まったく「お詫びと訂正」になっていないブログに恐怖を感じる。

デモや集会、ついでに選挙活動などには、大音量のスピーカーがつき物である。
大音量であっても、そのことは、届け出られた集会やデモなどは、合法であり、民主主義の表現方法の一つである。その一つを民主主義と相容れないとは、どういう意味だろう。

正直、自分の主張に合わないものは、不快に思い、賛成できるものは、多少大きくでも許せたりする場合がある。

その感じ方は、明らかに「個性」であり、その評価をもって「民主主義と相容れない」(一度は、「テロと本質変わらない」と表現、これは、ほとんど同義語)などという政治家が不明確な「国家の秘密」なるものを定め、それを知ろうとしたり、知らそうとしたりする者を罰する法律を創ろうとしている。



これは、恐ろしいことである。この訂正でOKとする人々がこの国を牛耳っていることは、大変な恐怖である。

どのような事態が来ようとも、「真実を知ろうとすること、知らせようとすること、情報を公開すること」を恐れずにやっていきたいと思いつつ、やはり人間「刑罰が怖くなるかも」

とにかくその前に止めたいものです。

石破茂

<石破自民党幹事長の言い分=自民党・公明党・政府が良しとする考え方>
「整然と行われるデモや集会」はOK
「市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法」は、本来あるべき民主主義とは相容れない
とのこと。

http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/
2013年12月 2日 (月)

お詫びと訂正

 石破 茂 です。

 
 整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです。
 一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います。
 「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。

 自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます。