リハビリと斜陽、あるいは落日 | 38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

 便会社は嫌いだけど、年賀状を1日書いた。

 

 踊る捜査線の1と3を見て、深津絵里が一気に老けていることに驚いて、小泉今日子がまぁ不気味で、今はいったいいくつかと指折りながら書くから遅々として筆は進まず夜までかかった。

 

 目的は書くリハビリで、年賀状を書く合間に1月の久しぶりの講演のレジュメを作って送った。徐々に戻りつつある感覚がある。

 

 困るのが恩師で、短い間隔で引っ越すから住所がわからないし、返事も来ないし、研究室に送ってしまえばいいのかも知れないがそれも面倒くさい。文句を言いながら、ようやく見つけ出した住所に送る。

 

 伊東屋で万年筆の芯を替えてカリカリと書く。窓の外は久しぶりのあたたかな陽気なのだが、結局ぼくはマンションの部屋で筆を取り続けた。

 

 以前勤めていた会社が、年賀状に商機を賭けていた。年賀状でほとんどの利益を生み出すのだ。電話は鳴りやまず、現場からの声は切実で、職場全体が何だか妙なテンションだった。

 

 機械を止めろと何度か言われ、止められるわけないだろと言い返し、経費で落とせるだろとなだめて電話を切る1日。たぶん今も、この会社では都心の片隅にある、前の東京オリンピックの年に建ったビルで時代遅れの狂騒曲を演奏しているのだろう。

 

 9月ごろから勉強会が始まり、上司が叱咤激励を発し、けれど後方部隊のぼくらが売り上げを上げることはなく、それが別に歯がゆいなどとは決して思うことはなく、帰り道に年末の有楽町のライトアップされた街路樹を見て迫りくる年末を感じていた。

 

 入社直後に1枚でも稼ごうということで、社員間で年賀状をやり取りしようと上司が言い出した。いやいや、マジで勘弁と思っていたら、同期が文句を言って中止になった。元同僚たちはぼくの住所を知らないし、ぼくも元同僚の住所を知らない。

 

 斜陽ということばを口にすると、ぼくは悲しみと薄い思い出とともにこの会社のことを思い出す。椎名林檎の落日を聴いても同じだ。「丁度太陽が去っただけだろう」。太陽は既に去り、地の熱さえも冷めようとしているのに。だが、この会社は今日も時代遅れの狂騒曲を奏でている。