デロイを探せ!(その23) 北朝鮮のデロイ資料3(ヤンドク機関区) | ゴンブロ!(ゴンの徒然日記)

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子供の受験、自分の資格受験あり、エライ更新間隔が空いてしまいました。子供の受験は無事終了(合格しました!)、自分の受験は結果待ち、というところです。

さて、今回は、とよんぽす様から頂戴した「ピョンヤン鉄道省鉄道事蹟館にある写真」第三弾です。
戦後ヤンドク機関区のデロイ修理の図」の解析です。
ヤンドクにて 

 

     キャプションは「修理作業中のヤンドク機関区労働者たち」です。
前前回説明の通り、「ヤンドク」は漢字で書くと「陽徳」で平羅線の半島中央部山脈部分の急勾配地帯に位置する駅で、早くから機関区が設置されている場所です。同区間は、北の国土の東西を結ぶ基幹幹線の輸送の隘路であった為、朝鮮戦争前の1948年に一旦電化、朝鮮戦争の戦禍で破壊された後、1957年に再度電化復旧されています。いわばヤンドク機関区は北朝鮮の鉄道電化の発祥の地と言える場所です。
と以前説明そのままの内容も何なので地図を付けておきます。

ヤンドク地図



(Wikiの地図を少し加工)


非常に気候が厳しいところです。MSN天気で調べると、本1月29日はやや暖かく、最高気温は零下3度、最低気温は零下19度です。寒い日は零下20度以下になる日もありますな

     写真向かって右側に少なくとも3両、左側の車庫内に1両のデロイ(デロニ?)が見えます。労働者が取り付いてハンマーを振るっているのが、デロイの台枠部分とすると、これも1両とカウントできそうなので、全部で5両が画面に映っていることとなります
どのデロイも何故かデッキ部分が取れて(外して?)おり、前面窓部分の傷みが激しい状態です。
このれが朝鮮戦争中の戦災によるものか、疎開先での保管状態によるものなのか、酷使の結果なのかは読み取れません。また車体番号も取り外されてしまっているようで解読できません。
ただ車庫内にあるのは車体の角張り方から見て、日立デロニのような気もします。


1943デロニ1





 

     朝鮮戦争後、電化復旧前の姿だとすると、前回ご紹介の「交通新聞」記事では19562月の段階では「少なくとも主電動機部分以外はどの電気機関車も稼動状態にまで復旧していた」とあったので、この写真の撮影は休戦の1953年から1956年の間の撮影ということになります。2月の厳冬期の写真にしては、写っている人がきわめて軽装なので、新聞記事よりは前の1954年もしくは1955年の夏から秋の撮影でしょうか。

前回紹介した謎の器材 「ラグ (もしくはラク)真空合接機」 はこの写真には写っていないですね。

     山岳地帯が迫る急峻な地形はいかにもヤンドク駅のような気もしますが、本線にも車庫にも全く電柱や架線が写っていないので、キャプションとは別に、全く別の場所の撮影の可能性もあります。機関車の状態がヒドイのですが、ことによると、1947年か1948年の朝鮮戦争開戦前の、平羅線もしくは満浦線電化の際の風景写真に、朝鮮戦争後の復興の説明をムリヤリ付けたものかも知れません。
(少なくとも写真に写っている人が人民軍の帽子を被っていることから、1945年の解放以降の撮影であることは確実です。)

     ただ少なくともこれだけのデロイ/デロニが当時残存していたことが判ります。掛け値なしに、大変貴重な写真であることには間違いないです。


いつもご愛読頂いております皆様有難うございます。
それではまた!