浮かんだことを書いてみるシリーズ。
興味が長続きしないため
推し活ってことが出来ません。
なので
推しを熱く語れる人を
眺めるのが結構好きです。
私の周辺には
推し活に人生を注ぐ人が
結構いるんです。
大金注ぎ込んで
貧乏暮らししている人もいる。
幸せだそうです。
推し活していないと
自己肯定感が上がらないと
話す人もいました。
自己肯定感って
そんな意味でしたっけ?
人生退屈で暇だと言う私に
なにかしら推せるものを探せと
この人たちは言いますが
好きが長続きしないから
無理だと思います。
一つの事を長くやり続ける
夫に言わせると
私の飽き性は
神に生かされていることへの
感謝・リスペクトが
無いんだそうです。
そう見えるんですね~
それにしたって
神を上にして崇めすぎてませんか。
神は自分の中に在り
自分も神の一部なんじゃないかな。
夫のように
ひとつのことに長く固執できるのも
(良い意味でいってる)
私のように
すぐ飽きてしまうのも
神はどちらも
体験したくてやらせてるし
それを楽しんでると思うよ。
よくわからないそうです(笑)
無理して理解しなくても
よいんじゃないかな。
いつかどこかで
交わるかもしれないし
今世では交わることが
ないかもしれない
個人の思想なんて
そんなもんでしょ。
でもそれすら面白がって
眺めていたらいいんじゃないかな
なんてぼんやり考えます。