政治家であり、小説家である田中康夫の処女作『なんとなく、クリスタル』は1980年に文藝賞を受賞し、その“内容のない”内容、独自の解釈を注釈にしてそれを多用した文章のスタイル、書き手が現役の一橋大学生ということで話題をさらった。1980年の現代を切り取ったそれは社会現象を起こし、翌1981年1月に単行本化されるとヒットする。当然、ヒット小説には映像化は付きもので、さっそく松竹が映画化することに乗り出した。



さて、映画化の過程を語る前に、原作の『なんとなく、クリスタル』のあらすじをさらっと紹介しておこう。渋谷の高級マンションに暮らす女子大生の由利は、両親は仕事でシドニー在住。アルバイトにファッションモデルをしていて月収40万円(当時の大卒初任給は10万円そこそこ)を稼いでいて優雅で気ままな暮らしを送っていた。由利には同棲相手がいて、ミュージシャンの淳一は流行のフュージョンをやっているグループのキーボーディスト兼リーダーでそちらも自立している。由利は淳一と気が合う生活を送りつつ、六本木のディスコで出会った正隆と気が合ってセックスしてみたもののあんまり感じなかったので、やっぱり淳一とセックスするのが一番と覚える。それから、廻りのモデル仲間や同級生たちの流行の追いかけっぷりにあきれているけれど、じつは自分も同じ事している。将来どうしようかなあ?と時折想いつつ、「いい女」にはなろうとは心がけている。


えっ、これがあらすじ?


そう、とにかく「だから、それがどうなの?」という内容なのである。


この淳一のモデルとなった人物はカシオペアのギタリスト兼リーダーの野呂一生。小説の舞台となった1980年6月の段階で3枚のアルバムを出していることなどが一致する(カシオペアは1980年4月に3枚目となるアルバム『THUNDER LIVE』を発表)。ただ、田中と野呂の間に個人的な面識はなく、公的な関わりとしても前年1979年に田中が一橋大学の文化祭の実行委員長でデビューしたてのカシオペアを呼んだのが最初で最後だったそうである。原作には淳一のバイオグラフィーみたい部分も記されているが、わたくし茶屋町吾郎の見解としては松任谷正隆に近いものを感じる。いずれにしろ、真に迫るものではなく、野呂一生や松任谷正隆の上辺だけをなぞったにすぎない。


しかし、その野呂一生に映画化する際に淳一役の話が来た。御本人に伺ったところ、「まあ一応は考えたけど・・・」とリップサービスを効かしてくれた(笑)。話は逸れるが、じつはそれ以前に野呂は映画出演経験がある(!)。大学在学中に参加したバンド、ファンシーハウスが当時バックを勤めていた関係で若手俳優・星正人主演の映画『男組』(1975年 東映)の少年鑑別所のシーンにおいて慰問のロックバンドの役として出演。この前、その映像を拝見したが、一時停止してようやく「あぁ、これが野呂さんかな?」程度の出演シーンであった。ちなみに、御本人からこの秘話を聞かされたとき、「“オトコグミ”の映画に出たことあるんだよねぇ」とのことで、「男闘呼組の『ロックよ、静かに流れよ』(1988年作品)に出ていたの?、でも、あの頃ってカシオペアで忙しいし、出ていたのなら話題になっているはずだし・・・」と勘違いしてしまった(笑)。


この淳一役は次に坂本龍一に持ちかけられた。しかし、坂本も断り、最終的には当時NASAというフュージョンよりのポップスグループのボーカリスト兼バイオリニストの亀井登志夫が抜擢された(亀井は映画初出演)。このNASAはCBSソニー所属で、映画「なんとなく、クリスタル」には音楽プロデュースとしてCBSソニーが参加していて、サントラ盤もCBSソニーから出されている。



野呂一生のカシオペア、そして坂本龍一は1981年当時はご存じのごとくYMO、どちらもアルファレコード所属だったのである。つまり、松竹は当初はアルファレコードに音楽プロデュースを任せようと参加を促していたのではなかろうか?、そのバーターとしての野呂や坂本への出演依頼と推測する。



原作『なんとなく、クリスタル』は当時ヒットしていたり、数年前に出されて既にスタンダード化していた洋楽のアーティストや曲名が実名で登場している。映画化はリアリティにこだわったようで、主演の由利役も女優のかとうかずこではなく、本当のファッションモデルで探していたという逸話があったし、ミュージシャンの淳一役探しも最初から最後まで本物のミュージシャンに拘った。そしてなによりサントラをオリジナルの劇伴ではなく、既存の洋楽、それもボズ・スキャッグスやTOTO、アイズレー・ブラザース、ウィリー・ネルソンといった名だたる面々の曲を起用したのだ。これが「もしも・・・」の話として、アルファレコードの音楽プロデュースだったら、当時提携していたA&Mレコード所属のアーティストらを起用しただろう。


ただ、アルファレコードにとって“映画”はトラウマであった。1977年、原盤制作会社から独立したレコード会社になるとき、その目玉のひとつとして東宝の大作映画「火の鳥」(原作・手塚治虫 監督・市川崑)に社長「村井邦彦」名義で制作に参加する。もちろん、サントラなど音楽面も手がけてもいて渾身を込めたものであったが、映画そのものが酷評と不入りで大失敗に終わった。それがあって二の足を踏むのは当たり前だし、この1981年当時は、アルファレコードはアルファアメリカに湯水のように金を使っていてそれどころじゃなく、インターナショナルな作風でもない国内公開しか出来ない映画には興味を示さなかったのではないかと考える。


話を「なんとなく、クリスタル」に戻そう。


「なんとなく、クリスタル」は1981年春に撮影が開始され、撮って出しで5月に公開。併映はアヴァンギャルドに仕立てた時代劇「魔性の夏 四谷怪談より」だった。公開時、まだ“なんクリ”現象は続いていて話題作であったものの、結局のところは不入りに終わる。


翌1982年に一度だけテレビで放送されたことがあったが、当時は邦画のビデオソフトがようやく出るか出ないかといった時代だけにビデオソフト化はなされず、未だにDVDやBD化もなされていない。また、CSなどでも放送されたことがない幻の作品となってしまっている。



この原因はふたつ考えられる。ひとつは不入りの失敗作であること。もうひとつは、前述のサントラが足枷になってしまっていること。『なんとなく、クリスタル』は、音楽制作費に破格の3000万円を使ったと本作の公開時のパンフレットには記載されている。またそれは一説によると総制作費の十分の一を占めていたとか。ビデオソフト化などの二次利用に関しては使用権料が別個に発生するので、「映画秘宝」でも取り上げてくれないようなカルト作品でもない本作はソフト化するに未だ見合わないのだ。


なお、同年の角川映画“十八番”の金田一耕助モノの『悪霊島』もサントラにビートルズ(「GET BACK」と「LET IT BE」)を使っているばかりにビデオソフト化は適わなかった。近年ようやくDVD化されたが、なんとカバー曲に差し替えられていて、判っていてもそれへの批判が相次いだ。


やはり幻は幻のままでいいか。