1年数か月後に死ぬ三島由紀夫 | 38度線の北側でのできごと

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「三島由紀夫VS東大全共闘」を見て来た。

 

 100日後に死ぬワニ、ではなく1年数か月後に死ぬ三島由紀夫が東大の駒場キャンパスに乗り込んで、東大全共闘と討論をするドキュメンタリー映画だ。

 

 そこでかわされる会話は、前時代で観念的過ぎて、正直に言えば難解にこねくり回されていて理解するのは難しい。三島も40代。学生は20代。登場人物がみな若いのだ。熱気に満ちている。

 

 60年代後半にかけてのいわゆる学生運動。世界同時革命ということばの通り、世界中で反戦というキーワードの下に若者が立ち上がった。日本でも火炎瓶と石が飛び、ゲバ棒と盾がぶつかり、デモが繰り広げられていた。

 

 そんな騒乱を再び求めはしないのだが、その若さと熱気には単純に憧れる。

 

 東京オリンピックが終わり5年後の風景。逆にオリンピックを数か月前に控えた今の風景はどうだろう。今日のニュースで見た安倍総理65歳。森元総理82歳、小池都知事67歳。みんな疲れている。老いさらばえている。

 

 オリンピックは延期へと舵を切った。ウイルスの蔓延は感染しなくとも体力と精神力を削っている。それを跳ね返すだけの体力も精神力をもはやぼくたちは持ち合わせていない。マスクを買い漁り、終わりのない拡散に疑心暗鬼し心をすり減らす。

 

 確かドイツだったか。コロナパーティと題して逆に若者が集まり乱痴気騒ぎをしているというのは。医学的見地からすれば目を覆うべき件なのだが、ぼくはそのニュースに呆れ、苦笑しながらも若さを感じたのだ。おバカで無秩序で、理由もなく反抗をして粋がってみせる若者の姿を見たのだ。

 

 ぼくたちは最近、若さをどうやって発散させているのだろう。

 

 それは例えばサッカーのW杯やハロウィン、年越しの渋谷の街に見られる光景がせいぜいであって、DJポリスたちによって整頓できる程度のものではないか。

 

 オリンピックももしかすると、そのひとつのイベントとなったのかも知れない。オリンピック期間中、渋谷の街は解放区になったのかも知れない。

 

 だが今回コロナウィルスの影響で明らかに日本は、世界は疲弊した。世界各国は門を閉ざし、人の行き来を止めた。終息まで引きこもり息をひそめる。

 

 一度内向きに縮んだ世界が落ち着きを取り戻しても、以前のような若さは発揮できない。もう以前のような狂騒は生まれないのではないか。解放区は生まれない。ぼくたちは静かにオリンピックを迎え、世界からの人々も、再びのウィルス感染を恐れ、接触と交流を敬遠する。どこか遠巻きに祭を見つめることになるのではないか。

 

 ウィルスが奪ったのは命だけではない。活力だとか、若さだとか、そういったものを根こそぎ持って行った気がする。

 

 蟄居し門を閉じた国々が恐る恐る門を開け外を覗く。もう大丈夫だろうかと独り言ち、門から首を出し左右に振る。

 

 その顔は短期間で急速に老けていて、お互いにその老いさらばえた姿に「うわっ」と腰を抜かすのだ。遠くからオリンピック、祝祭を知らせる太鼓の音が聞こえる。どんどんどん、どんどんどん。かつてその音を聞けば、誰もが心踊ったのに誰もがため息をついて、やれやれ、疲れたと嘆息しながらその音の方へ歩き出す。

 

 そんな忌々しい光景を、エンドロールを見ながらぼくは想像していた。