履歴書とけいけんち | 38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

 歴書と職務経歴書は社会を渡っていくためのチケットと言いますか、社会経験を測る共通資料と言いますか、ほおほおなるほど、あなたはそういう人物なのですねなどと読み合わせる材料と言いますか、こうしてぼくがぐだぐだとここまで息継ぎのしにくい文章を書く理由は、ぼくの持っているチケットが取るに足らないというか、客観的に見て評価はされない、あるいは疑問符がいっぱい付くものだろうなというこじらせた劣等感がそのほとんどであって、残りはだいいち紙切れ一枚でオレの人生の何がわかるのよと虚勢を張ってみたり、なんで人生こうなっちまったんだとふり返りため息を吐いてみたり、半ば捨て鉢気味に天井を仰いでみたりするのがまさに今この瞬間なのである。

 

「男の顔は履歴書」と言ったのは大宅壮一さんだったか。「女の顔は請求書」と続けたのは本当なのだろうか。今だったら、#metooの格好の餌食、火だるまになるだろう。ことばと権威で何とか抑え込むことが出来た時代の出来事。

 

 それにしても毎朝鏡を見ると年齢にしては幼い容貌の、けれど年齢相応に広がりつつある額と疲れ切った表情の男がいるのだけど、こいつはいったい誰なのだろうと辟易する。不思議なことに鏡の向こうの男も同じような表情をしていて、ぼくもその男も、同じタイミングで深く深くため息を吐くのだ。

 

 著書や講演会のためにプロフィールを書くことがある。だいたい200字ほど。履歴書と職務経歴書とは別に書くプロフィールはまるで写真館に写真を撮りに行く時のように、めかし込んで書かなければならない。髪にワックスを塗り、眉毛を整え、ひげを念入りに剃り、背伸びをするように。顎をぐいと引き、拳はひざの上だ。

 

 そのプロフィールを司会者が読み上げる。背筋を伸ばしつつ、これから始まる講演への高揚感を感じつつも、全てが滑稽な喜劇に思えてきてしょうがない。

 

 壇上の水を飲み、額の汗を拭き、ぼくは話し始める―――。

 

 履歴書と職務経歴書とプロフィールには書けないことがいっぱいある。例えばロシア人スパイに絡まれた話とか、右翼30人を前に講演したとか。
 

 それをすべて換金できないかと考える。あるいはレベルアップさせてくれないかとも。ドラゴンクエストのように。はぐれメタルは既に何匹か倒したような気がするんだ。そのけいけんちを月給に、待遇に、社会的地位に―――。

 

 ムリだよなぁ。

 

 さて、母校の特別講義に向けてのレジュメを書かねば。母校で特別講義ってのもはぐれメタル、否、メタルスライムくらいの経験値はあると思うんだよね。