ラリー・シーツ | 助っ人外国人列伝

ラリー・シーツ

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ブログ連載のいいだしっぺが更新できず、まことにすいません。ようやく仕事が一段落したので更新します。

今日紹介するのは、横浜大洋ホエールズで活躍した、ラリー・シーツ選手です。

1970年代から90年代の大洋(後年の横浜)は、牛込惟浩という辣腕・スカウトの存在もあって、助っ人・獲得術に長けた球団でした。ざっとあげただけでも、2冠王に輝いたカルロス・ポンセに阪神でも活躍したジェームス・パチョレック、史上最強の助っ人のひとりとして名高いロバート・ローズ、過去の連載でも取り上げた怪力・グレン・ブラッグスなどがいます。1998年、38年ぶり日本一に輝くまで、Bクラスを定位置とし、低迷を続けていた大洋球団でしたが、このようにきら星のように輝く「高レベル」助っ人選手たちが、ゴロゴロと在籍していたのです。

そんななかシーツ選手も、1987年にボルティモア・オリオールズで3割30本塁打を達成したスラッガーとして、その実力を遺憾なく発揮します。1992年の1年間、4番打者としてはたらき、打率.308、26本塁打、100打点の成績をのこし、打点王にも輝きました。ところが、このシーツ選手、同年オフに退団し、はやばやとアメリカへと帰国してしまいました。当時、球団が報道をとおしてのこしたコメントは、「もっとホームランの打てるバッターが欲しかった」という贅沢きわまりない内容。どうも後年の情報によれば、単に金銭面的に契約がまとまらなかったから、というのが正しい理由のようですが、3割20本を達成しながらこうも簡単に解雇という決断ができたのも、上記のようなコンスタントに優良助っ人を獲得できるバックボーンがあってのことでしょう。

1年間ながらも、シーツという名だけに、球団の話題を温め続けてくれた、記憶にのこる優良外国人選手です。
所属
横浜大洋ホエールズ(1992年)
通算成績
487打数150安打。打率.308本塁打26打点100盗塁1