日々を生きる理由が必要だ
果たして、
俺が生きる意味はあるのか?
あるとすれば、いったい何のために生きているのか?
ひょっとして、生きる意味など、もともとありはしないのか?
もしも、生きる意味などないというならば、
何故、意味もなく生き続けられるのだろうか?
俺はどうしようもなく疲れきっていた。
もう限界だった。
俺は、信仰というものを持っていない。
こんなとき、信仰があれば、こんな馬鹿げた事を考える必要はないに違いない。
バイブルなり、コーランなりに、生きる意味はちゃんと書いているのだろう。
日々の艱難は何故、わが身に降りかかり、肉体や精神を苛むのでしょうか?
それは神の思し召しです。
すべては神の意思です。
神を信じなさい。
信じれば、救われます。
俺はいったい、何を信じればいいのだろう?
家族?
愛猫?
本に書いてある戯言?
霊が見えるなどと喧伝する、詐欺師?
金?
それとも……。
自分自身?
俺には信仰など必要ないが、哲学は必要だった。
結局のところ、多くの書物を読み、頭を抱えて考えてみても、生きる意味など、わかりはしなかった。
ひとつだけ確かなことは、
人は、自分が何者か、自分は何のためにこの世に存在するのかを考え続けて、
生き続けなければならないということだ。
何も考えないで生きていけるなんて、有り得ない。
宙に浮くような、幸福感。
死んでしまいたくなるような、困難と絶望。
病気になったり、何かうまくいかなくなったとき、誰だってふと自分自身を見つめることになる。
俺(私)の人生っていったい何なのだ、と?
言い換えてみれば、自分自身の周りに起こる事象すべては、
「お前はいったい、何のために生きているのか」
ということを、思索させるために、起こっているような気もしてくる。
希望の中でしか、意味を見出せない人間もいるだろうし、
絶望から意味を見出す人間もいるに違いない。
(喜怒哀楽は、そういうことなのか?)
俺(私)を、人類と置き換えてみたらどうか?
人類は、この地球にとって、存在に値するのか?
俺はすぐに、「癌細胞」を思い浮かべた。
癌は、宿主(というのかな)の体内で驚異的なスピードで増殖する。
宿主を食い尽くすことで、増え続ける。
しかし、それは癌細胞にとっての、「繁栄」ではなかった。
結果、宿主は衰弱し、最終的には死に至る。
それは、癌細胞自身の死でもあるのだ。
こんな矛盾を孕んだ生物(癌は生物なのか?)は、人間と癌細胞くらいのものではないか?
共存ということを、拒否する。
搾取し、
食いつくし、
汚し、
徹底的に、宿主(地球)を破壊し尽くす。
俺はまだ破壊されたくはなかった。
破壊する方にも、まわりたくはなかった。
俺を破壊し、増殖し続ける「癌」は、どこへ行くのだろう?
新たな宿主を、探すのか?
それもいい。
しかし、
どうせ食い殺されるのならば、あいつを道連れにしたいと、俺は思った。
どの道、地獄に落ちるのならば。
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