薩摩弁では『おい』が(私)で、その複数形が(おいどん)だとなんとなくおもっていた。
ところが、ごんざの辞書では(おいどん)はでてこなくて、1人称複数は別のことばになっている。
「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」『ごんざ訳』
「мы」(my) 「我々」 『んだ』
村山七郎注 cf. インダ 私。鹿児島 TZH.
「нашъ」(nash') 「我々の」 『んだがと』
『んだ』ということばは現代の薩摩方言にもあるらしいけれど、(複数)という意味があるんだろうか。
ごんざは単数と複数を『おい』と『んだ』で区別していたのか、それとも、日本語にはない文法上の単数複数を便宜的に区別するために、『んだ』を複数の方にあてはめたのか。
人の複数をあらわす接辞として、『たち』ということばがあって、実際ごんざは2人称複数にはこれをつかっているんだけど(『こなったち』)、1人称には(おいたち)も(んだたち)もつかわないらしい。