2015.2.17 


旦那が旅立ってしましました。

凄い凄いお土産をたくさん残して。。。


病名は大腸癌原発 転移性肺癌


亡くなる数日前に

自ら病院への入院を希望し


私に、

とんでもない告白をした

2日後の事でした…



告白をした事で

スイッチをオフににしたかのように

寝ている…意識混濁の時間が増え

衰弱していくのが目に見えました



目が覚めると

『暑い』と団扇で扇ぐように言い

ガリガリ君を食べ氷を口に入れる

会話は殆ど出来ない状態になっていたので



当直医に

いつくらいまで持ちますか?

と聞いた亡くなる前日



「今日の明日は流石にないと思います」

と言われたけど…



翌朝、9時11分

病院から呼び出しが入りました


私の家から病院までは、

1時間半から2時間かかります


ゴン太の世話をして

母と妹夫婦へ連絡をして

母も行くと言うので

タクシーを呼び実家経由で

最寄りの駅まで…そこから電車に乗り

再びタクシーで


その間も、

何度も病院から電話が入りましたが、

旦那は待ってくれていました



わかる?

うん

頑張って!

ダメ

母に感謝の言葉

ありがとうを繰り返し言って

義弟が来るから頑張れ

ダメ…


身体は冷たいのに…

暑い暑いと団扇で扇がせ

団扇のことを『せんぷうき』と言って

少し笑ったような気がしました



まるで魚か何かのように…


空気中の酸素を

スパスパと吸うような仕草もありました


身体を揺すっていたので
いつ心臓が止まったのか…

最期の瞬間…

あの時かな…

大きく目を見開いて

大きく口を開けて

何かを吐き出したような

一瞬がありました



長い長い7年3か月

先生にも、もう頑張りましたよって。



このブログを書き始めた時の感情


私は、旦那に沢山文句がある!

怒っている。


今日で2月も終わり、

お別れ会をして1週間。

片づけをしていると涙が止まらなくなる

それは、悲しいだけではない

悔しさ、憤り、


私の存在価値も

すべて否定されているような気分になる


『これから少しずつ愚痴を書いていこう』




2020.4

振り返って加筆しました
元々、自己肯定感が低く依存型
貧乏マインドで生きてきました

旦那の死をキッカケに
依存する相手が居なくなり
絶望と悲観…しかなかった当時の私
葛藤しました…

私の命を支えてくれたのは
ゴン太の存在でした

結婚は1度ですが、
パートナーの死は2回目
ゴン太がいなければ…
私は過った判断をしていたかもしれない…

旦那の告白は、
本当は私を守る為の
『愛』からの告白だったのですが

当時の私は、
愛を受け取ることは出来ずに
自分責めというナイフに変えて
自らを更に否定して、 
更に傷つけ心をえぐり…

立派な看板女優
『悲劇のヒロイン』として
5年近くを過ごしてしまいました


2018.12.5
旦那との死別後、
私を支えてくれた
愛犬ゴン太(17歳10カ月)が
口腔内扁平上皮癌に罹患3か月で
虹のふもとへ旅立ち

看取り介護をしていく事で
初めて無償の愛に気づき


愛と感謝をもつことで
考え方が変わり
命のある限り生き抜くと
半世紀以上生きてきて
初めて決めました


旦那の死後
ペーパードライバー歴30年以上
からの挑戦


どうせ生きるのならば
苦労よりも、幸せを感じられるように

私の人生は、
平凡ではツマラナイ
と、思ってしまった中3…

その願いは
信じられない程、沢山叶えられました 


波瀾万丈はもう終わり


今現在、
お金は無くても心は豊
幸せは感じるものとして

過去の経験は、宝物


そして見送った
婚約者、旦那、父、ゴン太に
護って貰っていると思える事での
安心感に感謝をする日々


今も、気づきの連続です🎵


過去に書いた事は宝物として
ありのまま残そうか…

とも思ったのですが、
そもそも愚痴からスタートしている
ブログだったので
少し加筆して整理していこうと思います

少々、話は長めが多いです(^^ゞ
よろしくお願い致します


いつもありがとうございます