【9月15日(水)】
先負仏滅大安赤口先勝友引
六曜は大安である。

●慶長5年10月21日 関ヶ原の戦い
(関ヶ原の戦い=せきがはらのたたかい)
慶長5年(1600)関ヶ原で、石田三成らの西軍と、徳川家康らの東軍とが
天下を争った戦い。
小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝し、石田三成らは処刑され、
豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。
これにより徳川氏の覇権が確立した。

【関ヶ原】
岐阜県南西端の地名。
交通の要地で、古くは不破=ふわの関が置かれた。
安土桃山時代から中山道の宿駅となり、
北国街道・伊勢街道の起点ともなる。

●慶長18年10月28日 支倉常長ら仙台藩の慶長遣欧使節が日本を出発。
◎時代は、「安土桃山時代」男鹿=おが半島の冷たいやませ風の吹きすさぶ寂しい
ちいさな岬からの出発だったのですね。
生きて帰れるかどうかもわからない、それこそ寂しい心だったでしょう。
ローマへ、向かったのですよ。それが、?どこにあるかもわからないままに?。
(伊達政宗=だてまさむね)
[1567~1636]安土桃山時代から江戸初期にかけての武将。
出羽の人。畠山・蘆名氏を倒して奥州を制覇。
のち、豊臣秀吉に仕えて
朝鮮に出陣。関ヶ原の戦い・大坂の陣には徳川方につき仙台藩の基礎を固めた。
キリシタンに関心をもち、支倉常長=はせくらつねながをローマに派遣。
幼時に疱瘡=ほうそうで右眼を失明し
独眼竜と称された。

●延享4年10月18日 田沼意次が小姓組番頭格となる。
(小姓組=こしょうくみ)
貴人のそば近くに仕えて、身の回りの雑用を務める役。
また、寺院で、住職に仕える役。
多くは少年で、男色の対象ともなった。

「あれほどの、こしょう一人を斬ればとて」
◎この言葉は、織田信長が、前田犬千代を
切るか否かの時に言った言葉だと言われてるのですね。

●嘉永6年10月17日 大船建造の禁が廃止され、
およそ250年ぶりに大型船の建造が可能となる
◎これなんですよ。かつて、
徳川幕府が、50万石以上の大名の財力をなんとか小さくしたい。の政策で、
加賀百万石に目をつけて。
[幕府の認めてない、大型船と保有してる、船の数も多い]で、
八人の家老がズラリと並んで切腹して、お詫びした例もあったのですね。
日本の場合、今でも、許可制がきびしくて。
外国へ行って。新製品の発表をしてる場合もありますよね。