いよいよ10連休が間近に迫ってきた。ということは、平成という元号の終わる日が来るということでもある。30年という時間は、決して短い時間ではない。ちょうど一世代分の時間が経過した、という感覚かもしれない。
ところで、この間「インサイト(人の心の奥底にある欲求)」ということを考えている。まだはっきりとした形となっていない、〝もやもやとした欲求″ということもできる。
例えば、先日紹介した経営誌「理念と経営」でも、顧客の「インサイト」を見極めるために、顧客の行動を観察したり、顧客とのリレーションシップ(関係性)を深めたりすることによって、顧客の〝もやもや”を読み解くといった解説がなされていた。
このことを考えているうちに、実は「インサイト」と言っていることには、「心の浅い部分でのもやもや」と、もっと深層にある「深い欲求」との、2段階があるのではないか、と考えるようになってきた。
これまで私が使ってきた言葉では、「すでに顕在化している要望=ニーズ」と、「自らも自覚していない欲求=ウォンツ」があると考えてきた。そして「インサイト」とは、この「ウォンツ」に相当するのだと思っていた。
しかし考えて行くうちに、どうも「インサイト」とは顧客の「行動観察」や顧客との「関係性」によって読み解けるということは、かなり〝浅い″レベルの話になっていないかと思い始めた。
アップルのスティーブ・ジョブズが、「人は、自分は何が欲しいのか形にして見せてもらうまでわからないものだ」という表現をした。
これは、単に人の行動を注視したり、相手との関係性を深めたところで、何らかの解答が得られるような〝浅いもの″ではないような気がするのだ。
「形にして見せてもらうまでわからない」ということは、言い替えれば「想像もしていなかった」ということではないだろうか。
何かがポンッと目の前に現れた時にも、想像もしていなかったモノ・コトであれば、人はそのモノ・コトが持っている〝意味合い″を、まだきちんとは理解していないかも知れない。
少しの時間が経って、それが凄いモノ・コトだと理解できた途端に、「そうだ、これが欲しかったのだ。これを待っていたのだ」と叫び始めるのではないだろうか。
「深いインサイト」から発せられる叫び、私の言い方であれば「ウォンツ」が、目に見える形となった時に、人が示す反応とは、そういったものではないかと思うようになった。
昨日のこのブログで、「ごっこ遊び」や「コスプレ」を超えたレベルで提供される「観光コンテンツ」について考えた。
「深いインサイト」や「ウォンツ」に触れるように現れた「コンテンツ」は、だから「凄い力=パワー」を持った存在になると思う。
外国人観光客にとって、「ごっこ遊び」を超える「異文化体験」を可能にするコンテンツとは、「本物が持っている力」を知ることだと考えるに至った。
1時間コースで「抹茶の飲み方」を教えてもらうのと、〝躙り口″から腰をかがめて茶室に入り、正座してお点前を拝見して、それから作法通りにお茶を喫するのとは、まったく別のものが、そこにはある。
抹茶を飲みたければ、「甘味処」へ行って数百円を支払えば、足のしびれを気にすることもなく、手軽に抹茶を飲むことができる。これを日本の文化としての「茶道」だとは、誰も思わないだろう。
だが、〝和風″を売り物にしている甘味処では、ちょっとした日本庭園があったり、従業員が着物に前掛け姿で、注文の品を運んでくれるかもしれない。さらに、着いているお饅頭もそれなりのものだろうと思う。
「ごっこ遊び」として日本を体験するというだけなら、これでも良いわけである。日本人はこんなに〝可愛いスィーツ(和菓子)″と、苦~いグリーンティーを好んでいるし、有名な甘味処なら、数時間も行列して待っている、という理解でもいい。
それと、茶室で正式にお点前を見ることとの間にある差は、天地ほどの開きがあるだろう。「茶の湯」という「精神文化」を作り上げた、歴史と価値観がそこには存在しているのだから。
本物をコンテンツとして提供することが、本当の「異文化体験」になると思う。それは決して「忍者体験」や「侍体験」、「着物姿での町歩き」では知ることができない、日本文化の体験になる。
茶道を作り上げているものは、建築・陶芸・工芸・作庭・書や華道など、きわめて多岐にわたっている。そしてその一つずつが、長い年月の間に洗練されてきた。ここに、コンテンツとしての力=パワーが存在している。
同じようなことは、禅寺での「座詮」体験にも言えると思う。
ある意味で、「テーマパーク=ごっこ遊び」として知る「異文化体験」とはまったく異なった、精神文化までを含めて、きちんとした〝解説付き″のコンテンツとすることができれば、これを受け入れる顧客もあると思う。
そこで出会うニッポンは、これまでその顧客=外国人観光客が全く知らなかった日本の姿だと思う。こうしたコンテンツの作り方なども、色々な場所で可能になると思う。
そしてそれが、心の深いところで無自覚ながらも抱えていた、「ウォンツ」を満足させるものになるような気がしてきた。