のび太の超資本主義。 | 38度線の北側でのできごと

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 よそ許せないのがジャイアンこと剛田武であって、今の子どもたちが見るドラえもんはこの点薄味になっているのかも知れない。

 

 ぼくが子どものころ読んだり見たりした剛田武と言えば、傷害暴行殺人未遂銃刀法違反恐喝脅迫窃盗などなど、小学生にしてその罪状は数え役満。なぜのび太だけでなく、あの街の住民たちは野放しにしているのか理解に苦しむ。ある意味酒鬼薔薇聖斗よりも前途有望、否、その前途は危うく、早々に対策を練るべき存在ではないか。

 

 その癖いざ映画ともなれば小学生とは思えぬ腕力を正義のためにふるい、義侠心に厚い兄貴的な席にしれっと座っている。そんなダブルスタンダードな存在が赦されていいわけがない。

 

 のび太ものび太。ドラえもんもドラえもんである。宇宙だの月だの地底だの大冒険をする以前に、目の前の敵を何とかしなければならぬ。

 

 大げさに言ったが、方法は実に簡単だ。110番で済む。ドラえもんもいらない。

 

 何回か110番をすれば噂は広がり剛田雑貨店は左前。Twitterで大拡散させればその効果は圧倒的だろう。

 そもそものび太の両親も両親なのである。特に母親。「今月も赤字だわ」などと夫の安月給と、自らの経営センスのなさを嘆く前に、死にかけになって帰って来る息子のことを憂うべきではないか。のび太の0点連発無残な成績も、剛田武に頭を激しく殴られたこととの因果もあるのではないか。

 

 しかしこれではリアリティに過ぎる。ドラえもんにも活躍の舞台を与えよう。

 

「テテテテン(ポケットからひみつ道具を取り出す音)。ドミナントしゅって~ん(出店)」。
 

 するとどうだろう。翌朝、剛田雑貨店を囲むかのようにセブン◯レブンが複数店出来ている。よく見るとドン・キホーテも、東急ハンズも、伊勢丹まである。もちろんヨドバシドットコムの翌日配達地域であり、Amazonもドローンで配達してくれる。剛田雑貨店に明日はない。

 

 あるいは朝目覚めると剛田雑貨店がセブン◯レブンになっている。近所にいくつもセブン◯レブンが立っている。怖い母ちゃんも、なかなか出てこない父ちゃんも24時間必死に働いている。働かざるを得ない。必死に働いて働いて働いて得たお金も、かなりの金額がロイヤリティとして本部に持って行かれる。働けど働けど、の世界である。そのうち剛田武も店に立たされる。じっと手を見る暇などない。

 

「母ちゃん!これって児童労働だよ。おかしいって先生も言っていたよ」「うるさい武!バイトがバックレたんだからしょうがないだろ!母ちゃんなんかもう36時間寝ないで働いているんだから文句言わないで黙って働きな(ボコッ!バキッ)」。
 
 ジャイ子もクリスチーネ剛田などと名乗ってのんきに漫画を描いてる余裕などない。店頭に立たざるを得ない。

 

 そこで110番するのである。あるいはTwitterでもよい。

 

「あそこのセブン。小学生が働かされているぜ」。

 そして警察が動く。児相が動く。セブンの本部が動く。
 

 かくして剛田一家は崩壊する。父と母はヘイノムコウ。武とジャイ子もバラバラだろう。一家離散。まさにこれぞ因果応報。この過程を描くのだ。題して「のび太の超資本主義」。

 

 現代のいじめ自殺の一要因が、ぼくはドラえもんにあると思っている。今日まで邪知暴虐の限りを尽くした剛田武が放置され、年数回制作される長編映画においての行動がみそぎとして認められ、その存在が赦されていたことがぼくには信じられない。

 

 残念ながら君の家にドラえもんはやって来ない。君の部屋にある学習机の引き出しはタイムマシンにならない。四次元ポケットなんてそもそもないし、そこから出てくるひみつ道具で人生一発逆転なんてあり得ない。
 

 もしもボックスで自分の望ましい世界なんて作れない。黙って受話器を取れ。受話器がなんだかわからなかったらスマホをタップしろ。そして110番しろ。いじめっ子をお縄にするんだ。
 

 君が死んだら、22世紀に子孫は存在しないんだ。するとドラえもんも買われることはないんだ。