11月7日は羽黒山を下りて新潟県境の道の駅「あつみ」まで来た。

 

時間はまだ3時半。

 

 

 

 

あとは海岸線をまっすぐ帰るだけ。

 

今日はここでのんびり野宿しようかとも思ったが・・・

 

そういえば、今回はまともに日の出も夕日も見ていない。

 

どうせなら海に沈む夕日を見ながら飲もう。

 

7号線から345号線を海岸沿いに走って、村上市の岩船海水浴場までやってきた。

 

どうにか間に合ったようだ。

 

海に沈む夕日はいつも寺泊でしたが、今回は。

 

 

 

サンセットと戯れるアベック

 

4時50分 早いですね~

 

 

 

4時52分

浜釣りをする人。

 

5時22分

 

まだ寝るには早いし、することもないし、もう少し飲もうか。

 

11月8日(水)

 

3時45分目が覚める。

 

することもないのでインスタント味噌汁を飲んで暗がりを出発する。

 

6時半、長岡の海岸でうどんを作る。

 

親不知が近い。

 

10時半 親不知の道の駅に着く

 

時間も早いのでゆっくり見物することにする。

 

この親子亀 名前がついてたな~

 

 

 

こんな道の駅も珍しいんじゃないかな~

 

ここだと能登半島に沈むのか~

 

 

世界一のヒスイの原石

 

持ち帰り自由だそうです。

 

ジオラマ

 

やっぱトンネルは無理だったのか。

 

松尾さんと曾良もここを歩いたのか。

 

今だったら腰まで海に浸からないとだめらしい。

 

温暖化のせいですかね~

 

 

親子像

 

 

「親不知」の名称の由来は幾つの説がある。

一説では、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、この名が付いたとされている。

また、以下のような伝承もある。

壇ノ浦の戦いの後に助命された平の清盛は現在の新潟県長岡市で落人として暮らしていた。
都に住んでいた妻はこのことを聞きつけて、夫を慕って2歳になる子を連れて京都から越後国を目指した。
しかし、途中でこの難所を越える際に、連れていた子供を波にさらわれてしまった。
悲しみのあまり、妻はその時のことを歌に詠んだ。
親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消え行く
以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになったとする伝説もある

 

 

いいところを見つけましたよ。

 

関係者しか見られない光景

 

 

能生の弁天岩

 

 

 

 

 

午後1時過ぎ 無事家に着く。

 

そんなに疲れはない。もっとも日ごろの生活が野宿みたいなもんですから。

 

気力とお金と命があれば石垣島と青島に行ってみたいが、まあ無理でしょう。

 

もっとも命があってもボケてしまったらおしまいですが。

 

それではまた。