日本型カフェを通した観光を | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
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昨日、今日と曇り空が続いていたが、午後になってとうとう雨が落ちてきた。東北の南部から東海地方までは、先週末に梅雨入り宣言が出されたが、近畿から中国、四国と九州の北部にかけての西日本一帯は、まだ梅雨入り宣言が出ていない。

 

西日本よりも東北の南部が先に梅雨入りするのは、何十年ぶりかの出来事だと、ニュースでも話題にしていた。こう書いている間にも、雨が降り止んでいる。天気予報の解説でも、今年、西日本はいつ梅雨入りするのか見通せないと言っていた。

 

一昨日、小学校のクラス会の会場に使わせてもらった、級友の割烹の店は清水寺にも近い「八坂の塔」を下ってきたところにある。だから、一昨日も大勢の観光客が店の前を歩いていた。

 

 

 

それでも級友の話では、さすがに5月の末ごろから客足は減っているということだった。5月半ばに葵祭が終わり、7月半ばの祇園祭までの谷間となる6月は、京都の観光客もさすがに一休みになるらしい。

 

 

 

それにしても、一昨日の土曜日も中国人観光客、特に若い観光客の姿が目立っていた。中国の学校は9月に新年度がスタートするが、夏休みは7月初旬から8月末にかけてだ。

 

ではどうして今ごろ、日本に若い人たちが大勢観光に来ているのだろうか。これはきっと職場に休暇を取って、観光旅行に来ているとしか思えない。

 

日本は有給休暇の消化率が低いことでは定評があるが、外国の場合は、結構長い休暇が取れるのだろう。日本では「働き方改革」といっても、まだ〝定時退社″がやっとなのだが。

 

それに日本の国内旅行といえば、せいぜい34日までだと思う。ゴールデンウィークなどに海外に出掛ける場合は、1週間ほどということもあるけれど、それ以上はあまり聞いたことがない。

 

ではリタイアした人が、長期の旅行に出掛けるかとなると、私の場合は、これはもう考えただけでも〝しんどく″なって来る。旅行というのも、それはそれで体力が必要なのだ。

 

長期休暇なら別荘へ行ってゆっくり過ごす、という優雅な暮らしも、それなら家にいるのとあまり変わらないと思ってしまう人間だから、やはり私は〝貧乏性″なのかもしれない。

 

先日のテレビ番組「マツコの知らない世界」で、客船に乗って旅行する「クルーズ」の紹介をしている女性がいた。それを見ていたら、5千人乗りの豪華客船の紹介があった。

 

 

 

5千人といえば、ちょっとした町一つ分の人数である。それが数週間かけて各地に寄港しながら旅をしている。

 

船内には映画館もアトラクションも、バーもプールも完備している。そうは言っても、私には恐ろしく退屈に思えてしまった。やはり私は貧乏性だと、あらためて思ってしまった。

 

その時の紹介では、乗船期間が1週間程度までのショート・クルーズもあると言っていた。日本の周りから、せいぜい上海や釜山(プサン)辺りまで行って帰ってくるのだという。

 

(長崎港で見かけた大型客船/3千人収容だと説明された)

 

それくらいなら、私にも我慢できるかも。でも、我慢までして行くくらいなら、行かない方がましだと思う。そうなると私はやはり、クルーズというものには不向きな人間だ。

 

その番組で知ったのは、「1人部屋」がある客船も存在することだった。一人で1週間も船の中にいて、いったい何をしろというのだと、思わず画面に向かって突っ込んでしまった。

 

そうなのだ。日本人の多くは「社交下手」なのだ。一緒に船に乗り合わせただけの、見ず知らずの人とも、素早く打ち解けあって友人を作る、という作業が苦手なのだ。仮に、言葉の壁がなかったとしても。

 

これだ、ここが肝だったのだ。長期休暇を上手く過ごすためには、社交性が重要なポイントなのだ。行った先で新たな出合いがあり、新しい友人ができるということを楽しむのだ。

 

これは何も、クルーズなどという旅に限ったことではないだろう。どんな形式の旅行であっても、要はその場で知り合った人と一緒に、楽しんだり遊んだりするのだ。

 

ということは、観光産業の立場からすれば、外国人観光客を受け入れて、喜んでもらうためには、例えば宿泊客同士や、近隣の人々など、様々な人たちが集い、そこで知り合える「場」を作ることも大事なサービスになる。

 

これって、「カフェ」ができた経緯と同じではないか。「カフェ」とは、その場で知り合った人たちが話したり、議論したりする場だった、という解説を読んだことを思い出した。

 

たしか、国立民族学博物館が主催する「○○カフェ」といった名称のイベントの解説に、そんなことが書いてあったように記憶している。

 

現在、日本の「カフェ」はおシャレな店も多いけれど、一人なら読書したり、パソコンに向かったりする人が多い。偶然に隣り合った人と会話をするようになることは、あまり多くはないだろう。

 

 

 

だから、日本では「カフェ文化」が成り立ちにくい。それもこれも、「社交下手」という国民性に由っているように思う。ただ外国人同士なら、案外と打ち解けあうこともあるだろう。

 

だから、そのあたりを上手く「場作り」できるような工夫をすれば、外国人観光客に喜んでもらえるようなシステムができるかもしれない。その中へ、外国人観光客が会いたくなるような日本人を配することができたなら、もっと受けるだろう。

 

もちろん、言葉の壁を低くするために、間に立てる人間も必要だが。そうすれば、こちらが社交下手であっても、向こうは乗りやすくなる。ここに「日本型カフェ」の可能性があるように思う。

 

観光といっても、有名なスポットを見て回る観光もあれば、何かを体験する観光もある。その先には、普通は出会えない人と出会える場、という形式の観光も成立するだろう。

 

何も、その人が有名人である必要はない。ただ、外国人という異文化圏の人が興味を持つような、〝日本らしさ″を伝えることができる人であれば良い。そうすれば、その人との出会いは「旅の土産話」になる。

 

これを〝仕組み化″することを考えれば、外国人観光客に喜ばれるだろう。日本人が社交下手であっても、「場」を用意すれば、外国人が乗って来てくれる。そうすれば、こちらが無理に社交性を高めなくても、可能なことはあると思う。

 

「日本型カフェ」が作り出す出会い、という観光も一つの行き方だと思う。