田辺聖子と明日海りお

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作家の田辺聖子さんが2019年6月6日に亡くなられたと知りました。
享年91歳。

芥川賞作家で、多産な小説家であり、随筆家。
多くの著作が映像化・舞台化されました。

兵庫県伊丹市にお住まいで、宝塚歌劇が大好きな田辺聖子さん。
ご自身の著作に、タカラジェンヌ(架空の人物)を登場させていらした事も。

そして、田辺先生の長編歴史ロマン『新源氏物語』は宝塚で上演されました。
2015年、花組(主演:明日海りお)での再演は記憶に新しいところかと。
その光源氏の演技で、明日海は文化庁芸術祭賞の新人賞を受賞しました。

少女時代から、田辺聖子さんは大好きな作家さんのお一人です。

以前、大阪心斎橋・高島屋でサイン会をされた時、並びにいったけれど人が多すぎて、無理となり。
諦めて、お手紙を高島屋スタッフさんに託し、帰りました。

後日、田辺先生から丁寧なお返事をいただき、驚きました。

お花をあしらった繊細な便箋に、
「お手紙ありがとう、私が書いた物語を読んでくれてありがとう」
…といった事を、美しい文字とやさしい言葉で書いて下さいました。

まさか、そんな丁寧なお返事を頂けるとは思わず、とても驚きました。
そのとき、すでに田辺聖子さんは相当なご高齢でした。
様々なことを、秘書さんはじめ色々な方にサポートされていた記憶があります。
お手紙を書くことも、労力が要ったことでしょう。
何重にも嬉しく、有難いお手紙でした。

田辺聖子さんは、ひとの気持ちを楽にする発想・視点・感覚をお持ちです。
著作(小説、エッセイなど)を読むたび、気持ちが楽になります。

私は正反対のタイプ。
四角四面で「かくあらねばならぬ」と自分も周囲も息苦しくなるような。
田辺聖子さんのようになりたい…と思いつつ、なれずに今日まで来ました。

久々に田辺聖子さんの言葉に触れてみたら、聖子さんの仰ることに「…あぁ、なるほど」「そういえば、そうかも」とうなずけたり、身に覚えを感じることが見つかりました。

以前は「私にはない発想だ…」と思うことが圧倒的に多かったのに、

とはいえ、ちょっこりです。
ほんのちょっこりね。

この「ちょっこり」は光源氏で「ほめられた…」な人が使ってた言い回しです。
一度しか目にした事ないのに、しつこく使ってます。
だって、可愛いから。

田辺聖子さんも、とっても可愛らしい方でした。
あんな人になりたいなぁ…と、今も思っています。

そういえば、明日海さんは男役を極めるにあたり、内面を磨くことを挙げていました。
『許し』『寛容』というキイワードに託して。

田辺聖子さんも著作を通して、ひとの弱さや愚かさを「しゃあないなぁ」と許し、慈しむことを繰り返し教えてくれました。

私生活では、子連れヤモメの医師「カモカのおっちゃん」と結婚。
家事に、育児に、執筆に…と多忙を極めていたお聖さん。
そんな中でも夫婦の会話を楽しみ、たわいないお喋りに至福を感じていらっしゃいました。

これまた、明日海さんの言葉ですが、
「身近な人ほど大切にしなきゃと思うようになった」と仰ってました。

同じような事を何十年も、何百回も、田辺聖子さんも仰ってたなぁ…と思い出しました。

わたくしごとで恐縮ですが、幼い頃からずっと「幸せになりたい」と思っていました。
でも、具体的にどうすれば、どうなれば、幸せになれるのか?

仮に王子様に見初められても、その後ずっと幸せに過ごせる保証などない。
それ以前に、私なんぞが 誰かに愛されるわけがない。

…という感じの理屈っぽく不安定なコドモが、そのままオトナになりました。

一瞬満たされても、すぐに不安が押し寄せる。
欠けた箇所や不足が気になる。

数年前、「どうしたら幸せになれるのか」みたいな話になった時、ふと気づきました。
「…すでに幸せだ」と。

王子様は勿論いません。
欠損や不足はあります。
物理的には、得たものより喪失の方が多いでしょう。

不安に襲われる時もあります。
孤独に胸が締めつけられる時も。

でも、同じ状況でも、満たされていると感じる時もあるんですよね。
つくづく、混沌と矛盾を孕んでいます。

どんなにややこしくても、気がつけば何とか破綻なく生きてきました。

むしろ、矛盾を内包しているからこそ、柔軟に対処できるのが人間の底力なのかもしれません。

聖母のような慈愛は、孤独や罪悪感を知ればこそ、熟成されていくのでしょうか。

柔らかな筆致で温かく人を描く、田辺聖子さん。

ストイックな姿勢で男役を追究し、より完成度が高い舞台を目指す明日海りお。

遠いようで似ているお二人だと感じています。

大好きな田辺聖子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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