諦める年齢になった。 | 38度線の北側でのできごと

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 めるなどと言うと、松岡修造が出て来て熱く説教される嫌な予感しかしないが、それでもこの年齢になると諦めないといけないことも出て来る。

 

 今からプロ野球選手になるなんて、かなわない夢を「憧れ」と共に見送る。もしくは見ないふりをする。そんな年齢になってきた。

 

 自分に限って言うなら、大企業に入って出世競争を勝ち抜いていくなんてのもそう。体力的にも精神的にもキャリア的にも無理。

 

 お酒も飲めない。飲んで憂さを晴らすとか、お酒の美味さを感じて語るとか。ウイスキーの芳醇な香りも、日本酒の味の深さも知らない。飲むだけでなく酒に付帯するあらゆること。文学的なものや、エピソードや美味しいお酒を飲ませる店の存在などなど。失敗談もないけれど、出会いもない。どこか自分は人間的に薄い存在であるという劣等感のようなものがまとわりついている。

 

 けれどお酒を飲めないという視点で街を歩くと面白い。夜、お酒が飲める場所の看板や照明をパッと消してみると、繁華街は漆黒の闇へと変わる。コンビニも棚がごそっとひと棚消える。

 

 病気というのも諦める材料のひとつ。お腹が壊れているのでぼくは濃い味のラーメンを食べることなんてもう出来ない。

 

 徹夜も出来ない。睡眠不足は即メンタルの不調につながる。ノリが悪いと言われても、半ば恫喝のように遮られても、場の空気を壊そうとも、帰って寝なければならない時がある。

 

 自分がどこまでなら行けるか。どこを超えると壊れるかということを経験として見極めながら、その枠の中で最大限楽しむ術を見つけて行く。そういう年齢になってきた。

 

 心病み休職をすることになった友にこんな話をしたことがある。休職という選択をした以上、いわゆる出世の大通りに戻るのは至難だと。これからは釣りバカ日誌の浜ちゃんよろしく、自分の出来る範囲で仕事をしながら最低限の立場だけ守り、貰うものを貰い、仕事以外のところで生きて行く術を見つけて行こうと。

 

 ぼくの声はたぶん届かなかったと今は思う。あれから数年が経ったけれど、友は同じところで堂々巡りを続けている。

 

 本当に諦めることはプライドなのだ。毎日会社に行く。それだけでも実にすごいことで、それさえ出来ないぼくたちは、間違いなくある部分で劣っている。それを認めないと苦しい。その中で最大限の権利を守りつつ、生きて行かないと。