(みなさまどうかご協力をお願いいたします!!!!)恐れや不安を超えてやりたいことをやってみる。世間の目や周囲の評価ではなくて自分の意志で決めて生きていく。子どものような好奇心で人生を拓いていく。気が済むまでやり続ける。これって本当に大事なことだと思います。ちなみに、「気が済む」は「〝氣〟が澄む」だそうですよ。ひとりひとりが自分の心に素直になって誰にも何にも縛られず囚われず自身が望むように生きれると、〝氣〟が澄んで綺麗な自身になっていくそうです。澄み切った後に現れる自分がきっと本来の姿なのでしょうね。みんなの〝氣〟が澄んでいって透明度が増せば増すほど、水が澄んで透明度が上がって綺麗になっていくように、この世界も澄んで綺麗な状態に戻っていくのかもしれません。そんな美しい世界を創造できるように、まずはわたし自身の〝氣〟が澄むまでやりたいことをやって、この無限の力を生かしながらどこまでも自由に生きてみたいと思います。コスモスとニラの花を摘んで野の花ブーケに♡

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  • 25 Sep
    • 苦手だった〝怒ること〟ができるようになったら、世界が優しくなった

      母との関係がいまものすごく良好で自分でも驚いています!あれだけ苦手だったのにこんなに変わるものなのかと戸惑っているくらいです。実は、母との関係が180度転換して長年の問題が片付いてしまうことになった一つの出来事があります。それは、わたしが怒りという感情を思いっきり出したこと。それを機に分裂していた自分自身が統合を果たして、とても生きやすくなりました。今日はそのお話しです。今年の夏の初めの頃、なぜか同じような人ばかりが現れる不思議な現象が続いていました。その共通点は、怒りが肚の底からこみ上げてくるほど無礼な人。 でも、相手を尊重したい、できれば穏便でありたい、波風立たせたくない、嫌われたくない…。そんな想いから我慢して笑ってその場をやり過ごそうとする悪い癖が出て怒れません。昔から嫌いな相手をよいしょして持ち上げてしまったり、逆に好きと言ってしまったり(う~ん謎…)、ありがとうまで言ってしまったり(もはや理解不能…)するところがあり、自分を下げて落として自尊心を傷つけて、自分で自分を殺してしまうことをよくやってしまいます。言いたいことが言えない未消化感や嘘をついてしまう疲労感からか、慢性的な胃腸の消化不良で悩んできました…。そんなある日のこと。驚くほどの無礼者が一人現れたのですが、わたしは二言くらいしか言い返せずその場をあとにすることになりました。居合わせた友人に、「チカちゃん、さっきみたいな失礼な人には怒っていいんだよ!ブチ切れていいんだよ!言いたいこともっと言わないと!反射神経が鈍っちゃってるよ!」と言われてハッとします。わたし眠っちゃってるんだな、麻痺しちゃってるんだな、このままではダメだな、と心底感じた出来事でした。〝怒り〟という感情から逃げずにそのきもちをしっかり表現して、自分を殺すのではなく生かす方法を体得するまではこういう人たちが現れ続けるんだろうな。イイコになろうとしないでこういう感情も丸ごと認めていきたいな。言いたいことをその場で言えるようになりたいな。そんな風に思うようになった矢先に、なんと大ボスが出現!経緯は割愛しますが、今までの人生の中で最上級の身勝手かつ無礼な人で、昨年出会ったときに服従状態となって言いなりになってしまった人。その人と急きょ半年ぶりに対面することになったので、これは自分を超える好い機会だと思って、言いたいことはしっかり言おうと自分に誓って意を決して臨むことにしました。久し振りに再会すると、久闊を叙する間も与えず「分かってると思いますがわたしはあなたに対して怒ってます」と本心を伝えました。すると、言い訳を重ねてくることに怒りが倍増してしまい、思いっきり睨みつけてしまいます。これはマズイと思ったのか「もう時間がないから行くね」と言って逃げるようにそそくさと車に乗り込む相手に向かって、「最低!こういう人間大っ嫌い!口ばっかり達者で誠意のかけらもない!」と怒りをあらわにして怒鳴りました。そして、走り出す車に向かって「一旦くたばれ---!」と精一杯叫んだのでした。普段の自分からは想像もできないほど感情的な言葉が口から勢いよく出てきてビックリしました。でも、たとえ汚い言葉であっても言いたいことが言えたことで、心が羽のように軽くなったのを感じました。その日の夜はここ数十年で一番ぐっすり眠ることができて、朝起きた時は胃腸がスッキリ。恐れていた〝怒ること〟ができたら抜群の安定感を得るという興味深い結果になったのです。翌朝のこと。近所の神社を参拝させていただき、そこでしばらく瞑想をして心を落ち着かせていると、天からなのか自身の内からなのか、このような声が聴こえてきました。「あなたが結婚すべき相手はもう一人のあなた自身(半分のあなた自身)。あなたが突き放してしまったもう一人のあなたともう一度しっかり結び直しなさい。」もう一人のわたし(半分のわたし)とは、わたしが嫌っているわたしのこと。他人に対して怒りや嫉妬や猜疑心を持つ自分のこと。そんなもう一人のわたしを〝汚いもの〟として否定して、高い仕切りを立てて見えないようにしてしまい、突き放されて隔離されてしまったもう一人のわたしはずっとずっとずーっと一人ぼっちで途方にくれていたのがよくわかったのです。どちらもわたし。二人で一人、一人で二人。このときに自身の中で陰陽統合が起きたようで、陰も陽も両方あってよく、陰を悪いものとジャッジすることがナンセンスだったことに気づきます。ドロドロしたもう一人のわたしを嫌う必要は全くなくて、そのままでよかったんだと。なんで今までこんなに嫌ってしまっていたのか不思議に思えてくるほど、もう一人のわたしが自然体で美しいものに思えた瞬間でした。なんというか、森や海などの雄大な自然の景色を見て綺麗だと感じるあの感覚と似ていて、どんな感情もどんなわたしも自然の一部であり美しいと感じたんです。人生で初めてこのような境地に至った経験となりました。すると苦手な母に無性に逢いたくなったのです。その気持ちを抑えることができず、すぐに電話をかけて今から逢いたいと伝えると、避けてばかりいる娘からの突然の申し出に戸惑って慌てていましたが、入っていた予定をキャンセルして会ってくれることに。久しぶりに会ってみると、緊張することもなく自然に話せて、母もとても嬉しそうで楽しそうで、不思議なほどふたりが自然体のままその空間と時間を共にしていました。母と過ごして家に帰って、早くまた逢いたいなと思えている自分に微笑んでいると、突如大切な答えが浮かび上がりました。それは、母が嫌いだったのではなくて、母を嫌ってしまう自分が嫌いだったということ。母に怒りを感じてしまうわたしを〝汚いもの〟として蓋をして、表面的には母を避けているけれど、本当に避けていたのはそんな嫌いな自分自身だったことにやっと気づいたのです。嫌いなわたし、見たくないわたし、汚い醜い(と思い込んでいる)わたしが、それは大切なわたしの半分でありもう一人の愛しいわたし自身そのものだと受け入れられたら、あんなにも長年苦しんだ母娘の関係が解消してしまったんですね。なんだかマジックのようです。どんなわたしでもいい。そのままでいい。はぐれていたもうひとりの自分と再会できて、嬉しい気持ちでいっぱいになりました。やっと逢えた!やっと結び直せる!という喜び。どんな自分も無条件に愛せる自信が湧いてきて、「今までごめんね。これからはどんなことがあっても一緒に生きていこうね。どんなあなたも愛してるよ。」と心を込めて自分に伝えました。離れ離れだったもう一人の自分と手を繋ぎ直せたこのときの安堵感と安心感は言葉では表すのが難しいほど、どこまでも安寧で揺るぎなく安定した世界に生きているような感覚でした。あらゆる感情も自分の一部であり、つまりは自然の一部。それを愛するということは自然を愛することと同じで、この世界を愛するのと同じ。愛するものからは愛される。そんなことを教えてもらえたような気がしています。怒ってはいけないという暗黙のルールに縛られて、大切なことに全くきづけなかった今までの長い時間をもったいなく感じています。もっと早くに知っていたら、どれだけ自分も相手も愛して生きてこれただろうと悔やまれるくらいです。知らず知らずのあいだにかけられてしまった「〇〇はダメ」とか「〇〇すべき」という呪縛は、真実から人を遠ざけるなあとつくづく感じます。愛するのも、ゆるすのも、いたわるのも、認めるのも、相手ではなくてまず自分自身。生まれてから死ぬまで人生を片時も離れず共に歩み続ける大切なパートナーは内なる自分。これからは一番の理解者となって、誰よりも自分が自分の味方になって、自身に愛される喜びを味わっていきたいと思います。鎌倉の海でひろった桜貝。ちょうちょみたいで可愛い♡

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  • 20 Sep
    • 破壊なくして再生なし!離婚を経験して見えてきた二元を超えた世界

      台風一過☀江の島からの眺め婚姻オフグリッドのことや離婚についてブログを書くようになってから、たくさんの方々からメッセージをいただくようになりました。「いま同じ状況で苦しんでいたので勇気をもらいました」とか「同じ考えで離婚をしたことがあります」とか様々ですが、身近な友人たちから「実はわたしも別れたいと思ってて…」と心のうちを明かしてもらえることが多くなりました。悩んでいる方々にほぼ共通していることは、パートナーからきもちが離れてしまったことに苦しんでいるということ。心が離れてしまった自分を責めてしまうんですね。わたしもその苦しさを経験した者なので辛さがよく分かります。自責の念や罪悪感に耐えられなくなったときに、自分を守るために相手を悪者にして責めることで自分を保ったことがあります。また、優しくされたり大切にされたりすると、お返しができない分いたたまれなくなるので、愛されないようにわざと可愛くない人になってツンケンして積極的に嫌われようとした時期もありました。人の心がつくりだす行動って本当に奇怪です…。今思い返すと前夫は大変だったと思います。(この場を借りて前夫に深くお詫び申し上げます!)このままずっと夫婦関係を続けていいのかわからない…と迷っている方にオススメしたいのが、10年後の自分たちを想像してみることです。目を瞑って心を落ち着かせて呼吸を整えて10年後の自分たちを想像して、隣に今のパートナーがいるか意識の目で見てみてみます。実はこれ、わたしと前夫がやったものなのですが、何度イメージしてみても10年後一緒にいる姿が二人とも見えなかったんです(笑)「このままずっと一緒にいることはないね」と夫が確信をもって言ったときに心が決まりました。わたしは想像力や直観や本能やインスピレーションなどを信頼しています。頭の中ってたいていぐちゃぐちゃですし、心は玉ねぎの皮みたいにいろいろな感情に何層にも覆われていて本心を適格につかむのは至難の業!複雑に絡み合っている思考や感情というものから答えを出すよりも、シンプルで真っすぐな右脳的な感覚を研ぎ澄まして選択する方が好きです。変わること、終わること、壊れること、途切れること、無くなること。こういうことはダメなこと悪いことだと思って今まで生きてきました。でも離婚を経験できたいまは、それらも自然の一部であって、むしろ何かを生み出す大いなる力を内包していると考えるようになりました。この世のすべては刻一刻と変化し続けているのが自然の理。昨日の細胞と今日の細胞は違いますし、いま吐いた息と次に吐く息も違います。変わらないことの方が不自然です。自分と相手に流れる時間のスピード、意識や考え方や価値観が異なってくることは自然なこと。それ自体に良い悪いは一切なくて、それ以上でもそれ以下でもありません。相手も自分も自然の一部であって、常に変わり続ける存在。それを止めようとするのは、地球の回転を止めるのと同じくらい無理なことなのかもしれません。終わりは始まり。死なくして再生なし。アルファ&オメガ。ヒンドゥー教のシヴァ神は破壊と創造の両方を司っている神さまですね。つまりは表裏一体ということ。何かが終わりを迎えているとき、宇宙は祝福のシャワーを降り注いでいるのだと思います。それに、壊れることや終わることや無くなることを無理に止めようとすると、逆に良からぬ結果になると思うんです。例えば、お気に入りの素敵な花瓶があったとしましょう。それが時間と共に劣化したか不注意で落としてしまったかで割れてしまったとします。大切だったからという理由でバラバラになった破片を接着剤やセロテープなどで貼り付けてまた元のカタチに戻したとしても、それはヒビだらけでとても醜くてもろいですよね。たとえ元の形に戻せても、それはつぎはぎだらけの花瓶。その花瓶にお水を入れてもお水は染み出てきてしまうし、お花を飾っても美しくありません。それよりは、美しかった花瓶の思い出を胸に大切に抱いて生きていく方がなんだか素敵なように感じます。それに、花瓶が置いてあった場所にまた新たな花瓶を置いたら意外と気に入ってしまうかもしれないし、誰かから素敵なオブジェをもらって置くことになるかもしれないし、欲しかった絵画が手に入って飾るかもしれません。息を吐くからこそ新しい空気が入ってくるように、スペースが空くということは次なる新鮮な風が入ってくるということ。壊れてしまったものに執着せず、次に現れるものをワクワクしながら待つくらいでもいいのかもしれません。結ぶことと同じくらい解く(ほどく)ことを、もっと歓迎していいのではないかと最近よく考えます。入学式と卒業式をお祝いするように、出逢うことと別れること、結婚することと離婚することも同等に考えていいのではないかと。わたしたちは離婚後に新婚旅行ならぬ離婚旅行に行ったのですが、新婚旅行のときとくらべものにならないくらい実りある時間となりました。お互い過ごした過去を愛しく感じながら、いまの別れをしっかり受け止め、そして未来へと繋げていく。もうこの先一緒に海外旅行に行くことはないかもしれないと思うと、飛行機でただ隣に座っていることさえも特別に思えてきて、笑って過ごす当たり前のこと一つひとつが鮮やかに感じました。終わりを認めるとエネルギーが湧いてきて、より丁寧に生きることができるんですね。死を意識すると生が力強く浮かび上がってくるこの感覚を日ごろから意識したいものです。どんなことも森羅万象の一部であって、あらゆる変化も美しい自然現象。そして、破壊と創造は同じことで、宇宙から見たらすべてが祝福に値すること。愛していた人からきもちが離れることそれすらも宇宙に溶け込む自然なこと。それを隠したり嘘をついたりして無理をする必要は1ミリもないのではないかと思うようになりました。大切な前夫と別れたことで得られた、従来の二元論を超えた先に見えてきた善も悪もない感覚。離婚という破壊を通して意識が大きく開いた感覚があります。破壊と創造、終わりと始まり、死と生は同じであることをいま体感しています。離婚記念旅行で訪れたマレーシアのランカウイ島最後に素敵な思い出がたくさんつくれて本当によかった!

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  • 15 Sep
    • 旅立ちのトキ~母の家という子宮から生まれ直す~

      スーパーミラクルなことが起きて、再出発の地は沖縄に決まりました!その奇跡とは…今年7月に沖縄でオフグリッドのお話し会を開催していただいたときのこと。美しい湧き水が湧いている場所に連れて行っていただきました。その湧き水を飲んだ時に自分の細胞ひとつひとつと融合するような心地よい感覚があったり、衝動を抑えきれず思わず服のまま水の中に入ってしまったりと(着替えを持ってなかったからそのあとが大変だった!笑)、一発でほれ込んだ湧水地。ああこのお水と共に暮らせたらどんなに幸せだろう、とあれから2ヶ月のあいだずっとずっと考えていたのでした。9月に入ってすぐのこと。さあそろそろお家を出発しないとなと思い、とある晩に前夫に宣言しました。「わたし、このお家を卒業するね。沖縄に住みたいなと思ってるから、来月一ヶ月間だけ試しに住んでみようと思うの。短期間住める場所を探し始めてみる!」翌朝のこと。facebookを開いたら、沖縄で出逢った方の投稿が一番最初に出てきました。それはなんと!!!!お友だちが10月のあいだだけ家を空けるそうで、そのあいだ家を使いたい人を募集していますなななななんというミラクル!興奮のあまり震える身体を抑えながらさっそく問い合わせみたところ、なんとあの湧水地から歩いて10分のところであることが判明!まさに願い通り!心ひとつさえ決まれば物事はすぐ動くものですね。宇宙ってちゃんと見てるよなあとつくづく感じた出来事でした。さて、わたしが離婚を最初に決意したきっかけは、自分が満たされていないことに気づいたことです。昨年4月に潜在意識にアクセスするワークを受けたときに記憶の扉が開いてしまい、愛に恵まれなかった家族環境の中で体験した色々な思い出がわっと蘇り、人目もはばからず大声でわんわん泣いてしまうということが起きました。そのときに、満たされてないゆえにエネルギーが枯渇していて、立っているのもやっとの状態であることがよくわかったのです。自分が空っぽの状態なのに自分以外の人をお世話したり幸せにしようとして苦しかったということに気づき、満たし直しが必要急務であることを痛感します。まずは自分で自分をしっかり満たしてあげない限り、このままではどんどん疲弊してしまう…。一から自分を満たし直そう!そのためには一旦一人になろう!自分をとことん許してあげて、やりたいことさせてあげて、誰よりもわたしがわたしの味方になってあげよう!家族から愛がもらえなかったなら、自分で自分をしっかり愛してあげよう!と揺るぎないきもちが生まれました。そして、この確固たるきもちを夫に泣きながら正直に伝えたことを始まりとして今日に至ります。母とは幼少期からうまく関係が築けず、思春期を迎えた中学生のときに爆発。高校生のときは一緒に食事をすることもしなくなり、母娘関係に疲れて17歳のときに自殺しようとまで考えました。結婚式では親への手紙も読まなかったほど。そのくらい確執は長く続いてきました。母はいつも不機嫌で、基本的に怒った反応しか返ってこない人。幼いころからとても怖くて苦手でした。会社の経営で忙しかった父はあまり家にいなかったので、その寂しさと子ども三人を一人で育てる苦労でいっぱいいっぱいだったのだと思います。出て行け!が口癖の母。よく玄関の外に出されました。「ここはわたしの家だ。あんたはただの居候だ」と言われたこともありました。勝手に生んでおいて居候扱いするなんてヒドイな…と思ったものです。中学校三年生の15歳のときは、母を怒らせてしまったことで今すぐ出て行けと追い出され、仕方なく夜遅くに家を出ていくこととなり、その時に見知らぬ男性につかまってしまうという悲しい出来事もありました。母が出て行けと言わなければこんなことにならないで済んだのにと心のどこかで感じながらも、そのことを誰にも言えず一滴の涙を流さないまま大人になりました。わたしにとって母はどこまでも苦しめてくる存在。家という空間で支配的だった彼女を金棒を持った鬼のように感じ、その鬼が住む館でいつも脅えていて居場所がありませんでした。余談ですが、わたしは小学生のときに座骨が変形し始めて、10代で座骨神経痛に悩まされ始めます。一昨年にリフレクソロジーを受けて足を見てもらったときに、「座骨神経痛を持ってますね。居場所がなくて、座る場所がなくて、どこに座ったらいいのかわからなくてずっと戸惑っていた人生だったことが足から伝わってきます。お家に居場所がなかったんですね。でも、帰る場所はひとつですよ。あなたのお母さんですよ。」と言われてビックリしたことがありました。母を許せるようになること、そして愛せるようになること。これはわたしの人生の大きなテーマ。いままでバッチフラワーレメディやホメオパシーを学んで自分に使ったりヒプノセラピーなど色々なセラピーを受けてみたりして、その都度少しずつ傷が癒える感覚を得てきましたが、母と距離が近くなったりまた遠ざかったりの一進一退の繰り返し。それが今年7月に起きたある事件をきっかけに、母をまるごと許し受け入れることができるようになりました!そして、母も一変して優しい人に変身したのです!(この話はまた改めて書きたいと思います)家から出て自立していること、家族に頼らないこと、自分でなんでもできること。必死の思いで今まで生きてきた人生。親という一番頼りたい存在に頼ることを許されなかった人生。それが、母への抵抗や壁がなくなったことでハートがオープンになり始め、少しだけ甘えることができるようになってきました。これは大きな変化です。昨日のこと。沖縄行きの話を電話越しで報告して、沖縄に旅立つまでの少しのあいだ母の家で住ませてもらえないかお願いしてみると、二つ返事でいいよと言ってくれたのです。母はこう言いました。「ここはあなたの家よ。ホームよ。いつだって帰ってきていいのよ。部屋は余っているから好きに使えばいいわ。沖縄から帰ってきたらしばらくここに住んでもいいし、どかかまた旅立ったとしても好きなときにいつでも帰ってきなさい。」でも、母と暮らすことには不安がいっぱい。また喧嘩してしまうかもしれないし、また険悪な関係になってしまうかもしれない…。その不安なきもちを正直に伝えるとこのような言葉が返ってきました。「もしまたぶつかりそうになっても、お互い話し合ったり歩み寄ったりすれば回避できるわよ。お母さんももうすぐ70歳だし、歳をとって丸くなったから、前みたいにあなたのことを怒ったりしないわ。高校生のときみたいな悪いチカちゃんが出たとしても、何も言わず怒らずただ見ていてあげるから。だから安心して帰っておいで。」「出て行け」と言われる度に傷ついてきた人生。居場所がなくて彷徨い続けた人生。その母に「帰っておいで」「この家に居ていいよ」とやっと言われることができた安堵感と、「どんなあなたでもいい」という無条件の愛に初めて包まれた幸福感で涙があふれかえり、電話越しに泣きじゃくったのでした。声にならない声で「ありがとう。ありがとう。ありがとう」と繰り返すわたし。泣く娘を電話越しに見守りながら、母は最後にこう言いました。「離婚をするってね、結婚するよりも何十倍もエネルギーを使うのよ。あなたは今とても疲れてるはず。傷ついた心を一旦休ませてあげなさい。ここで充電してから新たな人生を始めればいいじゃない。」この言葉を聞いて涙が止まりませんでした。母との確執は一生かかっても解決できないとあきらめた時期もありました。死んだときにお葬式にいけたら自分を褒めてあげようくらいに思ったこともあります。でも、関係性がこんなに変わり、いま母娘のやり直しを二人で真剣に取り組めています。とても時間がかかってしまったけれど、二人が生きているあいだに間に合ってよかったと思います。この経験を通して、人生って一瞬一瞬に生まれ直せるチャンスを与えられている超ラッキーな時間なんだと最近考えるようになりました。心ひとつでいつでも生まれ変わることができるし、それを選択するかしないかは本人の意志次第。ものすごくシンプルですよね。いつだって自分がイイと思うことを選択し続けて生きていたいものです。諦めるなんてモッタイナイ!最近お友だちがシェアしていた最新の遺伝子研究についての記事がとても興味深かったのですが、遺伝子は良いものと悪いものが一組のセットになっていて、それが常に変化し続けていることが分かったとのこと。しかもその変化は人間の心によって起こるそう。つまり設計図は確かにそこにあるけれど、それは生きている間に書き換えることができるということ。これを知ってやっぱりなと思いました。運命は決まっているとか、カルマがどうのこうのとか、生まれてくるときに自分の人生を決めてくるとかよく耳にしますよね。わたし自身そういう考え方にとても影響をうけた時期がありましたが、いまはむしろ疑うようになりました。人の持っているチカラって本当にすごくて、運命だってカルマだって人生設計図だってなんだって、この瞬間に変えることも超えることもできると最近確信しているんです。その鍵を握っているのは〝意志。意志ほどこの宇宙を動かす最強のパワーはナイと思います!ゼロから生まれ直して一から自分を立て直すことを決意して臨んだこの離婚。一番満たす必要があった母の愛というものにいま触れ始めて、わたしの空っぽだった心に少しずつ温かなエネルギーが注がれ始めました。新たな人生のスタートが母の元からというのも、母の家という子宮に戻り母と共に過ごしそこから旅立つというのも、まさに生まれ直し。これまでの34年間はひとつの過去生だと思っています。前世でやりたかったことや味わいたかったことを、これからの新たなな旅路で思いっきりやりつくすつもりです!二回も生んでくれることとなった母にいま心から感謝しています。お話し会が終わり那覇空港までお送りくださった方からいただいた写真とメッセージ「チカさんを送った後に綺麗な虹が空にかかっていました。きっと素敵な出来事の前触れかと思います。お帰りをお待ちしてますね!」

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