書くことの意味 | 藤木美奈子 オフィシャルブログ | 話す力は自分らしく生きる力

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ブログを長くお休みしていた私が言うのも何ですが、

書くことはとても大切です。


先日、NHKの「クローズアップ現代」で、

ライフログを取り上げていました。


日常生活の些細なことを記録に残していくライフログが、

今、急速に広まっているのだそうです。


自分の人生、どこまで記録? ~広がる“ライフログ”~


上記をクリックすると、

放送内容全てがテキストで見られるようになっています。

NHKも今はこんなサービスを提供しているのですねぇ。


ライフログに関しての感想、ご意見は、

番組をご覧になった視聴者の皆さんに委ねるとして、

私が注目したのは、ゲストの糸井重里さんの以下のコメントです。


上記のHPのテキストから引用します。


=引用開始=


自己肯定感という言い方をよくしますけれども、

お母さんが大事にしている子どもは自己肯定感が育つっていう言い方しますよね、

それと同じように、自分って誰かに必要とされてるっていうのは、

視線が送られることで感じられるものだと思うんですよね。
誰も視線を送らなくても、自分が自分への視線を送ってることで、

記録していくと、俺がいるんだなって感じは分かるのかなっていうふうに僕は見てるんですけど。

自分を見ている自分がいるということで、いていいんだなって、

俺は見てるぞっていうのを、自分に言ってあげられるじゃないですか、

そういうことがあるのかなっていうふうに見てますけど。


=以上、引用終わり=


ふむふむ、ライフログを通して、

自分に見られている自分を認識することで、

自己肯定感に繋がるということですね。

面白いご指摘です。


もう一か所、引用します。



=引用開始=


感じるなって誰にも言われてないんだけど、人って感じなくなるじゃないですか。
気温の変化にしても、何にしても。
でも、なんか書いていくことを続けていると、

「感じる能力」が高まってくる気がするんですよ。
感じたから書くんだけど、書くことでまた感じやすくなるっていうか、

それをずっとあの方は繰り返してきて、

写真撮ったときも、何か起こるって思ってたわけじゃないのに、

視線が送られてたから撮れてるわけでしょう。
ああいうの、僕はあのへんはよく分かるっていうか、共感しますね。


=以上、引用終わり=



書くことによって、感じる能力が高まるというのは、

まさに私も同感です。


私は長年日記をつけています。


日記といっても、毎日きちんと書かなきゃという感じではなく、

その時その時で感じたこと、感動したことなどを、

書きたくなった時に綴っている、雑文のようなものです。


興が乗れば、原稿用紙にして、一日100枚ほど書くこともあります。

これは日記というより、既にエッセイに近い領域かもしれません。


何かに感動したとき、その感覚はほんの一瞬のもので、

その気持ちはあっという間に過ぎ去ってしまいます。

なぜ、心が動いたのか、対象の何に自分は共鳴したのかなど、

考える暇もなく、感情の流れとなって消えていきます。


感覚を感覚で終わらせたくないというのが、

詳細な雑文を書くようになった背景にあります。


感動したこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、悲しかったことなど、

心に引っ掛かった出来事の理由を自分なりに掘り下げていくことで、

その感情の中身が見えてきて、

自分の物事の捉え方や、感じ方の傾向が少しずつ把握できるようになります。


そんな小さな断片情報の積み重ねが、

ふとした出来事との出会いによって、大きな気付きへと発展します。


書くことによって当時の状況を反芻し、

その瞬間は見えなかった意識の流れの構図が浮かび上がってきて、

より自分という人間が深く理解できるようになるのです。

こうしたことから、書くことで、

ものを深くとらえる癖が身に着くように思います。

そして、それは感じる心を育てることにも繋がるのだろうと思います。


書くことが面倒臭いという人は、考えることが面倒臭いのでしょうね、恐らく。


毎日でなくても、書けるときに少しずつでも書く癖をつけていけば、

日常はもっと色付いたものになるのではないでしょうか。


      本


「読むことは人を豊かにし、

話し合うことは人を機敏にし、

書くことは人を確かにする」


by イギリスの哲学者、フランシス・ベーコン


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