本当は…? | YUKA・Pの「わらしべみかんな日々」

YUKA・Pの「わらしべみかんな日々」

日々遭遇する「色々なこと」も振り返れば全て楽しいことばかり!
人生には無駄なことは1つも無い!をモットーに
色々なことを「力」に変えて、背中を押しつつ暮らしております。

この作家の本を読むのは

2冊目…。


平野啓一郎「ある男」


ある男・戸籍を偽ったXの

真実とは… 

愛したはずの夫はまったくの別人だった。

その偽りは、やがて成就した本物の愛によって赦されるのであろうか…

本の帯の紹介文にはこう書かれていた。


ある男Xは戸籍を偽り、過去・殺人者の子供というフィルターを捨て去ることによって、自分自身の真実を確かめたかったのではないか…

それでも、戸籍を偽ったとしても、過去を上書きしたとしても、彼の生きた過去は変えられない。その変えられない過去もまた、真実でしかない。


私たちは生きているこの世の中で、相対する人を何によって判断しているのだろうか?

それこそ、戸籍のような

出自なのか、学歴や経歴なのか?…それら全てを取り去った目の前のその人のみを見て判断できるのだろうか?


物語の語り手である城戸もまた、在日三世という、フィルターに苦しめられている。

とり去ろうとしても除くことのできないフィルター。


変えることの出来ない過去を偽り、取り去ることのできないフィルターをかけられたとしても、真実はその人そのものであり、その心の奥にあるものなのだと思う。

過去にではなく、

目の前に生きる今から、

未来へと紡がれていく時間の流れにこそ、その人の真実があるのだと…


最終章で、

父を2度失うことになった少年の成長と、

義父であった、Xから受け継がれた優しさと強さを見たとき、

そこにこそXの真実があると感じた。


そして、もし、続編があるとしたらこの少年の大人になった姿を見てみたいと思う。


と、そんな感想を

Instagramに書いた。



それからまた時間が経ち、思うこと…

いや、多分ずっと前から

この小説を読む前から

ずっとどこか心の奥に引っかかっていること。


人の本質とは…どこにあるのか、

何なのか…?

この人は本当はどう言う人だったのか…

結局分からないまま、だったと…

私は時々、別れた夫を思い出す。


思い出すと言うのは嘘だ。

何者なのか分からないのだから

思い出しようも無い。

共に過ごした時間の中で

あった出来事を出来事として

思い浮かべるだけで、

思い出にひたる訳でもなければ

思い出したくも無いと罵るわけでもない。


あんなことがあったと

出来事を事柄として捉えるだけで、

その出来事をつないでも、

私が思っていた「人」にはならない。


ならば…

どう思っていたのか?

………、出来れば

その思い込みの方は

思い出したくは無い…

ただ、全てが誤りでもなく

嘘でもない。

人は変わっていくものだから

仕方のないこともあり、

それをいつまでも突き詰めても

それこそ仕方が無いのだと…


この本を読もうと思ったのは、

その、自分の答えの出ない問いに、

何か答えをくれるのではないかと

思ったからかもしれない。


ストレートな答えでは無かったけれど、

少し、軽くなった気がした。


目の前にいる、その「人」

目に見えているものだけが真実では無い

紙に書かれていることが

全てでは無い。


それでも、誰かを想い、

その人の真実を知りたいと思い、

自分を振り返る。

真実は、真実にしか答えてくれない。


自分が不確かな者には

答えてはくれない。


だから私は

自分を知りたいと思う。

悩み続けても、迷い続けても、

自分の心の奥底を見てみたいと思う。



小説を読むのは

ストーリーを超えて書かれている

大切なことがあるから。


自分には生きられない

ストーリーを、生きた

登場人物たちから

その大切なことを

教えられるから。


…とまた、相変わらず

読書の日々。