ごんざは、ロシアでみてしっていて、ボグダーノフ師匠の説明なんかきかなくてもわかるけれど、日本にはないから(あるいはあっても)、日本語で何とよぶかしらない、というものがある。そういうものには、色々な工夫をして訳語をつけるのだが、その方法のひとつが、「ほうき=床をそうじするもの」とか「やかん=お湯をわかすもの」というように、「動詞+もの」という表現で説明するやり方だ。そういう項目はたくさんある。
「ロシア語」(ラテン文字転写) 「村山七郎訳」 『ごんざ訳』
「снЕдь」(snedi) 「食物」 『くもん』
「кушанiе」(kushanie) 「食物」 『くもん』
「пища」(pishcha) 「食物」 『くもん』
「ежа пища」(ezha pishcha) 「食べもの」 『くもん』
「ядь」(yadi) 「食物」 『くもん』
「Ества」(estva) 「食う物」 『くもん』
「брашно」(brashno) 「食物」 『くもん』
「ядомыи」(yadomyi) 「食用になるところの」『くもん』
ロシア語はどれもたべもの一般の意味で、特定のたべもののことがわからなくて、ごんざがくるしまぎれに(よくわからない)「たべもの」という訳語をつけたものはない。
「брашно」(brashno)は、ブルガリア語で「穀物の粉」だけど、当時の教会スラブ語ではたべもの一般の意味だったようだ。一番下のは形容詞だけれど、ゴンザは名詞の訳語をつけている。
よくにたので、つぎのようなのもある。
「плотоядецъ」(plotoyadets') 「食肉獣」 『みくもん』(身をくうもの)
これは「肉をたべるもの」だから『くもん』の部分の意味は「food」ではなく「eater」で、上に8つならんだものとは意味がちがう。
村山七郎訳が「食肉獣」なんていう変なことばになっているから、ますますややこしい。これは「肉食獣」だ。「食肉獣」なんていうと「食用の動物」みたいだ。
いずれにしても、日本語の連体修飾はややこしい。
ところで、漂流中のごんざたちの『くもん』は何だったんだろう。自分たち用の食料はすぐになくなって、つみ荷の米は半年間もつほどあったとして、おかずはどうしたか。魚をとるといっても、つり道具や網をもっていただろうか。ビタミン不足にならなかっただろうか。