震災を伝えるさまざまなカタチ | おうたをうたうひと。牛来美佳のブログ

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ー どんな時も気持ちは
辿り着くまで 消えない... ー

"全ては失ったモノたちが教えてくれたこと…"
伝えるための歌であり、出会いでありたい。

この歌声はその心に届け、
その魂を揺さぶるように響かせる。

牛来 美佳

昨日は

私が子どもの頃に通っていた塾で

震災後は静岡県に避難している

堀川先生ご夫妻のお誘いで

プライベート(友情出演)でお出掛けしました。


うたごえ喫茶@髙田馬場


会場ではうたごえ喫茶のお客さまや、

浪江町から各地へ避難された方々...

また浪江町出身の方を中心に、

演者と共に60名を超える人々で

募っておりました。


浪江町の今野さんのお話しを切り口に

始まった今回のプログラム。

切実な想いが突き刺さりました。




堀川先生ご夫妻。

私が通った塾。

もちろん、

生まれ育った浪江町でね。

堀川先生たちも震災後は

あちこちと転々した後、

静岡県内に避難されました。

そして避難先で亡くなってしまった

愛犬目線で書き下ろした

東日本大震災、原発事故の現実を伝える

「手紙〜お母さんへ〜」

絵本を自主制作されました。


私のG-namieプロジェクトでも

初回開催の2018年には

パネルディスカッションでのご登壇、

2019年開催時には

太田市芸術学校“松ぼっくり”の皆さんによる

絵本の朗読会をしました。

その後も毎年欠かさず、

私のプロジェクトに

駆け付けてくださっています。


そして会場で流れた映像、

中筋純さんが撮影された

堀川家の解体の記録は

何度も観ても気持ちが溢れ、

涙が止まりませんでした。




この映像をしっかりと観て欲しいです。

何のための解体かを考えながら...



撮影したのはカメラマン-中筋純さん。

不思議なご縁でね...

コロナ禍前の2018年に、

やっぱり堀川先生ご夫妻のお声がけで

初めてうたごえ喫茶の集いにお邪魔した際、

初めてお会いしたのがキッカケです。


でね、

その時、打上げでも

ご本人と散々話しておいて...


その後、帰宅して寝ようとした時、

目に入った部屋の本棚から...

「中...中筋純...  😳・・・

あの、中筋純さん‼️」


あるキッカケで知った

この写真集が欲しくて

群馬の書店を駆け巡って、

最終的に取り寄せたこの写真集の

カメラマンであったたこと。



何でお会いしてる時に

思い出せなかたのかと思わず、

その時にメッセージを送りました。


その後は、

一昨年の夏に浪江町でちょっと会ったけど、

そんな中筋さんとの再会✨

今日はとてつもない

無謀なお話しをしたけど、笑

またご一緒できる日が楽しみです!




そしてお次は、

同じく浪江町出身の歌人-三原由紀子ちゃん。

久々に会いましたが、感動しました。


由紀子ちゃんの

書籍の内容に沿ってのトークの中に、

「原発事故がなければ知ることのなかった浪江町歴史」

をさす言葉がありました。


いつか...

震災がなければ

こんな思いをすることは

なかったと悔やみ、苦しみ...

後々に震災がなければ

この人々たちと出逢えなかったと

気付かされた私の想いと何かが重なった。


きっと由紀子ちゃんも

この故郷の在るべき姿を失った震災のことを、

これまでもこれからも肯定することはない。

それでも苦しみもがきながら、

歩む先で伝え続けて来たからこそ、

たどり着いた道標のように感じました。



日本の歴史学者、国文学研究資料館教授-他で

ご活躍されている由紀子ちゃんのご友人、

西村慎太郎さんとご一緒のトークショー。

浪江町の各地域の歴史を掘り下げて

執筆もされている西村慎太郎さんとも出逢いました。


●三原由紀子ちゃんが取り上げれた記事


2人のトークには吸い込まれて、

子どものような眼差して聞いていました目がハート


西村さんは東京のご出身なのに、

本来の浪江町の住民さえも知らない

我が故郷の歴史を話している姿に

すごく感銘を受けました!


そして西村さんの本のタイトルが、

『大字誌浪江町権現堂』のススメ


私も由紀子ちゃんも

浪江町の大字権現堂出身です。

自分の出身町以上に大字まで

タイトルになっていると不思議ながらも

ニヤっとなる✨



由紀子ちゃんの

「土地に呼ばれる」と一緒に

手に取りました。


お二人も話していたけど、

「語り継ぐ」ということの深さ。

誰かが...!というところで、

由紀子ちゃんは

向き合ったのだと思うんですね。

それはすごいエネルギーだったと思います。

ですが、

こうして由紀子ちゃんの行動によって、

浪江町の大事な宝となって

知ることのできた歴史に繋がっていて、

私は感動しました!



そして、

最後に「いつかまた浪江の空を」を

歌わせていただきました。

この曲を生で聴いたのが

初めてという方が多かったと思います。


浪江町から各地へ避難した方々、

浪江町出身の方々が、

この曲を今、どう感じ想うか...

そんなことを少し思いながら歌いました。


打上げの際に、

関係者や撮影されていた方々が、


「やっぱりあの曲は心にきますね...

色々な方が泣いていましたよ。

杖をついてるお爺さんも泣いてたよね...。

堀川先生もねっ!!w」(←堀川先生はいつもですw)


とお話してて、

改めてこの楽曲は年代を超えて、

ちゃんと届く楽曲なんだと感じました。


生きて来た長さじゃなく、

この叫びようのない叫びを隠しながら

今日もそれぞれの場所で生きる。

だけど、

浪江町を通して、

浪江の空を描いて...

あの時の浪江をすっと思い出し、

心いっぱいに映し出す。

歌詞にあるように

また皆んなで眺める日を心に思う。


まだまだしっかりと届けていきたいと、

改めて思わされることばかりです。




それぞれの大切な想いが

この楽曲に委ねられて

皆さんの涙に溢れる...

ずっと皆さんの心に寄り添い、

あの時の浪江町を思い出して懐かしんだり、

これからもこの曲と共に

私たちの大切な浪江町を描いて...

沢山の人々へ届けていきたいと思います。



昨日は本当に色々なことを

考えさせられました。

そして懐かしい顔ぶれに

涙が溢れました。


「浪江で会おう...」




皆さんとの出逢いに心から感謝...✨





今回もお誘いしてくださった

堀川先生ご夫妻、

本当にありがとうございました。

浪江町で生まれ育って、

幼い頃から知っている関係性が、

こうして震災を超えても、

それぞれのカタチで震災を伝えながら

ずっと繋がれていれることが幸せです✨

ありがとう。