地方議会の政務活動費が問題になり、またすぐに忘れ去られようとしている。
もしかしたら国会での政治とカネの問題を影で一番喜んでいるのは地方議員かもしれない。

号泣議員、逃走議員などで話題となった兵庫県は、1割減という結論を出したが、それでも月50万円を45万円にしただけで、これでも全国的に見れば高い方だ。早々に幕引きを図ろうとしたのだろうが、あまりに浅はかと言わざるを得ない。
兵庫県民は馬鹿にされている。あるいはそんな議員たちを選ぶくらいだから、兵庫県民が馬鹿なのかもしれない。

政務活動費は議員の活動には必要なものだ。これを廃止せよとか言うのは、これも浅はかな意見だ。

問題は運用の一点に絞られる。1円からすべての領収書の添付を義務付け、公開すべきだ。いつでも誰でもチェックできる状態にすれば、普通は不正はなくなるものだ。

地方議員にはより一層の見識が求められる。既得権益と地元利益に汲々とする彼らは政治の限界を端的に具現化している。

住民はもっと地方議会に目を向けるべきだ。地方議会ではそれなりのことが決まっているが、知らなかったでは後の祭りだ。

報道によると、自民、公明、民主の3党は22日、通常国会での実現で合意した衆院定数削減に関する幹事長会談を開くという。


これは是非とも成し遂げなくてはならない。なんとなれば、野田前総理が昨年の党首討論で職責をかけて迫り、当時の安倍総裁も合意をした事項である。


この手の分野は総論賛成、各論反対で各党・各議員とも自らが火の粉をかぶらないよう必死になる結果、これまでも遅々として進んでこなかった。


政治家は、たとえ自分個人が不利益を被ろうとも、国家のためであれば必要な改革をすべきだ。それが本来の政治であるはずなのに、古今東西、自らの利益ばかりを主張する政治家のなんと多いことか、その数の多さには暗澹とさせられる。



もっと言えば、政治の役割は、国民に耳の痛いことでもきちんと説明をして負担を求めるべきは求めることだ。それすらできない、あるいはやろうとしない政治家が大勢いる。


地元への利益誘導にばかり腐心する政治家もその一つである。自民党政権になって、こういった旧来型の政治家が再び跋扈するようになった。以前と違うのは、こういった政治家が「国土強靱化」「防災・減災」の名のもとに堂々と跋扈するようになったことだ。テレビをつければ、地元への利益誘導を堂々と語る政治家にすぐ会うことができる。


政治家の質をもっともっと上げる必要がある。質というのは、心意気の問題である。



国土交通省の徳田政務官が辞職した。


今日の記者会見で官房長官は理由を明らかにしなかったが、政府の職を辞する時に理由を言わないというのでは許されないだろう。


失言やスキャンダルなどで、大臣や政務官が替わることは霞が関の日常風景と化している。

その是非は個別案件ごとの判断だろうが、この政務三役交代は霞が関では不必要な業務を生むことになることには留意をしておく必要がある。

政務三役が交代するたびに、「○○大臣ご説明資料」を作成し、説明をしなくてはならない。

あるいは、前の政務三役の肝入りのプロジェクトや宿題は、得てしてその個人の関心事項や選挙区の事情によるものが多く、そのままお蔵入りになることが多い。


政務三役はあまりに早く交代をしすぎる。

これでは政権に入った政治家が官僚と互角の議論ができるようになるまで育たないし、官僚の側は側で無駄な仕事が増えることにもなる。お互いにとって幸せなことではないし、何より国民にとって良いことではない。


副大臣・政務官も含めた政務三役は、もっと長く務めるようにすべきだ。

民主党政権末期のように、大勢の政治家でポストを回しあうのは厳に慎むべきだ。


ちなみに、今回の徳田政務官といえば、地元は奄美である。徳田政務官の担当業務は旧国土庁。奄美の振興も所管している。地元奄美の振興について、彼は担当政務官としてこれから力を発揮すべき時であった。

本人も無念であろうが、何より無念なのは彼を選挙区から送り出した奄美の人々である。

そういった人々に、彼は説明責任を負っているのではないか。

霞が関のタクシー帰宅について。


数年前に「居酒屋タクシー」が問題になった。帰宅時のタクシーでビールを受け取っていたというもの。このことについては、けしからん、という意見と、別にビールくらいいいじゃん、という意見があった。このこと自体を評価することは今回は避けるが、一つだけ断言できるのは、問題になった当時にあっても、この居酒屋タクシーというのは全く一般的ではなかった。ごく少数の人間が行っていたものなのだ。


しかし、この問題が持ち上がったことの影響は大きく、ある省ではタクシー券が廃止され、深夜残業を余儀なくされる職員は始発電車まで待たなければならないという事態を生みだした。


そもそも、なぜタクシーで帰宅する必要があるのか。


答えは単純で、霞が関の業務量が膨大だからである。

もう少し詳しく説明する。


①人が少ない

まず、業務量に比して人間の数が圧倒的に少ない。これは本当に少ない場合と、一方、「使える人が少ない」という場合もある。ある特定の人間は毎日深夜まで仕事をする一方、毎日定時で帰る公務員がいることも否定できない。そのような場合、仕事を分散させることはできないのか。答えは、できない。どの会社でも同じだが、残念ながら仕事の出来不出来は個人差がある。仕事の不出来な人を使うほど、業務にゆとりはないのだ。いきおい仕事のできる人に業務が偏ることになる。


②スピード感

霞が関は自分たちの世界だけで仕事をしているわけではない。最も影響を受けるのは政府全体の動き、それから国会の動きである。

そして、それらの動きはとても早い。総理や大臣は忙しいので、急な会議が立ち上がることが頻繁にある。会議に向けての資料作成など、一日で仕上げなければならない仕事はとても多い。

国会はもっと酷である。前日夕方にようやく日程が決まり、翌日は国会ということも少なくない。

質問主意書が当たれば、一週間以内に答弁を書かなくてはならない。一週間、と聞くと余裕があるように聞こえるかもしれないが、内部の調整作業を考えると、実質的には一日である。内部の調整作業とは、内閣法制局の審査、関係省庁との協議、大臣決裁、閣議決定、である。それらを含めて一週間なので、実質的には一日で作成しなければならない。

とにかく、とてつもないスピード感が求められる世界が霞が関である。


③国会

続きの話。国会対応は、霞が関の重要な仕事の一つである。

国会で答弁するのは総理や大臣だが、その答弁は前日までに霞が関が作成している。当日の朝に大臣に見せて、OKをもらうのだ。

国会が開会される場合、まず質問者が事前に質問通告をする。質問通告を受けて、関係する部署は当該議員へ取材に行く。質問の意図を正確につかむためだ。その後、役所に帰ってきて、答弁を作成する。他省庁にも関係する事柄であれば、協議をする。答弁の押し付け合いもある。

こう書くと簡単そうだが、まず国会議員の質問通告が来なければ何も始めることができない。

実際には、この通告が夕方や夜に来ることが多い。

そうすると、通告をもらった18時からヨーイドンで始めなくてはならない。答弁は当日中に仕上げて、翌朝早くに大臣に渡さなくてはならない。終電を逃すのは当然であろう。



以上がおおむね霞が関の長時間勤務の要因である。

税金を原資とするタクシー券が多額に上ることを良いことだとは思わない。しかし、現に必要だから仕方がない、というのが私自身の立場である。


タクシー券を批判するなら、霞が関の仕事のやり方全体を変えなくてはならない。それは、国会を含めた仕事の進め方全体を変えることに他ならない。


軽々に官僚批判を展開する人々は、このような事情も認識した上で批判をしていただきたいと思う。

先日の天下りについての話題、もう少し丁寧に説明をしようと思う。

日ごろ感じていることだが、天下りと聞けば怪しからん!と言う世間の方々は、政治家の先生方も含めて、天下りを生む根本の原因を見ようとはしない。あるいは、知識と感覚と相場観の不足のため、根本の原因に思いが全く至らない。


先日も書いたとおり、天下りの原因は霞が関の同期一律昇進の人事システムが原因である。このシステムだと、40代までは同期一律で皆課長ができるが、50代になって局長になる頃になると、同期の人数よりも局長ポストは少ないのが一般的なので、局長になれない人々が出てくる。とはいえ下は下でポストの順番待ちをしているので、いわばその方々は組織として不要となる。外資系企業であれば、その時点で「はいさようなら」となるのかもしれないが、国の役所でそんなことはあり得ない。いきおい、50代からの余生を過ごすポストを役所外に用意する必要が出る。


 では、天下り批判論者の方々が言うとおり、あるいは前の民主党の先生方が言うとおり、天下りだけを単純になくすとどうなるだろうか。結果は火を見るより明らかで、こぼれおちていなくなるはずだった50代以上の人々が役所内に残るので、その下の人々もその分昇進ができなくなる。そうするとずーっと下の方の人までポストが動かせず、昇進ができなくなる。民主党の先生方も「天下りをいざストップさせてみたら役所の人事が詰まった。これは予想していなかった」と正直に語ってくださっている。こちらは「当り前だろう。なんでいまさらそんなことを」と思うものである。


さて、私は人事システム上の必要性から天下りのことを述べた。しかし、私とて、人事システム上必要だから天下りは仕方ないんだよ、と言うつもりはない。天下りの問題として問題視すべきは、①給料が高いこと、②天下り先を転々として退職金を何度ももらうこと、③事務次官経験者等、昇りつめた人々がいつまでも重要な天下りポストをたらいまわしにすること、などである。

つまり、今の人事システムを続けるのであれば、天下りは必要だが、その時は給料を適正化し、まっとうな民間企業の就職にすべきである。

官僚に使えるスキルなどないという向きもあるが、私はそうは思わない。それなりの年齢まで務めた官僚であれば、必ず役に立つ知識や人脈があるはずだ。


ところで、もっと先に議論を進めるなら、天下りをなくすためにどうすればよいかということまで論じたいと思う。

天下りをなくすためには、同期一律昇進の人事システムを改めれば良い。年功序列を排除し、優秀な若手をどんどん上に引き上げるようにする。そうすると、現在の役所で大きな壁となっている「年次の壁」が次第に取っ払われていく。そうすれば、50代で外に出なければならない人は発生しない。そういう人たちは、そもそも「昇らせる」必要がないからだ。

ついでに言えば、キャリア官僚の給料をもっと上げるべきである。元々、天下りの給料が高いのは、現役時代に低い官僚の給料をトータルで大企業並みにするためである。しかし、それが歪んだ天下りを生んでいることは否定できない。であるならば、現役時代から大企業並みの給料を与えるようにすれば良いのである。その代わり、天下り(と言うか退職後の就職)の給与水準はまっとうな水準にする、という形。