マグロは泳ぐのをやめると死んでしまうんだそうな。
マグロは死ぬまで泳ぎ続ける。マグロは止まらない。
マグロ、なんだかカッコイイ!
でも、だからって「まるでマグロみたいな人ですねー」って言っても、褒め言葉にはならない現実。
言葉って不思議だねー。
(↑別に深い意味はないです)
さて、今日は以前に書いた、「保元の乱」の対立図の続きを。
前回は朝廷と摂関家について書いたので、今回は源氏について触れます。
・・・・と言っても、彼らがどっちにつくか?については、実は解説するまでもなくカンタン。
彼ら武家は自主的に動くことはなく、上の命令によって動きます。
上がやれと言ったらやるし、上が退散したら下も逃げるわけです。
よって、彼らはその時、誰に所属していたのか?
これさえ分かれば、彼らの旗色は、おのずと見えてくる・・・・というわけです。
源氏は、元々藤原摂関家に近しい武家でした。
自分たちが手に入れた荘園は摂関家に寄進していましたし、 摂関家の人が外出した時はボディガードを務めていました。
「保元の乱」の時、藤原の氏の長者は「悪左府」藤原頼長です。
よって、源為義率いる河内源氏一門・棟梁家は「藤原頼長サイド=崇徳上皇サイド」につくことがわかります。
ただし、源義朝は摂関家ではなく、鳥羽院に仕えていました。
なので、棟梁家のうち彼だけは鳥羽院=後白河天皇サイドにつくことになります。
ちなみに、義朝の家族は鳥羽院の周辺と関係が深い人が多いです。
妻・由良御前は、大河ドラマでも「蝶の話」をするシーンがあったように、統子内親王(むねこ。後の「上西門院」)に仕えていました。
統子内親王は、鳥羽帝と待賢門院璋子の娘。
つまり崇徳上皇・後白河天皇の、両方の同母兄弟ですが、後白河天皇の即位に際して、准母(天皇の母に準ずる地位)に選ばれています。
よって、統子内親王は後白河天皇サイドとなります。
また、由良御前の姉妹も、統子内親王や美福門院の実娘だった暲子内親王(あきこ。後の八条院)に仕えていました。
由良御前の実家は、「保元の乱」に際し義朝に兵を提供しています。
統子内親王や暲子内親王に娘を女御として出していた家から兵を借りるには、
統子内親王や暲子内親王の立場で戦わねばなりません。
よって、義朝は家庭的な事情でも、元から後白河天皇サイドに立ったことが分かるかと思います。
以上を図解で表わすと、このようになります。
河内源氏棟梁家の事情を2項目で説明するなら、
・源氏一門は元来からして藤原摂関家の家来なので、氏長者・藤原頼長の命令で戦う(頼長の同盟者・崇徳上皇サイド)
・義朝だけは鳥羽院に仕えていたので、一門とは袂を分かつ(鳥羽院→後白河天皇サイド)
このようになります。
義朝と為義は仲が悪かったかどうかはあまり関係なく、親子で所属が違い、そして義朝には家庭の事情があった・・・・それが、親子の運命を分けてしまった。
ワタクシはそのように解釈しているのですが、どうでしょうかねー。
平氏については、また後日に続きます。
もしかしたら、オタノシミニw