仲間内で話題の「JIN」というドラマを
見ています。




ドラマはうまく綺麗にエモーショナルで
軽く仕上げてあって面白いです。

原作も面白いのですけど、妙に重いです。
そもそも重いネタではありますが、、、。


一時期、村上もとかのマンガも
いくつか読みましたが
JINは途中で読めなくなりました。

「六三四の剣」も原作を
読んだことなかったので読みました。




話は面白かったし、
作者は剣道や居合にも詳しいのか
相当の取材をしているのか
剣の使い方に説得力がありました。

杖術を習っていたとき、
柳生新陰流の居合をセットで
勉強しないといけなかったので
しばらくやっていましたから
動きに納得感があり驚いた記憶があります。

あまり内容は覚えていないけれど、
1つだけ妙に記憶に残ってるシーンがあります。
記憶に残ってる限りなので、
正確でもなく曖昧だと思いますが

自分の中にあるイメージと
今学ぶべき事と併せて考えることが大事なので
なんとなくのイメージとして読んでください。



ある登場人物が1番最後に
本当に苦しい人生だったと
すべての修行を耐え切りましたと
言うのですね。

漫画では大抵の場合、
最後に苦しかったけれども楽しかったとか、
本当に充実していたとか
もうやり残した事は無いとか言いますよね。


でもこの漫画では
今世の修行は本当に苦しかったと
こんなにも道を行く修行とは厳しいものかと
ただただ必死で乗り越えてきたと言うのですね。

それが人生だった
人生とはなんと厳しいのかと
剣の道とは誠にこのようなものかと
涙を流しながら語っていました。


神は乗り越えられる試練しか与えない
しかし、それでも、、、。


JINの中でも
道とは自分だけの逃げ道を作ることではない
と言っている人がいました。

日本の文化には道とつくものが
たくさんありますね。
剣道・柔道・華道・茶道、、、

道とは生き方です。
古来から人生を生きるにあたって
ある物事の技術や心得の習得を通じて
人生とはどういうものかを考え、
どのように生きるべきかを教える、、、

そういう文化があったのだと思います。

私はほんの少ししか学べなかったけれども
杖道や居合にもそういったものがあることが
感じられていました。

単純そうに見える型にも
たくさんの意味や理屈があって
それを毎週少しずつ知れるのは
本当に面白かった。

先人たちが心を尽くして考え尽くし
工夫し尽くした「型」の中には
本当にいろんな意味がありますし
知れば知るほど人生につながっている。

古人が研鑽しつくした洗練であり
エッセンスですね。




なんだか今思うと感慨深い言葉です。

この人物のようにたとえ微力でも
真っ正面から人生を生きる、、、

けれど、どこまで行ったところで
道は到底極め切れるようなものでもなく
それより前に人生は終わる。


でも、その道を歩んだものたちの

軌跡が
想いが
行いが

その全てがそこには残る。

そういうものなのだ。
そうやって繋いでいくものなのだ。


人は皆そういうもの。
自分が歩こうとしている道も
そういうものなのだろうなと思います。

けれど、昔はそれを否定していた。
先も後もない。
私は孤独。誰もわかってくれない。
誰にも支えられてなどいない。
どうでもいい仲間など増やしたくもない、、、

鬼舞辻無惨道へまっしぐらでしたねー🤣