少し、前の日の話を書きます。

16日の金曜日は、

「大学総長招待の指定寄付奨学生の集い」というパーティがあり、

参加してきました。

(・・・。強制参加です。)



その日は、比較的体調も良く、行くことができました。



パーティの冒頭には、生協関係者の方が、

「生協の白石さん」のお話もされて、

盛り上がりました。

参考 => がんばれ、生協の白石さん!



(生協の白石さんは、昔は早稲田の文学部の生協にいらっしゃって、

東京農工大学に移られたそうです)



私は、某大手企業の社長K氏から

多額の奨学金を給付(返さなくて良い)でいただいております。

大変ありがたいことです。



参考 => 奨学生に内定したときの記事



起業を決める前に申請していて、

起業して数週間後に内定しました。

そして、実際に奨学生として選ばれました。



枠が、学科で1人だったので、

決まった時はうれしかったです。



話を戻して、

金曜日には、そのK氏ともお話をすることができました。

穏やかな表情と口調の中に、熱い情熱のようなものを感じることができました。



名刺も交換させていただいたのですが、

さすがに個人情報そのものなので画像はアップしません(苦笑)。



色々と起業に至るプロセスをお聞きすることができました。

また、人生の中での労苦されたお話や

アイディア発想法のようなこともお聞きすることができました。



最近、株価もかなり上昇していて、ヨーロッパの企業にを追い抜いて、

今、株価がすごいらしいです。

私は株はしていないので詳しいことは分かりませんが、

かなりの大物でした(笑)。



パーティの最後は、なぜか、大学の校歌「都の西北」でしめました。

日本の大学で、これほど有名で覚えられている校歌も珍しいものです。



奨学生の中には、私のように既に起業した人は居ませんでしたが、

起業を志す人もいて、話が盛り上がりました。



(このブログをもし読んでいたら、また大学で会いましょうね)


私も、将来は奨学金を提供できるような人になって、

成績が優秀なのに経済的に困窮しているために

進学が困難な学生を支援するための

奨学金を出せるような大物になれたらなぁ・・・なんて思いました。



奨学生に選ばれたからには、

社会に還元できる研究結果を残し、

また同じようにこのような奨学制度の維持・継続を支援していく立場になりたいなと

個人的には思いました。

感謝と責任を感じて。



ノーブレス・オブリージ(ノーブレス・オブリージュ)」という言葉

(たしかフランス語)があります。

私が中学生のときに、

通っていた塾の塾長から聞いたお話です。



ロンドンかパリか、忘れましたが、

貴族達がいつも優雅な生活を送っていたけれど、

いざ、戦争になったら、

最前線で最も亡くなったのはその貴族達でした。



「待遇を受けるかわりに、そのぶんの責務に対し、それを命をかけて負う」

というような意味です。



成績が良かったというのもあるのですが、

私は中学のときは多少優遇されていました。

そして、塾長から、ある日、この言葉を聞きました。



「政治家であろうが、学者であろうが、学生であろうが、

待遇を受ける者・補償を受ける者は、その責務を全うせよ」

との諭しでした。



今でもその塾長には感謝しています。

いろんな場面でこの言葉を思い出して、

「人に使ってもらえる者」ではなく「人に仕える者」になりたいと

何度も思いました。



(参考 => 

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、

一番上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

新約聖書マルコによる福音書10:43途中~44より抜粋」)



しかし、実際はなかなかそうも行かないものです。

人間は罪びとです。

すぐに鼻が高くなります。



けれども、今回の奨学生の集いでK氏からお話を聞きながら

ほほを弛ませて、目じりを細くしながら

若人に語りかけるその姿が、

先の塾長の顔と重なりました。



今は体力的に「ひいひい」言っていますが、

社会に還元できる人間になりたいと思いました。

それと同時に高慢になることのないよう、

注意したいとも思いました。



徒然に・・・。