昨年(2013年)の6月に子宮頸癌が見つかって7月に円錐切除術を受けました。高度異形成が残るけれども癌は取り切れたということで、その後経過観察となったのですが、11月に受けた検査で再度癌が見つかって、子宮を摘出することになりました。

円錐切除したときから癌細胞は残っていたのだと勝手に推測しているのですが、もし取り切れていたのにたった4ヵ月で再発していたのだとしたらどれだけ増殖力のある癌なのかと恐ろしくなり、とにかく急いで切除したい思いで、セカンドオピニオンなどは聞きに行かず、2014年1月の手術に臨みました。

岡山にある倉敷成人病センターでは広汎子宮全摘術も腹腔鏡下でしてもらえるとパートナーが調べてくれたのですが、保険が適用されないので入院・手術で200万円ほどかかるとか、遠方だし通うのは難しいだろうとか、きっと待たされるに違いないとか、頭だけで考えて選択肢から外してしまいました。

今、改めて倉敷成人病センターのホームページを見ると、私のステージ1b1期で子宮を温存した腹腔鏡手術ができるとあり、もし試しにでもこちらへかかっていたら、今どんなふうにしているだろうか、なんて考えたりしてしまう自分がいます。そんなにうじうじ考えているわけではないですよ。なんとなくボヤッとね。


だってね、やっぱり子宮を失った訳ですから、いろいろ考えますよ。本当にいろいろ。手術が決まってから手術を受けてこれまでに色んな人から色んな言葉や反応を投げかけられて、その度に立ち止まって考えました。

子宮頸癌であることを告げたとき、母からは、私がそんな風に生んでしまったのかしらというようなことを悲しそうな顔をして言われました。私の子宮頸癌はウイルスによるものだからお母さんのせいではないと言うとほっとした表情をしていましたけれど、私は親になったことがないので、どういう心境だったのかはよくわかりません。その直後「手術までに誰かと結婚しなさい!」と言われたことは笑い話にしています。

結婚もせず、子どもも産まず、自分の好きなことばかりして生きて、母には本当に申し訳ないなと思っているのですけどね。子どもが産めなくなったって無価値の人間になったとは私は思っていないのですよ。安売りセール品にはなりたくないの。クリスマスケーキのお年も、鏡餅のお年も、とうの昔に過ぎてしまいましたけれど、ビンテージワインなら年々味わい深く価値を高めていけるかしら、、、なんて考えたりして。


入院中、病院のお向かいのベッドのおばあさんからご病気は何?と聞かれて子宮頸癌で子宮を全摘したことを話したら、お子さんはいらっしゃるの?結婚はされてるの?と矢継ぎ早に尋ねられて、「まぁ、若いのにお気の毒に、、、」とカーテンの向こうに姿を消されたり、お仕事先では「もう結婚できないね」と60歳代の男性から声を掛けられたりしたこともありました。

育った年代や環境で価値観が違ってくるので、その言葉を発した方の価値観を鑑みて理解しないといけない!のです、、、よね。わかっているつもりです。つもり。

私は、わりとこの辺りの神経は図太くできているので、「いえいえ、言うほど若くないし、自分ではそれほど気の毒な人とは思っていないですよー」とか「案外、介護婚なんかには向いてるかもしれないから、これから婚期が巡ってくるかも」とか思えるのですが(実際にお相手にも言っちゃった)、本当にこの辺りの事を繊細に思い悩んでいる方々にこういう言葉が向けられたらと考えると背中に冷たいものが走ります。


ローズマリーだって強がっているけれど、本当は子宮に未練があったんでしょ?と言われればもちろんYESです。でも、子宮を残したからって、閉経までの何年かで結婚して子どもをもうけられたかと問われると、それも自信がない。なので、これで良かったのかもね、とも思っているのです。「閉経」という変なプレッシャーもなくなったしね。

何が言いたいかわからない今日のブログですが、私の心の中で整理できない色んな感情が渦巻いている様子はわかってもらえたかな、、、と。いや、多分、気持ちのわかる人に聞いてもらいたかったんだな。こんなことがあったのー!!こんなこと言われたのー!!って。

最後まで読んで下さってありがとうございました。