大事なのは、二つの世界の呼応と調和をはかることだ。

この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。
世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。
世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、ひとつの世界がある。
きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。
きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。

二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。
心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむつかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。
(池澤夏樹『スティル・ライフ』より)


池澤夏樹「スティル・ライフ」
1987年

池澤夏樹さんの『スティル・ライフ』は、折にふれては読みたくなるとても大好きな本。
引用したこの物語の冒頭部分を初めて読んだ時、何か心のかさぶたのようなものがポロッと剥がれたような気持ちになったのをよく覚えている。あぁ、そうだった。こんなふうに日々生活していくべきなんだ、と心が軽くなった気がしたのだ。
大事なのは、二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。
星を見たりせせらぎの音を聞いたりするのと同じように、本を読んだり音楽を聴いたり、あるいはおしゃべりしたり何か書いてみたりお酒を飲んだりおいしいものを食べたりすることは、この二つの世界の調和のためにとても大切なことなんだと思う。

(2011年3月6日初出記事を加筆修正)



長らく、本に関する記事を書いていなかった。
僕は活字中毒気味なところがあってとりあえずなんでも読むのだけど、そういう読書のほとんどは読むことそのものに意味があるというか、あまり心に残っていない。一方で、気に入った本は何度も読み返すのが好きで、お盆休みにはいろいろ引っ張り出しては再読していた。
心に残った文章というのは、おそらく自分自身のモノの見方や考え方に影響を与えているはずだ。
そこで「私を構成する本たち」として、自分自身の趣味嗜好や思考方法に影響を与えた本をピックアップしてまとめてみようと思ったわけです。
とはいえ、2006年からかれこれ18年近くもブログを書いているので、多くは一度記事にしたことがあるもの。なので、そういう過去記事を加筆修正する形ですすめていこうかと。

池澤夏樹さんは、20代〜30代にかけて一番よく読んだ人で、おそらく出版されたものはすべて読んでいると思う。

池澤さんの書くものは、小説にしても評論や随筆にしても、ひとつの事象に対して表層的ではなく、上下左右からぐるりと見渡して冷静な解析が行なわれた結果としての重層的なものの見方が常にある。科学者が、手に入れた未知の物質を丁寧に眺め、大きさを測ったり触ったり叩いたり皮をはいだり顕微鏡で覗いたりしながらその物質の本質を見極めようとするみたいに。

そう書くとなんだかとても理屈っぽい文章のようだが、その眼差しには根本のところで、自分を取り巻く世界への優しい眼差しがあり、その世界に対して知的冒険を試みる少年のような好奇心や探究心があり、世界に対する畏敬や尊敬の念がある。

そんな世界観に裏打ちされた上での明晰さが心地よいのだ。


戦争は終わらない、地球沸騰化はうなぎ昇り、それとあわせて値上げもうなぎ昇り、南海トラフに東海地震に富士山噴火の3点セットも控えてる。ついでにタイガースは弱い。

こういうご時世だからこそ、冷静に長期的視野で科学的に物事を見つめ直すってことが大切なのかな、なんて思いながら。