インスタを何気なく見ていたら、
おしゃれをしたら「見せびらかしてる」といわれ
逆にシンプルにしても「貧乏くさい」といわれる
結局、人生、何をしても、悪く言う人はいるんだから、自分の好きなようにしたら良いんだよ
みたいな投稿があった。
私自身は「それな〜」って思った。
私の母がまさに「常に悪口言う」パターンの人だったからだ。
母の悪口を回避する術はない。
何してもどこかしらにケチをつけてくるから、自分を生きようとしたら、母を遠ざけるしかなかった。
しかし、他の人のコメント欄に、
「悪口でもなんでも、批判してくれている人がいるうちが華。少しでも自分に関心が向いているということだから。一番怖いのは善人による「無関心」「無言」」
という旨のコメがあって、驚いた。
私は、悪口とか不用なまでの批判などをいう人のことは、「一方的にゴミを撒き散らしてる人」として認識していた。
だけど、ゴミでもなんでも、自分に注目してくれてる証が欲しいと考えている人が、世の中には居る…?????
この事実に驚いた。
一体どのような思考回路でそうなるのか、私にはよくわからないんだけども、
そのような考え方の人が、「それ、言わなくて良くない?」と私が感じる類のことを世の中に充満させてるのかもしれない。
例えば、
ゴミ屋敷の住人は、ゴミをゴミと認識できないらしい。
ゴミでもなんでも、自分を物理的に取り囲んでくれている何かがあれば、安心する人も、世の中には居るんだろう。
そんな人からしてみたら、モノの少ないミニマリストの部屋は「落ち着かない、ゴミ撒き散らしたい」ってなるのかもしれない。
不衛生はよくないよ、とゴミを取り上げることが、そのゴミ屋敷の住人にとっては、不安を増強させる行為なのかもしれない…
精神にも通じる話だ。
精神的に衛生的でありたい人もいれば、
敢えて不衛生の中にしか安らぎを見出せない人がいる…?
人の心理とは、複雑で、私には解明できていないことが沢山ある。
しかし、個人的には、
少なくとも私は、精神的ゴミ屋敷からは遠ざかっていたい、と思った。
問題なのは、それがしばしば巻き込み事故だから。
ゴミ屋敷内だけでゴミ屋敷してくれていたらいいのに、ゴミの悪臭は周辺住民にまで悪影響を及ぼすだろう?
それと同じだ。
無関心よりはマシ、と、人に不用な批判や悪口まで押し付ける癖のある人は、同じ考えの人たちにとっては「寂しくなくなるから良い」のかもしれないが、
むしろ無音や無関心の方が心地よいと思う人からは、「余計な発言はやめなさい」的な、単なる迷惑行為だろう。
精神的ゴミ屋敷の原理…???
解き明かせたいない謎は、まだまだ多い