日野町で生を受け、幼少期の人質時代に織田信長にその才覚を見出され、日野城(中野城)主として楽市楽座を始め産業振興に努め、その後現在の三重県松阪市、福島県会津若松市の礎を築いた戦国武将・蒲生氏郷公。
その菩提寺である日野町村井の信楽院にて没後425回忌追善法要が営まれ、日野町出身の村島、井阪両県議、山田町議、妻とともに出席させていただきました。
前列左から山田町議、私・後藤、村島県議
挨拶される蒲生氏郷公顕彰会の堀江清一郎会長
享年40歳と言う若さでこの世を去った蒲生氏郷公ですが、奥様である織田信長公の娘・冬姫(実際には冬姫と言う名前ではなかったという説が有力ですが・・・)さんは81歳まで長生きをされたそうで、今年378回忌を迎えるそうです。
本日お参りいただいた方は40名。没後400年以上経ってもこれだけの方が地元の法要に訪れてくださいますことからも、氏郷公がいかに多くの民にも慕われていたかが伺えます。
先見の明を持って時代を開き、多くの家臣に慕われた氏郷公。この21世紀の現代こそ温故知新の精神で彼から学ぶことが沢山あると感じます。