先日(2019年8月5日深夜)NHK-BSにて、花組『MESSIAH/Beautiful Garden』が放映されました。

ちょうど昨年の今頃、上演されていたんですね。
ついこの間のような気がしていましたが、そうか…1年経ちましたか。

たった1年なのに、当時のメインキャストの多くが「今の花組」から姿を消しました。

退団した生徒さんたち(仙名彩世、桜咲彩花、花野じゅりあ他)

組替で他組へ移った生徒たち(鳳月杏、舞空瞳)

その目まぐるしさ、変化の大きさに改めて驚きます。

そして次は、明日海さんがその対象なのだ…という事実が肚に堪えます。
私のドス黒い肚が、涙で少しは浄化されるかもしれません…。

『MESSIAH』は宗教を取り上げながら、実は無神論を唱えているようなお話。

天草四郎(明日海りお)は言い放ちます。

神は罰さない代わりに、救済もしない。
死後にパライソ(楽園)へ行って何になる?
生きている人間を救ってこそ神だ、と。

「神は本当に存在するのか?」という疑問と絶望が、天草の民の心に生まれます。

その疑問に対して、答えを見つける四郎さん。

いいや、神はいる。
あなた方のここ(胸・心)に神は宿っている。

あなた方は、私を救ってくれた。
神にも出来ぬことをしてくれた。

天草四郎という登場人物を借りて、原田諒先生は持論を差し出されたのですね。

イスラム教・ユダヤ教・キリスト教など、絶対唯一神(大いなる存在)を信じる宗教では、なかなか生まれないであろう発想だと思います。

私も以前は、原田先生に近い発想でした。
今もかなり近いと思います。

同時に、大きな何かとも繋がっているように感じています。

それが神なのか、大地なのか、宇宙なのか、次元を超えた何かなのか?

よく判らないのですが、大いなる存在と繋がっているような気はします。

これは私個人の解釈ですが。

宗教の目的は、神仏を拝むことではないと思っています。

預言者マホメットも、神の子イエスも、シッダルタ(お釈迦様)も、偶像崇拝を禁じていました。

カタチある物を拝み、有り難がるのではなく、自分自身が「ええやん」と思える自分になりなさい、という事かなと。

四郎さんも、天草や島原の人々も、信仰の基本に立ち返ったのだな…と思います。

私自身は、特定の信教は持っていません。

でも、その土地によって信じられている神様がいらっしゃれば、畏敬の念をはらいます。

「万物に神が宿る」という日本古来の考え方も好ましく感じています。

宗教は「大いなる何かと繋がる為の道しるべ」かな、と思っています。

「例えば、こんな方法があるよ」という手本や実例が教義かな、と。

人によって繋がり方・出会い方は様々だと思います。

…ですが、真面目で熱心な人ほど、教義を懸命に守ろうとする。

いつしか、「教義を守ること」が目的にすり替わっているかもしれません。
 
本来の目的を思い出すことも、時には必要かもしれませんね。

それが何であれ、何かを信じる事は、大きなパワーを生み、増幅させます。

できる努力はして、あとは流れに身を任せる。
それもまた、信仰といえるかも。

『MESSIAH』を観ていると、深い何かを提示されている気持ちになります。

▽さらに掘り下げて語りたい気もしつつ。
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