☆後付日記 前回の記事 喪主になっちゃった

首都高速4号線から中央道へ
高速で向かった

旦那は、一時的に葬儀屋の手伝いを
していたことがあった。

元々は決算に関する業務だったのが、いつの間にかご遺体の搬送に関わる事になった

不規則な仕事、
電話が入ったら夜も眠れない。
病院から、警察から…
様々なご遺体…
綺麗なご遺体だけではない
それは相当なストレスで、
その頃からお腹の張りを訴えだした。
癌がメキメキと育った要因
だったことは、間違いないと思います

寝台車のドライバーさんと、
葬儀屋さんは大変だと聞いた話をしたり、
私の友人に連絡を入れたりして、
気を紛らわして、心を落ち着けていた。

葬儀屋さんに到着した頃には
すっかり日も沈んでいた

旦那は預かって貰う事になった
家には棺は、入らない


葬儀の打ち合わせ。


旦那との話で、
義父と一緒の直葬で
と、言われていたが…

私もそのつもりでしたが、


実際にお別れとなると……

どうしてもお別れの場が欲しかった。

火葬場では、
最大でも10分位しか時間がとれない
それでは足りない。

私の希望は、
棺をお花でいっぱいにしてあげたい

しっかり心残りがないように。

後悔しないようにしたい。

それだけ。
 

そこで、提案されたのは

斎場の一部屋をお借りして、
棺を置くだけの『お別れ』

お金をかけられなかったので
規制が多かった

お坊さんNG
香典返しNG
飾り付けNG
受付もNG 

手伝いの人も居ない


文章にすると寂しいですよね。



実は、
以前に、この形の葬儀に
行ったことがあった。

それはそれは寂しくて……
当時、何も知らないから、
棺に入れる花さえも無い

お坊さんも居ないから、
間延びする。

そんな事、百も承知で。







ただお花で一杯に。



自分だけでは、
かなり厳しいので
来てくださる方に、

かなり寂しい感じになると、
思いますと説明をして
お花をご持参くださいと
お願いすることにした

棺は、オープンで
いつでも顔を見られる

実際に、1時間お借りして
5万円程。
この位ならば……と決めた。

私なりの見送り方

『お別れ会』
 

形が決まって、ホッとした。

お別れ会は、

4日後

21日土曜日に決まった

家に帰ってから……


今は、思い出せないけど、

ゴン太に軽く報告して、

ご飯をあげて遊んで。

泣いて。

夢うつつだった気がする



この日から、

旦那のスマホと携帯は……

ラインに電話……

音が鳴りっぱなしになった