「ちょっと休ませてもらっていい?」 
夜遅くに突然現れた彼女は、そういうといきなりベッドに横になった。 
かぶった布団の肩が震えて、すすり泣きと嗚咽がかすかに漏れている。 
こんなときにいきなりとやかく理由を尋ねるべきではないということくらいは、ちょっとまともな人間になら誰にでもわかる。 
彼女は学生時代にアルバイト先で知り合ったひとつ年上のひとで、パンクやブルースが好きだった僕とニューウェーヴの系統が好きだった彼女が、唯一好みがかぶっていたのがRCサクセションだった。そんなところで気があって、幾度かいっしょにライヴに行ったことがある、その程度の間柄。 

「あんなひどい奴とは思わなかった。」 
布団にくるまりながら、彼女はひとりごとのようにつぶやく。 
彼女のアパートにミュージシャンくずれのにやけた男が転がりこんできている、という噂は聞いていた。「順子」を歌っていた頃の長渕みたいなしゃらっとしたナルシスティックな野郎だ。 
「何があったか知らんけど、いまどき弾き語り演ってる奴なんて、性格悪いに決まってるやん。まともな神経じゃでけへんよ、あれは、ハハハ。」 
「そんな風に言わんといて。」 
そう言って彼女はまたすすり泣く。 
そんな彼女は、僕の知っている彼女とはまるで別人のようで、僕はそれ以上言葉を継ぎ足すことをためらった。 
「暴力を振るわれるのだけは我慢できないの、でも本当はいい人なのよ。」 
そんなことだろうなとは思った、女に手をあげるなんて最低な男なんだろう、でも実際のところ二人の間に何があろうと知ったことじゃない、それに明日は朝から現場だぜ、そんなことを思いながらも、彼女を追い出そうという気にはなれなかった。 
「明日、7時半には出掛けるからね、カギ置いておくからポストにでも突っ込んどいてよ。」 
しばらくの沈黙のあと、 
「うん。」 
とかすかな返事。 
やがて静かな寝息が聞こえてくる。 
僕はベットの反対側の部屋の隅で、手持ち無沙汰のまま缶ビールを開ける。 
ほんとに朝までいるつもりだな、まぁいいけど、なんなんだかな。 

次の日、まんじりともせず朝を迎えた僕は、現場でミスをやらかしてボスにこっぴどく叱られた。 
夕方部屋に戻ったら、置き手紙も何にもなく、ただ掛け布団が丁寧にたたまれていた。 
あれから彼女があのナルシスティックな男とどうなったのかもよく知らないまま、僕はあくせくと日雇い労働の毎日に埋もれて暮らした。 
25歳だった。 


「結婚して今は長野県に住んでいます。何にもないど田舎です。」 
そんなハガキが届いたのはそれから数年後、それっきりなんの音沙汰もなく音信不通。 
もうすぐやってくる清志郎の命日を、彼女はどこで誰とどんな思いで迎えるのだろうな、なんてことがふと頭をよぎったりもするけれど、だからといってどうということでもなく、そんな思いもまた明日には消えてしまうだけのこと。 
外は、雨上がり、まだ肌寒い空気が少しひんやりする春の夜。 

 
どくとる梅津と早川岳晴のバンドに清志郎がコラボしたアバンギャルドなユニット『Danger』のアルバムを、 レンタルレコード店のバイトで彼女と同じシフトのときによく流していた。
「俺は有名!」とか「はたらく人々」とか、大きな音で掛けると客が戸惑うのが楽しかった。
痛快だったな。 

でも、今日思い出しているのはこの曲。 


猫みたいな女の子は苦手。
でも、女のひとの魅力的なところは、やっぱり猫みたいなところなのかも知れないな。