(医者)が(薬)をつかって(病人)に(医療)をしていた、という点では、18世紀のロシアも日本もおなじだとおもう。
「ロシア語」(ラテン文字転写) 「村山七郎訳」 『ごんざ訳』
「врачь」(vrachi) 「医者」 『いしゃ』
「лекарь」(lekari) 「医師」 『いしゃ』
「целитель」(tseliteli) 「治療者」 『いしゃ』
「зелейникъ」(zeleinik') 「薬草で病気を直す人」『くさとい』
「лекарство」(lekarstvo) 「薬」 『くすい』
「болЕзноносецъ」(boleznonosets') 「病人」 『やんめもん』(やまい者)
「цЕлба」(tselba) 「治療、医薬」『けんそん』
「цЕлю」(tselyu) 「治療する」 『けんそんする
「лечу」(lechu) 「治療する」 『きんそんする』
日本国語大辞典 「きんそう(金瘡・金創)②きりきずの治療法。また、その施術者。外科術。外科医。」
ところが、私でも辞書をひかずにわかるような基本語彙にごんざは訳語をかいていない。
「болница」(bolnitsa) 「病院」 『 』
この辞書のみだし語になっているということは、18世紀のロシアに医療施設はあったということだ。
でも、現代の「病院」とはかなりちがっただろう。
現代ロシア語でも(看護婦)のことを
「медицинская сестра」(meditsinskaya sestra)(直訳:医療の修道女)とよぶぐらいだから、「病院」も「病人」を「治療」して回復させる、というよりは、隔離して身のまわりの世話をする、ということに重点がおかれた(修道院の付属施設)のようなところだったんじゃないだろうか。
一方、江戸時代の薩摩では、金もちは「医者」を屋敷によんでくる、庶民は薬うりから「薬」をかう、というような方法で「治療」したから(おまじないもあっただろう)、「病人」をあつめた「病院」という概念はごんざにはわからなかったんじゃないか。
ごんざがいたペテルブルクは、ロシアの中では医療がすすんでいただろうけど、この辞書をつくった翌年、ごんざは病気でしんでしまった。ごんざがしんだ場所が病院だったのかどうかは、わからない。