人はそれぞれ、違う価値観を持っていると知りながらも、
やはり自分の「快」は心地よく、
そこをガンガン進めたくなり、相手にもそれがいいに決まっていると
押し付けたりしがちです。
それも、無意識で。
そう、無意識だから、相手は困る。
それはこちら側が苦しいと言っているのに
聞こえない、伝わらない。
会社の人間関係以外に、一番多く見られる場所…学校。
先生と生徒。
「やりたいこと、見つけて夢に向かって走れ!!」的な
森田健作(古い!?)タイプ。
熱血先生は、前は見ているが
今ここで起きていることは見えてないことが多い。
最高なクラスつくり!!という目標へ進むとき。
ひとつのまとまりとして、とらえてしまうため
ひとりひとりへの個は見えてない。
すると、例えば生徒から
「Aさんにこう言われたんです。」と悩みを打ち明けられても、
「そうか。」と言葉では受け止めるが、
「でも、あいつもいいやつなんだよ。」にような言葉を言ってしまう。
それは、言ってきた子どもを否定してことになることに
気がつかない。
クラスみんなをひとつとして、最高なクラスつくりへ導くことに
意識は行ってしまうから。
そういう先生は、「本気でぶつかれ」「」本気でやれ」
などといいがち。
が、今生きていること、それ自体が本気であって、
ほとんどの子どもはそのへんの大人より
ず~っと本気なのよ。
だから、苦しむし、悩む。空気読むし。相手を気にする。
だから不登校にもなる。
本気とは、強気ではない。
「元気か!!」というけれど、
寝込んでなければ、元気なのよ。
静かに、動かなくてぼーっとしているように見えても。
先生や上司、指導者という立場になるのであれば、
相手と自分は宇宙の果ての果てほど違うのだから、
自分が良い、「快」はみんなもそうだと決め付けるのは危険だと
知っておいたほうがいい。