ちょうど1ヶ月ほど前、ある友人が呈した疑問。
「ギィは、タルハーミネのどこに惹かれたのか謎」
「顔に惹かれたとしか…」
どんなに難アリの性格でも、それを許容して余りある美貌。
それはアリだし、他におお思い浮かばないほど、内面的に惹かれるポイントが見つからない…との由。
なるほど、そんな風に疑問を感じる方もいるんですね。
…という事で、私なりの解釈を。
……と1ヶ月前に書きかけて放置してました、ごめんなさい。
「こんな視点もあるよね」という事で幾つかの視点から分析してみます。
一つの見方として、参考にして頂ければ。
敢えて分けて書きますが、人間の気持ちはグラデーション。
あらゆる要素や側面が混ざり、連なっていると思います。
「そういう見方もあるのかも」くらいの、気軽なお気持ちで読み流して頂ければ幸いです♡
…というわけで、『外見的要素』と『内面的要素』に分けて、私なりに解析してみたいと思います。
まずは、外見的要素。
外見に惹かれる事自体は「面食い」または「好み」と受け取られがちです。
実際、そういう視点からの「顔しか思い浮かばない」との感想であったと捉えました。
ビジュアルの魅力って、もうね、そういう事じゃん?
他にも何か意味があるの?
… と問われてもいないのに、深掘りしたり、穿った見方をしながら、探ってみたいと思います。
様々なことを深く緻密に考察し、組み立てる創作者・上田久美子先生。
上田久美子先生への敬意を込めて、私にできる範囲で。
…という訳で、今回もシエスタの「〜じゃないかな?」「〜と思います」のオンパレードです。
すべて推測や仮説です、私のごくごく個人的な。
真に受ける事がありませんよう、よろしくお願い申し上げます。
目に見えるカタチとしての『美』
そもそも、美とはどんなものでしょうか?
実は『美しさ』って、とてつもなく曖昧です。
でもね、現代人の我々には強〜い味方がいます。
それが人工知能(コンピューター)
「ふざけてんのか?」って?
いいえ、大真面目でございます。
『究極の美形』をコンピュータ解析で作り出そう!
そんな実験が行われました。
世界中の『美しい』と認識されている様々な顔データを投入して。
『究極の美貌』が完成しました。
どんな顔が出来上がったと思いますか?
究極の美しい顔立ちって、どんな特徴があると思いますか?
究極の美貌ですよ?
世界中の美形のデータを掛け合わせ、モンタージュした結果ですよ?
そんなさぁ……そんな簡単にね?
一言に集約できる特徴がある訳ないじゃん?
……と思うでしょうか?
それが意外と、一言で集約できる特徴が見つかったんです。
目が大きくて、くりくり?
それとも、切れ長で涼しげ?
鼻がたっかーい!…とか?
唇がぷっくり♡…とか??
いいえ、違います。
『究極の美貌』の特徴とは………
………「これといった特徴がない」顔でした。
…あ、「左右対称シンメトリー」という特徴はあったかな?
「左右対称」は美に通じますよね。
完全なる左右対称の建物といえば、インドのタージマハルや宇治の平等院。
美しい建築として、あまりにも有名です。
そう……『究極の美』とは、あらゆるバランスがとれた状態。
様々な要素が含まれた最大公約数。
それゆえに、『無個性』に通じるのです。
意外ですよね。
ですが、見方によっては『納得の結果』とも言えます。
私達は無意識に「己に不足したものを求め、過剰なものを排除・ 切り捨て」ようとする機能を有しています。
疲れたら、甘いものを欲する(傾向が強い)事は、よく知られています。
脳の唯一のエネルギー源・糖分を求める図式ですね。
これと同じ事が、遺伝子レベルでも起こり、「自分に足りないもの」 を無意識に求める傾向があります。
「生物は、遺伝子の乗り物である」とする見方(仮説)もあるように、「より生存率が高く」 なることを求め、生物は淘汰と進化の歴史を刻んできました。
より生存率を高める『優れた遺伝子』とは何か?
己に不足している要素を備えていること。(補完)
でも、デオキシリボ核酸(DNA)に含まれた、アミノ酸を解析できる訳じゃありませんよね 。
普通の人間には無理です。
そこで、肉体的特徴から、不足と過剰を読み取る事になります。
匂い(フェロモン)は有名な指標ですよね。
「不足を埋めることが目的なら、美醜とは無関係では?」
と思われたあなた。
そうですよね。
不思議ですよね。
人はなぜ、美に心捉われがちなのか?
それは『美しさ』もまた、『生存率の高さ』つまり『強靭な生命体』の指標となりえるからだと思われます。
『美』は往々にして、『適切なバランス』と結びついています。
例えば「肌が綺麗」なのは、「感染症に罹患していない」 証左になります。
「爪や髪がつややか」 なのは頭皮や指先といった末端部まで必要な栄養分が行き渡り、血行も良い事を示しています。
『健康状態』と『美』は、密接な関係にあるんですね。
現代のような恵まれた時代は、人類の歴史上ほんのごく最近のこと。
我々の先祖は長い長い時間を、過酷な環境で生き抜いてきました。
『健康体』…すなわち、『よりバランスのとれた美しい個体』ほど、生存率が高い。
それを我々は、気の遠くなるほど長い時間の中で、遺伝子レベルで刻み込まれたに相違ありません。
『美』あるいは『好みだと感じる肉体』は、私たちの生存に必要な遺伝子を見つける指標だったのではないでしょうか。
ギィとタルハーミネも、それぞれ己を補う何かを感知したのか?
過酷な砂漠という環境で、より強い生命力を感じさせる指標(美貌)に反応したのか?
生きるには厳しい時代と環境であればこそ、より本能的に惹かれあった可能性は考えられると思います。
次は「内面的要因」…心理的側面からアプローチしてみたいと思います。
上田久美子先生作品ですし、心理分析は外せませんよね。
実は次回予定の記事こそ、1ヶ月前に書きかけて放置してた内容です。
でも、ちょっと悩ましい。
的外れかもしれませんし、肩透かしかもしれません。
今日の記事は、昨夜ふと思い立ち、書き加えました。
友人の感想を改めて想起し、「確かに外見も無視できない要素かも」と思いまして。
私は論理的思考が苦手で、極めて感覚的・直観的です。
私の文章の特徴として、「感じる」という表記がとても多い事にお気づきでしょうか?
「思う」も多いけれど、一般的な文章に比べ、はるかに「感じる」が多いです、私。
感覚の言語化は、とても難しいなぁ…と日々感じています。
しかも、人に伝わるように……解ってもらえるように……って、ハードルが高いです。
それでも、誰かに何かを伝える為に『言葉』は有効だし、大切だし、不可欠と言えるほど必要だと感じています。
「この感じ、どうやって伝えたらいい?!」…と日々ヨロヨロしながら、言葉を探しています。
そうやって、感覚を言語に置き換えるから、思考が生まれるんだな…とも実感しています。
たいへん個人的な余談ですが、私は左脳を広範囲に損傷してます。
脳細胞は、一度損傷したら、壊れっ放しが定説。
医療スタッフには「定説を覆す患者」と言われてるので、もしかしたら面白い事になってるかもしれませんが。
(面白い事って、どんな?)
左脳は、言語や論理的思考、数学的な概念などを司っている比重が、右脳に比べて高いと見做されています。
実際、失語症になった時期がありました。
日本語の単語を忘れちゃって、日本語が外国語みたいに感じられました。
「相手が何を言ってるかは大体わかるけど、なんて言えばいいか、わからない」
ヒヤリングは何とかできるけど、スピーキンゲは出来ない。
なぜなら、単語を知らないから。
リーディングも、書いてある意味が頭に入らない。
でもね、それはそれで幸せでした。
意外と不安もなくて……というか。
『不安』とは往々にして、『人の思考が創り出すモンスター』なんだな、って。
そう、体感しました。
言葉が戻ると同時に、思考も戻りました(歓喜)
不安や心配も、もれなくセットで戻りました(苦笑)
『思考は、言葉によって創られる』と感じています。
言葉には、功罪があります。
人を喜ばせたり、脅かしたり……いろんなチカラを持っています。
起こってもいない事や、ありもしない事を、簡単に生み出せるのも言葉です。
だからこそ、不安も生まれれば、素敵な物語も生まれる。
うっとりするような舞台も、心ない噂も、言葉があるから生まれる。
そして、言葉は選ぶことができます。
「好き♡」「美しい」「心地良い」と感じる誰かや何かを求め、愛するように。
自分自身への戒めを込めて、あらためて考えてみました。
言語化することで、はっきり自覚できる効用もあります。
意識できるかどうかって、意外と大きいですよね。
ギィとタルハーミネの話題から大きくズレました、ごめんなさい。
私の中ではすべてが繋がってるので、脱線しやすいのかな……?