等身大になるということ | 囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

東京池袋の隠れ家的一軒家セラピールーム。公認心理師常駐。インナーチャイルドカードを使って心と対話をする技術を教える活動を通じて、多くの人が幼少期の体験の影響を無自覚に今も受けていると知りました。。それに気づいてもっと自由に生きられるようサポートしています。

 
「等身大になること」について
私自身の経験したことを通じてお話します。
 
こんな方↓の役にたつのではないかな〜と思っています。
よかったらお読みください。
 
  • 自分のことより、人のことを優先してしまいがち
  • 何事もいつも頑張ってきたが、空回りしている気がする
  • 人からの評価が過剰に気になる
  • 何でも自分で出来なくてはならないと思いがち
  • 人の役に立つ自分でありたい
  • 困っていても人に助けを求められない
  • 間違ってはいけないと思う
  • 理想に届かない自分に激しく落ち込むことがある
  • 人を見下してしまう、または人に見下されたと感じることが多い
  • 緊張が強く体がガチガチだ
 

 

 

人の役に立つ私には価値がある

 

15年前にカウンセラーになった私は
毎日やりがいと充実感を感じていました。
 
そんなある日、当時お世話になっていた鍼灸院の先生が、治療中に私をじっと見つめて言いました。

 

もっと自分を愛した方がいいね

 
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え?
反射的に私は返しました。
 
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私、結構自分のこと好きですけど、もっとですか?

 

すると先生は言いました。

 

自分に聞いてみて

 
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そう、この先生は、患者の体の中の悪いところが、見て分かるという風変わりな能力の持ち主でしたが、
 
分かったこともあまり口には出さず、治療に役立てるのみ、というのが常だったのです。
 
ところがその日は先程の言葉を私に投げかけてきたのでした。
 
「自分に聞いてみて」
と言われた私は、自分に聞いてみました。
 
するど・・・
 
何ということでしょう!
ものすごいスピードで、考えるまでもなく、という速さで、私の中から返ってきた答え。

 

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先生、私、条件がついてました

 

 

どんな条件?

 
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人の役に立つ私には、価値がある

 

 
以下先生とのやり取りは省略しますが
私はこの時、自分が「人の役に立つ」ことと自分の価値を結びつけていたことに気づきました。
 
これって順番が逆なんですよね。
人の役に立つから私に価値がある
 
じゃなくて、
 
価値ある私だから人に貢献できる
 
 
そこで想像してみました。
「人の役に立つ」
を私から外したら?
と。
 
人の役に立たない私・・・
から始まって、
 
何もできない私
何も持たない私
 
と想像を拡大してみたら、
正直ゾッとしました。
 
その日から私の課題は

「何もできない私、何も持たない私を愛する」

になったのです。
 
そんなことが可能になる日が果たして来るのかどうか?
まるで想像がつかない気がしたけれど。
 

 

 

人の役に立とうとせずにはいられない理由

 

 
人の役に立つことはもちろん悪いことではありません。
むしろ良いことです。
 
ここで問題視するのは
人の役に立った結果ではなく
いつでも人の役に立つことを最優先にしてしまう生き方の癖のことです。
 
自分がどうしたいか?ではなく
何が人の役立つか?を考えて自分の行動を選び続けるとしたら?
 
それは自分の人生を生きていると言えるでしょうか?
 
なぜそのような癖がついたのか?
と考えた時、人それぞれに個別の事情はありますが、あえて抽象化して言うなら、
 
「人の役に立たなけるばならない」
と強く誓ったタイミングが人生のどこかにあったからです。
 
それは恐らく小さな子供の頃に、無意識のうちに行われるので、自覚はありません。
 
そして役に立ちたかったその相手とは、たいがいが親です。
 
大人の自分がたとえ親のことが好きではなかろうが、憎んでいようが、それはあまり関係がありません。
 
親を助けたかった小さな子供の気持ちが、
 
それと気づかないまま、大人になった自分の中に息づいています。
 
そしてこの時、それは親だけでなく、人生で出会う様々な他者への接し方の癖となります。
 
職場でも、恋愛関係でも、自分が築いた家庭でも、それは繰り返され、
 
役に立つ自分であれば居心地がよく、
そうでなけれ居場所なく感じる。
 
結果、居場所を得るためには
絶えず人の役に立ち続けねばならぬと緊張感が続きます。
 
 

 

 

「人の役に立つために」をやめたら何か得られるのか?

 

 
「人の役に立つために」をやめたら得られるものは、
 
ズバリ「自分の人生」です。
 
人の役に立つために生きることをやめたら、自分の人生を生きるしかなくなるので、もれなく(笑)自分の人生が手に入ります。
 
そうすると、肩の荷が下りて身軽になるので、緊張が解けて、身体が楽に、柔らかくなります。
 
もちろん心も一体ですから、心も柔らかくなります。思考も柔軟になり、頭の硬さも取れます。
 
ネバネバ星人、ベキベキ星人ともサヨナラです。
 
無理をして力量以上の自分に見せなくて良くなるので、
人を見下したり、見下されたとと腹を立てることもなくなります。
 
自分の現状が理想とかけ離れていても、現在地はここなんだ、と受け入れることが容易になるので、一歩一歩理想へと向かう行動が取れるようになります。
 
これが、等身大の自分になるということです。
 
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どうしたら等身大の自分になれるのか?

 

 
上にも書いたように、重すぎる荷を背負っていることが、等身大でいられない理由です。
 
ですから、その重荷を下ろすことができれば、等身大に戻ることが出来ます。
 
ただ重荷を下ろすためには、それを背負わずにはいられなかった事情への深い理解と、長年背負い続けてきた自分への慈愛と、そこに関わった他者への尊重と敬意が欠かせません。
 
 

 

無理なく体験するには?

 

 
「命のちから心理セラピー講座」はそのプロセスを無理なく体験して頂けるように構成しました。
 
個人セッションを受けることとの違いは、課題解決だけでなく、そのスキルが自分の身につくように学んでゆくところです。
 
 
ベーシック8日間だけでも、自分を知り、人生でバランスを取るための道標を手に入れ、心のセルフメンテナンスを自分でするスキルが手に入ります。インナーチャイルドカードの自分への使い方も学べます。
 
 
修了後にアドバンス8日間に進むことで、より深い自己発見と癒し、自己成長のスキルを身につけることご可能です。
 
このスキルは他者にも通用するレベルを目指すので、これを自分に用いれば、自分の問題は自分で解決できる一生の財産となります。
 
私はこの講座を卒業した人が
セラピー要らずになることを目指したいと思っています。
 
もちろんたまには人の手を借りるのも良いけれど
基本的には自分で悩みに対処できる力を育てる講座と思っています。
 

 

 

 

私がその後どうなったか?

 

 
あの日、私が掲げた課題、
「何もできない、何も持たない自分を愛する」
はどうなったか?
 
5年くらいかかりましたが、
到達できたように感じています。
 
もちろん今の私は、できることもあるし、持っているものもある。
 
だから、本当のところ、何もできない、何も持たない気持ちはわからないじゃないか?
と言われたら、そうね、そうかもしれない。
 
でもね、もしそうなったら?と想像してみた世界では、
あの時の「ゾッとする感覚」はもうありません。
 
何かできてもできなくても、
何かあってもなくても、
私は私。
 
そう思えて、
緊張が解けて楽になって軽くなった。
それが何より。
 
もちろん大きな山をいくつか超えましたよ。
 
でも山を超えたら、本当にまるで違う世界が広がっていた。
超える前には想像もつかなかった世界が。
 
これは全く意図せず、第二の職業としてカウンセラーを選んで、目の前の仕事を全うするためにただ研鑽を積んでいた私に贈られたギフトみたいなもの。
 
とてつもなく大きなギフトだから、私はこれを世界に分かち合いたい。
 
必要な人がきっといると思うから。
一人でもふたりでも。
分かち合えたら最高の喜び。
 
そう思って、「命のちから心理セラピー講座」を2020年から始めました。
 
一人てもふたりでも、と思っていたけど
蓋を開けたら既に6期まで沢山の方が学んでくだっています。
 
 
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等身大で楽に生きるバランスのとり方を身につける講座です。
 
アドバンスコース7期は満員御礼。
4月からのベーシック(基礎)コースは、欠席回は動画視聴補講が可能です。
 

▼ベーシック(基礎)コース

・7時間×8日間(月1回)

土曜日コース

4/20, 5/11, 6/15, 7/20, 

8/24, 9/21, 10/19, 11/23


3年半ぶりの平日コース開催!

・木曜日

4/18、5/16、6/20、7/18、

8/22、9/19、10/17、11/21


次はあなたにお会いできますように。
 
 
 
 
今日も最後までお読みくださってありがとうございました。