昨年の暮れに、ふと紀伊半島の方へ行ってみたくなって急遽、年末年始中に泊まれる宿を探し始めました。今から泊まれる宿なんて見つかるだろうか?
旅行直前に都合が悪くなってキャンセルする人もたまにはいるかも。。。などと、都合のよいことを考えながら気楽に宿探しを始めました。
いつものように、ひなびた地域にある素朴な温泉宿がいいなあ。。。などと探し始めましたが、これだなんて思う処はパーフェクトに満室でございました。まあ、それもそうでしょうね。
こうなればあとは消去法で探すしかありません。泊まれる宿があればそれでよいということで、ひなびた地域にある温泉宿は頭から外すことになりました。
したがって、訪れる場所を決めて宿を探すのではなくて、予約できた宿泊場所から旅の行動範囲を決めることにしました。予備知識がないノープランの旅の始まりです。
三重県熊野市という所の市街地内にあるビジネスホテルが宿泊可能だということで、ここに2泊の予約をしました。これで旅の拠点確保に成功です (^^)v やれやれ。
鉄道に揺られてのんびり旅も悪くはないのですが、年末年始の民族大移動期間中にそれは不可能だと思い、今回は車を走らせることにしました。
ご覧のようなコースを選択しました。一見、最短距離で効率的な道筋に思えますが、実は高速道路を使って名古屋を通り迂回するようなコースにした方が、熊野市への到着時間は遥かに速いのです。
なのに何故、このコースなのかというと、伊良湖岬から鳥羽に渡るフェリーに乗って少々の船旅気分を味わえることと、旅の雰囲気を盛り上げるのにも良いなあと思ったからです。
実際、これまでにも何度かこの伊勢湾フェリーを利用していますので、その思いには確信を持っていました。
静岡を出発したこの日は、年が明けたばかりの1月2日で箱根駅伝の往路大会 (東京大手町→箱根芦ノ湖) がある日です。私は好きなので、毎年気にしてテレビ中継を見ています。
出来れば今回もテレビでレース観戦をしたいところですが、そうもいかないので車を走らせながらラジオ中継を聴くことにしました。
箱根駅伝のスタートは朝8時、私が出発するのはその1時間後ですので、往路5区間中の1区走者のレースだけはテレビ観戦しました。いや、スタートぐらいは見たかったのかも (^^;
出発したる後は、車中のラジオで楽しむことにしました。熊野市を目指すべく、一路、フェリー乗り場がある愛知県の伊良湖岬へと向かいました。
高速道路を使わずに、国道1号線を西へ。浜松市を通り過ぎて、湖西市という所が静岡県の西外れになります。ここにある道の駅〝潮見坂〟でトイレ休憩をしてまた走り出します。
隣県の愛知県に差し掛かるとすぐに国道1号線とお別れして、今度は国道42号線を終点まで走るとフェリー乗り場がある伊良湖岬です。
そこに着いた時間は、12時を少し回っていました。それと、ここに着くまでに渋滞というものには全く出くわしませんでした。このコースは、いつ何時でもスイスイ走れます。
伊良湖岬には、道の駅〝伊良湖クリスタルボルト〟がありまして、フェリーの切符もこの施設内で買います。勿論、食事も出来ますし、お土産を買うことも出来ます。
次のフェリーが出港する時刻は、12時40分で三重県側の鳥羽には 13時35分 に到着する予定です。この時間は、箱根駅伝で最終区間の走者が走って芦ノ湖にゴールする頃です。
〝箱根の山登り〟一番見応えのある場面を船内にあるテレビで見られるかもしれない♪ 案の定、船内のテレビには箱根駅伝の中継が映っていました。
ラッキー♪
『天気晴朗なれども波高し』と、秋山真之氏が発したこの言葉がピタリとハマるような空模様と、風の勢いと共に小刻みな白波を伴った海原がそこには広がっていました。
航行中は、船が波を切ったしぶき水が甲板上にある船室の窓ガラスに結構な勢いでかかってきました。それでも、そんなに揺れない安定感がある船体だと感じます。
ちなみに、運賃ですが軽自動車サイズの車両長さ 3m以上~4m未満ならば運転者1名を含めた片道分で、5,660円 (2日間有効) 往復だと割引が利いて 10,190円 (7日間有効) と、割安になります。
運転者は1時間近く休めるし、鳥羽水族館やスペイン村を併用する割引プランや豊橋鉄道の電車とバスを併用するとこれまた運賃が割引されるプランがあります。
また、鳥羽港周辺にある観光施設の前売り券が割引されるプランもありますので、伊勢湾フェリーをよく研究して旅行プランを組み立てると、結構なお得感を感じられるかもしれません。
運賃に対しての付加価値がわりかし大きい魅力的なフェリーじゃないかなと、私は思っています。
55分間の船旅をあじわいながら、船内テレビの箱根駅伝中継に見入っていました。往路の最終走者には毎年スーパーな選手がいるもので、今回も力強い選手がいましたね。
12位でタスキを受け取った法政大学の選手が、箱根の登り坂を力強く走り続け1人2人、4人5人と、合計7人抜きのハイライトに相応しいシーンを見せつけられました。
3着か4着ぐらいまでのゴールを見とどけたところで、フェリーは三重県側の鳥羽港に到着しました。最後は映像が見られて良かったです。
ここから先は非常にひなびた町と、かつては陸の孤島とまで呼ばれた町を通って今日の目的地である熊野市まで走ることになりますので、鳥羽市内のドライブインで昼食をとることにします。
伊勢地方って、牡蠣も名産物みたいなので迷わずにカキフライ定食をいただきました。これは可もなく不可もなく、一応、カキフライには間違いない味ではありましが、ちょっと残念(T_T)だったかな。
それでも腹は満たされたので、また走り始めます。少しの距離だけ伊勢自動車道という高速道路を走りますが、最初の玉城インターチェンジという所で降ります。
ひなびた町というのは、この辺りから始まっている〝度会町 (わたらい)〟ことです。何年か前に同じ道筋を走りましたので、その町の長閑な風景が頭の中に残っていました。
それに、小学生中学年の頃によく一緒に遊んでいた同級生を思い出しました。私もそいつも鉄道が好きで、その筋でウマが合っていました。
そのお父さんが急死されたので、残された家族は親戚の所に世話になることになりました。外洋船の船乗りでいつも家に居ることはなかったので、当時の私にはピンと来ない出来事ではありました。
その引っ越し先が、三重県度会郡度会町でした。中学生の頃までは手紙などのやり取りをしていましたが、そのうちにしなくなり音信もお互いに不通になりました。
あいつが引っ越して過ごした町なんだなあ。。。 まだこの町で過ごしているのか、それとも知らないどこかの町で達者に暮らしているのか。
居所が分かれば勿論、会って話をしてみたいと、大いにそう思うのです。
そんな思いを巡らせて度会町を過ぎると、南伊勢町に入ってゆきます。この町はいくつかの町が平成の大合併で併合された町の一つです。
その中に〝旧南島町〟という町があります。35年ほど前で私が高校生の頃に、紀伊半島を載せたガイドブックにはとても小さな記事で、陸の孤島の南島町と紹介されていました。
これが今だ頭の中に残っていて、どんな所なのだろうと長年にわたって思い続けてきたので、かつての陸の孤島をわざわざ通ってゆきます。
これまた、熊野市にいち早く着きたいのであれば決して通ることはない町なのです。
陸の孤島らしい雰囲気を感じながらスイスイと軽快なアクセルワークを楽しんでいると突然に、周囲の景色とは明らかに馴染んでいないローソンの看板を発見しました。
南伊勢南島店と書いてありましたから間違いなく私は、かつて陸の孤島と呼ばれた旧南島町に来ているわけです。
そのことを思った場所がローソンではね、私が期待する陸の孤島感が大いに損なわれているよな気がしますが、昨今の田舎町の風景というのはもはやこういうものかもしれません。
陸の孤島を後にするとまた町の名前が変わって、紀北 (きほく) 町という町に入ってゆきます。これまで走っていた国道260号線が、国道42号線に突き当たった所で終点となります。
以後、国道42号線を進んでいけば今夜の宿泊地である熊野市に到着します。もう少しの道程となってまいりました。道路はバイパス道路の設計になっています。
町の雰囲気をあまり感じることなく、トンネルと高架道の繰り返しで構成された直線に近いラインを効率よく走れる道路です。
日常の生活には大切なバイパス道路ですが、旅の途中でこういう道路を通り過ぎると毎度に、何か大事な風景を見逃しているような気持になります。実際、そうなのかもしれません。
帰るときには、なるべくバイパスから外れた道を通ってみよう。そんなことを思っていました。
やがて、次の町である尾鷲市を通ります。この町は国道が市街地らしい場所を抜けていくので、少し町の雰囲気を感じることが出来ます。ここを過ぎた先が熊野市になります。
と、いうわけで熊野市に入って国道から熊野市駅の案内板に沿って市街地に入ってゆきます。今夜宿泊するホテルの場所を確認して、今日の移動が間もなく終わろうとしています。
ホテルに着いた時間は、18時を少し回っていたかな。今日の移動時間は 9時からおおよそ18時までだから、9時間余りということになりました。
何せノープランの旅ですからね、この時点で明日はどこへ行こうかなんて考えてもいないのです。
今夜、ホテルの部屋でビールを飲みながら観光パンフレットでも見ながら決まるのか、明日の気まぐれにまかせてみるのか、それとも思わぬ情報を手にするのだろうか。
今回はこの辺にさせていただいて、次回に旅の続きを綴ろうと思います。
今日も訪ねていただきまして、ありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。
それでは、またです。