「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」 『ごんざ訳』
A「милованiе」(milovanie)「慈悲を垂れること」『むぞがること』
鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざはAにはじめに(муг)(mug)(むぐ)とかいてから、(г)(g)(ぐ)にかさねて(зогаркотъ)(zogarkot')(ぞがること)とかきかえていた。
B「щедрота」(shchedrota)「めぐみ与えること」『むぞがること』
C「щедрю」(shchedryu)「物惜しみせずに与える」『むぞがる』
ならんででてくるBとC、鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざはBに(музоз)(muzoz)(むぞず)とかいてから、(з)(z)(ず)にかさねて(гаркотъ)(garkot')(がること)とかきかえていた。
Cには、はじめに(муг)(mug)(むぐ)とかいてから、(г)(g)(ぐ)にかさねて(зогаръ)(zogar')(ぞがる)とかきかえていた。
D「умилостивляю」(umilostivlyayu)「同情をそそる」『むぞがる』
鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざはDに(музоз)(muzoz)(むぞず)とかいてから、(з)(z)(ず)にかさねて(гаръ)(gar')(がる)とかきかえていた。
E「чадолюбiе」(chadolyubie)「子煩悩」『こむぞがること』
鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざはEに(комузоз)(komuzoz)(こむぞず)とかいてから、(з)(z)(ず)にかさねて(гаркотъ)(garkot')(がること)とかきかえていた。
F「члвколюбiе」(chelovekolyubie)「人間愛、博愛」『ふと むぞがること』
G「члвколюбiвыи」(chelovekolyubivyi)「人間愛の、博愛の」『ふとむぞがると』
ならんででてくるFとG、鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざはどちらも(фтомузозар)(ftomuzozar)(ふとむぞざる)の、うしろの「з」(z)(ず)にかさねて(г)(g)にかきかえていた。
現代日本語の(–がる)という動詞にごんざの(–ざる)という動詞が対応する例はないから、B,D,E,Fの(–ざる)はかきまちがいだろう。
一方、(むご)の例は「全国方言辞典 東条操」にでてくるけど、
「むごがる かわいがる。千葉県君津郡。
もごがる 福島県相馬郡」
東日本の方言のようだし(「めんこい」も同系統かもしれない)、これもかきまちがいだろう。
ひとつの動詞の中に(г)(g)と「з」(z)がはいっていると、まちがいやすい、というクセをごんざはもっていたのかもしれない。