チカノミチ


オフグリッドで暮らしてみると
オフグリッドに生きてみると
いままでいた世界がとても窮屈で退屈に感じて
価値観が逆転したり新しい概念が創出されて
この世界が鮮やかな色と無限の空間に変化します


どこまでも自身をグリッドから解放していって
一人の人間として一人の女性として
この世界を思いっきり楽しみ尽くす
それがわたしの生きる道〝チカノミチ〟
  • 11Oct
    • 人間とは、思い込みと勘違いの世界で生きている動物である

      神戸へのお引越しが一週間後に迫ってきました!動くことを決めると、止まっていた過去も動いて流れ始めるようで、離婚して1年半のあいだずっと止まっていた時計の針が動き始めました!今日はそんなオメデタイお話です。※前夫のプライベートな内容が含まれますが、了承を得て書いています■子宮からの不満の叫びを知る先日、都内のクリニックでおなじみの波動測定を受けてきました。かれこれ6年ほどお世話になっているA先生にいつもの様に診てもらうと、「おや?」と子宮の画面で手がストップしました。A先生 「あららら。子宮の調子が悪いですね。エネルギーが落ち切って冷えてますよ。このままだと冬に子宮筋腫ができますね。」チカ 「えー!本当ですか?!」A先生 「うん。子宮筋腫まっしぐら。この感じだと生理不順じゃないかしら?」チカ 「そうなんです!実は、この一年ほど生理がガッタガタで困ってるんです。2~3ヶ月来なかったり、1ヶ月に2回も来ちゃったりで。しかも、前夫と別れてお家を出たその月から生理不順が始まったんです。」A先生 「なるほどね。人間は陰陽バランスで保たれる動物だから、異性のパートナーを失うとバランスが崩れるのよ。チカさんは離婚して一人になったことで人間性はとても深まったけど、逆に女性性は…という感じね。恋をしないとダメよ!恋が何よりの薬よ!恋愛してちょうだい!今、好きな人はいないの?」チカ 「それが全然できなくて…(涙)」A先生 「どのくらいの期間いないの?」チカ 「前夫と別れてからずっとですので、かれこれ1年半以上いません。」A先生 「そんなに長い間?!ちゃんとセッ☆スはしてる?」チカ 「いえいえ!お付き合いしてないので、誰ともしてません!」A先生 「だからこんなに子宮が冷えるのよ!いまは結婚してないんだから、もっと自由に謳歌して楽しんだっていいじゃない!何人とお付き合いしてもいいわけだし、この子宮の状態なら同時に5~6人と関係持ってもイイくらいよ!」チカ 大爆笑!!!!!どうやらわたしの子宮は、すねていじけて冷え切っているようです(笑)子宮の状態から、恋愛に対するブロックがあることを見抜き、新しいパートナーシップに積極的になれない理由を問うA先生。思うまま感じるままにツラツラ話していくと、ある観念に囚われていることが分かったのでした。それは…■自分が先に幸せになってはいけないという思い込み「なんというか、わたしは先に幸せになってはいけない立場だと思ってるんです。前夫は優しさや愛をこれでもかというほど与えてくれていたのに、恩を仇で返すかのように、離婚をお願いして別れてもらった身なわけでして。だから、せめてもの罪償いとして、彼が新しいパートナーと巡り逢って幸せになるのを見届けてから、わたしも次に進もうと思ってるんです。」すると、A先生はこう言います。「じゃあ、なんで別れたの?今のチカさんは心のベクトルも見てる方向も内向きよ。もうお互い別々の道を選択したのだから、それぞれが自分の道を進まないと!自分の幸せをしっかり考えた方がいいわ。」先生のエネルギッシュな言葉に鼓舞されて、なるほど!確かに!と思い直したと同時に、彼への遠慮であったり、傷つけた罪の意識がタガとなって、新たなパートナーシップに進めない自分に改めて気づいたのでした。実は、もし万が一わたしの方が先に好きな人が現れてしまったときは、前夫に許可を得るつもりでいました。「このようなご縁で、このような素敵な人と巡り会うことになりまして、とても大切にしたいと思う人なので、どうかお付き合いをお許しください」と、まるで男性が女性の父親に結婚の許可を乞うかのように、報告をして了承を得るつもり満々でいたのです。〝前夫より先に幸せになってはいけない〟〝彼の許可を得ないと進んではいけない〟。新しいパートナーシップへの期待や希望や夢を口にしながらも、それとは相反する潜在的なブロックでがんじがらめになっていた自分。自分で自分のしあわせを決めることができないなんて、そんなの囚われの身じゃんか!と、こんなに自由に生きることをモットーに破天荒していても、目に見えない〝観念〟というグリッドに縛られている不自由さに驚かされたのでした。■1年半過ぎてやっと知った事実に仰天!これはちゃんと前夫に伝えた方がいいなと思い、先日たまたま食事をすることになったので、全てを打ち明けることに。すると、彼は口をあんぐり開けて、信じられない…というような反応。「許可を得て誰かと付き合うとか、そういうのはおかしいでしょ…」と。(ごもっともであります!)そして、彼から続いた言葉に、こんどはわたしが口をあんぐり開けることに。「いや~、言うつもりなかったんだけど、こんなことを話されたら言うしかないから言うけどさ、あのさ、彼女いるよ、オレ…」え?!えええ?!「しっかりした考えをもったすごくイイ女性なんだ。」なんとー!「しかも、さらに正直に言うと、今の彼女は二人目だよ」え?!えええ?!「チカちゃんが家を出ていった後に出逢った人と付き合ってた。」なんとー!びっくりし過ぎて椅子から転げ落ちそうになったけど、嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。「なんだー!そうだったのねー!」と、喜びいっぱいに肘でつついちゃいました。このこの~!モテ男め~!って(笑)■相手の真実は分からない。だから自分に徹すること!「ひょっとして、わたしがいまのきもちをこうして打ち明けなかったら、彼女がいることをずっと言わなかったつもり?」と聞くと、「うん。だって、いちいち報告するのは変じゃない?俺は俺でやってるから、チカちゃんもチカちゃんで好きなように生きてよ」と。ほ~!こんなドライな人だったのか!と、今まで知らなかった一面を離婚後初めて見ることになりましたが、過去に囚われることなく自然な流れに身を任せながら素敵なご縁をしっかりキャッチして、豊かで楽しい人生を築いている姿が清々しく頼もしく見えたのでした。一方、わたしは知らず知らずのうちに、自分で自分の十字架を作って背負って生きてたんですね。誰かに処されたわけではなくて、自分でわざわざ処していたわけです。しかも、それを「大切な人のためを想ってこの十字架を背負ってます!」と、無意識領域にいる自分が大義名分を掲げて自信満々にやるからすごく厄介なわけでして(汗)このまま自分のブロックに気づかず、事実を知らないままだったら、ずーっとせっせと十字架を作って背負って自分で磔刑に処して、心のゴルゴダの丘で人生を終えて朽ち果てるところでした。(あぶなかったー!)人間は思い込みの動物で、要らぬ十字架を背負いたがる珍しい動物。傷つけた相手は、意外と傷ついていないかもしれない。自分のことを恨んでる憎んでると思っている相手は、意外と自分のこと忘れちゃってるかもしれない。自分が思うほど、相手は自分のことを気にしていないかもしれない。心配している相手は、しあわせに生きているかもしれない。そのくらい相手の真実は誰にも分らないもの。■相手の幸せを願うことは、上から目線で傲慢なのかもそれに、相手を想って気遣って自分がしあわせにならないなんて、そんなの偽善っぽいし、心のどこかで相手を見下しているようにも感じます。あなたはかわいそうな人だからわたしもそれに合わせるわ、みたいな。これってすごく失礼だなと。誰の上にもならず、誰の下にもならない。わたしはわたし、あなたはあなた。わたしにもあなたにも、それぞれ考える頭があって、感じる心があって、決める意志があって、行動する身体がある。相手のしあわせな人生はその人にしか築けないように、自分のしあわせな人生は自分にしか築けない。人のしあわせを願うくらいなら、まず自分がしあわせになること。それが対等で平和でヘルシーな人間関係なんだと、そう体感する貴重な出来事でした!■おめでたい思い込みは〝予祝〟1年半のあいだずっと止まったままの時計の針がやっと動き出した今、このタイミングで新たな地となる神戸に旅立てることを嬉しく思います。そんなルンルンしていた先日のこと。神戸への移住を父に報告したいと思い、会える日を教えてくださいとメールで連絡すると、仰天勘違い返信が届きました。チカへ神戸にお嫁に行くのですか?◎日が空いているので、鎌倉で会いましょう。その前に、どこの誰ですか?事前に少し教えてください。親父よりこのメールを開いたのは電車の中。勘違いにも程があるでしょう!何をどうしたらこんな勘違いできるんだろう?!と、思わず勢いよく吹き出してしまい、周りの乗客を困惑させてしまいました。そして、つくづく人間って思い込みの動物なんだなあと。でも、同時にこのとき思ったんです。なんておめでたい思い込みなんだろう!お父さんイカしてる!最高!って(笑)これは〝予祝〟にも通づるものがあると思うんです。勘違いの世界で生きている人間という動物だからこそ、何を思い込むかが重要なわけで、父の場合はおめでたい思い込みで〝予祝〟に近いもの。かたや、1年半わたしがしてきたのは自分を苦しめる思い込みで、〝予呪〟とも呼べそうなもの(勝手に言葉つくっちゃった!)。どうせなら、重い十字架を背中に負って自分の人生を〝予呪〟するのではなくて、軽やかな大きな羽根を背中につけて〝予祝〟し続ける人生の方がいい!これからはそんなおめでたい人生にしていくんだ。もうすぐ始まる新たな我が人生に幸あれ♪父とよく海遊びをした鎌倉の材木座海岸にて娘の旅立ちを祝福&応援してくれている父に感謝◎お話し会やワークショップのお知らせ◎10月14日(日)ソーラークッキングWSを、横浜のサトウさん家のオフグリッドハウスで開催します!詳細はこちら※現在キャンセル待ちとなっております

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  • 03Oct
    • 損得勘定を超えた先にあるプライスレスな繋がりを!

      神戸での新しい人生の幕開けについて綴った前回の記事。たくさんのたくさんの祝福メッセージをいただきました!こんなにも応援してくださる方々に恵まれた我が人生。なんて幸せ者なのだろう!と感涙寸前になったほど。みなさま、本当にありがとうございます!■針と糸への拒絶感という大きな壁を乗り越えた!もうすぐ始まる初めてのシェアハウス生活。旅生活だったのでモノはとても少ないのですが、入居するお部屋は収納スペースが小さいので、さらにモノを少なくするべく、現在せっせとお片付け中。ひとつひとつ手に取ると、「まだ使って!」という声が聞こえてくるので、これからも大切に使ってあげたいきもちが湧いてきます。モノと会話していると、これをこうしたらもっと使うなとアイディアがポンポン浮かんできて、片付けどころかリメイクに時間を費やすことに。スカートをほどいてテーブルクロスにしたり、ダブルカラーのコートの襟をとってノーカラーコートに変身させたり、ショールをワンピースにしたりと、引っ越し準備そっちのけで朝から晩までミシンと格闘してます。リメイクしたいものは日に日に増える一方で、引っ越しに間に合わない疑惑が浮上してきました(笑)8年ほど使っているピープルツリーのショールをお洋服に変えちゃった~♪しかもミシンを使わずに一針一針チクチク縫った!このブログで綴ってきた、母との確執関係を解いていくプロセス。針と糸を使って目の前の布地に集中している自分と対峙して、ああ、わたしは本当に母とのことを乗り越えたんだなと実感。というのも、裁縫は苦手な母の象徴だからです。父の会社が軌道に乗るまで朝から晩まで内職していた母は、いつも眉間にしわを寄せて黙々とミシンがけをしていました。その姿は話しかけづらく、もの心ついたときから圧を感じる風景。お母さんとお話ししたいな、公園に遊びに行きたいな、お腹すいたな、そんなことを思っても言えず、一人でお人形遊びなどをしている時間は、途方もなく長かったことを覚えています。厳しかったこともあり、不満がどんどん積み重なって、思春期に爆発して、それ以来長いこと深い溝で隔たった関係が続くことになりました。そして、母への反抗心は裁縫への拒絶と直結して、お味噌や梅干しから暮らしで使う電気というエネルギーまで手作りするのに、洋服だけは絶対に作ることをしてきませんでした。離婚を機に自分と向き合って、家族関係を真剣にほどき結び直す作業に集中したこの2年間。母との関係が氷解してくると、不思議なことに裁縫への興味がむくむくと湧いてくるように。針と糸と生地で小さなものをちょっとずつ作れるようになって、そして、今回のリメイクへのただならぬ欲求のおかげで、母に洋服の構造やミシンがけなどを教えてもらって、「裁縫って楽しい!もっともっと色々なもの作りたい!」という喜びを感じるまでに!こんな日が来るなんて思ってもみなかったのでビックリです。自分の心に素直になれば、人生やり直しはいくらでもできるということを体感。といっても、本当に山あり谷ありで、つい先日も取っ組み合い寸前の激しい怒鳴り合い喧嘩が勃発(汗)でも、今までと違うのは、言いたいことを言えた後に、ちゃんと仲直りができるようになったこと。お互いワンワン泣きながら、「ヒドイこと言ってごめんね~!売り言葉に買い言葉で本心じゃないの~!」って、鼻水や涙で顔がぐしょぐしょになりながら許し合うんです(笑)70歳と35歳のイイ歳こいた母娘が、心を裸にして怒って泣いて詫びるその姿は、冷静になるとなかなか笑え、愛おしく思えてきます。■大切なものを譲ることを決めたら、あり得ない感動が待っていた!わたしは丁寧で自然で温かみがあってストーリがあるものが大好きで、そういうものに囲まれた暮らしや人生であることをいつも意識しています。それはお洋服も一緒で、オーガニックやフェアトレードなものを身に着けてきました。そんな大切なお洋服を半分まで減らすことに決めて、最上級レベルのお気に入りを手放すことにしました。うさとの服やピープルツリーなど大切に着ていたものを、大切に着てくださる方を募ってお譲りしようと、手に取りやすい価格にしてfacebookでご案内すると、希望者からたくさんメッセージが押し寄せて、たった20分足らずで全て完売!すると、喜び溢れる感動的な出逢いが待っていたのです。なんと、アメリカのミシガン在住の女性の方からご連絡があり、「大胆ですが、売れていないもの全て譲っていただきたいです。うさとやピープルツリーが好きなのものありますが、チカさんのエネルギーを受け取りたいので♪いかがでしょうか?」と、スーパーgenerousな申し出をいただいたのです!なんて気前良くて潔くて颯爽としていてきもちのよいお方なのだろうと感動&感嘆!そして、「チカさんの文章は力強く確信をついて、直球で魂に響いてきて大好きです」と言ってくださり、ブログから影響を受けてご自身のお母さまとの関係への克服にトライされ、家族によい変化があったことを伝えてくださったのでした。また、別の希望者様からも同じようなメッセージをいただき、母との関係の記事を読んだことがひとつのきっかけとなって、ご自身とがっつり向き合おうとカウンセリングに通い始められたことをご報告してくださいました。「チカさんにメールができて、きもちを伝えられてよかったです」と言ってくださり、お洋服を通してこんなにも温かで感動するコミュニケーションが待っていたなんて!と、胸がいっぱいになって目頭が熱くなってしまいました。実際にお洋服が届いた方からは、「届いたものを出して驚きました!服と共に『ファ〜』とエネルギーが伝わって来て、気持ちもワクワク♫嬉しくて嬉しくて、もうたまりませんでした(笑)」と。みなさまからの想像もしなかった驚きの反応とお言葉に、こちらこそありがとうございます!です。出し惜しみせずに、大好きなもの大切なものを譲ってよかったなと思います。■等価交換ではなくて、もっとハートフルな交換を生み出したい!このブログは読んでるけれどfacebookはしていないという方は、え~!そんなチャンスがあったの~?!と残念に思われたかもしれません。公平にブログでお知らせしようと思ったのですが、洋服のリメイクに没頭しすぎて文章を書く時間とエネルギーが割けられず、事後報告となってしまいました。本当にごめんなさい!ということで、大事にしてきたふたつのものを、旅立ちを祝福してお譲りしたいと思います。ひとつはプラダのポシェットタイプのバッグ。2008年にイタリアのミラノ本店で購入したもので、日本では手に入らない貴重なものです。普段のお出かけからちょっとした華やかな場所へ行くときまで幅広く使えます。紐に少し切れ目が入っていますので、それを受け入れてくださる方にお譲りしたいと思います。(プラダの保存袋も一緒にお付けします)プラダのバッグ縦26㎝ 横24㎝ 奥行き3㎝紐の長さ 62㎝もうひとつは、IENAのトレンチコート。ネイビーの落ち着いた色で、カタチが定番なので流行に左右されずずっと使えます。普段のお出かけ、通学・勤務、パーティなどのちょっとおめかしのときまで幅広く使えます。とてもカジュアルにも上品にも着れる素敵なコートです!IENAのトレンチコート(M)肩から裾まで90㎝肩幅38㎝あまりブランド物は持たないわたしが、大切にしてきたこれらのもの。これから大切に使ってくださる方に、受け取っていただけたら嬉しく思います。そこでなのですが、ちょっとユニークなカタチでのお譲りを考えています。●●円と決まった額を支払って欲しいものを手に入れるのが、現在の社会の〝等価交換〟システムですが、人と人との温かいやりとりの中で生まれるハートの温度で、もっと楽しくモノとおカネが交流できたらいいなと、日頃からよく思うんです。ということで、今回は価格を設定せずに、手に取られた方が「このくらいお支払いしたい」と自然と内側から生まれたきもちの額をお支払いしていただけたらと思います。つまり、いくらでもいいんです。純粋なきもちや温かなハートでお決めください。pay as much as you want!「新しい人生を応援するきもちに替えて」とか「恩送りで」とか、穏やかな優しいきもちで決めていただけたら嬉しいです。損得勘定を超えたところにあるプライスレスな繋がりや世界が創れたら素敵だなと。欲しいなと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひご連絡くださいませ。捨ててしまうことなく、受け取っていただてるだけで本当にありがたいので、お幾らでも全く構いません。今回はどなたとご縁が結ばれるのかな♪楽しみなきもちでお待ちしております!メールはこちらからどうぞmail.greennote@gmail.com(サトウチカ)ファイスブックメッセンジャーはこちらからどうぞhttps://www.facebook.com/chika.sato.511お名前とご希望のお品をお知らせくださいませ。公平に先着順とさせていただきます。旅立ちの祝福として、ステキなものが届きました!フランスのメダイ教会のチャームだそうbon voyage というメッセージと共に

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  • 25Sep
    • 分度器1度分の小さな傾きが、未来の方向を大きく変える!

      9月末に横浜を発つことを宣言して早2ヶ月。ついに決りました!場所は兵庫県神戸の垂水・舞子エリアで、淡路島を結ぶ明石海峡大橋のすぐそばです。いよいよ始まる真実の人生に胸が高鳴ります!今日はそんなお話しです。■神戸・淡路島との不思議なご縁実は、2年前に離婚を決意したころから、ずっと〝神戸・淡路島〟がキーワードで、前夫に不思議なことを言われたこともありました。離婚したあと一体どこに行けばいいのだろうと不安を口にしたとき、う~ん…と目を瞑って考えた夫は、「淡路島が浮かんできた!」と言ったのです(驚)「え?淡路島?知り合い一人もいないよ?」と言うと、「未来のチカちゃんが居るところをイメージしたら最初に神戸が浮かんできて、ここよりもうちょっと先だなあと思って徳島まで見えてきたら、あ、行き過ぎたって思って、そうしたら神戸と徳島のあいだに島が見えて、淡路島だ!ってピンと来たんだ」と。しかも明確なビジョンとして見えたそうです。恐るべし前夫の予知能力!!!それからというものの、いわゆる〝視える〟〝感じる〟人から、「神戸や淡路島の人たちとこれからご縁が結ばれますよ」と言われたり、友人が淡路島に移住することになって、「チカちゃん、淡路島で一緒におもしろいことやろうよ!」と言ってもらえたり。本当に不思議なのですが、この二年ほどのあいだ、お仕事やプライベートで何度も何度も神戸と淡路島に足を運ぶことになりました。いま思えば、このときに向けてチューニングしていたのかもしれません。特に、この一年の旅生活を通して、温かく素敵な方々とのご縁がどんどん広がって、気づいたら10回以上も訪れていたのです!2年前は知り合いも友人も一人もいなかったのに、兵庫を挟んだ岡山や京都・大阪にまで地球家族となる大好きな方々とのご縁がたくさんできて、機が熟して時が満ちて、いよいよこの土地に根を生やす時が来たようです。横浜で生まれ育って、横浜から出たことのない我が人生。横浜以外の場所で生きるということは想像ができなかったけれど、旅をしていたら地球自体が家になって、日本には素晴らしい場所がたくさんあることを知って、横浜を出て別の場所で生きることへの抵抗がゼロになりました。無謀なことを考えて挑戦したけれど、後から振り返ると必要なプロセスだったのだと、今となって分かりました。人生って本当におもしろい!遅くもなく早くもなく、全ては順調に予定通りなのでしょう!■所有や独占から、分かち合いや分け合いの時代へ淡路島で新しい暮らしをスタートさせたかったのですが、それを阻んだのが車。淡路島は電車がないため、島民のみなさまは車生活。かたやわたしは、免許を取得して以来25年間運転をしていない、無事故無違反のピッカピカのゴールド(ペーパー)ドライバー。しかも、化石燃料フリーな暮らしや生き方がスキなので、これからは車じゃなくて馬で移動する時代だ!と本気で考えていて、ブログでも事あるごとにお馬さん生活がしたい!と熱く訴えてきました。(ちなみに馬は道路交通法で軽車両扱いなので、高速道路以外走れます!)ということで、神戸に住みつつバスで島を行ったり来たりしながら、淡路島で馬とご縁を結べるくらい島民の方々と仲良くなって、馬を飼える準備が整ったら移住しようと計画中です!(お馬さんに詳しい方がいらっしゃったら、ぜひお繋ぎください!)このようなわけで、今月初旬に淡路島の玄関口である垂水・舞子周辺でお家探しを始めてみました。すると、不動産屋さんに紹介してもらうお部屋を見学しているうちに、色々な問題に突き当たることで自分の願望に気づくことに…。例えば、これから家電製品を揃えてそれを一人で使うなんてモッタイナイ!というきもち。お隣さんにあるのだから、洗濯機とか借りに行ってしまいそうな自分が目に浮かんできまして(笑)そして、クロスや床から発している化学薬品的な匂いがクッサ~!ということ。実家は珪藻土の壁と無垢材、前夫と住んでいたオフグリッドハウスも漆喰と無垢材。身体にイイお家に住んでいた期間が長かったせいか、シックハウスを誘発しそうな匂いに完全に打ちのめされまして(汗)そしてそして、これから冬を迎えるにあたって、お部屋で一人でエアコン暖房つけて過ごす自分を想像すると、超寂しいというきもちに襲われることに。薪ストーブやペレットストーブの暖かさを知ってしまっているので、それらで暖を取りながら誰かとワイワイしながら温かな冬を過ごしたい!と心底思いまして。そしてそしてそして、ソーラークッキングや家庭菜園など大地や太陽と共にある暮らしが大前提だ!ということ。マンションの一室ではそれがなかなか難しい…。やっぱりこういう時間や空間は、わたしにとって呼吸をするくらい必要不可欠なことなのだと改めて分かったのでした。■想像は創造。イマジネーションはクリエーション。ということで、お家探しをしながら分かった自分にとっての理想の暮らしとはこんな感じ。●家電製品など、みんなでシェアできるものは分かち合う暮らし●淡路島と結ばれている舞子や垂水あたり周辺●漆喰や無垢材などを使ったカラダにいいお家●薪ストーブやペレットストーブがあるお家●ソーラークッキングや家庭菜園ができる庭スペースがあるお家神戸という都会で、しかもアウトレットモールやリゾートホテルが並ぶ海岸沿いで、そんな自然派なお家のシェアハウスなんてさすがにないだろうと思いつつも、妄想は止まりません。毎日裸足で海辺をお散歩しながら、ゆくゆくは移住したい淡路島を眺めちゃって、安心・美味しい空気が吸えるお家で生活できちゃって、ソーラークッキングや家庭菜園もできちゃって、ステキなオーナーやシェアメイトと暖炉的なものを囲みながらワイワイ冬を過ごしちゃって♪そんな暮らしいいな。そんなお家があったらいいな。でも、これだけの条件を全てクリアするお家なんてさすがにないよね。でも、あったらいいなと思いつつ、ネットで探してみたら…あったー!!!!!自分でも本当にビックリなのですが、現れてしまったんです!まさに理想通りの、いや、むしろ理想をさらに超えたシェアハウスが!なんと明石海峡大橋のすぐそばで、お家を探していた駅で、しかも海から徒歩3分!お部屋はこんな感じで自然素材!壁は漆喰!床は国産の無垢材!そして、まさかの、ペレットストーブ!!!(なんてこったー!)しかも、オーナーさんは持続可能な環境や社会について知識が深く、地域やコミュニティへの貢献活動も活発で、超がつくほどステキなお方!農家さんたちとの繋がりから、一ヶ月に一度神戸や淡路島産のオーガニックな野菜を注文できたり、ムソーの自然食品が10%オフで購入できるというありがたすぎる仕組みまで!なんということでしょう!!!■〝自身〟とは〝自神〟なのではないかこんなお家に住んで、こんな暮らしをして、これからこんなことをして、こんな楽しい人生にしちゃうんだ~♪と想像していたら、本当に(というかそれ以上の)ものが目の前に現れてしまいました。どうやら想像力を使って想像以上の創造活動をしてしまったようです!(ウマイ!座布団一枚!笑)このブログを読んでくださってる方は、「え~!また~?!」と思われたかもしれません。昨年の今頃も、沖縄で一ヶ月住んでみるお家を見つけるときに同じような奇跡を起こしましたし、今年の春はニュージーランドに行くときもミラクルを起こしました。でも、今回ふと思ったんです。あ、これって特別なことじゃなくて、未来にただ追いつくだけのことなんだって。未来のわたしは、神戸という土地を選んで、このお家で新たな人生のスタートをすでに楽しく切っていたわけで、同じ自分なんだからそのことを知ってるのは当たり前。「こうなったらいいな」って浮かんでくるものは、未来に同時存在している自分からの「こうなるよ!」の声や画像を受信してるだけなのかもしれないなと。理想とか夢とか希望ってもう叶っちゃってるわけで、それを疑うことなく当たり前のものとして受け取るだけでいいのかもしれません。そのときに未来と現在を結ぶ力となるのが、インスピレーションとイマジネーションなのでしょう。未来から発せられている情報をキャッチするのがインスピレーション。受信した情報にワクワクする感情を上乗せして、現在から未来へと投げ返すのがイマジネーション。この未来からの呼びかけと現在からの投げかけの〝喜びのキャッチボール〟がうまくできていれば、自然とシンクロニシティが起きまくって、あれよあれよと自動操縦のように望んだものが目の前に現れる。ひょっとしたら、お告げとか啓示とか天の声とか奇跡と呼ばれるものって、未来の自分(近い未来から気が遠くなるほどの先の未来まで全ての未来の自分)からの呼びかけで、神さまと思っているものは自分自身なのかなと最近よく考えます。〝自身〟とは〝自神〟のことかもしれません!■分度器1度分の角度をどちらに傾けるかで、未来の方向が決定する直観と本能を働かせて、情熱をもって決意して、勇気を出して行動する。そうすると、人生が面白いくらい回り出すことを、オフグリッドな生き方を始めてから体感しています。結果なんてこだわらなくていい。そんなことを気にして動かなかったら、人生何も味わえずに終わっちゃう。生まれてきた意味や生きている意味は、色々な経験をたくさんたくさん味わうため。だって、経験すればするほど成長して進化するから。それに、慣れてくるとどんな結果でも楽しめるようになってしまうもの。それでも、こんなわたしでも、何かを終わらせるときや始めるときは、不安や心配や緊張だらけです。でも、トキメキやワクワクが少しでも勝っていれば、進路はそっちに進むから大丈夫ということを体得したんです。なんというか、分度器の1度の角度って、分度器の中心点近くではほんの少しの差なんだけど、その先から遠く進めば進むほど角度がついている方向に大きく傾くあのイメージ。マイナスやネガティブなきもちがあってもいい。隠すことも抑えることも気づかないフリもしなくていい。だって、そういうものも含めて自分自身なんだから。よく、ワクワクだけで生きようとか喜びだけで生きようとか聞くけど、そういうのってなんだか違和感を感じてしまって…。正も負もあらゆるきもちを抱きしめながら、最初の一歩だけほんの1度分プラスに傾いていればいいんじゃないのかな。だって、それだけで、その先の未来は勝手にプラスの方向に大きくまっしぐらにのびていくのだから!いよいよ始まる新たな暮らしと真実の人生。迎え入れてくれた神戸・淡路島にありがとう!ここまで育ててくれた横浜にありがとう!今まで出逢ってくださった全てのみなさまに、これから出逢ってくださる全てのみなさまに、ありがとう!ありがとう!ありがとう!いま、ドキドキもワクワクも全部ぜーんぶ受け止めて、ほんの1度分の傾きをうまく使って、未来のしあわせなわたしに会いに出発します!さっそく海辺を裸足でお散歩これが毎日できるなんてしあわせだな~

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  • 26Aug
    • 迷いや葛藤は、新たな扉を開く力強いエネルギー!

      最近、ブログの感想をよくいただきます。「堰を切ったかのように涙が止まりませんでした」とか、「生きる勇気をもらいます」とか、「友人に勧められて読み始めました」とか、様々なありがたい言葉をたくさんいただきます。そんな折、鬱や不倫などの人生相談メールを立て続けに受け取りました。チカさんならどうしますか?チカさんならどっちを選択しますか?チカさんと同じことをしたら人生変わりますか?的なご質問。今日はそんなお話しです。■扉の鍵穴のカタチは、ひとりひとり異なっているオフグリッドのセミナーが終わった後に、「わたしも親との関係でずっと悩んできました。チカさんのように真正面からぶつかっていったら、わたしも親との関係が解消しますか?仲良くなれますか?」と、涙を浮かべながら相談しに来られた方がいらっしゃいました。わたしはその方をギューッとハグしながら、「それは辛かったですね。でも、あなたとわたしは違う人間で、違う人生を歩んでいるので、わたしのようにぶつかっていくことがあなたにも適しているとは限らないと思うんです。ご両親との関係を打破する方法は、あなたの中に答えがあるはずなので、試行錯誤しながらそれを見つけてみてください。」とお答えしたのでした。人間は誰一人として同じ人生を歩みません。育った環境も、出逢った人々も、学んだことも、読んだ本も、就いた仕事も、経験した恋愛やパートナーシップも、1ミリも他の誰かと同じにはなりません。個性も感性も捉え方も何もかも違う一人一人が一つ一つの存在を成しているので、人生を開く新たな扉の鍵と鍵穴もみんな異なるということになります。同じ形をした鍵はこの世界にひとつとして無いからこそ、一人一人の人生が掛け替えのない尊いものだと言えるわけです。今まで綴ってきた記事を読まれた方が、何かの言葉に共鳴して、身体に力が漲ってエネルギーが湧いたなら、それはとても嬉しいことです。でも、それを〝答え〟として取り込むのではなくて、〝エッセンス〟として取り入れていただけたらなと思う次第であります。このブログは、鍵の形ではなくて鍵の探し方や鍵穴へのはめ方を、地球上でたった一人しかいないサトウチカという人間の人生において、体当たりで身体をはって実況中継をしているようなもの(笑)だからこそあくまでも〝チカノミチ〟であって、これが〝アナタノミチ〟であったら、宗教の何ものでもありません!(そんなの絶対にイヤ〜!)先日お会いした女性の友人が、こんなことを言ってくれました。「チカちゃんは、オリジナルメソッドとして体系化して確立して、セミナーとかカウンセリングとか相談セッションをしてお金を稼ぐこともできるのに、あえてやらないところがいいなって思うの。自分をここまでオープンにして、そのやり方を気前よく無料で公開してるところが好きだな~ってね。せせこましい人たちはいっぱいいるし、それに依存してお金浪費しちゃう人も多い世の中なわけでさ。で、そのエゴの無さが結果的に、別のルートを辿ってお金として与えられたり、逆にお金に替えられないような人とのご縁とか奇跡のような出来事としてチカちゃんに還ってきてるように見えるんだよね。」と。これには涙が出そうになるほど胸がジーンとしたのでした。誰もが幸せになるように謳っている「〇〇メソッド」とか「〇〇の法則」とか「〇〇で開運」とか「〇〇学」とか、すごーーーーーくモヤモヤするんです。それって、著者や講師の個人の人生や世界においてうまくいったものでなくて?それを万人に当てはめてしまうってどうなの?そんなに簡単に幸せになれるなら今ごろこの世の中みんなウハウハよね?と。まず、何を持って幸せと言うのかを己に問うてみる必要があります。一人一人幸せの価値観も違えば、その幸せへの道も違うはずなのではないのかなと。■自分ひとりだけの世界を生き切る覚悟を持つそもそも、一人一人眼球が違うということは、はめているレンズが違うわけで、見えている世界が違うということになります。屈折率も色彩感度も動態感覚も奥行きも全て違う。隣に立っていれば似ている景色を見ることになるけど、それでもやっぱり違う。さらに、物事の捉え方や感情の反応パターンも一人一人異なるので、物理的に見えているものだけではなく、心が映し出す観念の世界もこれまた一人一人異なることとなります。つまり、わたしたちは自分だけの世界を生きることしかできない、孤独な動物とも言えるかもしれません。この孤独を寂しいもの悪いものと捉えるのか、自分が自分の世界の創造者であることとして誇りに思えるかで、これまた人生も世界もこの瞬間に変わります。わたしの世界とあなたの世界が違うように、一人一人の世界が違う。つまり、世界は人の数だけ存在する。これに気づくと、相手のことを否定も肯定も何もできなくなります。そして、誰が上で誰が下ということもなくなります。だって無数の世界が同時にただ存在しているだけだから。この境地に至ったら、つまらない人間になりました(笑)なぜなら、「この人の目にはこういう風に世界が映っているんだなあ」「この人はこういう世界観で生きているんだなあ」と超がつくほど冷静に相手を受け入れられるようになってしまったので、相手の言ってることに対して「ふーん、そうなんですね」「へー、そうなんですか」としか返せなくなってしまったのです(笑)最近、自分という人間がすごく味気ない人間になってしまったので、このウルトラ冷静の状態に愛嬌を加えられたら最&強だなと思って、これから少し自分を進化させたいと思ってるところです。例えば、「白いカラスを見たんです」と言われたら、普通の人は「カラスは黒いものです!白いカラスなんていませんよ!」となるわけですが、今のわたしは「ほー。そうですか」と返すことになります。ここをさらにぐっと深めて、「わ~!白いカラスですか!わたしはまだ見たことないです!ぜひ見てみたいです~♪」なんて可愛く返せるようになったら、けっこうイイ感じの人間なんじゃないかと思ったり思わなかったり。■他人に自分の人生を預けた時点でアウト!色々なセミナーを受講しても変わらなくて、次のセミナーこそ!と信じて新たなセミナーを受講してを繰り返す、〝セミナージプシー〟と呼ばれる方々がいらっしゃるそうですが、他人に教えてもらおう決めてもらおうとする依存心が、どんどんその人とその人の世界を切り離しているように感じます。自分の人生の手綱を自分以外の何者かに明け渡した瞬間にアウトですよ!残念、試合終了!だって自分自身の世界を放棄してしまったと同じ事ですから。メールで相談されてくる方々の文面を読むと、人生に悩むことを悪いこととして捉えている印象を受けます。悩んでいることを悩んでいるといいましょうか。辛くて苦しい時こそ、光に向かってエネルギーを蓄えている時なわけで、夜明けが訪れるのを落ち着いて待ちながら、それまでの自分の人生を振り返って、過去とこれから始まる未来を結ぶことを意識されると良いのではないかと思います。鬱を英語にすると〝depression〟と書きますが、そういうときって圧がかかって縮こまっている時期なんですよね。つまり、ゴムボールがギュッと押されて潰されているような状態。その圧を超えて自分を解き放つと、ゴムボールがきもちいいくらいポーンと飛んでいくように、新たなステージへと旅立って行くわけです。新バージョンの自分になる前は、その縮こまりのプロセスがどうしても必要なので、その圧を感じながら味わい切ることが大切なのだと思います。わたしも離婚へときもちが進んでいった2年前は、真っ暗闇の中でぺしゃんこになる寸前まで圧がかかって死にたいほどでした。でも、自分の心に従うこと、直感を信じること、自分の人生は自分で決めることを自分自身と約束して、そのdpressionの時期をひたすら耐えしのぎました。その分、今の世界に飛び出したときの感動は凄かったです!そして、いまはまるで別人となって、新たなこの世界を満喫しながら見える景色を日々堪能してます!今の世の中は、そういう状態を不幸な人生にいると錯覚させて、せっかくの縮こまりプロセスをぶち壊して台無しにしているように見受けられます。それまでの自分を見つめ直し人生を振り返る尊い機会を奪い、エネルギーを蓄える時間を無くし、自分自身で決めて生きていく力を削ぎ落してしまっているのではないかと。一人一人に思考や直観や本能がすでに備わっていて、考える頭も感じる心も行動できる身体も全て与えられているわけです。それらをわざわざ放棄して、他人の言う事を真似た人生にすればするほど、自分の中心から離れてはぐれて自分から嫌われて憎まれて恨まれて、不幸な人生になっていくのではないのでしょうか。だから、会ったこともないわたしのような人間に、ご自身の大切な人生の岐路の選択を委ねないで欲しいのです。生まれた時からいつもあなたと一緒にいるのは紛れもないあなた自身。一番あなたを知っている存在に問いかけて、内なる声に耳を傾けてみてください。■変化とは、化けて別人になってこそ今あなたを揺さぶるその迷いや決断できない葛藤は、新たな扉を開く力強いエネルギー。そのエネルギーがなみなみと蓄えられていくその〝今〟を全身で感じてみてください。そのエネルギーが頂点に達して解き放たれ、あなたが飛び込んでみたかった世界へ飛び立てたそのとき、待っていてくれた世界の鮮やかさと立体感に、心は歓喜で満ちて鳥肌が立つほど感動するはずです。あの暗く重く苦しかったプロセスは、この景色を見るためだったんだ!って思うことでしょう。苦しみも、悲しみも、喜びも、慈しみも、あらゆるものが同列で平等。人生で味わうどんな感情にも善悪はなく、喜怒哀楽全てが必要不可欠。苦しんじゃダメだなんて、楽しいときに笑っちゃダメ、悲しいときに泣いちゃダメって言われているようなもの。苦しいときは思いっきり苦しんでいいんです。でも、それを抜けることも大切。ずっと笑ってたら笑い死にしちゃうし、ずっと息吐き続けたら窒息しちゃうし、ずっと怒ってたら病気になるように、ずっと苦しんでたらおかしくなっちゃいますからね。depressionという圧を感じて感じて感じ切って、ここだ!と思った臨界点で思いっきり自分を羽ばたかせてみてください。そう、ゴムボールがポーンと飛んで行くように、あなた自身が新たな世界へと飛び出すんです。それが〝変化〟というもの。変わって化ける、つまりそれまでの自分と別人になってこそ変化したということ。ちゃんと化けなければ、ただの変(人)で終わっちゃいます(笑)セミの抜け殻を見て、これがあのセミになったの?どうやって?と驚くように、サナギが美しい蝶々になって羽ばたくように、そのくらい自分を変化させる。そのためのプロセスが、迷いや葛藤という貴重な時間。だから大丈夫なんです!あなたの人生という時間をもっと信じてください!そして、あなたが生み出す答えや決断をもっともっともっと愛してください!先日登った筑波山(女体山)の山頂にて足がすくんで岩の上で四つん這いになってしまった(笑)

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  • 15Aug
    • 一瞬一瞬にこの世界の全ての可能性が圧縮されている

      山の中で朝から晩までくたくたになるまで働いて、自然の中で遊んで、思いっきり身体と心を使って過ごす機会に恵まれました。すると、今なんか成長した!と自覚する貴重な瞬間に自分で立ち会うことに。ただいま人生の巻き戻しと早送りを同時に急ピッチで進行中!今日はそんなお話しです。■山で叫びまくって笑い転げたら、抑圧されていたものが出てきた!以前の記事でご紹介したご本、「ぞうきん一枚で人生が輝くそうじ力」。トイレを素手で磨いたら大きな変化が起きたことをお伝えしました。すると、著者の船越耕太さんと翌月にお話し会でお会いできることとなり、お友だちになるという嬉しいご縁を賜ることに。耕太くんは、岡山の山奥にある有名なあの「わら」を経営される船越康弘さんとかおりさんご夫妻のご子息。ちょうど「生活体験」という人気のプログラム(薪を割ったり、木を伐採したり、鶏を解体したり、山で遊んだり、生きるチカラを引き出す内容)の開催を控えていて、今回は大勢の参加者がいらっしゃるとのことで、裏方スタッフとしてお手伝いされませんか?とお声がけをいただくことに。体力が持つか心配はあったもののお引き受けして、主にキッチンでお料理のお手伝いをしたり、洗い片付けをしたり、掃除をしたりと、朝から晩まで休む暇なくこの身を使わせていただきました。「重ね煮」で有名な康弘さんから直接包丁の使い方やお野菜の切り方などを教わると、恐縮過ぎて緊張し過ぎて包丁を持つ手が震える場面も(汗)知識も経験も無いながらも、自分にできることを精一杯させていただいた時間でした。無事に2泊3日のプログラムが終了して、耕太くん兄弟や裏方スタッフのみんなで山に遊びに行って、池に浮かべたイカダに乗ったり、ハイジが乗るような大きなブランコに乗ったり、森の中に張ったワイヤーを滑車で滑り降りていくジップスライダーを楽しんだりしたときのこと。ジップスライダーに乗ったわたしは、「きゃーーーーー!怖い怖い怖い怖い!きゃーーーーー!」と叫んで、その絶叫ぶりにみんな爆笑したとか(あまりのスリルによる興奮のせいで、叫んでいた記憶が全くない!汗)。お兄さんの謙ちゃんに押してもらったハイジのブランコでも、これでもかというほどキャーキャー叫んで笑って大絶叫。こうして童心にかえって無邪気に山の中で叫びたいだけ叫んで、大きな声で笑いたいだけ笑っていたら、ゼロゼロと音を立てて痰がたくさん出てくるという現象が。まるで、今まで抑圧されていたものが堰を切ったかのように出てくるその様を見て、本当は叫んだり大きな声を出したり笑ったりしたかったけれど、ぐっと我慢してきたことに気づいたのでした。厳しかった母は、子どもらしい振る舞いを許してくれず、自由奔放で天真爛漫なわたしはかなり我慢をして大きくなりました。そんな成長過程で溜まっていた感情が粘液にくるまれて出てきた感じで、ものすごくスッキリしたのでした!■時間を巻き戻してリセットして早送りして濃縮させて、ただいま人生やり直し中!このスッキリ感を越えたら、なんだか急に落ち着くことに。やんちゃだった子どもがちょっとお姉さんになったとでもいいましょうか。その成長点スイッチは、山で叫びながら笑い転げて遊びきることだったようです。人生で出来なかったことをし直した感じで、いまは味わい直しをしているんだなあと、改めて実感したのでした。ゼロリセットの必要を感じて全てを手放すことを決意して丸裸になって家を出た昨年は、まさに服を着ていない生まれたての赤ん坊そのもの。たくさんの方々にこれでもかというほど親切に大切にお世話してもらい、何も持っていないわたしに慈悲深い心と何の見返りも求めない無償の愛で接していただいた日々でした。最近は、赤ん坊や幼児期を抜けた少女期にあたるところにいるのかもしれません。思いっきり遊んでみたかった、思いっきり笑ってみたかった。そんな欲求をいま満たし直しているところで、その願いを叶えてくれる温かく優しい人たちが現れて、こうして体験し直させてくれています。たった一年のあいだに、生まれたての赤ん坊から小学校高学年くらいまで一気に成長して、巻き戻し&リセット&早送りを同時進行させたような濃縮したこの時間。そんな今は、笑い方や笑い声が変わったことを一番の変化として感じています。自然と吹き出しちゃったり、お腹抱えて笑ったり、安心しきって微笑んでいたり。ずっと癖になっていた愛想笑いや無理に絞り出す笑いが無くなりました。それは、どんな時でもどんな場所でもありのままの自然体の自分。本来の自分に戻ることは自然に還ることと一緒で、傷だらけになった今の地球が本来の美しい星に戻っていくことと同じなのかもしれません。地球上のひとりひとりが自然なあるべき姿に戻っていったら、地球環境も自と然りと綺麗になっていくのではないかと最近よく考えています。■陰陽を超えて、陰も陽もない世界へ赤ん坊から小学生まで経たとなると、次は思春期のやり直しステージに突入するのでしょう。わたしの思春期は壮絶で、人生で最も辛かった時期。家では、分かり合えない母と激しくぶつかったり、家族と揉めたり、家出を繰り返したり、喧嘩の末に窓ガラス割っちゃったり…。学校では、登校拒否したり、金髪にしたりピアス6個もぶら下げて校則違反したり、遅刻や欠席が学年トップだったり、悪いことして学校から呼び出されたり…。そんな酷いエネルギーだったから、15歳のときに見知らぬ男性に捕まって辱めを受けるという出来事を引き寄せてしまいました。一滴の涙も流さないまま誰にも言えないまま大人になり、無かったこととして長いあいだ記憶に蓋をしていました。自分で自分をコントロールできなくて、突っ張ることや反抗することでしか自分を保つことができなくて、辛くてしんどかったあの頃。でも、今なら分かるんです。その混乱した苦しい世界は、わたしの心の内側が映し出して作っていたということを。そして、悪いことをしたからこそ良いことができて、自分を傷つけたからこそ自分を救うことができるということを。その両極の振れ幅が大きければ大きいほど揺らぎは激しくて大変なのですが、その分エネルギーは高まって可能性や能力も高まる。それは、殺法を活法に変換してしまう感じで、汚い泥水から美しい蓮の花を咲せるのと似ています。わたしの周りでは、過去に家族や社会に迷惑をかけたり自分や他人を傷つけた人が、優しさや知性や行動力を持って世界をよくする活動を喜びながら軽々とされている人がとても多いです。エネルギーを反転させた人の輝きってハンパなくて、そういう人の魅力と無限のパワーにはいつも圧倒されます。光が闇を照らすように、闇が光を照らしているわけで、本当は善も悪もないし、正しさや間違いもない。陰と陽を統合した先にある陰も陽もない世界。これから人類は意識を解放して目覚めさせていって、そこに進んで還っていくのでしょう。■一瞬一瞬に全ての可能性が圧縮されている今こうして人生を順調にやり直して、喜びを生み出して味わい直している現実を目の当たりにすると、これから最高に充実した思春期を経験し直すのだろうなあと、楽しみなきもちになってきます。親やきょうだいのように感じる人たちと出逢って、血縁を超えた幸せな地球ファミリーとワイワイ楽しく過ごすんだろうな。中学校や高校では出逢えなかった、心から尊敬できる恩師のような存在となる人たちに出逢って、学ぶことの楽しさを知るんだろうな。純真なハートがドキドキしてしまうような人と出逢って、初々しくて微笑ましい初恋をするんだろうな。そんなことを想像しては一人でニヤニヤしてます(笑)人生はいつでもやり直せるチャンスに恵まれているんですね。その可能性が圧縮されているのが一瞬一瞬という今この瞬間で、そんな可能性だらけの贅沢なトキの中で人間は生きている。そんな贅沢なわたしたちには、自由意志というこれまた極上の贅沢なギフトを神さまから与えられているわけで、せっかくいただいたその箱を開かずにどこか奥にしまって、誰かがつくった制限された世界の中に閉じこもって飼いならされてしまうなんてもったいない。わたしはこの自由意志という偉大なるギフトに感謝して、死を迎える最後の一瞬まで内なる願いに素直になって、全てが可能であるこの世界を味わい尽くしたいです。それは、地上が天国であり自分の心が楽園であることを思い出すシンプルなこと。いつだってどこだって自分の世界に歓喜と感動を!「わら」で見た感動的な美しい夜明け夏では珍しい雲海を見ることができた!

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  • 21Jul
    • 幸せな人とは、自分のことを笑える人

      いま、新しいエネルギーが洪水のように流れ込んできています!あらゆるものを手放したこの一年の結果、古い息を吐き切って新鮮な空気がド~っと肺に入ってきている感じ。「気が済む」とは「氣が澄む」のことらしいのですが、魂の望むままに自分のやりたいことを気が済むまでやりきったことで、わたしの〝氣〟が澄んできたように感じています。今目の前に現れ始めた、空気が澄んだような軽やかな世界。今日はそんなお話しです。■ストイックなまでに禊いで祓ってみたときのこと離婚をして家を出ることを決意したときに、これからどうやって生きていけばいいんだろう…と大きなハードルが目の前に立ちはだかりました。経済的にも社会的にも心理的にも、女性が夫という存在に頼ることなく生きていくことがどれだけ大変なことかすぐに分かったのです。この社会は、女性が自立して自分らしく生きていくことを許さないように、意図的にデザインされているのではないか?!と本気で疑ったくらい(汗)当時、ある週刊誌のweb版でオフグリッド生活のコラム連載をしていたのですが、お世話になっていた副編集長に離婚することになったことを伝えて、連載を終了させてほしいとお願いしたときのこと。一人の女性に戻って自分自身を見つめ直したいと思っての決断であることを正直にお伝えしたところ、「すごくおもしろい!ぜひコラムをリニューアルして、サトウチカの生き様の内容にチェンジして新たな連載をこれから始めましょう!」と申し出てくださいました。これから経済的に自立していくときだったので、喉から手が出そうなほどの魅力的な申し出。でも、魂の純粋な部分が拒否してくるのがすぐに分かりました。これはゼロリセットを賭けた人生最大ともいえる大きな挑戦。今までの自分をいかに壊して、本来の真実の自分として再生し直すか。既存の依存先を残したら意味がない。ストイック過ぎるかもしれないけれど、甘えと妥協は一切ナシにして、その申し出を断ることにしたのでした。■わたしの頭のネジが少ないのか、それとも、他の人のネジが多すぎるのかはてさてこれからどうやって生きていこう…。普通ならば、就職先を見つけて食べていける仕事を探すことや、明日から住む家を探して引っ越すことを一番先に抑えるでしょう。でも、そんなことはいつでもできることなので最終手段に取っておいて、今のこの状況でしかできないことを楽しんでみたいと思う自分がいました。何もなくなった真っ裸なわたしは今どこまで生きていける力があるのかを見てみたいと思ったのです。そこで、全国でお話し会やソーラークッキングのWSを開きながら、あえて家を持たずに主催者さまのお宅などに泊まらせていただいて生きていく旅生活にチャレンジすることに。1ヶ月できれば大したもんだと始めたら、ご縁がご縁を呼んでバトンリレーされていくかのように、8ヶ月も続けることができたのでした!(ですが、思いのほか旅生活はハードで、のべ4ヶ月も生理がストップするという異例の事態が起きました!汗 その話はコチラ)。今思い返してみると、スゴイことを思いついてスゴイことをやってみたもんだなと思います。その時はもちろん不安はあったもののワクワクの方が勝っていて、人生なんとかなる!と思ってました(今もその精神で生きています)。わたしはあたまのネジが足りないのではないかと時々思うことがあるのですが、わたしのネジが少ないのではなくて、他の人たちがネジを余分にはめすぎてガチガチになっているのではないかと思ったりもします。誤解のないようにお伝えしておきたいのですが、何も考えずに旅生活にチャレンジしたのではありません。ちゃんと意図していたんです。それまでの人生では競争社会で肩肘張って生きていたので、周りがみんな敵やライバルにしか見えなくて、人に甘えたり頼ったりすることが出来なくて、損得勘定を抜きにした純粋な友人というものも居なかった自分。何もなくなって素っ裸の状態で旅に出たら、誰かに助けてもらわないと生きていけないので、そういう状況に追い込んで〝甘えることができる可愛い人間になること〟と〝初めての友だちづくり〟をテーマに掲げていました。そして、結果的に本当にそうなったんです。むしろ、それ以上のことが起きてしまったのです。ホームレスだったのにホームモアになって、帰れるお家がたくさん出来ました。そして、国境を越えて赤道を超えてニュージーランドという国にも新たなご縁が生まれたことには本当に驚きました(そのお話しはコチラ)。血縁を超えた家族が地球レベルで育まれたことや、腹を割って何でも話せる友人がたくさんできたことや、地球自体が家となってあらゆる場所で生きていける自信を得たことは、何にも代えられないかけがえのない人生の宝物。これからも、不安や恐れをありのまま抱きしめて、新しい自分に会いに行くことを続けていきたいです。■人間は心ひとつで、別の現実を選択できる!旅生活では、神様としか思えないほどの心優しい方々にたくさんの施しをいただくことになりました。食事も寝床もお風呂もみなさん快く差し出してくださることはもちろんのこと、その土地の観光名所や秘境やパワースポットなどにお連れくださる方や、お餞別や貴重なお品をくださる方までいらっしゃいました。別れ際は、「応援してます!」「また帰ってきてね!」「次なる土地でも楽しんで!」と、温かな言葉で見送ってくださいました。渡る世間は神ばかりだ!と心底思ったものです。こうして旅の力とそこでのご縁によって、人間嫌いだったわたしは変わっていって、人間アレルギー(苦手な人の中で無理して居ると、くしゃみや鼻水や蕁麻疹が出るというワタシ特有の病 笑)がみごとに治りました。家ナシ旅生活を通してこんな自分になりたい!と強くイメージして一歩を踏み出したら、大きな扉が開かれて予想を遥かに上回る世界が目の前に現れたのです。この経験で、人生とは意志と選択と行動の三つを通して創造されていくものなのだと確信するようになりました。自由意志というリモコン操作と実践・行動という肉体操作で、好きな世界(人生)にジャンプしていく感じ。一年前までのわたしと今のわたしは完全なる別人です。同じ人生が続いているはずなのに、全く別の人となって新たな人生を歩んでいる今の自分を見ると、この世はパラレルワールドになっていることがよくわかります。意志と選択と行動の三位一体で、望む並行現実に見事にスライドできたいま、DNAレベルでも完全に変わったのではないかと本気で思ったり(笑)こんな一年を過ごしているあいだに、わたしの辞書から消えた言葉がひとつあります。それは、〝失敗〟という言葉。失敗とは、純粋な経験に余計な感情と不要な意味を付け加えた加工品ようなものだと分かったのです。人生とはテーマパークで経験とはそのアトラクション。乗ってみたいアトラクションを選んで楽しむのみ。もしコーヒーカップに乗って、ぐるぐる回しまくって酔って吐いちゃったら、それはそれで笑っちゃえばいいわけです。あはは~!回し過ぎた~!って(笑)。それなのに、回すことは馬鹿なことだったとか、酔った自分は情けないとか、そんな風に観念化してしまうから、とたんに〝経験〟が〝失敗〟に転じてしまうわけです。あんなに回すと酔っちゃうんだなってわかったならそれでOKで、それ以上でもそれ以下でもない。人間は観念化して自分を縛ることが大好きなMっ気な動物なので、いかに囚われずにニュートラルにひとつひとつをただそのまま味わうかを意識していたいものです。■自分の中から溢れ出す〝好き〟が魔法の原動力ということで、〝失敗〟という概念が人生から消えてしまった今のわたしは、躊躇するとか遠慮するということがなくなってしまいました。むしろ、やりたいことをしないことの方が、〝失敗〟になってしまう感じ。自分のきもちや衝動や情熱を無視することは、自分で自分を傷つける小さな自殺行為で、命の輝きを曇らせてしまいます。この感覚を得てからは、全身で〝好き〟とか〝したい〟をやり抜くようになって、素直なきもちがそっくりそのまま言葉や行動に瞬時に表れるようになりました。逆もしかりで、〝苦手〟とか〝ヤダ〟にも敏感に反応するようになって、最近はそんな子どものような自分の反応を見るのが面白くて仕方ありません。つい先日、大好きな友人と久しぶりに会って、充実した楽しい時間を過ごしたときのこと。帰りの電車で別れるときに、きもちが抑えられなくなってしまって、電車内でギューッとハグをして、「今日は本当にありがとうございました!愛してますーーーーー!!!!」とか言っちゃって。わたしは電車から降りる立場だったからいいけれど、車内に残された彼女はきっと恥ずかしかっただろうな…と(笑)好きな人に好きと言えるその瞬間がいまここに与えられているのに、みすみす逃すなんてとても出来なくなってしまいました。好きな人に好きと言えることほど幸せなことはないでしょう。愛している人に「愛してる」と伝えられる口がせっかくあるのに言わないなんてもったいない。愛している人を抱きしめられる腕がせっかくあるのに抱き寄せないなんてもったいない。恥ずかしがって躊躇したり我慢したりしてる暇なんてない。〝好き〟のきもちにただただ素直になって、純粋な意志と勇敢な選択と大胆な行動で、好きな人や物やコトで溢れる楽しい世界をどんどん創っていきたいです。周りにどう見られるかとかは本当にどうでもよくて、いま自分はどう在りたいのか、ただその想いに忠実になるだけ。それは、指一本何にも何処にも触れずに、自分の人生とこの世界をワンダーランドに変えていける方法。本当は一人ひとりがそんな魔法使いのような存在のはず。最高にピースフルでエキサイティングなこのチカラを使いまくって、どんどん目の前に現していくつもりです!今まさに始まった真実の人生は、驚きと感動と奇跡の連続になるはず。魔法使い一年生のわたしがこれから繰り広げるホワイトマジックを、多くの方々と一緒に目撃してもらって分かち合っていただけたら嬉しいな♫今年もやってきた、梅の土用干しいい香り〜♪

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  • 08Jul
    • 結婚指輪を天に還して、永遠に自分を愛することを誓う

      生まれ育った横浜を発つのを9月に決めました!といっても、新しく根を下ろす場所はまだ見つかっていません。でも、運命とは心を決めたら動き出すもの。きっと奇跡と呼べるようなたくさんの導きに恵まれて、その頃には全てが整っているのだと信じています。ということで、あと2ヶ月と時間も迫ってきているので、今のうちに更にモノを捨てて身軽に動けるようにしておこうと、持ち物の整理に取り掛かることにしました。といっても、旅生活だったのでそもそもモノが最小限すぎて、もう捨てるものもなかったのですが、ひとつしっかり葬らないとならないものが出てきました。それは、結婚指輪。今日は、そのお話しです。■太陽も祝福した結婚指輪を還すセレモニー前夫に連絡して相談した結果、指輪の最後をしっかりふたりで見届けようということになりました。何かよい方法がないか調べてみると、神社にお願いしてお焚き上げをしてもらうことが一般的(?)な模様。しかしながら、火で燃やされてそのあとどうされてしまうのかも分からないのは不安なので、できれば自然に還したいというきもちになりました。偉大なる自然の浄化力と還元力に委ねたいと思ったのです。そこで、海に還すことに決定。金なので環境負荷はかからないことと、小さなものなので不法投棄にもならないということで、母なる海にお願いして返還させていただくことに。場所はよく遊びに出かけた鎌倉の材木座海岸に決定。そして、本日そのセレモニーをおこなってきました!指輪たちよ、ありがとう!豪雨の後とは思えないほど海は澄んでいて、空の青も鮮やかで、風もきもちよくて、最高のコンディション。それぞれが指輪を手にとって、見つめ合って、微笑み合って、「これからしあわせになってね」と伝え合うふたり。そうして海に還す心の準備が整うと、彼が「わ!すごい!見て!」と空を指さして大きな声を上げました。なになに?と思って空を見上げると、なんと日輪!七色の虹が太陽をぐるりと囲んでいて、幻想的で感動的な太陽が照らしてくれているではありませんか!日輪は天からのOKサインと言われているので、このセレモニーを通してふたりがそれぞれの人生へとさらに進むことを、宇宙は祝福してくれているんだと確信して、なんだかとても嬉しくなったのでした。人生で2度目の日輪!輪郭をつくる虹色がとても綺麗だった!「わたしと結婚してくれてありがとう」と彼に感謝のきもちを伝えて、「わたしたちを夫婦にしてくださってありがとうございました」と神さまに感謝を伝えて、「ふたりを見守ってくれてありがとうございました」と指輪にお礼を伝えて、「これからわたしたちはますます幸せな人生を歩んでいきます!」と宣言して、いざ指輪を海へ。不思議なことに、手から離した瞬間に空中に吸い込まれてしまったかのように、音もしぶきも立てずに消えてしまったのでした。こうして無事にセレモニーは終了したのですが、そのあいだずっと日輪が照らしてくれていたのが印象的でした。「今日のこの瞬間にわたしたちの頭上に日輪が出たということは、この区切りを天が祝福してくれているんだろうね!きっとこれからいいことが起こるね!」と、ワクワクしながら帰り道の歩を進めるふたり。彼が、「よーっし!これからしあわせになっちゃうぞ~!」と意気込む姿を見たら、嬉しくてたまりませんでした。神さま、どうかわたしよりも彼をしあわせにしてください。そう心から祈ったのでした。■〝結婚〟ではなくて〝結魂〟をしたいという本音にきづいたとき不和な両親の元で育ち、夫婦や家族というものに良いイメージがなかったわたしは、結婚願望があまりありませんでした。でも、いわゆる結婚適齢期と呼ばれる社会がつくりあげた〝年頃〟を迎えると、周りはどんどん結婚していって、その波に乗らなきゃと焦り始めて、自分の軸がないまま結婚したことをここで告白します(というよりも懺悔させてください)。お互い大切な大好きな人ではありましたが、条件で選んだ人だったことをお互いに認めています。わたしも彼も有名大学を卒業していて、名のある企業に勤めていたいわゆるエリートカップル。結婚することを決めたら、親も友人も「どこの大学出身?」「どこの会社の人?」「年収はどのくらい?」と聞いてくるのが当たり前で、答える度に胸を張って言える相手であることを誇りに感じていました。決して、「どんな素敵な人?」「どんなところを愛しているの?」など聞かれたことはなく、結婚とは生活条件を満たした者同士が周りの承認を得て夫婦になるものだと思い込んでいました。親が納得して、友人たちが羨むような、そんな結婚が良い結婚なのだと、本当にそう信じ切っていたのです。でも、東日本大震災を経験して、お金や肩書きさえあれば幸せというそれまでの価値観がガラガラと崩れて、しかもオフグリッドな暮らしを始めて不自然なものから自然なものへとどんどん繋がり直していくと、わたし自身もどんどん自然で純粋なものへと還っていくようになりました。すると、不自然なものや不純なものに対しての違和感や拒否反応が起こるようになって、そのようなきもちを隠したり自分に嘘をついたりすることができなくなっていったのです。そのひとつが結婚生活でした。社会や誰かがつくった価値観に飼いならされた結婚をしてしまったかもしれない…。確かに法律上は夫婦だけど、本来の夫婦ってもっと純真で野生的なものなのかもしれない…。結婚って何をもって結婚になるんだろう?夫婦って何をもって夫婦と呼ぶんだろう?それまで封じ込まれていたわたしの中の純粋なものが爆発し始めて、それを止めることはもう不可能で、気づいてしまったこのきもちをどうしようもできなくなっていって、葛藤で苦しむことになりました。〝結婚〟ではなくて〝結魂〟をしたい。条件ではなくてハートや魂で伴侶を選びたい。ゼロに戻って女性としての自分を立て直して、本当の結婚ができる人間に自分を生まれ変わらせたい。夫を傷つけてしまうし、周囲の期待を裏切ってしまうし、親や家族を悲しませてしまうけれど、でも、この湧きあがる願いや叫びを無視するなんてできない。もうとっくに30歳を過ぎているし、いまさら再出発なんて遅すぎるかもしれないけれど、でも、後悔してもどんな結果になってもいいから、気づいたこの純粋な自分の一部を守り抜きたい。そう思っての婚姻オフでもありました。■孤独感は自分に嘘をついたときに生まれるもの7年間にわたる結婚生活は、わたしが抱えていた闇と対峙させられる修行期間でもありました。結婚すると、子どもを迎え入れることに対しての大きな抵抗と拒否感に襲われて、心も身体も全くオープンにできない自分を責め続けました。母にされたことを自分の子どもにしてしまったらどうしよう…。そんな想いをする被害者をこれ以上この世に増やしたくない。それなら産まなければいい。そう思って、ずっとずっと避け続けたのです。子どもが好きな夫の願いに応えられないことへの申し訳なさと、女性なのに母性がない自分への落胆とで、毎日が重く辛い日々でした。一方で、それだけ自分を責め続けて悩んで苦しんだということは、心の奥では子どもを授かり育てることをとても望んでいたとも言えます。難ありな家族で生まれ育ち、もの心つく頃から家族が怖い存在で、温かで安心するような家族の愛を感じることがないまま成長したわたし。心が空っぽで枯渇していたことに気づいたのは最近です。自分に対して冷たくて、オープンでなくて、抑圧してばかりで、大嫌いだったから、前夫にも優しくできなかったのだと今となってよく分かります。自分を愛することができないのに相手を愛することなんかできないし、自分が満たされていないのに相手を満たすことなんて無理なのです。でも、そのことがその頃は全く分からなくて、無意識に距離を取ったり、相手から逃げたりの繰り返しでした。そんな状態であったにも関わらず、前夫は7年ものあいだ全身全霊でわたしを見守り続けてくれました。父親、母親、兄、姉、親友、恋人など、あらゆる役を一手に引き受けて、大人になるまでに家族や親愛なる人たちから注がれるはずだったものを、一人で何役もこなして与え続けてくれたように思います。20数年かけて育まれるものをたった7年間でやってのけて、わたしを一人の人間に育てあげてくれたと言えるでしょう。そして、無事に成長したら、「ほら、もう大丈夫だよ。外の世界に行っても怖くないよ。さあ、旅立ってごらん。行ってらっしゃい!」と言わんばかりに、笑顔で送り出してくれたのでした。サプライズでレッドカーペットを敷いて送り出してくれた夫離婚をして1年ちょっと経ちますが、いまは心の底から満たされていて、この人生が愛おしくてたまらなくて、今の自分が大好きです。彼が育ててくれたわたしという存在への尊さであったり、様々な決断をして独り立ちしたことへの誇りであったり。いまは離婚をして恋人もパートナーもいなくてひとりなのに、全く孤独感がないのが不思議です。むしろ、自分に嘘をついて抑圧して無理をして暮らしていたころは孤独感がひどくて、「もう死にたい」なんて言い出すことも度々あって、迷惑や心配をかけてしまっていました。自分と仲良しだったら孤独感なんて生まれないことをいま実感・体感しています。生きているあいだも、死んでも、生まれ変わっても、わたしはわたし。ずーっとわたし。永遠にわたし。魂の長い旅路ずっと共にいるのはこのわたし。だから、わたしはわたしとしっかり手を繋いで、微笑み合って、足並みそろえていたい。いつだって内なる自分の声に素直になって、自分で自分の願いを叶え続けてあげたい。自分に嘘をつけばつくほど自分から嫌われて離れて逸れてしまう。それは潜在的に味わう自身がふたつに引き裂かれてしまうような壮絶な痛み。その痛みを孤独感と呼ぶのでしょう。結婚指輪を還した今日のセレモニーは、わたしはわたしと結婚したことの証になるのかもしれません。ひょっとしたら、日輪はそれを祝福していたのかな。前夫よ、指輪よ、我が人生よ、ありがとう!ありがとう!ありがとう!

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  • 04Jul
    • 一人ひとりが人生のクリエイターでありプロデューサーでありディレクター

      (梅雨が)明けましておめでとうございます!雨の多い6月は、お話し会やソーラークッキングのWSなどを全てお休みにさせていただくことにして早1ヶ月(そのお話はこちら)。お仕事再開初日となる7月1日は、八ヶ岳のやつはさん主催で、滝沢泰平さんとオフグリッドコラボセミナーを開催していただきました!一人でコツコツと3年間続けてきたこの活動。長年尊敬している泰平さんにお招きいただけるなんて、努力が結実するってこういうことだと感涙しそうになりました。八ヶ岳の清らかで豊かな自然の中で、泰平さんを筆頭とする素敵な方々と過ごした楽しい嬉しい夢のような時間。みなさま、ありがとうございました!ショップを併設した新事務所「やつはエコハウス」にて。最新のオフグリッドな建物で、とーっても素敵な空間!■社会がつくりあげた家族に関する常識に囚われないこと前回の記事終わりから始まりへ。海底の船を発って初めて空を見る!では、生まれ育った家族が海底に沈んでいる沈没船だったことに気づいて、もうその船を救おうと格闘するのはやめて、海底を脱出して地上を目指して、辿り着いた地で新しい家族や暮らしや人生を創造していこうと決めたことについて書きました。すると、読んでくださった方々から、このような嬉しいお言葉を頂戴して心がポカポカに。「家族とオフグリッドしてもDNAは続いていきますし、太陽はどこにあっても太陽で、チカちゃんはどこにいてもチカちゃんです。自分らしく生きる選択をスパっと決めるチカちゃんは凄いと思います。身体に気を付けて、益々のご活躍を期待しています!」 by Aさん「チカちゃんのブログを読ませていただいて、わたしが薄々気づきながら見ないようにしてきたことはこういうことだ!と思わされました。正直、わたしも実家の家族とある意味オフグリッドしたいとずっと思ってきたのです。でも、家族だから…そんなことできない…そんなことするわたしは非道な人間だ…というブロックでいっぱいで。。。でも、ブロブを読んで、そうか!わたしもこれが課題なんだ!と改めて思いました。直面化させてくれてありがとうございます!感謝です!」 by Mさん しあわせいっぱいの家族で生まれ育った人にはなかなか分からないかもしれませんが、不和な家族やさまざまな問題を抱えている家庭で育った人間は、それによって人生にかなり大きな影響を受けていて、自分自身を縛り上げている根強いグリッドとなっていることは、わたし自身の経験や多くの方々と関わる中で強く実感しています。そこで苦しむことになるのが、いわゆる社会が作り出している〝常識〟と呼ばれるものと、それらの影響を受けて自らがつくり上げてしまった〝観念〟です。「親は尊敬するものだ」「両親に感謝すべき」「親不孝はしてはいけない」「家族は仲が良いもの」「家族は大切にしなければいけない」など。家族という理由だけで親への感謝を強制・強要されてしまうことは、よくよく考えると暴力的でけっこう危険なこと。他人が言ってくる「感謝しましょう」とか「愛しましょう」って、お節介で余計なお世話な言葉だなと思うことがよくあります(苦笑)感謝はするものではなく勝手に湧きあがるものであって、愛は絞り出すものではなく自然と生まれてくるもの。そもそもないものを無理に生み出そうとしたらゼロからマイナスに進めることになるので、さらに枯渇していってしまいます。それは借金が雪だるまのように大きくなっていく感じ。しかも、感謝を無理強いすればするほど、本来の自分から遠ざかって心は捻じれてしまい、その捻じれをほどくための作業やエネルギーが後々また必要になって、さらに複雑で生きにくい人生になってしまいます。逆に、怒ってもいい、嫌ってもいい、憎んでもいい、愛せなくてもいい、感謝できなくてもいい、そして、捨ててもいい。こういった許しを自分に与えられたとき、心は縛りからほどかれ、命は息を吹き返し、本来の自然な自分に戻っていくことを実感しています。■捨てることを決めたら、どれだけ大切なものかが分かった!囚われから解放されて、生まれた家族とのグリッドを切ることが悪いことではないことが分かって、35年ものあいだ沈没船を必死に掴んでいたその手をやっと離せたら、過去の自分を客観視できるようになりました。そうしたら、あの家族がとても大切だったという、意外な本音に行きついてしまってかなり焦りました(汗)沈没船を掴むことに全エネルギーを注いでいたということは、それだけその船(家)が気がかりだったから。過去の記憶が走馬燈のように蘇えってきて、バラバラになってしまった家族をユニットさせようと、一人で四苦八苦していたことを思い出しました。あれやこれやとがんばっているのに、この家族はどんどん不和になっていくことに落胆して、悲しみがどんどん大きくなって、そのうちに怒りに変わっていって…。人生の半分をこんなに苦しんでもがいて疲弊してきたのに、その理由は単純に大切だったから。それに気づいてしまったら、「嘘でしょう…」と思わず苦笑いしながら一人で呟いてしまいました。家族を好きになれなくて、母を憎んでばかりで、わたしはどれだけダメな人間なんだろうと、いつも自分を責めてきましたが、実は情け深い人間であったことが分かったら、大きな安堵感に包まれて全身から力が抜けてしまったのでした。そこで、家族を愛せなくて苦しんでいる方々に対して、声を大にしてお伝えしたいことがあります。それは、苦しんでいる時点で情けがあって、つまり心がしっかりと働いて命がしっかり燃えていて、それだけ自分を生きているということ。だから、そんな素直で純粋な自分を多いに褒め称えて欲しいということ。愛せないままでいいのです。それを無理に愛そうとしたときに、その心は嘘と欺瞞で汚れ、命は曇り、人生が淀み始めます。だから、感じるままでいいんです。家族のことで悩むか悩まないかはそれぞれの選択であって自由ですが、自分を責める必要は1ミリもないということをお伝えしたいです!わたしはもう悩まない(格闘しない)という選択をすることにしました。この家族はどう頑張ろうとも壊れた海底の沈没船だから手放すのは致し方なし!地上で楽しく生きたいから、この船を脱出して海を越えていこう!いままでありがとう!という感じです。そして、生まれてきてよかった!この人生最高!と思えたときに、両親や家族への感謝が自然と生まれてくるのだと確信しています。それならば、これから自分でそんな楽しい人生にしてしまえばいいわけで、わたしがわたしの人生のクリエイターとなりプロデューサーとなりディレクターとなって、面白い作品をつくっていこうと意気込んでいるところです。自分で自分を喜ばせることができたら、自ずと然りとこの世界のあらゆるものに対して喜びや感謝が湧きあがってくるはず。そんな境地に至る日を夢見て、いざ再出発です!■一気に気が抜けたら、身体も緩んでしまった!やっと家族とオフグリッドできたいまは、沈没船から無事に抜けて海の上でぷかぷか浮きながら、波の流れに身を任せて新天地に運んでもらっている感じです。力はどこにも入っていなくて、むしろ力を入れると波に抵抗しておぼれてしまうので、完全リラックス状態。このハンパないゆるゆる感は人生初の感覚。すると、身体も連動して弛緩してしまったようで、口を開けて寝るようになってしまいました。寝入りばなに、「フガッ」という自分のいびきの音にビックリしてハッと起きたり、朝はヨダレが染みたシーツの冷たさを顔で感じて目が覚めたり(笑)でも、実はこれは素晴らしいこと。というのも、長年ひどい歯ぎしりが続いてきて、この2年のあいだに磨耗して耐えられなくなった歯が3本も欠けてしまっていたのです。それほど寝ても覚めても無意識に力が入っていたこのわたしが、いびきやヨダレが出るくらい緩んで寝てるなんて奇跡なのです!また、余計な力が入っていないと、エネルギーがスムーズに循環するようで、無限の力が湧いてくる感じも今味わってます。3時間くらい歩いても全然疲れないので、この有り余るエネルギーをどう消費しようか悩むくらい。リラックスしているとこんなにパワーが湧いてくるんですね!力めば力むほどエネルギーは滞ってしまうのかもしれません。ただ、残念なことに体格も緩んでしまって、久し振りにお会いした方に「ふくよかになりましたね…」と、太ったことを遠まわしに言われることが最近続いています。あまりの顔の丸さに思わず吹き出してしまった人もいて、さすがにそれは失礼じゃないかと思ってちょっとムッとしてしまったのですが、鏡を見るとわたしも笑ってしまうくらいだから責められません。このパンパンに大きく丸く膨らんだほっぺたはちゃんと元に戻るのだろうか…と、やや心配な今日このごろです。しあわせ太りってこういうことなのかな(意味が違うか 笑)。八ヶ岳とさよならするときにお連れいただいた天女山富士山が空に浮いているみたいで神秘的!あまりの美しさに涙がポロポロ…

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  • 14Jun
    • 終わりから始まりへ。海底の船を発って初めて空を見る!

       今日の4時44分にふたご座新月を迎えました。2年前に離婚を心に強く決めたときに降りてきた、「44」という数字と「終わりは始まり」という言葉(四=死 四=始)。今日は始まりを告げる44のように勝手に感じています。さあ、いよいよ出発だ!と、いま意気込んでいるのですが、その力強い意志が生まれたのは、素手で便器の中を磨いたことがきっかけです(え?!というみなさんの声が今にも聞こえてきそうですね 笑)。今日はそんなお話しです。■〝始まり〟を後押ししてくれる一冊の本と出逢う 昨年5月に離婚をして、9月に家を出て旅生活にチャレンジして、今年1月に母との確執を乗り越えて、4月に突き動かされるようにニュージーランドを訪れて…。この1年のあいだ、ものすごい勢いで人生を早送りして濃縮したような経験をしています。それまでの自分はもはや同じ人生の自分とは思えず、過去生のように思えてくるほどです!参考◎ 旅立ちのトキ~支配欲・所有欲・独占欲を超えていけ~◎ 自分以外の誰かではなく自分自身をしあわせにする覚悟◎ 自分を貫き通したことで現れた、澄み切った生きやすい世界) しかしながら、4月末にお話し会巡業旅から帰ってきて、この1ヶ月のあいだ母の家で過ごしていると、昔の自分に揺り戻されがちで、家族へのやるせない想いからどんどん卑屈になってしまったりと、苦しい時間を過ごしていました。 そんな折、タイムリーにも友人のヤヨイさんから救いとなるようなメッセージが。空間診断士・空間セラピストである船越耕太さんという方にご自宅の空間コンサルをしてもらったそうで、とても素晴らしい方なのでチカさんにお伝えしたいと、ホームページとご本『ぞうきん1枚で人生が輝くそうじ力』を知らせてくださったのです。さっそくホームページを覗いてみると、そこには素手でトイレを洗うことについての記事や動画が載っていて、それを見たら強烈に感動して胸が熱くなって涙がボロボロ。空間や人の心に隠れている部分に光を当てる尊いおしごとに感銘を受けたのでした。(特に感動したのがこちらの記事!) ご本を注文して読んでみると、ただの掃除メソッドではなく、掃除を通して自分の人生やこの命と向き合うことへの勇気を与えてくれるような温かい内容でした。中学生の時からずっと掃除を続けてきたことで得られた人生哲学やその生き様にただただ感嘆。笑ったり泣いたり真剣に頷いたりと心が動く素敵なご本です。ただいま二回目熟読中!見ようとしていなかった汚れや、やりたくないと思っていた場所に、あえて触れる。輝かせる。すると、自分の見ようとしていなかった負の気持ちや、コントロールすることができなかった根っこの部分が一気に反応し、自分が変わり始める。見えない部分の汚れは、現実に対する不安や恐れそのもの。見えないところを輝かせると、見えるところが輝く。見えない部分を輝かせると、自分が幸せになる。(本より抜粋)■素手で便器を洗ったら、過去・現在・未来が手を繋ぎ始めた! もともと掃除は好きで箒や雑巾でほぼ毎日していますが、見えているところばかりを掃除していたことに気づいたので、見えていなかったところを意識して探してキレイにすることに。そこで、ずっと見て見ぬふりをしてきた棚(学生時代のものが化石状態!汗)に着手すると、ぎょえーーーーー!と思うほどホコリが積もりに積もっていたり、棚にモノがへばりついて剥がせなくなっていたり(汗)モノを全て捨てて棚がスッキリして、ホコリや汚れがなくなってピカピカになったら、心も軽やかになったのでした! 掃除にちょっと疲れたので一旦横になろうと思ってお部屋の床にゴロンとしたときに、まるで油汚れが浮くようにいろんな負の記憶が浮いてきて、涙がツーっと頬をつたってきました。この家は16歳から25歳まで過ごした空間で、そのあいだには辛いことがたくさんあって苦しんだ場所。大好きな父が去っていった家でもあり、家族関係に悩んで疲れた末に17歳のときに自殺を一度だけ試みようとした家でもあります。 過去のきもちがリアルに顕在化して現在のわたしと対峙したら、「(自分とこの家に対して)ごめんね」と口からポロっと出てきました。過去に置き去りにされたまま泣いている10代の自分。大嫌いな過去の自分と、今もこの空間に残り続けているそのときのエネルギー。そのことに気づいたら、弔うようなきもちで心を込めて素手で便器を洗ってあげたいと、そんなきもちが自然と湧いてきました。そして、数日前に意を決して便器を素手で洗ってみたのです。 便器の奥の裏にはその人や家族の負の感情が溜まるらしく、それを素手で磨くことに意味があるそうです。ドキドキしながら恐る恐る手を突っ込んでみると、ヌルヌルした底の感触に一瞬ギャー!となって、裏側は尿石でザラザラになっていてヒョエー!となったのですが、心を落ち着かせて指先に意識を集中して磨いていくと、ヌメリがどんどんとれてきゅっきゅっとなってきて、それがきもちよくてしまいにはやめられなくなって、なかなか便器から手を離せなくなってしまいました(笑)ひたすら磨いているときは無心に近くて、ものすごい集中力でした!(とてもきもちいいので、それ以来楽しんで続けてます) 便器を素手洗いしてからは、明らかに〝氣〟の質と流れがよくなって、空間全体が調う感じになりました。あれ?この感覚どこかで最近味わったような?と思ったら、〝中今〟のチカラを使って現在・過去・未来を調えたときと似ていることに気づきました。参考◎わたしたちは過去・現在・未来をつなぐ〝時の結び人〟トイレの裏側に溜まっていた汚れは滞っていた自分の過去そのもので、それを清められたことで過去が動き出し、現在が呼吸をし始め、未来から感謝や祝福の声がきこえてくるような感じ。時間と空間は陰陽の関係ゆえに、このふたつをしっかり調え整えることで、人生の手綱を取り戻せるのかもしれません。■海底の沈没船で窒息して生きていたことに気づく 便器を素手で洗った翌日の朝のこと。その達成感やきもちよい疲労感などいろいろな感覚が混ざり合っているのを味わいながら、布団の中で目を瞑って静かに横になっていると、海の中にいる自分のビジョンが見えてきました。それは、海底に沈没している船の中から両親や姉や兄を必死に引き上げようともがき、その大きな重い船を一人でなんとか海上へと持ち上げようとしている自分の姿。でも、この船は大きすぎて重すぎて1ミリも動かなくて、家族はまったく逃げようとしなくて、わたしひとりが家族や船(家)をなんとかしようともがいています。 このまま海底で人生を終わらせるなんてイヤだ!浮き上がりたい!空気を吸いたい!地上で楽しく生きたい!そう願うものの、家族や船を海底に残して自分だけその場を去ってしあわせになることに罪悪感を感じて、一生懸命みんなを一緒に引き上げようと必死になって暗い海底で格闘しているのでした。 その光景を見て、わたしは沈没した船の中で生きていたことに気づいたんです。いつからか海底の住人になってしまって暗闇の中で生きるようになってしまったけれど、魂は地上の存在をしっかり覚えていて、そこにはしあわせに生きることができるもう一つの世界が用意されていることを、頭ではないもっと違う次元でちゃんと理解している自分。だから、それを目指して浮き上がろうとしたいのだけど、生まれた船(家)だからここを離れてはいけない、ここを愛して一生過ごさなければいけない、家族を捨ててはいけないと思って、その両極のきもちに板挟みになりながら海底沈没船を掴んでいたのでした。 そんなことをするのはもうやめよう!この船を去ろう!わたしはわたしを生きていいんだ!しあわせになってはいけない理由なんてどこにもなかったんだ!生まれた家や家族を離れて生きていいんだ!それは冷酷なことではなかったんだ!わたしの魂が望んでいたことだったんだ!!! 自分にそんな許しを与えられたら涙が溢れてきて、船を掴んでいた手をやっと離すことができました。海面目指してどんどん浮上して、近づくにつれて太陽の光がどんどん強くなってきて、ずっと吸ってみたかった空気の味を想像して胸が高鳴って、いよいよ海面に手が届いて、そして顔をプハーっと出したときのこの感動。ああ、ついに抜けた!待ち焦がれていた海の上!空がある!息ができる!風が吹いてる!波に揺られてる!わたしはいま自由に泳いでる!!!■生まれた家族とオフ・グリッドすることで、海底にも地上にも楽園を創ることができる やっと水面に身体を浮かべることができたいま、ここからは風を信頼して波に全てを委ねようと思います。きっとその風と波は新しく生きていく新天地の場所を知っていて、優しく確実に運んでくれるはず。そこで待っている魂の伴侶や家族や友人や仲間やたくさんの人たちを思い浮かべながら、ただただこの身を宇宙の流れに預けてみようと。これは、暗闇で育った海底人が光と共に生きる地上人になるくらいの大きな大転換。オセロ盤が黒から一気に白へと変わった瞬間です! 生まれ育った家族とのオフ・グリッドは、わたしの人生の最大のテーマなのではないかとずっと感じてきました。それは電線というグリッドを切ることと比べ物にならないくらいはるかにずっと勇気のいること。でも、越えていくこの時がついに訪れたようです。生を受けた家族とオフ・グリッドして、魂が望む血の繋がりを超えたもうひとつの真実の家族とリ・グリッドする時が。 わたしにはもう見えているんです。無事に地上に流れ着いて、その土地の人たちに温かく迎え入れてもらって、笑顔と笑い声に溢れるしあわせな地球家族を創造していることを。そして、その豊かな人生を歩めたときに、生まれて初めて自然と両親への感謝のきもちが生まれて、微笑みながらこうつぶやくことを。「お父さん、お母さん、わたしを生んでくれてありがとう。あなたたちが生んでくれたから、いまこここで家族と楽園を築いてしあわせに生きることができています」と。生まれた環境がどんなものであっても、生きているということはしあわせになっていいという天からの許可の表れ。そういう意味では、親の役目とは産むまでであって、あとは子どもがその魂の願い通りに力強く生きていくものなのかもしれません。 そして、もうひとつ見えている光景があります。それは、海底に沈んでいるあの船が美しい魚たちのすみかとなって、新たな命のパラダイスとなっている様子。わたしと船との格闘がやっと終了したことで海底に穏やかさが訪れて、船は平和な場所となって命を育む場所に生まれかわる。わたしが勇気をもって船を去り、生まれた家族から自分をしっかり切り離すことで、この世にふたつの美しい楽園を創り出すことができるなんて、これからがとても楽しみです!  便器の汚れをこの目で見て受け止めて、この手で触って認識して、素手で磨いて剥がして清めたら、わたしの心にこびりついていた家族を去ることへの罪悪感や躊躇が消えて、旅立つ勇気としあわせになる覚悟が生まれたようです。どうやらトイレ掃除にはものすごい力が秘められていそうです! そんな〝始まり〟を予感させる今日は、奇しくも父の誕生日。プレゼントを買って久しぶりに会いに行ってきました。近い将来横浜を離れるであろうことを伝えると、父は寂しそうな表情を浮かべていましたが、「いい場所が見つかるといいな!」と笑顔で背中を押してくれました。この純粋で力強い意志は未来を現在にぐっと近づけたから、地上の楽園が目の前に現れる日はきっともう近いはず。そんな予感に胸をときめかせながら、いざ出発です!久し振りに晴れた!まるで海の中から太陽を見ているみたい!

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  • 06Jun
    • ずっと輝きつづけない勇気。それが自然な美しさを引き出す。

       梅の木から実がコロコロ落ちてきて、梅干作りのために塩漬けにして梅仕事が完了。梅酢が上がってくるのを毎日眺めながら、今年も梅雨の季節がやってきたなあと、一年が巡ってきたことに感慨深くなります!■晴耕雨読に暮らす・働く・生きる 6月のあいだはお話し会や講演やソーラークッキングWSを全てお休みさせていただくことにしました。おひさまが夏本番に向けて小休憩するこの時期、わたしも一緒に休みたいと自然に思うようになったのです。梅雨のあいだは晴天率が下がるためにソーラークッキングができない可能性も高く、わたしも主催者さまも参加者さまも雨が降らないか当日まで心配します。それならば、「梅雨のあいだはおひさまと共に休業いたします」と、潔く休んでみようと思い立ってそうすることにしました。(開催依頼の問い合わせをくださったみなさま、大変申し訳ございません!) このことを友人に話したら、「すごく素敵!なんていうか〝晴耕雨読〟みたいな感じ?晴れた日はお店を開くけど、雨が降ったら開店しないみたいな!自然と共にあるお仕事って感じがしてナチュラルでいいね!」と言ってもらい、そんな捉え方をしてもらえるなんてすごく嬉しいなあと思いました。 太陽光発電で電力完全自給するオフグリッドな暮らしになると、否応なしにおひさまリズムになって、日々の暮らしは晴耕雨読なものへと変わりました。晴れたら作りたての電気で家電をガンガン動かして家事をして、エコ作で一日に何度もソーラークッキングして楽しんで。逆に、雨が降ったら読書をしたり昼寝をしたりパソコンで仕事の準備をしたり。そんな暮らしをしているうちに、昼間は元気いっぱいに活動するけれれど、日が暮れたら目が開けていられないほどの睡魔に襲われるようになって、幼稚園児なみに20時過ぎには寝るようになってしまいました(笑) そんな身体のリズムになったら、今度は冬が到来すると冬眠モードに入るようにもなりました。おひさまエネルギーが少なくなると、連動してわたしのエネルギーも少なくなって、活動量がグンと減るのです。そんなこともあって、今年の2月はおしごとをせずにがっつり休んだのでした(何かをして得るもの。何もしないで得るもの)。そして、ついには梅雨時期まで休むまでになってしまいました(笑) 休んでばっかじゃないか!とツッコミを入れられそうですが、自然のリズムで生きているうちに、このような働き方に着地することとなりました。というのも、わたしは〝揺らぎ〟をとても大切にするようになったのです。■ずっと輝き咲き続けていたら造花と一緒 これは、電力自給生活を通して「生きること=揺らぐこと」だと体得したからです(揺らぎの中に安定があり、孤独の中に熱力がある)。ずっと同じことをし続けること、ずっとがんばり続けること、ずっと同じエネルギーやリズムを固持すること、それらは固定・一定となって揺らぎがなくなってしまいます。変わらないことや変化しないことは、自然界には存在せず、とても不自然なこと。昼があれば夜がある。暑い夏があれば寒い冬がある。元気な日もあれば疲れている日もある。生もあれば死もある。緩急やアップダウンや動静があることが自然の摂理というものです。 花を美しいと感じるのは、つぼみをつけ、咲き、しぼみ、散るから。その揺らぎや動きの中にある儚さに自然の美が宿っているわけで、ずっと咲いているものは造花であってフェイクなもの。それは人間も同じで、ずっとがんばって咲こうとしたらウソモノの自分に近づいていくことになってしまいます。だから、一日のあいだでも、一週間のあいだでも、一ヶ月のあいだでも、一年のあいだでも、身体や心や考えやあらゆるものが変化することを歓迎するようにして、自分自身が自然の一部として溶け込んでいるようにありたいのです。 以前のわたしは、ずっと輝いていないと人から求められないのではないか、ずっとがんばっていないと評価されないのではないかと、自分を一生懸命奮い立たせてがんばり続けていました。そして、いつも笑っていないと価値がないと思いこむようになって、愛想笑いが癖になってしまい、悲しくても辛くても悔しくても怒っても、嘘をついてにこにこ笑って自分を深く傷つけることを無意識でし続けるようになりました。チカちゃんはいつもがんばってて偉いね!チカちゃんはいつも笑顔で偉いね!そう言ってもらえるように、どんどんウソモノ・フェイク・造花な自分を造り上げていたのです。 でも、それが極限まで到達して限界を超えて、全部ゼロリセットするしか道がなくなって裸になった自分。それはそれはしんどかったですが、でも今は自然なわたしで居られるようになって生きやすくなりました!すると、色々な感情がありのままあらわれるようになったので、素敵な人との関わり合いに心から喜べて、納得いかないことがあったら毅然とした態度で言葉にできるようになって、依存や束縛などをしてくるようだったら思い切って距離をとるようになって、いま目の前にある人間関係に対して自然と湧き上がる気持ちのままに自分が居るようになりました。本音と建前を使い分けるこの社会では歓迎されない在り方かもしれませんが、自然な自分で居ることを貫いていたとき、こんな嬉しいことが起きました!■揺らぎの中にある一瞬一瞬を大切にして生きていたい それは初対面の人たちが20名ほど集まった場でのことでした。その時わたしは疲れが最高に溜まっていて、あまり友好的な態度が取れず、話しかけてこないでください的なオーラを放っていました。疲れていることを隠せないくらいエネルギーが減っていたので、あえて周囲と溶け込まずに、この場にいる人たちと仲良くなれなくても構わないと思って、そのままの自分自身で居続けることを選択しました。 このままここにいるともっと疲れちゃうな…と思って、その場から離れて一人になって、しばらくして戻ってくると、一人の方が話しかけてきました。「純粋なオーラを発していて、ずっと気になって遠くから見てました。あなたと少しお話ししたいです」と。 えええええええええええ?!こんなに不機嫌な態度をとっているのに?!と心底ビックリしたのですが、どうもそれが純粋さを引き出していたようです。無理をして人に合わせない。不快な場所からは逃げる。赤ん坊がイヤな人に抱っこされると泣いて嫌がるように、野生動物が合わない場所には留まらず去るように、感じるままにあるがままに居る姿に、自然な何かを感じたのかもしれません。 その方はわたしのことを知らず、オフ・グリッドという考え方も初めて知ったとのこと。「チカさんは〝ピュア〟という言葉がぴったりきますね。それに、なんというか、〝生き物〟って感じがすごくします。言葉がおかしくてごめんなさい。でも、〝生きている〟と全身から感じるんです」と。 ピュアかどうかはわかりませんが、初対面となる人から、「この人は生きている」と思ってもらえるほど命の躍動感が放たれているなんて、ヤッター!という感じです。これは要するに、感情やエネルギーの揺らぎを自分で止めなかったからだと推測しています。きもちも、身体の調子も、エネルギーも、思考も、自分を構成するあらゆるすべてにおいて、一瞬一瞬揺らいでいる。その揺らぎを大切にしながら、この命を燃やして輝かせて生きていたいと、改めて思ったのでした。 この社会では、嫌だと感じても疲れていてもにこやかに相手に接するのが、よいことでありあるべきことだとされていることでしょう。なので、その場にいた人たちは、わたしの態度を感じ悪いものとして受け止められたと思います。一方で、この人は、疲れていることをありのまま認めてそのときの自分が心地よくいられることを選択した行動や在り方に、〝自然〝や〝ピュア〟や〝命〟を感じられました。ブラック(黒)とクリア(透明)という色は、両方ともすべての色を含んでいる共通点があると聞いたことがあります。どちらも同じ色の構成要素を持っているけれど、色があるかないかで、闇(ブラック)と光(クリア)に分かれるわけです。ということは、ふたつは同質であって、闇と思っているものが光で、光だと思っているものが闇ともなります。事実として言えることは、どちらもこの世界に存在する自然な色であるということ。今回のことは、そんなことを表している出来事のように感じます。おひさまの休憩が終わったらまた会いましょう!※エコ作の販売は継続していますので、購入を希望される方は下記HPよりご注文くださいませhttp://amaterasu.life/【セミナーのお知らせ】「天下泰平ブログ」で有名な滝沢泰平さんとのオフグリッドコラボイベントを、7月1日に八ヶ岳で開催していただくこととなりました!時代の先を走りながら日々の中で実践しているふたりの話が聴ける貴重な場となりますので、ぜひぜひご参加くださいませ詳細やお申し込みはコチラから(ただいま満席でキャンセル待ちとなっております)

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  • 30May
    • 生きている、だから大丈夫。いまここに在る命が〝答え〟そのもの。

       先日、婚姻制度というグリッドからオフして1年を迎えました!国を介した婚姻契約をやめて、法律に基づいたものではなく、もっと自然な人間愛に基づいた関係になりたい。お互いを縛り合い監視するのではなく、自由を与え合いそれぞれが自分自身を生きられるパートナーシップを育みたい。そう思っての大きなチャレンジでした。 1年経ったいま、「籍を抜いて本当によかったね!」と二人で口を揃えて言ってます。社会的には〝離婚〟と呼ばれる悲しいイメージのものなのでしょうが、わたしたちにとってはお互いの大切さにより深くきづくこととなり、どれだけ依存し合っていたかを知るよいきっかけとなりました。そして、〝妻〟や〝夫〟という役割に囚われることがなくなり、一人の人間として自分の時間や暮らしや人生の手綱を握る自立した生き方をいま歩んでいます。 この1年を振り返ると、全ての体験・経験に学びや気づきがあり、それらが人生を豊かにさせてくれています。すべての体験は人生を色鮮やかに輝かせる宝石のようなもので、失敗というものはこの世に存在しないのだと確信するようになりました。都内の素敵なヴィーガンレストランで婚姻オフ1周年をお祝い♪■「きみをしあわせにするよ」なんて言われたら、1万年の恋も冷めてしまうかも… 前夫とはもう夫婦ではないですが、血のつながった親やきょうだいより家族と呼べる大切な存在です。こういう関係を表す言葉がないのがもどかしいなあといつも感じます。今のこの家族スタイルになってから、お互い視野が広がって、それぞれの個性や感性やペースを尊重するようになって、優しく親切になって、以前よりもずっとずっとずっとずっとよい関係になりました。 それまでは、相手が〝夫〟であるからという理由だけで、色々なことを制限したり縛ったりしていたのですが、その〝夫〟というフィルターがなくなって一人の人間として見れるようになったら、求めることも押し付けることもなくなって、「あなたは自由よ。あなたの自由よ」と言えるようになりました。本来、一人ひとりがそういう自由な存在であるはずなのに、〝わたしの夫〟という所有めいた観念に知らず知らずのうちに囚われて、窮屈な世界に押し込んでいたのだと今となってよく分かります。婚姻制度から抜けてみて、客観的に夫婦とはなんぞや家族とはなんぞやと冷静に見れるようになると、この目に映る世界が逆転や変化を起こすのでおもしろいものです。 本当はこういう人だったんだ!と初めて気づくことも多く、ひとつひとつがなんだか新鮮です。新たな分野の勉強を始めたり、一段上の活動に挑戦したりと、自分の興味や関心事に素直になって行動するようになっていて、本人いわく「あのまま結婚して一緒に過ごしていたら、絶対にいまの自分にはなれなかった」と言います。本当にやりたいことに気づくには、人は一度一人になる必要があるのかもしれません。それまでは、すべてをわたしに合わせてくれていた心優しき前夫。行きたいところ、食べたいもの、やりたいこと、色々なことを叶えてくれていました。夫としてできる限り妻をしあわせにしようというきもちゆえに、自分を置き去りにさせてしまっていたのかもしれません。そのプレッシャーがなくなった今、自分の願いのままに自然体に生きれるようになったそうです。これは一番の変化であり一番嬉しいこと。そんないまの人生を、〝自発的人生〟と彼は呼んでいて、すごくいい言葉だなと思います。 もし新たな人と再婚することになったとき、その男性から「きみを必ずしあわせにするよ」なんて言われたら、「それは勘弁してください!絶対にやめてください!」と全力で拒否すると思います(笑)まず何よりもあなたがしあわせになることを最優先して欲しいと伝えるでしょう。そして、「養おうなんて考えないでね」と言うと思います。会社に行く姿を玄関先で見送ることが辛かった日々。決して好きなしごとではないけれど、わたしを養い家のローンを返済するために行かなければならない…。わたしのせいでこの人はそういう毎日を送っているのだと思うと申し訳なくて、自分という存在をこの世から消したくなるような想いを潜在下で味わっていたように思います。誰かのために生きることなく、あなたはあなたを生きて欲しい。これは前夫にもこれから出逢うであろう新たなパートナーにも伝えたい大切な大切なわたしの願いです。■ゼロポイントが生み出すチカラに圧倒される わたしにとってこの離婚は、全てを一旦ゼロリセットする大きな試練でもあり挑戦でもありました。4年前に「東電が我が家にやってきた(汗)」をこのブログで書いたらあっという間に3万シェアを越えて、アメブロランキングで1位を獲得して、様々なメディアからの取材が殺到して、すぐに週刊誌でのコラム連載が始まってと、あれよあれよと有名になっていきました。周りの期待はとても大きく、それに応えたい!とやる気に満ちた自分もいる一方で、心の準備もないまま意図せず表舞台に出ることになって戸惑いを感じる自分もいました。サトウチカという名前が独り歩きをし始めて、周りがイメージするサトウチカ像に自分を合わせていくことにエネルギーを使い始めた頃から、色々なことがおかしくなっていきました。自分以外の何者にも絶対になってはいけないのです。 このままこの家でみんなが望むわたしを演じたまま一生を終えるなんてだめだ。もう降りよう、全部捨てよう、一旦戻ろう。ゼロからスタートして自分が本当に望む人生を歩んで、わたしがわたしを喜ばす生き方に変えよう。周りの期待を裏切ることとなって批判を浴びようが、大切な人たちから嫌われようが、独りぼっちになろうが、もうこれはやらなければいけない限界まで来ているんだ。そう腹をくくって、夫、コラム連載という仕事、家、仲間、イメージなど、経済的にも社会的にも心理的にもわたしを支えていたものを全部手放すこととなりました。それは、自分を縛っている見えうる限りのグリッド全てをオフする挑戦でした。 それは死ぬくらいの恐れを伴うものでしたが、1年経ったいまわたしの前にあるものは、変わらず優しい前夫(以前よりさらにさらにさらに優しい!)、依頼が止まらないお話し会や講演会(前年比4倍!)、「いつでも帰ってきてね」と言ってくださる心優しき人たちの家(ホームレスからホームモアに!)、嘘偽りのない本当のサトウチカ(良くも悪くもありのままに!笑)。捨てたはずが逆に強い繋がりになったり、減るどころか増えることになったり、余計なものがなくなって純粋な形に戻ったりと、不思議なくらい豊かで生きやすくなってしまったのです! そして、オフグリッドを広める活動も消えてなくなることはなく、むしろその考え方や暮らし方や生き方をわたし自身が心底愛していることに改めて気づくことになって、誰かに担ぎ出されて期待を背負ってオフグリッドを広めるのではなく、自らの意志で伝道していける強い人間へと生まれ変わりました。ゼロポイントから生まれるチカラってすごいです!■真理は目の前にある。しかも、堂々と明らかに。 死を覚悟するくらいのきもちで臨んだ婚姻や家や仕事のグリッド・オフは、予想だにしなかった現象を目の前に見せてくれました。必要なグリッドは切ってもやはりまた同じものと繋がること、不必要なグリッドは切ったら消えること、ひとつのグリッドを切ったことで何倍もの無数の繋がりを生み出すことなど。この現象を見て思うことは、「人はそうそう簡単に死なない」ということ。というよりも、生かされるようにできているようです。 持っているものを一旦すべて手放してみたときに、勝手になくなるものはその人生に必要ないものであり、そのまま残り続けるものが必要なものだと明確に分かるようになりました。自分を生かすものや自分にとって大切なものがリアルなものとして認識できると、迷いや不安などの余計な思考を働かせなくて済むことになって、むしろ安心感に満ちて生きやすくなりました。色々なものを手放して限りなくゼロに近づければ近づけるほど、生きることへの安心感が増すなんて、この世界は本当に不思議だなと思います。 オフグリッドに生きていると必然的に自然なものと繋がり直して生きることになるのですが、自然界を見ていてあることに気づきました。それは、草が生えたり花が咲いたりと命が存在しているということは、生きる条件がすべて揃っている状態だということ。アスファルトの割れ目から咲いている雑草はまさにその真実を物語っていて、必用な条件が満たされればもうそこで生きていけるし、勝手に命が与えられて生きていられてしまうことを教えてくれています。つまり、わたしが(あなたが)いまこの瞬間生きている事実こそが、すべての条件が整っているという確固たる証。「いま生きている、だから大丈夫」。このロジックは非論理的かもしれないけれど、これ以上に論理的な説明はない感じです。この世界をもっと信頼してもっと安心して生きていいのだと思います。 このような経験を経て体得したことは、真理は追うな探すな求めるな!です。いまここを生きている。わたしもあなたもあらゆるものが命を持った存在である。もうそれが明確な〝答え〟のように思います。あなたに優しく微笑んでくれる人、緑を輝かせている木や草や花、頬を過ぎていく風、空間や肺を満たしている空気、降り注ぐ太陽の光のシャワーなどなど、いま目の前にあるあらゆる存在がこの世界を構成して現して映し出していて、それ以上のものはどこにもない。だから、見つけなくていいんです。探さなくていいんです。いまここに命がある。もうこれが全て。 この境地に至ってからは、真理について偉そうに話す人に対して、心と耳が自動的にシャットダウンするようになってしまいました(笑)そもそも、肉体など目に見えるものの〝原理〟は言語化できますが、自然などの〝摂理〟になってくると言語化がだんだん難しくなってきます。そして、天然などの目に見えない〝哲理〟にまでになってくると、もうこれは言語化は不可能に近いかなと。そして、〝真理〟とまでいくと、言語を超える域なので説明は無理だと思うのです。その代わりに、いま目の前に在る〝命〟という存在を通して、人が口で説くよりもずっと分かりやすく明瞭に現わしてくれています。ただ在る、ただ存在する。それ以上でもそれ以下でもない。真理を遠くにあるものとして追ったり探したり求めたりすればするほど自分の命やあらゆる存在から離れてしまい、自分自身からはぐれ、世界の中で迷い、人生の迷子となるのではないかと。 真理を説く人たちへの違和感とわたしが感じている真理について親愛なる友人に話したら、まさにそれだ!という言葉を教えてくれました。茶道をされているそのお友だちが、訪れた茶道具展で飾られていた掛け軸の中で見つけたそうです。その言葉をご紹介して、今日の締めくくりにしたいと思います。「露堂々」真理は、実は平凡な万物万象の上に、歴々と明らかに、かつ堂々と露われている(翠巌宗民)逗子の海岸にて海辺で過ごすのがきもちいい季節の到来です!

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  • 03May
    • あらゆることを許可できているとき、あなたはあなたを生きている

      横浜に戻ってきて1週間。今のところ母の家で過ごしています。このブログを読んでくださっている方にお会いすると、「その後お母さまとはどうですか?」とよく聞かれます。今日はあれから起きた色々な面白い変化のお話しです。参考自分以外の誰かではなく自分自身をしあわせにする覚悟■愛されていることを確かめたいがために悪態をつく 母とは劇的に関係がよくなりました。もちろん一緒に居ると腹が立つことやぶつかることもあるのですが、お互いが本音で話せるようになったので、何に怒っているのか、何が気にくわないのか、どうしたいのかなどなど、あらゆることを正直に話して歩み寄ってその都度解決しています。 母とはずっと確執が続いて、可愛い娘になれなくて、悩み苦しんだ人生。なんであんなに悪態をついていたかが、今となってはよくわかります。要するに、愛されていることを確かめたかっただけなのです。こんなに嫌な態度をとっても、こんなに困らせても、役に立たない存在であっても、それでも変わらないでいてくれたら愛されてるはずだと思って、あれこれ試していたんだなと。つまり、相手にとってメリットゼロの存在でもそのまま受け入れてくれるかどうかを確かめることで、自分が愛されていることを確認しようとしていたようです。 なので、母に対しては冷酷でした。話しかけられても無視か気のない返事。お願いされてもやらない。不機嫌につまらなそうに話す。わざと意地悪する。余計な仕事を増やさせるなどなど(ああ!なんて偏屈でねじ曲がった娘だったのでしょう!汗)でも、あの日以来の母は凄かった。どんなに嫌な態度をとっても、怒ったり叱ったり一切しなかったんです。そして、リトルチカちゃんは「こんなわたしでも愛されているかもしれない」と母を信頼し始めていきました。 愛されている実感を持ち始めたら、だんだん心がオープンになっていって、少しずつ可愛くなっていきました。朝起きたら「おはようございます」と言えて、夜寝るときに「おやすみなさい」と言えるようになったことは、自分でも驚いています。これって普通の家庭では当たり前のことかもしれないですが、わたしたち親子では奇跡のようなことなんです。挨拶ができる!会話ができてる!お互い笑ってる!すごい!すごい!すごい!すごーーーーーい!という感じで、まさかこんな日が来るなんて!と感慨深いきもちになります。しあわせの沸点が低い人生って最高です!■あんこ中毒が治った! 一番の大きな変化は、食べ物の変化かもしれません。実はそれまで〝あんこ中毒〟だったことをここで告白します。大福、お団子、お饅頭、どら焼きなどがとにかく好きで、かなりの量を一日でペロリとたいらげていました。寝ても冷めてもあんこのことで頭がいっぱいで、ほぼ毎日和菓子屋さんに通っていたくらい。ケーキやアイスに比べたら身体の負担は少ないはずだから大丈夫と、適当な言い訳をつくって食べ続けたあんこでした。 しかし、母との問題が解決すると、あんこへの欲求がまったく無くなってしまったのです!むしろ甘すぎて受け付けなくなってしまったくらい。逆に、動物食否定派のベジタリアンだったのに、お肉やお魚や卵や乳製品などへの抵抗がなくなって、それらを美味しいと感じるように。久し振りに食べた鶏肉料理は涙が出そうなほど美味しくて、ヨーグルトは感動のあまり400gの大パックを一気に半分くらい食べてしまったほど。 5年ぶりに牛肉を食べた翌日のこと。排便をすると、これは本当に便なのかしら?と思うほど甘く美しく芳醇な香りをしていて、しばしトイレの中で感動にふけりました(笑)そんなカラダからのお便りを受けとって、ずっとお肉を欲していたし求めていたし必要としていたことが分かったのです。長いあいだ要求を無視して禁止し続けてきたことに気づいて、自分自身にごめんねと謝りました。いまは頭ではなくてハートやカラダにきいて食べるものを決めるようにしていて、何を欲しているかをしっかり掴む感覚を取り戻している最中です。■自立とは、自由意志を使いこなせている状態のこと ベジタリアンをやめて3ヶ月ほど経ったのですが、なんだか顔つきが優しくなってきました。そんな矢先にこんなエピソードと出逢いました。ストイックなヴィーガンの奥さまと結婚されていた男性がいて、その奥さまの主張としては「動物肉を食べると性格が荒々しくなるから食べてはいけない」とのこと。家庭の食事でお肉が出されることはなかったそうです。でも、家の中を見渡すと、毎日お肉を食べている愛犬が一番優しくて穏やかで、当のご本人の奥さまはいつもヒステリックでまさに荒々しかったと(笑)  なんであんなにベジタリアン思想に囚われていたかが、母との関係を通してやっと分かりました。それは、自分を縛ることでしか立っていられなかったということ。柱に自分を紐で縛って括り付けることで、立っているように〝見える〟ようにしていたんだなと。その縛りを解いてしまうとその場に崩れてしまうくらい危うい状態だったけれど、母の愛を感じてエネルギーが湧き出てくるようになったことで、自分を支えるための紐が必要なくなったのだと思います。 これはいけない!こうすべき!など禁止や命令に心が動いて従うときは、心の中の何か大切なものがすでに枯渇していて、思考判断能力が機能していないロボット状態なのかもしれません。あれもOK!これもOK!とあらゆるものに許可できているときこそ、自分の意志で選択できるほどしっかり覚醒していて、本当の意味で自立している状態と言えるのかなと考えるようになりました(でも、ベジタリアン食は変わらず大好きで、基本の食事はやっぱりこっちです)。 お肉も美味しい!お野菜も美味しい!なんでも美味しい!あれも食べたい!これも食べたい!それも食べたい!美味しいと感じるものや好きなものが多い方が豊かで平和なように感じます。お肉を食べる人を蔑んだ目で見ていた自分は、なんて偏った物の見方をした愛のない人間だったのだろうと、いま省みています。誰かや何かを否定して自分自身を肯定する生き方はもうおしまい。あらゆるものを許可していって、自分で狭めてしまった世界をもう一度自分のチカラで広げていきたいです。明日は前夫とハンバーガーを食べに行く予定!楽しみです♫木々や太陽の光が美しい季節ついつい見上げて歩いちゃう

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  • 28Apr
    • 自身に内在する男性性が極限まで引き上げられたら〝オンナ〟に戻ってきた

      愛知と京都でお話し会を開催していただき、淡路島と長崎に寄ってから横浜に戻ってきました。今回も多くの方々から親切とおもてなしを賜り、素晴らしい時間を過ごさせていただくことに。出逢ってくださったみなさま、お世話してくださったみなさま、ありがごうございました!5月は関東でお話し会や講演会があるので、しばらく横浜で過ごす予定です。今回の旅は〝女性と男性〟について考えさせられることが多く、旅生活を経て気づいた根源的な願いとリンクすることがあったので、そのお話をしたいと思います。婚姻オフして家を持たずに生きてみたことで見えてきた景色を分かち合えたら嬉しいです。■女性は男性のチカラを借りて輝く愛知県南知多で開かれた『Yagna2018』で登壇させていただきました。ひとつひとつ丁寧につくられるヒマラヤ精油で有名なQUSUYAMA LLC.さん主催のもので、それはそれは素晴らしいイベントでした!美しい音楽が奏でられ、身体によいものが振る舞われ、それぞれの得意で好きなことやものを出店して、知恵や体験を分かち合い繋ぎ合った場。みんな笑顔でリラックスしていて自然体で、言葉にできないほどの幸福感に満ちた時間・空間でした。無事にイベントが終わって、スタッフや協力メンバーの方々とお話しをしていたときに、その幸福感がなんだったのかが分かることに。当日美しい音楽を奏でてくださったギタリストの成川正憲さんがこうおっしゃったのです。「今日のイベントがこんなに良かったのは、女性のみんなが生き生きしていたからだと思いました。その様子を見ていて、女性は微生物だと気づいたんです。男の役割ってその発酵を促す〝場〟や〝環境〟をつくってあげることなのかなと。女性たちがしあわせだと世界は自然と平和になっていくと思いました。」参加者50人の中で男性はたったの5人だけというなか、重いモノを運んでくれたり、看板をサッと作ってくれたり、竹でお皿やお箸をつくってくれたり、願いや望みにどんどん応えて支えてくれた姿が印象的でした。だからこそ女性たちは安心して自分たちを表現できて最高の場になったのかもしれません。自らの存在を喜んで進んで女性に与えていく男性ってステキだなあと思ったのでした。聴いてくださったみなさま、ありがとうございました!話している側のわたしが最後に泣きそうになるほど、素敵な方々との最高の時間となりました!■男性は国生み 女性は神生み愛知を発って京都を経て淡路島に到着した夜のこと。今回もmusubiでお世話になったのですが、夜に宿泊者のみなさまと一緒に話していると、主宰者でもあり高校の同級生でもある龍見亮太くんがこんなことを言ってきて、思わず泣いてしまうことに…。「チカちゃんを見てるとさ、天に動かされてる人だなって思うんだ。チカちゃん自身も、〝この世界がよくなるためにこの身をどうぞお使いください〟って委ねていて、孤独を受け入れてひたすらがんばってるというか。でさ、こんなことをチカちゃんにさせてちゃダメだって思うんだ。女性ってがんばる存在じゃないんだよ。がんばるのはオトコの方だと思うんだよ。この淡路島は男神イザナギと女神イザナミがつくった島で、男性は国生みで女性は神生みという役割が与えられているんだって考えるようになったんだ。女性たちが安心して〝神〟という命を宿して生み出せるように、男たちはその〝国〟となる環境とか場をつくるのが役目なのかなって。だから、もうこれ以上がんばらなくていいように、おれらオトコたちがもっとしっかりしなくちゃいけないなってマジで思うんだ。チカちゃんにはもっと安心して生きて欲しいというか、神生みの喜びを味わって欲しいというか。」この言葉をもらって大粒の涙がボロボロ…。成川さんといい龍見くんといい新しい時代の幕を開ける男性たちが増えていきていることに希望が溢れて、きっともう大丈夫!と安堵のきもちに包まれたのでした。泣きながら思ったのは、これはわたしだけの涙ではないということ。おそらく多くの女性が癒され勇気づけられ安心する言葉なのではないかと。そんな女性たちを代表して泣いていたように感じます。京都で大好きなお友だちと再会して鞍馬山を訪問新緑の光のシャワーがきもちよかった!■旅は男性性を引き出す旅は冒険心を高めて男性性のエネルギーを引き出すようです。男性的なエネルギーは直線的で破壊力があるので、古い自分を打破するには持ってこいでした。離婚して新しい自分に生まれ変わりたいと思っていた頃のわたしにはピッタリだったようです(潜在的に選んでいたのかもしれません)。しかしながら、旅を始めると初潮以来ずっと順調だった生理が止まる事態に(汗)そのくらいまで自身の男性性が高まったら、陰極まって陽転じるように女性性が目覚め始めたようで、根を張れる〝ホーム〟というものへの希求がいま起こり始めています。※生理が遅れるようになった話はコチラ男性的なエネルギーを思いっきり使いながら旅をして動き続けた結果、女性的なエネルギーが脈打ち始めて、「落ち着きたい」「安心したい」という欲求が生まれてきています。(と言いながらも、これからもまだまだ旅をしたい自分もいたりします)■家は〝愛の巣〟で、女性としての喜びを体感する聖所家とオフ・グリッドしてみたことで見えてきたわたしにとっての〝ホーム〟とは、命を創造する安全で神聖な空間ということ。それは〝愛の巣〟という言葉がぴったりで、自分たちの手で作り出す愛の空間。神生みという女性の喜びが叶えられる聖所なのだと思います。そして、庭や菜園という空間がどれほど重要な機能を果たしているかが分かりました。土に触れて、種を蒔いて、育てて、収穫して、お料理して。つねに命と触れ合うこの時間を通して、暮らすことや生きることの根源的な何かと繫がっていられるようです。旅をしているとその時間や場所がなく、枯渇感や空虚なきもちの波に襲われます。いま、庭や菜園が恋しくて恋しくてたまりません。澄んだ空気が吸えて、清らかな水が飲めて、豊かな大地があって、生きることや命を生み出すことになんの不安も疑いもなく安心して暮らせる環境で生きたいな。そこにセルフビルドで家を建てて、お庭でお花やお野菜や果樹を育てて、愛する家族と毎日笑顔で暮らしたいな。そんなことをいま願い始めています(あと馬を飼って車の代わりに移動する暮らしがしたい!)。横浜で生まれて横浜で育って横浜で結婚して横浜から一歩も出たことのなかったこの人生。横浜以外の場所で暮らすなんて考えたこともなかったけれど、旅をして世界が広がった今は地球自体が家になったので、どこでも生きていける自信や決意や強さが芽生えてきました。どこの土地とご縁が結ばれるかな。国内かな?国外かな?夢が叶う土地に導かれるといいな。人生という旅はまだまだ続く…

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  • 15Apr
    • 旅をしていると地球そのものが家になる

      ニュージーランドという国が多くの希望と夢をもたらしてくれることに!というのも、わたしがいま必至に日本でもがきながら取り組んでいることが、もう実現している未来先取りの国だったのです!こうなってくると、日本という箱を飛び出して、海外で新たな人生を創造してみたくなってきました!チカちゃんは千と千尋の神隠しの「坊」みたいと言われたことがあるのですが、その意味がやっと分かってきた今日この頃のお話しです。■ニュージーランドと日本は似ているけれど逆さまの関係?ニュージーランド行きが決定したら、勝手に情報がドンドン舞い込むようになって、どのような国かが分かってくればくるほど、これはわたしが体現したい未来そのものじゃないか!と思うように。面白いことに、日本とは赤道を挟んでちょうど反対側の南半球に位置していて、大きさもほぼ一緒で形もソックリ。同じ島国で四季があってとても似ていることから姉妹国と呼ばれているそうです(全然知らなかった!)。日本と形や面積が似ている!(画像はネットより拝借)でも、起きていることは見事に逆さま。例えば、同じ先進国でも日本は原発をたくさん抱えているけれど、NZは原発ゼロで電気の8割が再生可能な自然エネルギー。日本の出生率は先進国最下位だけど、NZはトップ。日本の労働時間の長さは世界でトップだけど、NZの労働時間は最短レベル(短い時間内で質の高い働き方をしていると聞きました)。他にも、同性愛者婚を先駆的に導入した国であったり、環境保全に力を入れている環境立国だったり、食糧自給率が400%を超えていたり。そして、日本の首相はあの通りですが、NZの首相は37歳の若い女性。しかも妊娠中でそのパートナーとは籍を入れていないのだそう。というのも、NZでは大多数の人が事実婚を選択していて、ひとつ屋根の下で暮らしていれば結婚とみなされるそうです。まさに〝籍〟や〝制度〟に囚われない結婚スタイルであり家族スタイル(苗字も好きな姓を名乗ってよいのだそう!わ~お!)。それをしたくて婚姻制度からオフしたわたしとしては、同じ地球上にすでにこういう国があったのか!と、しびれるほど感銘を受けたのでした。必至にもがいて、必死にこの考えを声や言葉にして、必死に取り組んできた力が抜ける感覚を覚えました。それが当たり前の環境がすでにある。描いている未来の社会がすでにある。体現したい暮らしがすでにある。ああ、こういう環境で暮らしたいな。すでにあるところに身をおいたら、取り組み(という名の闘い?)に使っていたエネルギーをもっと他のことにクリエイティブに使えそうだな。ニュージーランドへの移住という夢がむくむくと大きくなっていきます。と、ここまで下書きを書き終えた数日前に、愛してやまないウェブマガジンgreenz.jpの編集長の鈴木菜央さんとお会いして、ニュージーランドに行ってこのようなことを感じたことをお伝えすると、とても勇気が湧いてくるお話しをしてくれました。NZは今の日本が抱えている問題を既に経験した国で、だからこそ今のリベラルな社会が出来上がったと教えてくれたのです。イギリスの産業革命後の経済成長に伴って環境が破壊に破壊されて、それに声を上げる人たちが増えて環境を大切にする意識が高まっていったことや(地域によっては9割の貴重な原生林が伐られてしまったところもあります)、イギリス流の同姓を強制するような厳格な結婚制度に窮屈さを感じて今のような夫婦や家族スタイルへと変わっていったことなど。日本の経済システムや婚姻システムや教育システムなどさまざまな制度が限界を迎え始めているいま、きっとNZのような過程を経て平和で豊かな国になっていくのではないかと(そのためには市民たちが行動に移していかないとですね!)。なるほどと思うと同時に、今の日本の既存システムに疑問を持って抜けていく我が人生は、自然な流れに乗って未来へと進んでいるのではないかとちょっと嬉しくなったのでした。■日本人の前に地球人だったことを思い出す!電線というグリッドを一本切ってみたことで目の前に現れた自由な世界。それは、今までいた世界が常識や当たり前に囚われた窮屈な社会であったことを教えてくれました。こんなにもがんじがらめに縛られてその網目にからめとられていたのかと気づくようになって、ひとつひとつの問題ありなグリッドを切っていく作業をしてきたこの数年間。意識がどんどん拡大していく感じでした。前夫と離婚するときに、「チカちゃんはもうこの家に収まりきらないでしょ。今のチカちゃんが家を出ていくのは自然なことだと思うよ。たぶん10年後とかは海外にいるんだろうね。日本に収まりきらなくて世界に飛び出した姿が目に浮かぶもん」と言われました。そして、わたしのことをよく理解してくれている大好きなお友だちからも、「チカちゃんは千と千尋の神隠しに出てくる〝坊〟みたいだよね。もうさ、どんどん拡大しちゃって今いるところに収まりきらない感じ!家に収まらなくなって今のチカちゃんがいて、近いうち日本にも収まらなくなって海外に出ていって、そのうち地球にも収まりきらなくなって地球から飛び出しちゃいそう!笑」と言われて笑ったのでした。たしかに日本という国にこだわることはないのかなと、考えるようになってきました。日本人として生まれたからにはここで骨を埋めなくてはならないと思うのもひとつの囚われ。東日本大震災と原発事故を経験して生き方を変えようと決めて、この国をなんとかしなきゃ!わたしが変えてみせる!救ってみせる!というようななんだかおこがましい責任感で走り続けた7年間。それだけ日本を愛しているからこそなのですが、ひょっとしたらこのこだわりと執着が逆に問題解決から遠ざけているかもしれない…と感じるようになってきました。日本というグリッドから自分を解き放ってみたとき、わたしの前にはどのような世界が現れ、何に気づき見落としていたことを拾い上げるんだろう。グリッドを切れば切るほど新たな繋がりが生まれることや、繋がっているべき繋がりは逆に強固になることを知ったいま、日本とわたしの間の関係性はよりよいものとなり、よい結果をもたらすのではないかと。家を持たずに旅をしていたら、地球そのものが家となったような感覚があります。何も持たなければどこでも生きることができる。サトウチカという女性である前に一人の人間であったこと、日本人である前に一人の地球人であったことを思い出すような感じです。元宇宙飛行士の毛利さんは宇宙から地球を見て、「国境はなかった」とおっしゃっています。地球という星に住まう一人の宇宙市民であることを意識していたいです。■箱から飛び出す勇気を持ち続ける多くの人が箱の中で生きていて、その箱を世界だと勘違いしているのかもしれません。箱の中にいることを認めて、その箱から飛び出すことで、見える景色はガラリと変わります。ベクトルの向きは逆になりますが、マトリョーシカみたいな感じなのかなとも思います。これが自分だと思っていた自分の中にはさらにもう一人の自分がいて、その自分に出逢うためには外側の自分を壊さないといけなくて。それを繰り返す度に、閉じ込められていた自分は、奥行きがあって風が抜けて色鮮やかで光に溢れたこんな世界があったことに感動する。そして、その世界の一部が自分であることを知って、さらに感動する。日本は特にイン・ボックスな文化だなと感じます。一つの箱の中でみんなが同じことをやることを強制する社会というか、同調圧力が強いというか、みんなと同じことをしないといけないと思い込んでいるというか…。わたしはサウナがとても苦手で5分も耐えられない人間なのですが、あの蒸し暑い箱の中で「もう出たい」と思ったときに、隣の人が我慢して汗水垂らしている姿を見ると、「わたしももう少し我慢した方がいいかな…」と思ってしまったり、そのサウナから立ち上げってドアを開けて外に出ていくのにちょっと勇気が必用だったりします。そういうときに、「わたしって日本人っぽいなあ」とよく思います(笑)でも、無理してサウナの中に居続けたら、脱水症状を起こして干からびていくし、それでも無理し続けたら死んでしまうわけです。中心に眠っているわたしに辿り着くには、まだまだ相当な量のマトリョーシカを割って開けていかないといけません。でも、外側の自分を割るときの怖さは楽しさに変わり、一段内側で眠っている自分に出逢えることの喜びや感動を知っているいま、どんどん割っていくことへの不安をそれほど感じないことはしあわせだと感じます。そのプロセスでは痛みや恥を伴なうのですが、後になればそれも時間が流れ去らせてくれることもよくわかり、時間というものへの信頼も育まれました。自分の内側へ、さらに内側へ、さらにさらに内側へ。見るべきものはあくまで自分の内面であって、他人ではないということもよく理解できるようになったので、自分と他人を比べることもなくなって今は生きるのがすごく楽です。日本という箱を飛び出すのはいつになるかな。いまはニュージーランドにとても興味があるけれど、そこに導かれるかな。新しい国でソーラークッキングを広めたいな。だって、おひさまはどこの国にも平等にあるから。そして、その国と日本の太陽を結びたいな。2020年までに日本を飛び出すことを目標にしてみよう!ニュージーランドから日本に帰ってきたときに出迎えてくれたおひさま◎お知らせ◎中部・関西方面でオフグリッドのお話し会やソーラークッキングwsが開催されます!この旅で待っている嬉しいご縁や実りある時間を楽しみにしております!■4月16日(月) 愛知県南知多 詳細はこちら■4月19日(木) 京都府京都市 詳細はこちら

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  • 12Apr
    • 世界はこんなにも優しかった!人間アレルギーから人間ラブへ

      〝終わり〟から〝始まり〟へと向かういま、導かれるように訪れることとなったニュージーランド。まさかこんなにもたくさんの有形無形の温かな贈り物を賜るとは思ってもいませんでした。ゼロリセットして生まれ直そうと思って、止まっていた過去の時間から抜けようと覚悟を決めて、今までできなかったことを思いっきりやってみようと奮い立って、色々なものを手放して家を出てスタートした家ナシ旅生活。このニュージーランドでは、最後の転換点を迎えることとなりました!今回はその続きです。■マオリのスピリットが結んでくれたご縁「地球の歩き方」を見てなんだか強烈に魅かれて、絶対にここに行かなきゃ!と思ったロトルアという街(前回の記事はこちら)。そこはオークランドから車で4時間ほどのところで、地熱地帯ともあって地球内部から湧き上がるエネルギーが力強く伝わってくる場所。街中から硫黄の匂いがするスチームがモクモクと噴き出ていて、熱い温泉がそこかしこで湧き出ています。テ・プイアの間欠泉 地球が生きていることを実感!そんなロトルアで嬉しい出逢いがありました。ロトルア湖のほとりで、元フライトアテンダントの美しい日本人の奥さま(50代)と観光バスのドライバーをされていたNZ人の旦那さま(70代)のご夫婦が経営されているB&Bがあるのですが、日本語の観光案内所も兼ねていらっしゃっていて、ロトルアのマオリの文化に触れられるオススメの場所がないか相談しに行ったことがきっかけでした。宿泊先を聞かれてお答えしたら、そこのレストランバーでいつもお酒や食事を楽しんでいらっしゃるとのことで、「よかったら明日の夜ご一緒しませんか」とお誘いくださり、ご夫妻とご友人とホームステイ中のAちゃんと一緒に時間を過ごすことに。お話しをしていると、奥さまはわたしと同じ横浜出身で実家が近く、姉と同じ高校に通われていたことが判明(It's a small world!)。勝手ながら深いご縁を感じてしまったのでした。ロトルア湖にいるブラックスワン 初めて黒鳥を見た!翌日、ご主人がロトルアの秘境的な素晴らしい場所をAちゃんと一緒にご案内くださることに(なんとご友人から車を借りてくださってまで!How generous they are !)。見たことのない美しい滝や、マオリが大切にし続けている湖など、ガイドブックに乗っていない数々のパワースポットにお連れいただき、息を飲むほどの絶景と澄み切った〝氣〟に深く感動!地球の呼吸やその生命力にダイレクトに触れて、言葉を失うほど心が熱くなって魂が揺さぶられて放心状態になるほどでした。なにより、ご夫妻のB&Bでの宿泊客でもなく、出逢って間もないこのわたしに、時間をつくってご案内してくださるその親切さと寛大さに胸がいっぱいに。見たことのない美しい滝 古代の地球にタイムスリップしたみたい!ロトルアに来てからというもの、なんだかマオリのスピリットが出逢うべき人(再会すべき人?)や必要な場所に導いてくれているような気がしてなりません。わたしの前世はマオリだったのではないか?と、ついつい考えてしまったり。というのも、マオリが戦いの前に踊っていたハカという伝統踊を見たときに涙が止まらなくなったり、マオリが大切にしている聖域に連れていってもらえたりすることが、偶然の一言では片づけたくない何かとても尊く貴いきもちにさせてくれます。あの夢で思い出したNZにいる幸福感や、NZに降り立ったときに感じた「戻ってきた!」という安堵感や、水星逆行中とは思えないほどのスムーズさや、奇跡のような出逢いは、きっときっとわたしの魂の粒子とマオリのスピリットが共鳴しているからだわ!と、ロマンチックな妄想が全開。マオリの壁画ワカと呼ばれる細長い舟に乗って海を渡って来たマオリの姿ロトルアをご案内いただいた後はご自宅にお邪魔させていただいて、奥さまの美味しい手作り料理をご馳走に(さらに感動で胸がいっぱいに!!!)。色んなお話に夢中になって出発まであっという間に過ぎた時間。別れ際に、お土産に買ってあったお菓子をお礼に渡そうとしたら、「いえいえ、要らないですよ!NZで買ったおやつでしょう?ぜひご自身で食べてください」とお礼を受け取ろうとすることは一切ありませんでした。むしろ、「一緒に行っていただいてありがとうございました。主人もとても楽しかったようです。ぜひまたロトルアに遊びにいらしてください。お待ちしております」と。見返りを求めることなく与えっぱなしができるその在り方があまりにも素敵で、どうしていいかわからないほど感謝と感動で胸がいっぱいになって、言葉が追い付かなくなってしまって、ただただ「ありがとうございます!ありがとうございます!」としか言えませんでした。ご自宅を後にして空港に向かうバスに乗ったら熱い涙がポロポロ。こんなにも優しくてこんなにも親切な人たちがこの世界に居るというこの事実だけで、これからも生きていけると思ったのでした。ピピという貝で作った奥さまのピピチャウダーとっても美味しかった!■人間嫌いから人間好きへ。貰う側から与える側へ。不和な家庭で生まれて大人への不信感を抱えたまま大きくなって、周りにいる人たちはみんな意地悪でわたしを苦しめる存在だと思い込むようになって、いつしか誰にも頼ることなく自分の力だけで生きていくんだと強がるようになって、そうしているうちに甘えることや助けてもらうことを悪とみなすようになって、気づいたら友人や同僚や関わる人すべての人たちがライバルや敵になっていて、学校や職場は戦場となって登校拒否や転職を繰り返した人生前半(学生時代は部活やサークルにも入らず、社会人になってからは会社の飲み会がある日は仮病を使ってまで休んだこともあったくらい!)。家族にも友人にも同僚にも心を開くことはなく、人付き合いをできるかぎり避けて、でも社会で生きていくためにがんばって好かれようとしてみて、その反動で疲れて結果的に嫌われることをしてしまい人間関係に落ち込んで悩んで…という負のループを繰り返した日々。もったいないエネルギーと時間の使い方をしてきました。過去の自分を振り返ると、本当に屈折した性格で、かなり〝難あり〟な人間だったと心底思います(苦笑)どんどんこの世界が嫌いになって、どんどん人間不信になって、どんどん自分自身が分離していって、気づいたら究極のところまで辿り着いていた自分。もう限界だ…死にたい…でも死ねない…。大好きな前夫にすら、「チカちゃんは誰のことも信用してないよね。俺のことですら信じてないでしょ?」と言われたことがあります。空っぽで枯渇している状態で、息をするのも立っているのもやっとなギリギリの自分であることに気づいたのが33歳のとき。こんな歳になって気づくなんて…と絶望しましたが、それでも人生は続いていくのだからもう迷ってる暇はない!生きながら今までの人生に幕を降ろしてゼロに戻って、自分で自分を満たして生きていく人生に切り替えようと覚悟を決めて、一人に戻ることを夫に泣いて頼んでお願いして1年かけて離婚して、あらゆるものを手放したのが昨年でした。古い自分を破壊して着込んだ鎧を脱ぐために思いついたのが旅生活。こうなったら助けてもらわないと生きていけない状況を自らつくって、人の中に飛び込んで迷惑をかけてでも甘えて頼って、人に生かされる経験をしようと、この重度の人間アレルギーを治すための荒治療に挑みました(無理をして人と会うと、蕁麻疹や鼻水やくしゃみなどのアレルギー症状が本当に出ます!笑)。その意志と意図の通り、寝床や食事やお風呂や仕事やチャンスや楽しいことなどあらゆるものを与えてくださる方々がどんどん現れて、これでもかというほど親切にしていただいて、空っぽだった心に愛が注ぎ込まれて、いまのわたしが生まれることとなりました。そして、これからもずっとずっと大切にしていきたい〝友人〟や〝家族〟と呼べる人たちがたくさんできて、人間関係が多様で立体的で鮮やかになっていって、生きることが楽しくなりました。この世界は本当は優しいのに、辛いことや悲しいことを経験しているうちに世界を見る目が濁って曇ってしまっただけなのかもしれないと、今はそんな風に感じています。あれだけ人間嫌いだったのに、気づいたら人間の深い愛と寛容さにひれ伏したくなるほど、今では人間という存在の偉大さと愛の深さに感動する日々。自分がとっても小さくてちっぽけに思えてきて、与えることを喜びと感じるような大きな器を持った人間になっていきたいといま強く強く強く願っています。わたしはこの一年で本当に変わり、別人になったと自分でも思います。人間とは意志と覚悟と行動でいつでも変われることができ、一瞬一瞬に生まれ変われるチャンスを与えられている存在のようです。人生は可能性しかないワンダーランドなのかもしれません。今回のニュージーランドの旅では、雄大な自然にたくさんパワーをもらって、美しい景色にたくさん感動をもらって、どこまでも親切で優しい人たちとの出逢いからたくさんの愛をもらって、もらいっぱなしの旅となりました。人間アレルギーから人間ラブへと変容する最後の転換点をようやく通過して超えたようです。これだけ与えてもらった分、今度はわたしが人々や世界に与えていく番。さあ、これからはどんどんこの身を使っていくぞ!この旅で出逢ってくださった心優しいみなさま、本当にありがとうございました!こんなにも与えてくれたニュージーランドに、たくさんの愛と感謝を日本から送ります!レッドウッドフォレストで大きな大きな杉の木だけど、これでもまだ若い樹齢だそう!

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  • 10Apr
    • 自分を貫き通したことで現れた、澄み切った生きやすい世界

      8日間ニュージーランドを旅してきました!突き動かされるように訪れることとなったNZ。きっかけは2月にもたらされた〝生まれ変わり〝。長年続いた母との確執を乗り越えて、ご先祖からの因縁を断ち切って、それを象徴するように一本の歯を抜くこととなって、生きながら死んでまた新たな生を与えられることとなったその時に、なぜかニュージーランドと繋がったのです。参照◎自分以外の誰かではなく自分自身をしあわせにする覚悟◎わたしたちは過去・現在・未来をつなぐ〝時の結び人〟◎進化とは原初の姿に戻り還っていくこと■連続して起きたニュージーランドにまつわる不思議な出来事奥歯とお別れした数日後の朝のこと。起きるか起きないかのあの夢か現かという頃合いに、不思議なビジョンを見ました。それは、森の中でしあわせそうに暮らしている自分の姿。ここはどこだろう?とその風景をよく見てみると、日本にはない高い立派な木が並んでいます。日本ではないことが分かったので、一体どこにいるんだろう?ともっと意識を集中していくと、エネルギーの回転が逆であることに気づきます。これはどういうことだ?ともっともっと意識を研ぎ澄ませていくと、南半球にいることが分かりました(北半球と南半球ではお風呂などの栓を抜くと、日本と逆の右回りの回転になります)。オーストラリアかな?と思ってその光景の情報を手繰り寄せていくと、オーストラリアではありません。どこだ?どこだ?この幸福な場所はどこだ?とさらに意識を集中していくと、ニュージーランドであることが分かったのです。あまりにもしあわせな情景とそのきもちに涙が勝手に流れてきて、泣きながら目を覚ましたのでした。ニュージーランドの木々はのびのびとしていて美しい!そして、ここからがすごかった!翌日からこれでもかというほど〝ニュージーランド〟というキーワードが目や耳にどんどん入ってきます。ある日パソコンでネットをしていると、ニュージーランド航空の格安航空券の広告が画面上に!NZのことを検索していないのにナゼ?!しかも往復7万円(安っ!)。猛烈に行きたくなってきて本屋に駆け込んで「地球の歩き方」をゲット。穴が空くほど読みまくりました。そして、北島にあるロトルアというマオリの部族の聖地がある街に強烈に魅かれたのでした。今すぐ行きたい!と思うものの、2月は徹底的に休むことにしておしごとをしなかったのでおカネに余裕がない…ガーン(参照 何かをして得るもの。何もしないで得るもの)。貯金を切り崩せばいいだけなのだけど、離婚したばかりの今は躊躇してしまいます。これは一旦落ち着こうと思って散歩に出かけることにして呼吸を整えながら歩いていると、小学校1年生くらいの男の子が後ろから走ってきて、「ねーねー!ニュージーランドっていう国しってる?」と言ってくるではありませんか!絶句して言葉が出てこなくて、「う・・・うん・・・」としか言えないわたしをニコニコ見ながら走り去って行きました。今のは一体なんだったんだろう…と心臓がバクバクしながらも、きっとこれは「NZに行きなさい」ということだと確信して、肚をくくって航空券をすぐに予約。お話し会の日程と航空券の価格から、3月31日~4月8日という期間に自動的に決定したのでした。翌日、通帳が入っているポーチを開いたときに信じられない奇跡が起きます。そのポーチには幾つかポケットが付いているのですが、普段使わないポケットがなぜか気になってファスナーを開いてみると、1年ものあいだ換金するのを忘れていた一枚の小切手が出現!しかも今回の旅行にピッタリの額!すごーーーーーーーい!これはすべてが用意されている旅で、きっとNZは祝福して歓迎してくれる!そう確信して今回の旅に臨んだのでした。■〝終わり〟から〝始まり〟へ出発した日は満月で、満ちる月を機内の窓から見つめながら日本を発ち、日本とNZのあいだの空で満月を迎え、翌朝輝く朝日に抱かれながら降り立つと復活祭のイースター。 しかもサマータイムが終了して新たな時間が始まる日。そして、NZを発つ旅の終わりの4月8日はお釈迦様の誕生日であることも判明。全く意図せずともこんなことってあるんだなあとビックリです!機内から見た日の出昨年7月に古代イングランドの聖地グラストンベリーを一人旅で訪れたのですが、その時もまた意図せずしてそこで夏至を迎えることとなりました。今思うとあの旅は〝終わり〟がテーマだったように思います。離婚すること、コラム連載の仕事を辞めること、家を出ることなど、〝終わり〟への決意と励ましを自分にもたらす旅でした。でも、今回のニュージーランドの旅は復活祭やお釈迦様の誕生日にふさわしく、〝始まり〟がテーマのように感じます。ゼロに戻ったことで本当のわたしの人生が新たに始まって、ずっとずっと待ち望んで願ってきたことが動き出す予感(近日中に嬉しいご報告もできそうです!)。NZは太陽も空も雲も木も全てが驚くほどダイナミックで、その高いエネルギーがどんどん心身に流れ込んできて、まさにキリストが蘇ったようにわたしもリバイブするかのよう。〝終わり〟から〝始まり〟へと向かうこの流れにワクワクが止まりません。終わりは始まりであって、死と生は切り離せなくて、夜が明けるから一日が始まるのであって、破壊は再生であって、全てはアルファ&オメガであって、八の字を描きつづける無限大の世界(8 = ∞)で生きているのだと思います。始まることは終わること、終わることは始まること。それは相反する対局的なものではなく、分離できない一体化しているもの。すべてを終わらせてみたらこういう境地に至り、生きることも死ぬことも全く怖くなくなり、余計な力を入れずに居られるようになりました。降り立ったオークランドの街の教会で行われていたイースター祭■恩は巡り、誰かから誰かへと手渡されていき、また自分の元へ還ってくる一人旅を満喫していると嬉しいご連絡がありました。FBでフォローしてくださってるというオークランドにお住まいの女性Tさん(60代)から、「チカさんのファンです!よかったらご案内しますよ!」というメッセージが。なんという粋な申し出! 迷うことなくお言葉に甘えることにして、約束の待ち合わせ場所で初めましてとにこやかに挨拶しながらギュッとハグ。品があってオープンハートで明るいお人柄のTさんは、さっそく車でミッション・ベイという海岸にある素敵なバーに連れて行ってくださり、立派なムール貝とチップスをご馳走になりながら色々な深いお話しをしました。ニュージーランドのムール貝は大きくて肉厚で甘い!ふたりで1kgをたいらげました♪Tさんがわたしを知ってくださったのは昨年8月のことで、このブログで削除することとなり幻となった4本の記事をご友人がシェアしていたのを読んだのがきっかけだったそう。その記事は離婚を決意するまでに至った出来事や心の動きを赤裸々に素直に正直に書いたもので、一人の女性に戻ろうと決めたことや、一人の人間として生まれ直そうと肚をくくったことや、自分で自分を満たして生きていくことへの覚悟を綴ったものでした。「わたしはあの記事を読んだからこそ、いまのチカちゃんの生き方や状況への理解や共感があります。何度も読みたいと思って保存していたのですが、削除されてしまってもう読めないことが残念です。自分なりの考えや価値観を持って自由に生きていいんだと、枠から飛び出す勇気をたくさんの人が貰ったと思いますよ。これからチカちゃんみたいな人が増えていくといいですよね。」と心に染み入る言葉をくださり、批判や混乱を招き削除をすることとなったその記事への未消化だった複雑な想いが消化されて昇華されたのでした。別れ際に、こんなにも親切にしていただいたことへの感謝のきもちをお伝えしたら、このようなお言葉が返ってきました。「わたしも色々な人たちに親切にしてもらってきました。こうして巡って回っていくものなのですよ。チカちゃんはもうすでに多くの人に与えているじゃないですか。次にオークランドに来るときは、うちに泊まってくださいね。お部屋はたくさんありますから。」〝恩送り〟や〝ペイフォワード〟の考え方に感動して胸がいっぱいになって、言葉が全く追いつかなくて、ただただ「ありがとうございます」としか言えない自分にもどかしさを感じながらの別れのご挨拶となりました。ニュージーランドのダイナミックで美しい海と太陽■自分を貫けば貫くほど、余計なものは去り、大切なものが残り、結果的に生きやすくなる家を持たない旅生活が7か月を迎えたいま、国境を超えて赤道を超えて南半球のニュージーランドという国にお家とファミリーができたようなきもちです。小さなリュックと小さな鞄で移動するホームレス生活は、海外に家ができるまでにホームモアとなりました。何を言われてもわたしはわたしを生き抜くんだ!いまやりたいことをやりきるんだ!気が澄むまで自分を貫くんだ!自分で自分を楽しませて喜ばせて愛する人生を送るんだ!そう思って夫も仕事も家も全てを手放して丸裸になって挑んだ新しい人生。もちろん去っていく人もいたし、批判してくる人もいたし、その度に傷ついて寂しい想いを味わったのも事実。悔しくて泣いた日もあるし、落ち込んで眠れなかった日もあります。でも、去っていったそういう人たちって、苦手で嫌いなのに無理して付き合っていた人たちなんです。そして、共感してくれる人たちが残って、応援してくれる人たちがどんどん現れることになって、好きな人たちに囲まれた豊かな世界へと変わっていって、結果的にとても生きやすくなりました。こういう住みやすい世界が現れて感じることは、無理してみんなに好かれようとして本当の自分を抑えれば抑えるほど合わない人が増えていって、まるで水や空気の濁りが増して呼吸しづらい生きにくい世界になるということ。逆に、嫌われることを恐れずにありのままの自分を生きれば生きるほど合わない人は減っていって、まるで水や空気は澄んでいって呼吸しやすい生きやすい世界になるということ。人に好かれようとして自分に嫌われるようなことをすればするほど、世界は濁って汚くなって窒息していくのだと分かりました。わざわざ進んで嫌われることはないけれど、わたしはわたしの考えや感性を大切にして自分自身を生きて、澄んだ世界をいつも目の前に体現させ続けていたいです。初めての国を訪れて、「ファンです!ご案内します!」なんて言われる人生になるなんて、1ミリも想像していませんでした。生きているとこんなドラマチックな嬉しいことがあるんですね。箱から飛び出してよかった。自分自身に還ることにしてよかった。これからもわたしはわたしを生き抜くぞ。改めてそう誓うこととなったハートフルな出来事 in オークランドです。ニュージーランドの旅は続く…オークランドの公園で見つけたお気に入りの木の下で日本では聴けない鳥たちの歌声を子守歌にお昼寝♪

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  • 22Mar
    • 曖昧になればなるほど世界はひとつに溶け合っていく

      先日、離婚した夫と結婚8周年をお祝いしました(←この日本語は決してまちがっておりません)。3月は前夫との入籍月。たとえ婚姻制度からオフしても、この人生で出逢えたことや結婚して夫婦になれたことは、ずっとずっと変わらないおめでたいこと。5月は籍を抜いた月なので、再来月は離婚1周年をお祝いしようねと今から楽しみにしているふたり。出逢って夫婦として結ばれたこともおめでたいし、離婚してそれぞれが自分自身と結び直したこともおめでたい。年に2回もお祝いする行事が増えたことは実に喜ばしいことです。婚姻形態に囚われなくなったことで、より豊かになったように感じます。結婚8周年を記念して美味しい食事を堪能♫■手紙と贈り物は別物か?!先日のこと。以前エコ作をご購入くださった方が再度ご注文をくださいました(エコ作についてはこちら)。二台目のご購入かと思ったら、別の方に差し上げるためのご注文であることが判明。となると、エコ作の箱に送り状を貼ってしまうと贈り物としては相応しくないので、透明のプチプチの梱包材で包んでその上に送り状を貼ることにしました。いつもお支払いのご案内に感謝のきもちを手書きして箱に入れて送っているのですが、今回はそのご案内も箱に入れられないので、エコ作の箱の上にそれを乗せてその上から梱包材を巻くことに。準備が整ったのでゆうパックで送るために郵便局に行ったときに事件は起こりました。窓口で差し出すと、担当者が「あ、これは送れませんね」と言うので、「え?なんでですか?」と驚いて聞き返すと、手紙はゆうパックで送れないルールがあって、透明のプチプチの下に手紙らしきものが見えている以上受付不可だと言うのです。担当者いわく、ゆうパックとはモノを送るサービスであって手紙を送るサービスではないとのこと。「この手書きのメッセージが見えている以上送れないので、手紙は諦めて捨ててください。あるいは、封筒に入れ直して切手を貼って郵便物として別途送ってください」と。なんだそりゃと思って怪訝な顔をしながら対抗します。チカ「贈り物をするときに気持ちを一言添えることは自然なことで、それを切り分けることは難しいと思うのですが…」郵「申し訳ございませんが、郵便とゆうパックは別のものでして。」チカ「これは入金先の口座情報を記したお支払いのご案内です。そこに御礼の一言を書いたものなのですが…」郵「手書きの文が何行も書かれてますし、サトウチカと最後にお名前も書かれていますし、これは〝手紙〟とみなされます。」チカ「なんで敢えてそれらを分ける必要があるのですか?」郵「ルールはルールでして、手紙とモノは一緒に送れないと決まっているんです。」チカ「そんなルール嫌だわ!」そもそも手紙を届けるのが仕事じゃない!と鼻息を荒くして言いそうになったものの、これ以上やり合ってもしょうがないので、「もういいです」とプンスカ怒ってその場を後にすることに。春は怒りの感情を司る肝臓がやられるのでただでさえイライラしてしまうのに、こういうことが起こると余計に怒りが増してしまいます。ええい!こうなったらもうやけ食いだ!と思って、久しぶりに菓子パンに手を出してしまいました。そしてまた肝臓に負担をかけて怒りやすくなるというこの悪循環に凹みます。東電ともやり合って(参考 東電が我が家にやってきた)、NHKともやり合って、ついにゆうちょともやり合ってしまった…。ああ、わたしの人生ってなんでいつも権力者たちの決めた制度と戦う人生なんだろう…。ムラの匂いがするものには敏感で、自分たちの私腹を肥やすために都合よい制度やルールを作ってそれを民に押し付けておカネを吸いあげるシステムにはとことん拒否して壊したくなってしまうこの性格(なんたって電線切っちゃったくらい 笑)。戦うオンナって全然チャーミングじゃないしセクシーじゃないしなんだかなあ…と悲しくなります。(が、典型的なインディゴチルドレンのシステムバスターだから致し方なし!と、一人で勝手に自分の運命をさだめて鼓舞してます)■これからは境界線を曖昧にして溶け合わせていく時代だ!こういうことを経験する度に、何かと何かを分けて細分化すればするほど世界は分断されていくことを痛感します。手紙と贈り物を分けて考えるというのもその一つ。すべては繋がり合っていて、対局・両極にあるもの同士ですら重なる部分があったりします。世界とはそういうものであって、ひとつひとつが重なりあいながら全体という一つを成してると思うのです。全体で捉えずひとつの分野の視点で語る〝専門家〟という人たちの意見が通る世の中であることが、全体でものごとを見る力が無くなっている社会であることを象徴しているように感じます。手紙と贈り物が切り離されて一緒に送れないなんて世も末です。これからは分析家や専門家に対抗すべく、統合家や全体家と呼ばれる人たちが出現して欲しいです。求む!統合家や全体家の誕生!〝ホールフーズ〟とか〝ホリスティック〟とか、20年ほど前から〝全体〟や〝統合〟という言葉がオーガニックと共に注目されてきましたが、そのwhole(全体)はholly(聖なる)の語源でもあります。全体として一を成している状態は聖なる状態であって、それを分解していけばいくほどこの世界は壊れていき、さまざまな問題が生まれると思うのです。『アナスタシア』の4巻で、エヴァがリンゴの木の枝を見て「これはどうなっているのだろう?」とその衝動を抑えきれずに折ってしまい、神が創造したこの世界の作品を分解・分析し始めたことが罪の始まりとして書かれていることは実に興味深いことです。「この贈り物は手紙と一緒なので送れません」と無機質で冷たい対応をされてから、わたしの頭は混乱してハートはしょぼくれています。そのロジックがさっぱりわからないし、なんだか人間的じゃないなと思ってしまうのです。手紙と物を一緒に送ると爆発する可能性があるとか、郵便とゆうパックを一緒にすると有毒なガスが発生するとか、〝混ぜるな危険!〟的な理由があってどうしても送れないということなら理解できるのですが(笑) わたしがゆうちょのオサなら、手紙と贈り物はひとつのものとして扱うし、むしろ温かな一言を添えて相手を喜ばせちゃおうキャンペーンとか率先して実施しちゃうけどなあ。境界線を引くのはもうやめて、むしろ融合域を増やしていく。バラバラにしてしまったものを、一つに戻していく。何かと何かを比べて違いを探すのではなく、何かと何かの共通点に気づいて同じものとみなしていく。カテゴライズからハーモナイズへ。分けることはもう古い!これからはいかに溶け合うかだ!と思ったのでした。春が来た!あたたかい草の上で寝っ転がれるこのしあわせと言ったらもう!◎サトウチカのお話し会や登壇イベント情報◎4月16日(月)愛知県南知多@ゆるりがもり4月17日(火)夜 オフグリッドのお話し会@名古屋市 ※近日公開予定4月19日(木)オフグリッドのお話し会&ソーラークッキングws@京都府京都市4月22日(日)オフグリッドの先に見えた世界(仮)@兵庫県淡路島 ※近日公開予定 

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  • 05Mar
    • 何かをして得るもの。何もしないで得るもの。

      ■遊牧民的な生き方に変えたら起きた、思わぬ身体の変化10月からスタートしたお話し会や講演をしながら旅をするノマド的生活。思いのほか旅生活は時間の流れが速く、西へ東へと動いていたら身体に予想外の変化が。なんと生理が止まったのです(汗)初潮を迎えて以来毎月順調にあった生理がなんと2ヶ月以上ストップ!女性ホルモンのバランスを整える精油のクラリセージを嗅いでみると、今まで苦手な香りだったのに超絶心地よい香りに感じてしまう!これはかなりまずいかもしれないと危機感を感じるように…。そこで、航空会社に勤めている友人が以前こんなことを言っていたことを思い出しました。「キャビンアテンダントは生理が止まってしまう人が多いんだよ。移動ばかりしていると地に足がつかないから身体は誤作動を起こすんだろうね。やっぱり人間は地上で生きる動物なんだと思う」と。他にもこんなことがありました。朝目が覚めると自分がいまどこにいるのかが分からないのです。沖縄?神戸?岡山?横浜?あれ?今どこにいるんだ?と。目が完全に開いて室内の状況を確認できてやっと「ああ今はここにいるんだった」と分かるレベル。そんなことが続いて、かなり疲れていることを自覚したのが昨年末。しばらく休息したいと思い、1月のお話し会や講演会を終えたら2月はがっつり休もうと決めて一旦横浜に戻ってきたのでした。徹底的に動いてみたら自然と生まれてきた休みたいという素直なきもち。以前のわたしなら無理をしてでも依頼を引き受けて続けたと思うのですが、自分の声に従って生きることを誓った今、休むことに迷いは生まれませんでした。昼間働いたら夜は寝る。歩いたら休憩する。喉が渇いたら水を飲む。お腹がすいたらご飯を食べる。身体や心の声のままに生きることは、呼吸をするくらい自然に生きるということ。自分の声から遠ざかれば遠ざかるほど不自然な自分へとなっていき、病であったり望まない人生へとなっていくのだと思います。動と静、緩と急。こういう変化があってこそ生きている証。ということで、この休みたい欲求にありのまま従って徹底的に休むことに。そして無事に生理が戻ってきました!(はあ、よかった~!)■〝何もしないをする〟は、意識のデトックスをもたらすせっかくの機会なので、誰にも会わないくらい何もしない時間にしてみました。というのも、断食して何も食べないと身体に溜まった古いものや毒素が抜けていってクリアなボディになるように、断動して何もしないと頭にこびりついた余計な思考や要らない考えが流れて消えていってクリアな意識になると聞いたことがあったからです。それを体感したのが年末年始を過ごした粟国島での体調不良ダウンでした。2週間の寝たきり状態は強制一人ヴィパッサナー瞑想(笑)鳥のさえずりや風の音だけを聞きながら静かな空間でただただ目を瞑って寝ていると、過去の未消化なきもちがサーっと流れていって愛おしさに変わったり、長年避けてきた人に逢いたくてたまらなくなったりと、愛のようなものが内側から溢れてくるのを体感。たった2週間でそんな変化があったのだから、1ヶ月静かに過ごしたらどんな面白いことが起きるんだろうと期待に胸を膨らませて始めたのでした。結果的には母との確執が見事に解消されて、生きながら生まれ変わるような経験をすることに。と同時に、今後の活動のインスピレーションが降りて来たり、自身の純粋な夢に気づけたり。そして、自作鼻歌を取り戻しました!勝手にメロディが頭の中に降りてきて歌ってしまうヤツです。そういえば子どもの頃は一人で作曲して毎日フンフン歌っていたなと。大人になるにつれて奥に仕舞われてしまったその純粋な創作力が回復したような感覚で、ずいぶん長い間離れてしまっていた大切なものともう一度再会できたような喜びをいま感じています。静を徹底すると余計なものが消えていき、その消えたスペースから何かが生まれてきたり、大切なものを思い出したりするのかもしれません。〝何もしないをする〟は、身体も思考も心も働きっぱなし動きっぱなしの現代人にはとてもオススメのように感じます。一方で、1ヶ月間収入がゼロになることに恐れを抱いたり、働かないことや何もしないことに罪悪感を感じたり、人との繋がりを積極的に一旦遮断することに躊躇したりと、色々な厄介な感情が生まれて胸がザワザワしたのも事実。人間たるもの社会の中で常に何かをしていないといけないと思い込んでいる自分に気づかされました。本当は何をしても何をしなくても誰に会おうとも誰にも会わずとも、何にも咎められる筋合いも必要もないはずなのに。囚われているってこういうことなのでしょうね。長い人生の中で1ヶ月休むなんて、1日の中で1分休憩したくらいの可愛いもの。いつも大きなスケールで時間の流れや自分という存在を掴んでいたいです。■本当の〝笑ってはいけない〟はコレだ!予約半年待ちの素晴らしい施術をしてくださる治療家さんに、先日このようなことを言われました。「チカさん、その愛想笑いはもうやめましょう。笑いたくないのに笑うことは自分に嘘をつくことと同じで、それは自分で自分を傷つける自傷行為です。その傷は腎臓に刻まれてしまって、その目の下のクマとシワに現れているんですよ」と。せっかくなので、この何もしない1ヶ月のあいだに笑わない練習も織り込んでしまおうと思いついて、年末恒例のダウンタウンのガキの使いばりに〝ひとり笑ってはいけない28日〟を決行!学生時代のアルバイトでも会社員時代の仕事でも、お客様には笑顔で対応するように教え込まれたこの身。心がズタボロになるようなクレーム対応も笑顔でやっていました。そうすると上司や同僚から褒められるんですね。チカさんの対応は丁寧で優しくて素敵と。これがいいんだと思い込むようになって、苦しいほど笑ってしまう癖がついてしまい、心は泣いているのに顔は笑っているというチグハグ現象が起きるようになりました。いつしか、笑顔が薄い店員や丁寧な対応をしない担当者がムカついてたまらなくなって、もっと笑顔で対応しなさいよ!と思ってしまうようにまで(怖っ…)。わたしは辛くても笑って頑張ってるんだからあんたも笑いなさいよ!という押し付けが起きてしまうのでしょうね。笑わないことを意識してみると、いかに愛想笑いが多かったかがよく分かって愕然。お店のレジの人やウェイターさんなどに、必要以上にニッコリ笑って感謝を伝えようとしていたり。こんなに色んな人に笑顔を振りまいてきたのか…と。そうしたら、無理をして笑っている人を見分けられるようになりました。そういう人を見ると、今までは「この人の笑顔は素敵だな!辛くても笑っていて偉いな!素晴らしいな!大人の鑑だな!」と思っていたのに、今は「この人無理して笑顔つくってる!そんな笑わなくていいよ!むしろ怒っちゃいないよ!泣いちゃいないよ!」と思うように。自分に厳しく無理してやっていることは相手にも要求したくなって、自分が無理をやめると相手をいたわる優しさが生まれてくるんですね。ちなみに、この〝ひとり笑ってはいけない28日〟で思わず吹き出してしまうほど自然な笑いが起こったのは、友人から笑いヨガの誘いが来たとき(笑)ある意味でナイスタイミング過ぎて笑ってしまいました(サトウ、アウト〜!)。失礼かなと思ったものの、「今は無理をして笑うのを意識してやめているので遠慮します」と正直にお伝えしてお断りたら、寛大な心でご理解くださいました(笑いヨガで心身が健康になる人もたくさんいらっしゃると思います)。先日、そんなエピソードを親友に話したら、「わたしも笑いヨガに参加したことあるんだけど、無理して笑えば笑うほどきもちが冷めちゃってさ。それで、感想のシェアタイムに『楽しかったです~』とか言ってる周りの空気に負けずに、『無理をして笑うことに違和感を感じました。正直辛かったです。自然に笑うことが大切だと思います。』ってハッキリ言っちゃったの。そうしたら、主催者がうつむきながら『本当にその通りだと思います』って言い出すからびっくりしたよ!」と。おおお!上には上がいるものだ!と、これには涙が出るほど爆笑したのでした。何もしないと何かを創りたい創造欲求が起きることを発見!お料理やお菓子づくりの楽しさを改めて実感することに写真はグルテン&シュガーフリーでつくったキャロットケーキ◎サトウチカ登壇イベントのお知らせ◎■3月15日(木)夜 東京都渋谷ウェブマガジン〝グリーンズ〟のイベントgreen drinks Shibuyaで登壇させていただきます!テーマは「防災とソーシャルデザイン」。参加型の楽しいイベントなので、東京近辺のみなさまぜひお越しください♪詳細はこちらhttps://greenz.jp/event/201803gdshibuya/■4月16日(月) 愛知県知多半島ヒマラヤ精油で有名なQUSUYAMAが主催されるイベント『Yagna2018』で登壇させていただきます!wsのコンテンツも贅沢で素晴らしいので、中部地方のみなさまぜひお越しください♪詳細はこちらからhttp://junco3.wixsite.com/yagna2018

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  • 26Feb
    • 進化とは原初の姿に戻り還っていくこと

      完全に燃え尽きてしまって長らく更新できない期間が続いてしまいました(汗) 来世へ持ち越すくらいのつもりでいた母との関係の問題を解消して、やりきった!という達成感から空っぽの状態になってます(空っぽを経験して〝からだ〟は〝空だ(からだ)〟ということが分かった!)。前回の記事 わたしたちは過去・現在・未来をつなぐ〝時の結び人〟前々回の記事 自分以外の誰かではなく自分自身をしあわせにする覚悟■人生の大きな課題を終えると、生きながら生まれ変われる母に本気でぶつかっていって積年の想いを見事に晴らしたとき、それは細かい粒子となってキラキラと散って消えていくようでした。その美しい爆発は過去も未来も変えるほどのパワーを持っていて、先祖と子孫から祝福を受けることに。この経験を通して、人間は何のために生まれてくるのか、なぜ生きているのか、ずっとずっと考えてきたこの疑問に自分なりのひとつの答えが出ました。それは、今が持つ偉大な力を使って過去と未来を整えて、この世界全体を調えるということ。わたしたちはみんな尊い〝時の結び人〟であることを知ったのです。このやり切った感は素晴らしく、もう死んでもいいという満足感に直結。1秒後にぽっくり逝ってしまったとしても全く悔いがない状態です(これって究極のしあわせな状態だと思う!)。本当に死期がすぐ来るかもしれないと思って慌てて遺言ノートを書きました(笑)今のわたしにとって死は恐れ忌み嫌うものではなく美しい祝福という位置づけ。この遺言ノートでは「お葬式は色鮮やかな服を着て参列して欲しい」とか「旅立ちを祝福する明るい音楽を生演奏してみんなで歌って踊って楽しんで欲しい」とか、そんなことも書いています。なんというか、いっぺん死んだ感がハンパないんです。この人生を振り返ったとき、やっぱり前夫との結婚生活が一番しあわせで楽しくて安心感に包まれていたなあと思い、感謝のきもちがド~っと溢れてきてしまって、これはちゃんと伝えたい!と思って素直に伝えました。愛している人に愛していると言うこと、感謝している人にありがとうと言うこと、謝りたい人にごめんなさいと言うこと、嫌なきもちにしてくる人にやめてと言うこと。今は自分のきもちに嘘がつけなくて、どストレートに伝えまくっています。朝目が覚めると「わ!まだ生きちゃった!」と、新しい一日の始まりを与えられたことへの喜びでいっぱいになって、昇った太陽を見るだけで涙が出てくるくらいの感動屋さんになってしまいました。この命に躍動しまくりです。生きながら生まれ変わるってこういうことなのかな。今年はこれまでの人生に幕を下ろしていきながら次の人生の幕を上げていくような、終わりと始まりが交差するおもしろい一年になりそうです!■わたしたちは誰かが望んでいる未来と過去の結晶という存在先日、ついに奥歯を抜きました。抜歯ってすごいチカラがかかるんですね(歯を引っ張られているとき、鼻も一緒にもげて取れてしまうんじゃないかと思って本気で焦った!!!!!)。先生は抜いた歯をわたしの手にそっと乗せながらこんなことをおっしゃいました。「歯根を見るとその人が分かるんだよ。この歯は窮屈そうだったね。歯根は3本に伸び伸びと分かれているはずなのに、2本がまるで1本のようにくっついてしまっている。自分を縮こまらせて我慢しておとなしく生きてきた表れだよ」と。歯を見ると本当に3本の歯根が捻じ曲がって2本のようになっています。本来の自分自身を生きてこれなかったことを教えてくれているようでした。と同時に、それは女性ご先祖さまたちの姿そのものだとすぐに分かりました。身分の差から好きな男性と結婚できなかったり、貧しさゆえにやりたいことができなかったり、奉公先で辛い思いをしたり。逃げられない環境で自分を押し殺しながら我慢していた苦しみが伝わってきて涙がポロポロ。そうしたら、わたしはみんなの夢を託されている存在なんだと気づいたんです。好きな人と結婚して!やりたいことをして!居心地のいい場所で暮らして!好きな仕事をして!自由に生きて!と、ご先祖さまたちの声が聞こえてくるかのようでした。わたしの夢は確かにわたしの夢だけど、先祖たちの夢でもあり、子孫たちの夢でもある。誰にも何にも何処にも囚われずに、想いのままにあるがままに〝今〟を生き切ると、先祖たちや子孫たちがとても喜ぶ。でも夢を叶えられるのは肉体を持っている間だけ。このことに気づいたら、年齢とか環境とかを理由にやりたいことを諦めている暇なんてない!この身を使って夢を叶えまくるしかない!一秒一秒が貴重過ぎる!と思うようになりました。そんな折、あるキャッチコピーを最近ふと思い出したんです。それはお仏壇のコガさんが数年前に扱っていた広告で、『私は、誰かが望んだ、未来なんだ』というもの。これ本当にその通りだなと。さすがご先祖さまをお祀りするお仏壇を扱ってる会社です!お仏壇のコガさんブラボー!!!!!でも、、、『私は、誰かが望んだ、未来なんだ』よりも『私は、誰かが望んでいる、未来と過去なんだ』という言葉の方がしっくりきます。先祖から見たら未来で、子孫から見たら過去になりますからね。そして、現在も過去も未来も同じところに存在していて、常に現在進行形であると分かったから。今を生きることに集中すると、未来と過去が現在に向けて注いでいるエネルギーが結晶化して、夢が物質化・実現化していくのではないかと考えるようになりました。量子力学的にも通じるものがありそうで、夢の叶え方がちょっとだけ分かってしまったかも!と興奮しています。過去に引っ張られることなく、未来を案ずることなく、今を生き続けていたいです。同調圧力に屈することなく、常識や当たり前に惑わされることなく、自身の内なる声に耳を傾けて、その願いにただただ忠実に生き切って、自分が創りたい世界を創造していく。人生とは、誰とどこでどんな景色を見ながら何をしてどう生きてどのような自分で在りたいのかという問いと確認の連続であって、それを自身で叶えていく作業なのかもしれません。■先祖の因縁を断ち切って楽園を取り戻すちなみに歯というものは情報の化石と呼ばれていてとても奥が深く、対人関係や運命や人生の方向性にまで大きな影響を及ぼすそうです。人に見せる前歯は他人との噛み合わせであったり、奥歯はご先祖の因縁があったり(わたしが抜いた歯も奥歯!)、左右それぞれは両親との噛み合わせであったり。【参考】滝沢泰平さんの天下泰平ブログ『口の中は小さな地球シリーズ』よりなので、下手にいじらない方がよかったり、神経は抜かない方がよかったりするようです。逆に、噛み合わせを治療すると病が治ったり、状況が変わったりもするそうです。わたしの場合は抜いたことですごくスッキリして軽くなりました。女性ご先祖さまたちの重い想念を昇華できたような、長いあいだ続いてきた苦難の時代に終止符を打てたような、そんな清々しいきもちにいま満ちています。これまた不思議なのですが、抜歯をする前に波動測定(いわゆるメタトロン)を都内の病院で受けると、ビックリすることを言われました。わたしの内臓の状態を見た先生が、「最近、歯に異変はありませんでしたか?」と聞くのです。驚きながら奥歯のことを伝えると、やっぱりという顔をして次のようにおっしゃったのです。「サトウさんの不調を起こしているのは、その奥歯に棲んでいる虫歯菌です。毛細血管から入って血流に乗って全身にこの菌が巡って悪さをし続けています。おそらくこの菌はお母さま方の母系血脈からかなり長い年月をかけて受け継いできたものと思われます」と。あまりのシンクロに驚き過ぎて思わず椅子から転げ落ちそうになってしまいました。いまのわたしはこれから始まるしあわせな連鎖の血脈第一号というような心持ち。初めて地球に降り立ったエヴァのような気分。新たにゼロから繁栄させて、自由で平和な〝新〟世界を創っていく意欲に充ち満ちています!(ああ!神さま!どうかアダムと出逢わせてください!笑)。でもそれは〝新〟ではなく〝元〟なのかなと。悠久の時間の中で捻じれたり歪んだりズレたりして今の世界に不調和を起こしているものを、この身を使って祓って清めて整えて楽園を取り戻していく感じです。ひたすら続けていたら、エヴァの罪の正体(リンゴの実に象徴されていること)も分かるかもしれないと壮大なことも考えてます。実は、ひょっとしたら新しい歯が生えてくるのではないかと本気で思っていたり。次は三本の歯根が伸び伸びと広がった美しい本来の形で、それは創造主が初めて女性エヴァを創造したときにつくったような瑕疵のない完璧な歯。きっと生えてくる!いや絶対に生えてくる!医学上ではありあえない前代未聞のご報告ができる日は近いはず!ブログを読んでくださった方から、こんな美しい素敵な絵をいただきました!悠久の時を経ながら女性のご先祖たちが繋がり合っていることが伝わってきますPalmaさん画

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  • 26Jan
    • わたしたちは過去・現在・未来をつなぐ〝時の結び人〟

      前回の記事を綴ったところ、たくさんの方々から祝福や励ましのコメントやメッセージをいただきました。「泣きました」「感動しました」「勇気をもらいました」というお言葉を頂戴して、分かち合えることの喜びをひしひしと感じています。みなさまの温かなハートに触れて、より大きな一歩を進めることができましたことを、この場を借りて御礼申し上げます!今回は、あの日のことにまつわるちょっと不思議なお話しです。■悠久の時間を扱う大きな役目を担っていたことを知る!母に抱きしめてもらって泣き切って、お互いの身体を離したときでした。それまで目を合わせられなかった母の顔を覗いてみると、なんと母に祖母が重なって泣いているではありませんか。お…お…おばあちゃんが目の前にいる!なんでお母さんがおばあちゃんになっちゃってるの?!と戸惑いながら、目を細めて歓喜の涙をとうとうと流している祖母のしあわせそうな顔に釘付けに。母に対して激しくぶつかって想いを伝えられたこと、そして娘のその爆発した想いを受け止め切ったこと、親子が本音を響かせて和解できたこと、それらを自分ごとのように喜んでいることが伝わってきます。それは祖母が生きているうちにしたかったことだとすぐに分かりました。おばあちゃんの晴れ晴れした表情は白い光を放っていて神々しく、親子三代にまつわる想いが昇華されたことは明らかでした。翌朝、目が覚めるか覚めないかのぼやけた意識の時に、再度祖母が目の前に現れました。昨夜と同じくうれし涙を目幅から流してわたしに微笑んできます。そして、祖母の後ろにはずらりと女性のご先祖さまたちが並んでいて、みんなうれし涙を流して笑っているではありませんか。ご先祖さまたちが喜んでいる!わたしに拍手を送ってくるかのように美しい白い光を放ってくる!衝撃を受けながらその光景をしばらく呆然と見つめていたのでした。不思議なことがあるもんだと思いながらその日一日を過ごし、晩ご飯を母と一緒に食べることになったのでこのことを話してみることに。すると、思わぬ事実が発覚します。なんと母も似たようなことを今朝体験していたのです!お仏壇のお茶やお水を替えて手を合わせて、娘に対してしてしまったことを幼いころのわたしを思い浮かべてお詫びしていると、どこからともなくお囃子(おはやし)がきこえてきて、笛や太鼓のピーヒャラドンドンという音が部屋中に鳴り響いていたと言うのです。ご先祖様たちが喜んでいることが伝わってきて、その陽気な祝福に圧倒されたとのこと。祖母と曾祖母はどのような関係だったかを母に聞いてみると、意外な事実を知ることに。祖母は8人きょうだいの長女として生まれ、もの心つく頃には歳の近い小さな妹や弟たちの面倒を見させられ、貧しかったことから小学校の卒業式の日に奉公に出されて家族と過ごせなくなったそうです。その奉公先では年少者であったこともあり、『おしん』ばりの酷い意地悪やいじめを受けていたとのこと。母からの愛をもらえず、家族との温かな時間を過ごせず、寂しさを抱えたまま大人になって結婚して出産してわたしの母を生み、母と祖母もまた仲の悪い関係となっていました。この母娘関係の問題は、母方の先祖たちから脈々と受け継いできたもののようです。いわゆる先祖カルマと呼ばれるものでしょうか。へその緒を通して得るものは栄養や酸素だけではなく、もっともっと深遠なものがあるのかもしれません。ずらりと並んだ女性ご先祖たちと対面したときに伝わってきたのは、母親に対してぶつけたかった娘の寂しさと、娘に対して優しくできなかった母親としての罪悪感。それらが代を重ねながら連綿と受け継がれてきたようです。あのご先祖さまの数を見るかぎり、千年を超えるくらい。そんな長いあいだ積もっていった想念をわたしが一身に請け負って母にぶつけ、母も本気で受け止めたことで、みごとに昇華させたようです。「わたしたち凄いことしちゃったかもしれないね!この代で断つことができてよかったね!これは誇りに思っていいことかもしれないね!」と、ふたりでちょっと興奮気味になったのでした。■人は過去と現在と未来を結ぶために〝中今(なかいま)〟を生きている今回のことを通して分かったのは、人が肉体を持って生きている一つの意味は、過去と未来を繋げる役割があるということ。それは、自分の人生の過去と未来を結ぶことでもあり、もう肉体を持っていない先祖という過去とまだ肉体を持っていない子孫という未来を結ぶことでもあります。小さな時計と大きな時計の歯車がスムーズにかみあって時間を刻めるようにする感じです。おそらく他にもかみあわせるべき時計は幾つもあって、まるでポリリズムでこの世界は成り立っているかのよう。悠久のときの中で生じたズレや狂いは、〝中今〟のチカラを使うことで調節調整できるのかもしれません。そう考えると、過去(先祖)と未来(子孫)の代表が今(自分)になります。〝今〟を生き切ると過去からも未来からも喜ばれて祝福される。今この瞬間というトキにはとんでもない可能性を秘めていることを知って、いま生きていることがどれだけ尊く凄いことであるかを身をもって体感することとなりました。祖母の後ろにずらりと並んだ女性ご先祖たちの列には圧巻でしたが、よくよく考えるとわたしの前にもずらりと子孫たちの列が並んでいるのでしょう。あのとき子孫たちも嬉し涙を目幅から流して喜んでいたのかもしれません。過去だけで千年だったから、きっと未来も千年分変えられたはず。と、ここまで書いてあることに気づきました。わたしのチカという名前は「千佳」と書くのですが、これは「佳き千年紀の幕をあける女性」という意味で与えられた名前であることを数年前に知りました。その〝氏名〟の通りひとつの〝使命〟を全うできたかもしれません!8年前に前夫と結婚したときに、子どもを迎え入れることに対して強烈な抵抗がありました。母親を愛せない苦しさや生まれてきた後悔を味わせるようなことはしたくない。これ以上被害者を増やさないことが、わたしなりの子どもへの配慮であり愛でした。出産してしあわせそうに暮らしている同年代の友人たちを見ると、そんな考えをしている自分はおかしいのかもしれないと責めることも多々ありましたが、やっぱりその直感と選択は間違っていなかったと確信に変わりました。きっとわたしの子宮は過去と未来をしっかり整えてから命を創造することをずっと待っていたのかなと。さあ、いよいよ佳き千年紀の幕はあけて、これからはしあわせの連鎖の始まりです!と言いつつも、あれだけの抵抗がこれだけの希望に変わっただけでもう十分いいかなと思ったり。今この瞬間に備わっている力を使って闇を光へと反転できた自分という素晴らしい命に満足しきっているような感じです。あの日以来、母とはドギマギしながらもいい感じの雰囲気で一緒に過ごしています。うぶな感じが「付き合いたての恋人か!」とツッコミを入れたくなるくらい(笑)昨日、出先から帰ってくると、入れ違いで出かけて行った母が置手紙を残していました。「モッシュはご飯食べました。お散歩もしました。母より♡」と。え?え?え?これはハートマーク?!目をこすってよーく見てみてもやっぱりハートマーク!母はどんな顔をしながらこのハートを描いたんだろうと思いを馳せつつ、彼女の精一杯の愛情表現に気恥ずかしさを感じながら思わずクスっと笑ってしまいました。〝娘を愛していい〟〝愛していることを素直に伝えていい〟という許可を自身に与えることができるようになって、母の肩の荷も降りたのかもしれません。母からの置き手紙ハートを塗りつぶしているときの表情を想像してみたり

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サトウチカ

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オフグリッドという考え方を大切にして生きています オフ=切る グリッド=社会に張り巡らされた網目 ...

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