僕の遅道 其ノ佰貳拾 奥州街道(陸羽街道)82. 一関宿⇒83. 山目宿、高館 1/12 | ごんのブログ(慢性膵炎日記)Ⅱ

ごんのブログ(慢性膵炎日記)Ⅱ

2009/11/02 慢性膵炎および仮性膵嚢胞で入院&手術をしました。
退院後は膵炎での脂質を抑えた食事などを紹介していますが内容は、
マンネリ化しやすい制限食のバリエーションの積りです
独身の男性にも作りやすいよう心がけています

さぁ~
今年再開しました ”僕の遅道” は

いよいよ
一ノ関駅にやってまいりましたよ (^O^)/


実は一ノ関駅は僕の遅道では始めてになりますけど

僕の遅道用に Angriff 改 を改造中に
津波被災地の陸前高田を訪れた時に使った駅が一ノ関なんですね
2012年 陸前高田 Ⅰ 2012-09-12 (別窓で開きます)

2012年 陸前高田 Ⅱ 2012-09-15 (別窓で開きます)

バぁスぅを~待つあいだにぃ~ 2012-09-08 (別窓で開きます)


この時は高速バスでAngriff 改を積んで
移動する予定が、高速バスに載せられなかったので

一ノ関駅から代替えバスが出ていると聞いていましたので
バスで陸前高田を歩いて回ってきたんですね

その他にも ”盛岡SEIKO” での
”機械式時計セミナー” や試験などでも

夜行バスでちょくちょく使っていたんですね (^^ゞ

そして江戸末期に奥州街道を参勤交代のために使った大名は
37大名いたそうですけど

宇都宮から東西に別れたり

那須方面から会津に抜けたりして
仙台以北は10大名以下になってしまうんですね


そしてこの一ノ関は

仙台藩(伊達藩)から分家した ”一関藩” の
領地だったんですね α(・_・) 黄色いとこね


ちなみに

σ(・_・) 結構好きな ”超高速参勤交代” のモデルの
”湯長谷藩” はもっと南の二重丸のとこです


一ノ関藩が仙台藩から分家したと言いましたけど

実は仙台藩初代藩主の ”伊達政宗” の死後に
十男 ”伊達宗勝” の領地となったんですね

宗勝は幕府の大老・酒井忠清と結び
仙台藩の内分家として領地を割いて一関藩をつくったんですね

その宗勝も ”伊達騒動” で失脚し

伊達政宗の正室 ”愛姫” の遺言により
政宗の孫宗良が愛姫の実家三春の田村氏の名跡を継承

延宝9年(1681年)に
その子の ”建顕” が岩沼藩から一関藩に転封され一関藩主

こののち一関藩の藩主は田村氏が代々世襲し
明治維新まで田村家の支配が十一代続いたんですね

私にとっても
311被災地への玄関口として何度か利用させていただいてきましたので

少々は馴染みのある土地なんですね (^^ゞ

地名の由来にも幾つかの節があって

平安後期まで俘囚(ふしゅう=陸奥・出羽の蝦夷のうち、朝廷の支配に属するようになった)の
長として奥六郡を支配した安倍氏が一の関、二の関、三の関と砦を築いた事によるという説

平安末期に奥州一帯を支配した奥州藤原氏が
平泉の南側を守るために置いた関所に由来しているという説

江戸時代にこの地を治めた田村氏が置いた関所に由来しているという説

いずれにしても
この地は古くからの関だったんですね α(・_・)

ちなみに
一関市は ”一関” と書いて ”いちのせき” と読み

JRの駅は ”一ノ関” と、カタカナの ”ノ” が入って
どちらも ”いちのせき” と読むんですね ( ̄_ ̄ i)


さて今回もテーマがあるんですけど
この曲なんですね (;^_^A


なんでかって言うと

今回はナビとして使う予定のタブレット
”Xperia Z3” の最終テストも兼ねているんですね

演奏しているのは
我らが国際都市、茨城県(エバラが正しい)が産んだ美女っ!

”はなわ ちえ” さんですけど (//・_・//)

正当な津軽三味線の奏者なんですよね Σ(・ω・ノ)ノ!


プロフィールは

はなわちえ
1982年6月18日生まれ
茨城県日立市出身

9歳の時に ”佐々木光儀” 氏に師事する

ちなみに ”上妻宏光” 氏と同門なんですね Σ(・ω・ノ)ノ!

アメブロにofficial Blog もありますよ (^O^)/
はなわちえOfficial Blog (別窓で開きます)


ってことで
夜勤の仕事上がりでまずは大宮にやってきましたよ (=o=;)


はい、切符は一ノ関までね


今回は ”やまびこ” だったので自由席

Angriff 改は後部席の
シート裏に (;^_^A


一ノ関駅では新幹線ホームからコンコースを通って
改札のある西口へ向かいます


一ノ関駅は元々東口がなかったのですが
新幹線が開通した数年後に東口が作られたんですね

見えているのは東口と言うよりも
旧裏側って言うところですかね (;^_^A

改札のすぐそばにあるおそば屋さん


ここのおそばはいつもお世話になっているんですよね

で、今日もお世話になっちゃいます ( ̄¬ ̄*)

なんて事をしながら
やってきました一ノ関駅 (^^ゞ


うわぁ~
変わんないなぁ~


あの、真ん中のピンクのビルに
バス案内所があって陸前高田への行き方を聞いたんですよね

今回は奥州街道の旅ですから
ちょっと市内の下調べをしますか (‐^▽^‐)


おっ
あったあった ”芭蕉二夜庵(ふたやあん)跡” が載ってますよ


さぁ~
それじゃぁ、サイコンをリセットしてスタートしますか (≧∇≦)b


まずは駅を背にして
奥州街道(陸羽街道)に出ましょうね ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ・_・)┘


走り出してすぐに目についたのが
この石碑たち


こちらは ”芭蕉辻碑” ですね


こちらは日本の道百選 ”おくのほそ道碑” ですね


芭蕉の足跡を後世に残すためと刻まれていますよ

一関駅前交差点を右に曲がり
街道になる県道r260を北に進みます


500mほど進んで ”地主町(ぢしゅまち)角” と言う交差点を左に進みますよ


250mほど進んだ ”広街北口” と言う交差点ですけど


ここをちょっと右に曲がって・・・

最初の十字路がありますけど


このあたりに
№113の ”一関一里塚” があったんだそうですよ ( ̄ー ̄; 痕跡なしね

もとに戻って、街道を ”磐井川” にかかる ”磐井橋” に向かうと・・・


橋の袂に
こんな案内板がありますよ ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


あ! ちにみにですけど
この磐井川は一ノ関駅の真西30kmにある

栗駒山を源流に市内を流れて
北上川に注ぐ川で、上流には ”厳美渓(げんびけい)” が有名ですけど

ここから3kmほど下流で北上川に合流しているんですね

あっ!

厳美渓とよく似た名の景勝地 ”猊鼻渓(げいびけい)” は
一ノ関駅を挟んで東西、反対側にありますので、お間違いのないように (;^_^A


さて、案内板の隣には
石碑で ”曽良随行日記” が紹介されています


曽良随行日記

一 十二日 曇。戸今を立。三リ、雨降出ル。
上沼新田町(長根町トモ)三リ、 安久津(松嶋より此処迄両人共ニ歩行。
雨強降ル。馬ニ乗)。一リ、加沢。三リ、一ノ関(皆山坂也)。
黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。

一 十三日 天気明。巳ノ尅ヨリ平泉へ趣。一リ、山ノ目。
壱リ半、平泉 (伊沢八幡壱リ余リ奥也)ヘ以上弐里半ト云ドモ弐リニ近シ。
高館・衣川・衣ノ関・中尊寺・ 光堂(金色寺、別当案内)・
泉城・さくら川・さくら山・秀平(衡)やしき等ヲ見ル。
泉城ヨリ西霧山見ゆルト云ドモ見へズ。タツコクガ岩 ヤへ不レ行。三十町有由。
月山・白山ヲ見ル。経堂ハ別当留守ニテ不開。金雞山見ル(きんけいざんみえる)。
シミン(新御)堂、无量劫院跡見。申ノ上尅帰ル。主、水風呂敷ヲシテ待 。宿ス。

一 十四日 天気吉。一ノ関(岩井郡之内)ヲ立。



石巻から次の泊地、戸今(といま=登米《とよま》のこと)を発って3里ほどで雨が降り
一ノ関の手前では合羽を染み透るほどの豪雨だったと言うんですね


この豪雨に遭ったあたりが ”かっぱ崖” という名で
今は ”おくのほそ道碑” があります

その道程を端的に記し
翌日と翌々日の一関出立までが書かれていますね

5月12日の黄昏ですから日没直後に到着し
翌々日の14日に発ったと書いてありますから

この地に2泊したんですね

宿になった ”金森邸” は
”二夜庵(ふたやあん)” と呼ばれるんですけど

当時の磐井橋付近には2軒の金森家があったそうで
どちらなのかは不明だそうです (;^_^A


一ノ関付近の芭蕉の足跡の地図もありますね


芭蕉の頃はこの辺りは
もう30mほど下流に磐井橋があったのでしょうね


一里塚が1ブロックほどズレていますからね

あ! 一ノ関に入るまでのコースも出ていますね O(≧▽≦)O


すぐ横には明治天皇巡幸の碑があります


磐井橋を渡ると
すぐに右(北)に曲がるのが街道になります


磐井川の土手から下りると
なんか立ってますけど・・・


おぉぉぉ~
元禄2年5月13日に芭蕉がここを通ったって言う碑ですね ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


芭蕉は一関に宿泊して、この道を通り
日帰りで平泉を往復しているんですね

街道を進むと南から来る県道r14に斜めに合流し、200mほどで
83番めの ”山ノ目(やまのめ)宿” に入ります


写真は合流してから500mほど進んだところですけど

角の美容室には
”山目宿問屋・旧上町” の標柱があるんですね ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


問屋跡から300m進むと
県道r14を渡って次の交差点ですけど

商店を営む旧家があります


実はこの道が ”気仙の交通路・旧今泉街道入口(横丁)” の
標柱があり


これが ”気仙街道” あるいは ”今泉街道” と呼ばれた
一ノ関と陸前高田を結ぶ街道の旧道入り口なんですね

気仙街道は約55kmの街道で
山目宿、松川宿、長川宿、摺沢(すりさわ)宿、大原宿、今泉宿からなり

今泉宿は現在の陸前高田市の
”奇跡の一本松” のあたりなんですね ( ̄□ ̄;)!!

先程の旧家から50mも進まずに
公民館がありますけど


ここに ”照井堰改修の先覚者、柏原清左衛門末裔屋敷跡” があります


柏原清左衛門は、この地で私費を投じるなどして
土地改良(農業土木)に多大な貢献をされた方なんだそうですよ

公民館から400mほど、宿場も終わろうと言う辺りで
保育園の向かいになにやら標柱が見えますよ


”金山奉行の足軽居住・旧久賀町” ってありますけど


現在の宮城県中南部、山形県内陸部、福島県ほぼ全域、
茨城県北西部は、その昔ひとつの国で ”陸奥国(むつのくに)” と呼ばれていましたけど

のちに宮城県南部、岩手県南東部が
”陸前国(りくぜんのくに)” として独立しますけど

とくに陸前国の中央から東部を
気仙郡として治められてきたんですね

現在の大船渡市、陸前高田市、住田町が気仙郡に当たりますけど

気仙地方は ”玉山金山” を中心に
一説では60箇所もの金山があったと言うんですね Σ(・ω・ノ)ノ!

宿場を過ぎると間もなく
”平泉町” に入りますよ


上の写真の先の方で道が左にカーブしていますけど
カーブ付近に

№114の ”大沢塚(おさべ)一里塚” があったそうですが
痕跡はありません (´・ω・`)


平泉に入って1kmと言うところで
トラブル発生っ! ヽ((◎д◎ ))ゝ


つい今しがたまでナビをしていたタブレットが
目的地のマークを表示しなくなっている ( ̄□ ̄;)!!

30分ほどかけて色々と確認してみると
Google からログオフしてしまっている

ログオンしたくても
最近パスワードを変えたばかりなので覚えていない

クラウドドライブには新しいパスワードが記録されていますけど

Google からログオフしているので
クラウドドライブにもログオンできない・・・

ログインしようとすると
パスワードの変更を求められる・・・

パスワードを変更する際には
自宅のメインマシンで変更して

新しいパスワードをクラウドドライブに保存して
各端末(メインマシン、サブマシン、数台のモバイル機)でログオンすることで

各端末のパスワードの変更でき
Google にも各端末を登録出来るようになっている

なので
ここでパスワードを変更することはできない・・・

仕方がないので
地図と現在位置の確認だけにして

街道や史跡、チェックするポイントは
記憶に頼るしかない (´・ω・`)

ほどなくして
目指していた ”平泉駅” が案内板に見えてきます


平泉駅のロータリーが見えてみましたけど


ロータリーの奥側の右の道が街道になりますよ


JR東北本線の踏切を渡ると街道筋は
かつての宿場を思わせるような家並みが続いていますけど

江戸時代の平泉は宿場では無くて
田畑や民家だったそうです (;^_^A


街道右側に ”伽羅御所跡” と書かれた標柱が建っていますけど


この辺から右側北上川までが、藤原氏全盛期の三代秀衡と
最後の四代泰衡の居館があったところらしいんですね


コース外の史跡によっていると
時間がいくらあっても足りなくなるので・・・ ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ・_・)┘ 先へ進みます

なんせ、ここ平泉は
平安時代には奥州藤原氏の本拠地があった町として有名ですし

当時は平安京に次ぐ大都市として栄えたんですね α(・_・)

街道を進んでいくと
大きく左にカーブして街道は北北東から北西に向きを変えます

すると見えてくるのが・・・ ( ̄□ ̄;)!! 大きな湖? 沼?


実はここは、藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した
寺院跡で ”無量光院跡” として国の特別史跡に指定されているんですね α(・_・)


当時は平等院の規模をも上回る煌びやかな寺院だったそうですけど
度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石が残るのみ


説明板もありますね


そして、何を隠そうここ無量光院の中に
№115の ”無量光院一里塚” があったそうなんですけど・・・

現在は世界遺産 ”平泉の文化遺産” を構成する
無量光院跡の復元整備事業で立入禁止になっているんですね (´・ω・`)

そしてこの池は走行した当日は9月5日ですけど
大池に水を張り、中島・東島・北小島の3つの小島が復元されていたんですね


上の写真は ”河北新報 Online News” からお借りしました

こちらが元記事です
<世界遺産>平泉・無量光院跡 整備着々 /
河北新報 2017年08月09日水曜日 (別窓で開きます)


そして

実はこの時ではないんですけど

次の走行をした10月18日に
新たに ”堀跡” が発見されていたんですね ( ̄□ ̄;)!!


上の写真は ”河北新報 Online News” からお借りしました

こちらが元記事です
平泉・無量光院跡の発掘調査 堀の跡を発見 /
河北新報 2017年10月18日水曜日 (別窓で開きます)


あの中島のどこかに無量光院一里塚があるはずなんですよね


情報では杉の老木が1本有り
そこが一里塚跡らしいんですけどねぇ~ (´・ω・`) 入れないし


芭蕉と曽良もここまでは来ていたみたいですよ

曽良随行日記

一 十三日 天気明。巳ノ尅ヨリ平泉へ趣。一リ、山ノ目。
壱リ半、平泉 (伊沢八幡壱リ余リ奥也)ヘ以上弐里半ト云ドモ弐リニ近シ。
高館・衣川・衣ノ関・中尊寺・ 光堂(金色寺、別当案内)・
泉城・さくら川・さくら山・秀平(衡)やしき等ヲ見ル。
泉城ヨリ西霧山見ゆルト云ドモ見へズ。タツコクガ岩 ヤへ不レ行。三十町有由。
月山・白山ヲ見ル。経堂ハ別当留守ニテ不開。金雞山見ル(きんけいざんみえる)。
シミン(新御)堂、无量劫院跡見。申ノ上尅帰ル。主、水風呂敷ヲシテ待 。宿ス。


”水風呂敷をして待” の意味がよくわからないと思うんですけど

たぶんですけど
”行水” の事じゃないでしょうかね

この日、旧暦5月13日は新暦の6月29日
現代なら気温が30℃を超え始める頃

水浴びは最高のご馳走でしょうね

江戸時代のお風呂、銭湯ですね
当時は湯屋と言ったそうですけど

風呂敷は元々は風呂場で敷いて
座るための道具だったそうです

後に着替えなどを包んだりするようになったそうですけど

風呂場で風呂敷を敷いて座るのが
入浴スタイルですから、入浴自体を風呂敷すると言った頃があるそうです

すると、水風呂敷は水風呂に入浴することになりますけど
冷たい水に入る習慣はないので

タライに水を張って戸外に出して置いて
少し温めておいて水浴びする行水の準備をして待っていた

と、言う事じゃないでしょうか (;^_^A たぶんね

少し先に進むと・・・

えっ!
たかだち よしつねどう?


ここって
もしかして

最期の ”よっちゃん(源義経)” のお家の跡? (?_?)


★アメブロのメッセージは停止しています
携帯・スマフォなどからの
メッセージは ↓ こちらをご利用ください

ごんのブログ(慢性膵炎日記)


僕の遅道 BN(旧ブログ)へは​
こちらを読み取り​
またはクリックで



僕の遅道 BN(新ブログ)へは​
こちら



これまでの街道等の実走行距離
中山道707.58km・東海道712.01km・
甲州街道308.88km・三州街道(伊那、飯田街道)247.46km・
東海道姫街道75.45km・下田街道77.99km・
足助街道(三州街道と重複)28.41km・
壬生街道(日光西街道)55.74km・

日光街道51.74km(含共通部182.21km(一部地図測定)
日光街道/Google My Map (別窓で開きます)

日光街道・奥州街道共通編130.47km(一部地図測定)
日光・奥州街道共通/Google My Map (別窓で開きます)

奥州街道(奥州道中)159.59km
奥州道中/Google My Map (別窓で開きます)

奥州街道(仙台道)197.85km
仙台道/Google My Map (別窓で開きます)

奥州街道(陸羽街道)115.48km
陸羽街道/Google My Map (別窓で開きます)

奥州街道現在の延長距離(日本橋から一関宿)603.39km

番外編 2013年冬の東北333.67km・番外編 日光御成街道67.52km・
番外編 三鉄全線再開記念183.51km・

番外編 芭蕉の足跡 日光⇒那須野編96.65km
番外編 芭蕉の足跡 喜沢追分⇒今市59.58km
おくのほそ道 芭蕉の足跡/Google My Map (別窓で開きます)

日光例幣使街道 138.49km
日光例幣使街道/Google My Map (別窓で開きます)


*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*







風評被害をなくしましょう               地震速報

                     

*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*

にほんブログ村参加カテゴリー/膵炎、ランキング

にほんブログ村参加カテゴリー/食事制限ダイエット、ランキング

人気ブログランキング参加カテゴリーへ/健康と医療⇒病気・病状⇒肝臓・胆嚢・すい臓

レシピブログのランキングに参加中♪ よろしければクリックしてくださいね♪